はじめに

 相変わらず暑いですね。外に出掛けるときは帽子をかぶり、日陰を歩いてください。「人生は日向を歩き、外は日陰を歩きましょう!」。もちろん、水分もお忘れなく。

 

 先日、江戸東京博物館で開催されている「戦国! 井伊直虎から直政へ」(86日まで)を観覧してきました。ドラマの内容は別にして、展示内容はとにかくすばらしいの一言でした。直虎や次郎法師の発給文書、また井伊次郎宛の文書も見学できますので、ぜひ足をお運びになってください。ちなみにいくつかの博物館、美術館で巡回展示をするようで、ほかに何ヵ所かで開催されます。

 

 今回のタイトルは、「気賀を我が手に」でした。これを探るのはなかなかの難関で、1956年に公開された映画「港の乾杯 勝利をわが手に」が元ネタではないかと考えられます。ただ、60年前の映画で、さすがの映画好きの私も監督さんや出演している俳優さんのことはわかりませんでした。最近では、この連載を書くよりも、タイトルの元ネタを探すほうが苦労します。

 

 さて、今回のドラマは、おもしろかったのでしょうか???

 

直虎、気賀の領主に?

 材木を取り戻して、直虎(役・柴咲コウ)も「ほっ」と一息というところでしょう。ところが、気賀の支配は、今川氏真(役・尾上松也)の家臣で堀江城主の大沢元胤(役・嶋田久作)に任されたので、気賀に住んでいる人々には、いささかの不安が残るところであります。

 

 直虎は、瀬戸方久(役・ムロツヨシ)から気賀の城主になる気はないかと言われます。ただ、当の直虎には実感が湧かないようで、思わずぽかんとした感じです。直虎に気賀の城主になることを望んでいるのは、方久だけでなく気賀にいる商人たちも同じ気持ちだったようです。

 

 現在では、選挙によって県知事なり市町村長が決まるわけですが、当時は選挙などありません。私たちには、強力な武将がいきなり乱入してきて、強い権力を行使して人々を従わせるという、戦国時代のイメージがあります。むろん、そうしたことがなかっとは言いませんが、必ずしもそうともいえなかったようです。

 

 少なくとも領主権力を確立するには、民衆の支持が必要でした。それゆえ領主は、いろいろな対策を施したのです。今回のドラマのように、家臣である方久から提案があるというのは何となく変な気がしますが、商人たちが密かに願っているというのは考えられなくもないでしょう。ただ、実際に大沢氏が支配を展開していないのに(悪政を敷いていないのに)、最初から「ダメ領主」の烙印を押されたかのような印象を与えるのは、ちょっと腑に落ちないところがあります。

 

 小野政次(役・高橋一生)もなんだかんだ言いながら、賛成の意向を示します。ただし、方久を前面に押し出し、いざというときの責任は方久に・・・という周到さです。直虎は方久に気賀の城主になると伝えると、ただちに方久は動きます。

 

 方久が向かったのは、今川家の重臣・関口氏経(役・矢島健一)のもとでした。方久は氏経に対して、気賀がいかに経済的にうまみのある場所であるかを説きます。そして、もし直虎が気賀の城主になった場合は、港で得られる利権の一部を差し上げるとの約束をします。提案を受けた氏経は、すぐにその儲け話に乗ってしまう軽薄さ。こういう人はいないと言いませんが、しっくりきませんね。少しは疑ったりとか、自分がさらに有利になる条件を付けたりとか、現実味が欲しいところです。

 

 そして、方久は氏経を伴って、駿府の氏真のもとへと向かいました。しかし、氏真(役・尾上松也)は一通の書状を目にして、とたんに怒り狂います。永禄10年(1567)10月19日に、義元の娘・嶺松院の夫・武田義信が自害に追い込まれたのです。嶺松院と武田義信との結婚は、同盟の証であったと言えます。義信の死により、今川と武田の同盟関係は、完全に崩壊したといえましょう。

 

