はじめに


 7月23日(日)は、千葉県市川市内で十六世紀史研究学会を開催し、本間朋樹さんに「戦国大名今川氏の滅亡」と題してご報告いただきました。今川家の滅亡をどこに求めるかという報告で、一次史料や先行研究を丹念に読み込んだご研究でした。ちょうど大河ドラマ「おんな城主 直虎」の時代とも重なっており、興味深く拝聴いたしました。特に、今川氏真については知らない人が多いので、参加者が大変勉強になったと仰せでした。

 

 今回のタイトルは、「女たちの挽歌」でした。これは間違いなく、ジョン・ウー監督の名作映画「男たちの挽歌」(香港、1986年)でしょう。いわゆる「香港ノワール」と称される、香港マフィアが主題となりましょう。随分とヒットしたとうかがっております。果たして今回は、この名作の名に恥じないようなおもしろさがあったのでしょうか。

 

 さて、今回のドラマは、どうだったのでしょうか!!!

 

寿桂尼死す


 前回の続きです。今川氏は弱体化している状況下において、武田氏から実質的に縁を切られてしまいます。危機に陥った今川氏は疑心暗鬼となり、怪しいそぶりを見せる国衆らを次々と粛清いたします。井伊氏も粛清の対象に入っておりました。

 

 小野政次(役・高橋一生)は直虎(役・柴咲コウ)に対して、合戦が近いことを告げ、早急に対策を立てることを勧めておりました。井伊氏を中心点にして、西の尾張には織田氏、三河には徳川氏、北の信濃、甲斐には武田氏、東は今川氏の隣に北条氏と、難敵が取り囲んでいます。また、少し距離は離れていますが、たびたび関東に来襲する越後の上杉氏も気になる存在です。仮に、井伊氏が今川氏のもとを離脱するならば、どの大名の傘下に入ればいいのか? 非常に難しい問題でした。

 

 直虎は武田氏と敵対関係にあった上杉氏と手を組み、徳川氏と連携できないものかと考え、家康(役・阿部サダヲ)に書状を送ります。とはいいながらも、先が見えない状況もあって、家康も安易に回答を出すことはできません。使者となった傑山(役・市原隼人)が言うには、家康の回答は「すぐには返事ができないが、考えてみる」という曖昧模糊としたものでした。以後、徳川氏からこの件について、連絡が来ることはありませんでした。

 

 そして、直虎のもとに悲報が舞い込みます。なんと今川家を支えていた、寿桂尼(役・浅丘ルリ子)がついに亡くなったのです。寿桂尼が亡くなったのは、永禄11年(1568)3月14日のこととされています。ただ残念ながら生年が不祥ですので、没年齢は正確にはわかりません。おおむね70~80代で亡くなったのではないかと推測されています。

 

 ちなみに寿桂尼が最後に発給した文書は、永禄7年(1565)12月のものです(「中山文書」)。その死はすぐに武田勝頼が知るところとなり、父・信玄の陣中に報じられたと言います(「恵林寺文書」)。晩年は、直虎と絡んで大河ドラマのような活躍をしたのかはわかりません。

 

 寿桂尼は死に際して、死してなお今川家を守りたいと考えたようです。その意向を汲んで、寿桂尼の遺骸は、駿府の居館の鬼門に当たる竜雲寺に葬られたといわれています。いや、実に恐るべき執念です。寿桂尼の死後、武田氏の駿河侵攻が開始され、今川氏は滅亡の道を進むのですが、それはのちほどのお楽しみとしておきましょう。

 

 寿桂尼の死を知った直虎は、お経をあげて菩提を弔いました。以前、お坊さんにうかがったところ、柴咲コウさんの読経は最高にうまいとのことでした。

 

「しの」の再婚

 ある日、徳川の使者である山伏の松下常慶(役・和田正人)が龍潭寺を訪ねてきました。常慶の話によると、直虎の書状が家康のもとに届けられたのと同じ頃、武田家からも家康のもとに話があったとのことです。話の内容は、武田家から家康に対して、今川領に攻め込もうというものでした。むろん、この提案に対して、家康が断るのは困難だったと言えましょう。

