はじめに


 暑い日が続きますね。かんかん照りではないのですが、曇りがちな天気が湿気を呼び(台風5号の影響)、一日中蒸し蒸しします。こういうときはアルコールを控え、逆に熱いふろに入って、しっかり睡眠をとることが重要です。エアコンはタイマーを用いず、朝までつけるのが良いとのこと。エアコンが途中で切れると、夜中に目が覚めるので、かえって逆効果です。先日から世界陸上がはじまったのですが、私はライブで見るのは諦め、録画をして見ています。

 

 今回のタイトル「虎松の首」は、いったい何がもとになったのでしょうか? 映画関係では、任侠映画に「総長の首」(主演:菅原文太、1979年)が確認できますが、あまりにマイナーなような気がします。また、小説関係では「~の首」というタイトルが散見しますが、こちらもピンとくるものがございません。まあ、「~の首」というのは、比較的ありきたりなのでしょうかね? よくわかりません。

 

 さて、今回のドラマはおもしろかったのでしょうか!!!

 

直虎危機一髪!


 前回の続きで、瀬戸・祝田の百姓たちは関口氏経(役・矢島健一)の宿所の前で、徳政令を望まないことを連呼します。氏経の配下の者は、百姓を激しく殴りつけますが、決して逃げようとはしません。そこへ、直虎(役・柴咲コウ)の首もとに刀を当てた政次(役・高橋一生)が登場します。政次は百姓の抗議行動について、直虎が指示したのかと詰問します。

 

 すると、直虎を慕う百姓たちは、直虎の指示ではなく、自分たちが勝手にやったと主張しました。政次と百姓は一触即発となりますが、直虎は止めに入ります。政次は直虎に畳みかけるように、井伊氏が徳政令を発布すると申せ、と迫ります。直虎は政次を信じていたので(「おとわ、俺を信じろ!」=小野政次の言葉)、徳政令を受け入れます。政次はすぐに氏経への面会を求めました。

 

 直虎は百姓たちの苦労をねぎらいますが、そうは暢気にしていられません。政次は突然の百姓の抗議行動に対して、とっさに判断して徳政令を受け入れさせたのでしょうか? しかし、徳政令を受け入れると、井伊家が潰れるのは前回申しあげたとおりです。

 

 政次は直虎を半ば連行するかのように、氏経の面前へと連れていきます。すでに徳政令を発布する文書は作成されており、氏経の署名と花押が据えられていました。氏経の側の者が徳政令の文書を読み上げると、直虎に同意を求めました。直虎は求められるままに署名と花押を据え、これで終わりです。井伊谷に徳政令が発布されることになりました。

 

 それにしても、このシーンは金に困った人がヤミ金を訪れ、悪い人に促され借金するような感じでしたね。まあ、徳政令は金絡みですから、これでよかったのでしょうか?

 

 恐らくこの文書が、永禄11年(1568)11月9日付の井伊直虎・関口氏経連署状のことでしょう(「蜂前神社文書」)。たしかに井伊谷の徳政令が延期されていたのは事実で、氏経が関係したことも史料で裏付けられます。ただし、百姓たちの抗議行動があったとか、政次が直虎を説得したのかは不明です。

 

隠れ里へ

 直虎が徳政令の発布に同意したので、ドラマの筋書きでは井伊家はオシマイです。直虎は井伊家に戻ると、家の者はいささか動揺しています。そこへ政次がやって来て、即刻の立ち退きを命じました。直虎はトラブルを避けるべく、早々に屋敷をあとにし、取り急ぎ虎松(役・寺田心)らを龍潭寺から連れ出し、一行は隠れ里を目指すのでした。

 

 直虎の一行がたどり着いたのは、これまでの井伊家が危機に陥ると逃げ込んだ隠れ里です。ここに来て直虎は、虎松にことの次第を打ち明け、井伊家が潰れたことを伝えます。その後、直虎は井伊家を復活させると高らかに宣言し、井伊谷に徳川家が攻め込んでくると言いました。すでに井伊家は徳川家と通じており、徳川家が井伊谷に攻め込んだ際は、氏経の首を獲って徳川家に差し出すという魂胆です。これがうまくいけば、たしかに井伊家は復活します。

 