 結果、氏真は激しく怒り狂って刀を振り回したので、やむなく方久は交渉を続けることができず、退出を余儀なくされました。

 

城を作る龍雲丸

 前回、「城は嫌だ!必要ない!」と言っていた龍雲丸(役・柳楽優也)ですが、なんと中村屋(役・本田博太郎)に「城を作りたい!」と申し出るではないですか! 急な展開ですが、放映時間も少ないし仕方がなかったのでしょう??? 直虎もびっくりです。

 

 直虎は龍雲丸に求められるまま、船に乗って城を作るという場所に行きます。そこは何と浜名湖の湖上ではないですか。戦国時代といえば、すぐに山城が思い浮かびますが、海に接した場所に城が築かれることも珍しくありません。ただ、湖のなかはちょっと・・・と考えていると、その場所は潮の満ち引きで引いたときには陸になるとのことでした。

 

 ここで、龍雲丸の過去へとプレイ・バック。とにもかくにも、直虎は龍雲丸の奇抜なアイデアに驚きっぱなしです。

 

 直虎は龍雲丸に対して、大沢氏からどんな指示を受けたのか尋ねます。龍雲丸が言うには、急ぐようには命令されているが、特別な指示はないとのことでした。と、ここで直虎にグッド・アイデアが。大沢氏に気賀から手を引かせればよいと考えたのでした。

 

大沢氏、気賀を断念

 実際のところ、大沢氏はたくさんの城を抱えていたので、気賀まで十分に注意が払えなかったようです。同じくウィーク・ポイントに気付いたのは、方久でした。方久は大沢氏に面会し、気賀が大変治安が悪いところであり、やがては徳川や武田が攻撃してくれるかもしれないと脅します。

 

 また、井伊家はこれまで商売を通じて気賀の人々と良好な関係を保ってきたが、そうしたコミュニティーが崩壊すると、どうなるかわからない(一揆が起こるとか)。そして、方久は最後に大沢氏に対して、気賀を直虎に譲るよう、氏真に口添えをお願いしたいと言います。

 

 ただ、冷静に考えてみると、大沢氏も十分な情報を持ち合わせているはずで、いかに、忙しいとはいえ、方久の口車に乗せられ、そのまま信じるとは思えません。大沢氏が一人で何もかもやっているわけではなく、それなりに家臣に任せたはずです。しかも、井伊家の一家臣が大沢氏を説得し、それに応じるなどあったのでしょうか? まったく珍妙といえましょう。

 

 ところが、大沢氏は方久の話を真に受け、これ以上の面倒は御免だということで、方久とともに駿府の氏真のもとに向かい、気賀を直虎に譲ろうとします。

 

 一方の駿府ではやけくそになっていた氏真は「バカ殿様」そのもので、すっかり踊り狂って狂乱状態です。世間的に氏真は「バカ殿様」と称されていますが、本当にそうだったのでしょうか? いささかやりすぎの印象が強く残るところです。

 

 結局、自暴自棄になった氏真は、訪ねてきた方久や関口氏、大沢氏の口車に乗せられ(?)、最後は「好きにせえ!」と直虎の気賀の領有を認めてしまうのです。こうして城作りは着々と進み、これが現在の堀川城になるわけですね。まあ、妙な話です。

 

おわりに

 だいたいお気付きと思いますが、すべては直虎の都合の良いように動いていきます。しかも、極めて順調で、ほとんど何の苦労もありません。現実あるいは戦国時代の社会において、こんなことはあり得ないだろうというのが実感です。

 

 普通は試行錯誤し、ときに大失敗をしながらも、着実に良い方向に向かっていくのでしょう。もし、おもしろくないという人がいたら、以上の点が腑に落ちないということになると思います。意外性なりがまったくないように感じます。

 

 今回の視聴率は、12.4%と横ばいでした。この線で視聴率はほぼ固定化されていますが、今後どうなるやら。おもしろくなるよう期待しましょう。

<了>

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