 

 常慶は直虎に対して、家康は遠江に攻め込むであろうが、井伊家は今川家に与するのかと尋ねます。直虎は、家康に味方すると申しました。すると、常慶は人質として「しの」(役・貫地谷しほり)を出し、常慶の兄に嫁がせてはいかがかと提案します。徳川方からすれば、井伊家を信用することができないので、婚姻を通して同盟を結ぼうという算段です。

 

 常慶は用件を告げて帰るのですが、直虎には悩みのタネとなってしまいました。政次は自分から「しの」を説得すると言いますが、これを断ります。どうなるのか・・・。

 

 「しの」の再婚話は、直虎にとって非常に気の重い話でした。しかし、言わなければしょうがありません。直虎は「しの」と面会し、包み隠さずことの次第を話し、常慶の兄のもとに嫁いでほしいと懇願します。話を聞いた「しの」は大きくため息をつき、「仕方がない」という感じなります・・・。

 

 こうした政略結婚の場合は、おそらく強制的であり、ほぼ選択の余地はなかったように思います。「しの」は直虎に反抗的な態度は取らなかったものの、いささか態度がでかいというか、見下したような雰囲気があります。これで当主が務まるものなのか???

 

 とはいえ、「しの」には大きな心残りがありました。それはいうまでもなく、虎松(役・寺田心)のことでした。現在でしたら、再婚する場合は連れ子ということで、そのまま新しい夫のもとに嫁ぐことは珍しくありません。しかし、虎松は大事な井伊家の後継ぎです。したがって、「しの」が望んでも、虎松を連れていくことはできません。

 

 虎松は母が再婚すると聞かされ、大いに驚き、猛反対をします。虎松は直虎と南溪(役・小林薫)のもとに掛けよると、取り消してほしいと懇願します。できないと諭されると、南溪に「答えは一つではないのですよね?」と問い質そうとします。南溪は「因果、因果」とかわしますが、いささか無責任すぎるような気がしますね。

 

虎松の作戦


 虎松は何とか母を再婚させないため、いろいろと案を練ります。紙にたくさんの案を書くなど、子供にしてはなかなか手が込んでいます。

 

 虎松は名案を思い付きます。なんと「しの」の姉「あやめ」を母の代わりに嫁がせればよいと思ったのです。「あやめ」は独身なので大喜びですが、直虎はバレたときのことを考え、無理だと言います。さらに虎松は直虎に再婚するのは、祖母や直虎ではだめなのかと尋ねます。むろん、これも却下です。

 

 「しの」は人質として嫁ぐに際して、相手から有利な条件を引き出し、将来、虎松に話してほしいと懇願します。かつてはトラブル・メーカーだったのですが、すっかり変わってしまいましたね。

 

 「しの」は虎松に「母は嫁ぎ先に行きたくなった」と言うと、虎松は大きな衝撃を受けます。虎松は「母上は虎松が一番大事なはずじゃ」と泣きじゃくります。しかし、「しの」は虎松のために井伊家の味方を増やし、さらに子ができれば兄弟もできると、すべては井伊家のためと覚悟を語ります。虎松は涙をこらえて、これを受け入れるのでした。

 

おわりに

 今回の主役は、虎松を演じた寺田心くんになりましょう。名演技です。しかし、こんなに理路整然と話ができる子供はほぼいません。これは、言わされているのです。私のような意地の悪い、根性が曲がり切ったオジンは騙せません。子供を使うのはズルイと思います。

 

 これまで何度か申しましたが、今回ははっきりと「ホーム・ドラマ」であると断言できます。「ホーム・ドラマ」になってしまうと、時代や設定が変わっただけで、時代劇とは言えません。同じNHKの「朝ドラ」と同じです。

 

 ドキュメンタリー映画「ゆきゆきて、神軍」(原一男監督、1987年)の迫力を見なさい。歴史を語るとは、もっと重厚であってよいはずです。

 

 今回の視聴率は、11.9%とわずかに下がりました。極端な視聴率の乱高下はないのですが、いったいその原因がどうなっているのかわかりません。

<了>

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