はじめに

 5月28日(日)開催の十六世紀史研究学会で「永禄・天正年間の播磨と織田信長」と題して報告をさせていただきました。未熟な内容でしたが、ご参加の方々から貴重な意見をうかがうことができました。次回は6月25日(日)に開催しますので、ぜひご参加ください。

 

 ところで、これまでの批評では、あらすじを追っていきながら、私見を述べるというスタイルを取ってきました。しかし、何度も繰り返し「突っ込みどころがない」と不満を述べているとおり、いささか内容が平凡かつマンネリ気味であることは否めません。そこで、今回からは若干スタイルを一新し、気になった点を重点的に述べるなど、工夫をしていきたいと存じます。

 

 今回のサブタイトルは、「ぬしの名は」でした。もうおわかりでしょうが、オールドファンの方は「君の名は」(佐田啓二など出演、1953年)を思い浮かべるでしょう。逆に、ヤングの方はアニメーションのほうの「君の名は」を思いつくことでしょう。

 

 今回のドラマは、おもしろかったのでしょうか???

 

商人の時代

 ここ数回のドラマでは、瀬戸方久(役・ムロツヨシ)などの商人が大活躍です。戦国時代において、商人は領国経済の発展を支えており、重要な存在でした。当時、一国(あるいは数郡規模)ですべての物資を自給自足で賄うことは困難であり、商人を通じて必要な物資を支配地域内に流通させていました。また、その逆も不可欠で、領国内の特産品は、商人を通じて他国へ販売されました。

 

 それゆえ戦国大名は、いわゆる「御用商人」を召し抱え、商人司(頭)に任命し、さまざまな特権を与えました。さらに楽市・楽座などを行い、自由な商売を認めるようになります。つまり、戦国大名と商人とは持ちつ持たれつの関係にあったといえます。特に、戦国時代の場合は、戦争に際して兵粮などの兵站や鉄炮などの武器を調達する必要があったので、商人の役割の重要度がさらに増したといえます。

 

 商人といえば、すぐに堺の商人や博多の商人を思い浮かべます。彼らは国内はもとより、海外との交易を行い、莫大な富を得ました。その豊かな経済力を武器にして、茶に嗜むなど文化の興隆にも大きな役割を果たしています。しかし、実際には店を持たない商人は数多く、行商人の果たした役割も大きかったといえます。また、武士を出自とする商人も多かったのです。

 

 むろん今川氏にも御用商人は存在しました。これまで、松木氏など少し触れた商人もおりましたが、改めて紹介することにしましょう。

 

 駿河・今川氏のもとには、多彩な商人が集まったといえます。ドラマで井伊氏の御用商人として描かれる、遠江国引佐郡祝田村(浜松市北区)に生まれた瀬戸方久はその一人といえましょう。方久は井伊氏に重用され、のちに今川氏真に仕えたといわれています。

 

 駿河今宿の友野氏と松木氏は、今川氏を支えた代表的な商人です。松木氏は今川氏により、京都に特産品を販売する権利を与えられていました。それは単なる商業活動に止まるものではなく、京都で政治に関する情報収集を行い、今川氏に報告する役割もあったと指摘されています。つまり、商人は怪しまれないので、自由に行動できた利点を生かしたのでした。

 

 また、松木氏は蓄財した富により、今川氏やその家臣らに対し、高利貸しを行っていました。今川家の諸経費を立て替えることもあり、まさしく今川家の財政を支えていたともいえます。松木氏の存在の大きさをうかがい知ることができましょう。

 

 一方の友野氏は駿府の商人頭を務め、今川氏から税の免除などの特権を与えられていました。伝馬の運送を独占し、木綿役徴収の権利の獲得、酒・胡麻油、茜、伊勢から取り寄せた米の販売権の独占など、手厚い保護を受けていたのです。逆に、友野氏は今川氏に搬送する荷物に課した路銭を納めるなど、奉仕していた点は重要です。保護を受ける代わりに、今川氏に見返りとなる金銭を納めていたのです。

 

 今川領国内では、ほかにも沼津大岡荘の問屋・山中氏、見附町の米屋・奈良氏、江浦の問屋・楠見氏、吉原の問屋・矢部氏、気賀の中村氏などの商人が活躍していました。今回、ドラマの舞台となったのは、気賀(静岡県浜松市北区細江町気賀)です。気賀は浜名湖に面しており、特に海上交通に至便でした。近世には、姫街道の宿場町として栄えます。陸上交通も便利でした。ここには、先述のように、中村氏という商人が活躍していました。