 問題は政次です。この点について直虎は、政次は井伊家のために今川家の盾となっており、決して敵ではないと言います。すると、家臣たちも口々にそうであるというではないですか! ただ、政次と仲が良くない直之(役・矢本悠馬)だけは、騙されているのではないかと主張します。まあ、これで話のバランスを取っているのでしょうが、事前に何の打ち合わせもなく、政次の言葉を信じることは、普通はあり得ないところでしょう。

 

 氏経は今川氏真(役・尾上松也)のもとに帰り、政次が援軍になることを伝えました。しかし、窮地に陥っていた氏真は、お笑い芸人の「いとうあさこ」のようにイライラしており、虎松の首を差し出せと命じました。もはや、井伊家の完全な断絶しか、頭にないようですね。

 

 しかしながら、よく考えてみると、今川家はいささか段取りが悪いようです。もし私だったら、直虎が徳政令の文書にサインした瞬間に、直虎を手下に殺害させます。当主を失った井伊家は動揺しますから、追い打ちをかけるように、井伊家の重臣らを死に至らしめるでしょう。そして、虎松を探し出して、ちょっと言いにくいですが「ジ・エンド」です。

 

 今川氏はあまりに段取りが悪いので滅亡したのかもしれませんが、ここまでの流れを見ると、取っている手法が杜撰です。井伊家を滅亡に追い込みたいのでしょうが、追い込まない。どうしたらいいのですかね???

 

どうなる虎松?

 直虎は虎松が狙われていることを先刻承知で、早々に逃がすように手配をしています。しかし、逃げるよう虎松を促すと、自分も戦うと渋ります。常識的に考えると、あんな小さな子供が戦いますというわけがないのですが、そういう設定になっています。今でもアフリカではたびたび内戦が起こっており、子供たちは自らの意志でなく、従軍を強要されていると聞きますが。

 

 すると、虎松の近くに矢が刺さります。それは、僧侶の傑山(役・市原隼人)が放ったものでした。ちなみに傑山は生年不詳。南溪の弟子として、龍潭寺に入寺しました。弓矢の名人として知られ、南溪の没後は龍潭寺の住持を継いでいます。

 

 傑山は虎松の額に矢を当てながら、戦争はこういうものだと説きました。虎松はビビッて、小便を漏らしていますが、それは当然のことでしょう(ウ〇コを漏らさないだけ偉い)。直虎は虎松の父・直親が信濃に逃亡し、成長して帰還したときに井伊家に光がさしたと説明し、逃亡することを促します。結局、虎松は了承し、奥山六左衛門(役・田中美央)が供として同行することになりました。

 

 直虎が龍潭寺に戻ると、すっかり騒々しくなっていました。政次の配下の者が虎松を引き渡せと怒鳴り、直虎も連行されてしまいます。その後、直虎は井伊屋敷の庭に来るように言われますが、なんとそれは虎松の首改めのためでした。当時は写真や医学的な手段(DNA鑑定とか)による確認ができなかったので、身近な者が首実検を行いました。

 

 ちなみに、当時の人々は首に敬意を表し、討ち取った首をきれいに洗い、化粧を施し髪を整えるのが普通でした。この首の扱いも、そうした作法に倣ったのでしょうか。

 

 首を改めると、厚化粧を施しており判別できません。政次が言うには、虎松が疱瘡(天然痘。顔に跡が残る)を患っていたので(ウソ)、厚化粧を施したと弁明しました。関口家の者たちは疱瘡を恐れ動揺しますが、直虎は首を抱えてお経を読みました。直虎も違うとわかっていたはずです。ちなみに偽物の虎松の首は、政次が病弱な子供をカネと引き換えに殺害し、準備したものでした。

 

 こうして虎松は捕らえられて殺害されたことになり、難を逃れたのでした。そして、直虎は虎松と別人の首を丁重に弔ったのでした。

 

おわりに

 相変わらず見応えがありません。信長、家康、信玄は、いったいどうなってしまったのでしょうか? ローカルな話題ばかりでは、まったく場が持ちません。もっと壮大なスケールの物語を見たいものです。チマチマしすぎています。

 

 今回の視聴率は、10.6%と最低記録を更新しました。裏番組がTBSの世界陸上だったからでしょうか? もしそうならば、来週も危険ではないでしょうか・・・。

<了>


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