 

 中村氏については、ドラマ最後の紀行編でも触れていましたが、少し捕捉して説明しましょう。戦国期の中村氏は、今川氏から気賀(吉村新町)の代官に任命され、代々「与太夫」を名乗る土豪でした。同時に、中村氏は市日の升取役や吉村湊の舟役徴収を任されるなど、商人的な性格を持っていました。近世以降、中村氏は気賀宿本陣を務め、また代々にわたって気賀町庄屋(名主)および気賀上村庄屋を兼ねたといわれています。

 

 今回のドラマでは、方久の助言などもあり、直虎(役・柴咲コウ)は中村与太夫(役・本田博太郎)を通して、井伊家の特産品・木綿を流通させ儲けようとしたのです。ただ、木綿の収穫量が少なく、「かえって手数料のほうが高くなるのでは」とぼやいていましたね。やはり、一定のボリュームがないと、商売にならないということになりましょう。

 

捕らえられた直虎

 こうして商人との話を終えた直虎が表に出ると、突然、子供がぶつかって来ました。なんと子供はスリで、直虎の懐から大切なお金を盗んだのです。普通であれば、配下の者たちが子供を追いかけるのですが、なぜか直虎が先頭に立って追いかけます。配下の者は、あとから追いかける始末・・・。

 

 子供は捕まりそうになるのですが、お金を別の子供に放り投げて難を逃れます。もうすっかり慣れているようですね。直虎は二人目の子供を追い詰めるのですが、後ろから大男に頭を殴られ、その場で卒倒してしまいます。こうして直虎は、謎の集団に捕らえられるのです。

 

 あとになってわかるのですが、直虎を捕らえたのは、龍雲丸(役・柳楽優也)が率いる盗賊団でした。直虎は殺害される危機に陥ります。一方、井伊家では直虎がいなくなったので、大騒ぎです。そこへ盗賊団から、直虎を解放する条件として銭100貫文(今の貨幣価値で約1千万円)を要求してきました。

 

 囚われの身の直虎は、何とか小刀を手に入れ、縄を切り裂いて子供を人質にします。「身柄を解放しないと、子供を殺すぞ」と凄むものの、その覚悟はないようで、あっけなく子供に逃げられてしまいます。ここまでの流れを見る限り、相変わらず井伊家の脇の甘さが非常に目につきます。

 

 その後、直虎は龍雲丸になんで盗賊のような真似をしているのかと問い質します。龍雲丸の答えは、領主こそが大泥棒だ(百姓から年貢を巻き上げる)、と。そして、領主という大泥棒から盗んでいるので問題はないという主張をし、開き直る始末。天下人が「国を盗んだ大泥棒」といわれる時代劇を見たような記憶があるのですが、いささか陳腐なセリフではあります。

 

 結局、井伊家の者が、人質解放の約束の場所にやって来て、直虎の救出に成功します。しかし、盗賊団の目的は、実は馬を盗むことにあったのです。幸い傑山(役・市原隼人)が盗賊団に矢を放ち、退散させることに成功します。こうした事態になったにもかかわらず、直虎は盗賊団を捕らえることをしないというのです。

 

おわりに

 直虎は祐椿尼(役・財前直見)との会話のなかで、「際限なき戦争」の話を聞かされます。領土を拡大し配下の者に恩賞を与える。その繰り返しということになりましょう。これまた大河ドラマの最近の主張である「平和な世」につながるのでしょうかね。

 

 そうこうしているうちに方久がやって来て、材木を売って商売をしないかと持ち掛けてきます。ただ、人手が不足しているので、龍雲丸を神宮寺に呼んで協力を依頼します。分け前は井伊が7、龍雲丸が3というものです。直虎は「なぜ私たちに」と問う龍雲丸に対し、武家は泥棒と言われたくないとし、自分自身のためにお願いしているのだ、ということになりましょう。要は、自分だけで富を独占するのではないということを言いたかったのでしょうか?

 

 最近は、「男らしさ」「女らしさ」ということを言ってはいけないということになっています。このドラマでは、女性らしい細やかな配慮と申しますか、男にはない感性を前面に打ち出そうとしているようにも見えます。ただドラマは迫力に乏しく、見応えがないというのが正直な感想です・・・。たぶん、ドラマの直虎のような、こんなに甘い人は、戦国を生き残っていけなかったのかと。

 

 今回の視聴率は、13.2%と少し下降しました。

<了>

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