はじめに

 先週は連日、蒸し風呂のように暑かったのですが、ここ数日は寒いくらいです(特に夜)。体調に気を付けてください。ときどき「昔の人はクーラーがなくて大変だっただろうな」と思いますが、昔は夏といっても30度を超える日はそんなになく、今よりも涼しかったとのことです。80代くらいのおじいさんやおばあさんに話を聞いても、「昔はこんなに暑くなかったよ」とのことでした。

 

 今回のタイトルは「隠し港の龍雲丸」でした。このタイトルは、1958年に公開された黒澤明監督の名作「隠し砦の三悪人」を参考にしたものでしょう。今は亡き三船敏郎、千秋実、志村喬など名優たちが出演しています。「隠し砦の三悪人」は大好きな作品のひとつで、今でもときどき見るくらいです。それにしても「隠し港の龍雲丸」では何のことか意味が分からないので、そろそろ適切なタイトルを付けていただきたいものですね。

 

 さて、今回はどうだったのでしょうか!!!

 

「井伊谷三人衆」とは

 前回くらいから、「井伊谷三人衆」の存在がクローズアップされるようになりました。ここで「井伊谷三人衆」について述べておきましょう。菅沼忠久は、井伊谷に近い都田(浜松市北区)本拠を置いていました。忠久の父・元景は、井伊直親に仕えていたといわれ、二人とも井伊氏の配下にありました。天正10年(1582)没。忠久の墓は、龍潭寺にあります。

 

 近藤康用は、祖父・満用が松平清康に仕えていたといわれています。満用が清康に従って三河宇利城(愛知県新城市)を攻撃した際、勝利の恩賞としてそのまま宇利城を与えられました。その後、今川氏の配下に加わりましたが、のちに家康へと転じたと考えられています。康用は永禄11年(1569)12月の遠江での一連の戦いで重傷を負い、晩年は井伊谷で過ごしたと伝わっています。天正16年(1588)没。康用の墓は、龍潭寺にあります。

 

 鈴木重時と父・重勝は、柿本城(愛知県新城市)に本拠を置く三河国足助氏の流れを汲む一族として知られています。当初、二人は今川氏の配下にありましたが、のちに離れて家康の配下に加わりました。しかし、永禄12年(1569)2月、重時は堀江城を攻撃した際、討ち死にしました。重時の墓は、龍潭寺にあります。

 

 このように「井伊谷三人衆」の来歴を確認すると、菅沼忠久以外は東三河に本拠を置く豪族であり、もともとは井伊谷とはあまり関係がなかったようです。遠江侵攻の際、この三人が活躍したので、のちに「井伊谷三人衆」と称されたと考えられます。

 

悲嘆にくれる直虎

 前回、直虎(役・柴咲コウ)は、一族、家臣、領民を守るべく、自らの手で政次(役・高橋一生)を殺害しました。本当は心と心がつながっており、直虎は政次を信頼していたのですが、自らの手で殺害することにより、徳川の信頼を得ようとしたのでしょう。

 

 しかし、直虎には心の傷が残り、現代で言うところのPTSD(心的外傷後ストレス障害。強い精神的衝撃によるストレス障害)のような症状が出ました。昔、私は交通事故を目の前で見て、精神的ショックを受けたことがありますが(車に轢かれた人は助かったのですが)、おそらくそれ以上の強いショックを受けてしまったのでしょうね。

 

 直虎は一人で碁を打ちながら、ひたすら政次の帰りを待っています。そして、政次が帰ってきた時に妙案が浮かんでいないとカッコが悪いので、一生懸命になって今後の策を考えます。周囲は心配しているのですが、直虎の精神的なショックはなかなかおさまりません。

 

 一方、家康(役・阿部サダヲ)は今川氏を相手に戦って、非常に苦戦をしています。今川も最後の抵抗を見せて、粘りに粘ったのですね。そこを察したのか、瀬戸方久(役・ムロツヨシ)は徳川の陣を訪れ、鉄炮などの武器を売りに行きます。もちろん家康は歓待するのですが、その後、方久は思いもよらぬひどい目に遭うわけです・・・。

 

堀江城の落城

 家康が今川と戦っている頃、まだ気賀は安泰だったようで、活気がありました。しかし、戦火が迫ってくると、必然的に軍勢への対応を迫られます。龍雲丸(役・柳楽優弥)と面会した南溪(役・小林薫)は、「戦場になるであろうから準備を」と心構えを説いていましたね。

 

 しかし、遠江の国衆で今川氏の家臣である大沢基胤(役・嶋田久作)は、電光石火の攻撃で、あっという間に気賀の堀江城を落城に追い込みました。これまで繁栄を誇っていた気賀の町は大混乱に陥り、領民は大沢の兵に捕らえられたり、殺害されたりしました。特に、捕らえられた領民たちは、堀江城に連行され、戦争に兵として動員されることになりました。

 

 大沢の家臣たちは捕らえた者を前にして、鉄炮や槍で威嚇しています。家臣たちは「人買いに売られるぞ」と発言していましたが、戦争に人買い商人は付きものでした。当時、戦争に行った兵たちは、金品などを略奪することにより自らの食い扶持の一部としていました。実は、「人間」もその一つです。戦場で捕らえられた人々は、捕らえた人のもとで奴隷のように働かされるか、あるいは人買い商人に売られたのです。

 

 堀江城主の方久は、大沢氏に攻め込まれ、危うく殺害されそうになりますが、うまい具合に脱出し徳川のもとに走ります。今川にも徳川にもいい顔をしたのですから、バチが当たったのでしょう。もうすっかりヘロヘロになっていましたね。

 

堀江城の奪還計画

 家康がなかなか今川氏を攻略できずに困っていると、方久と中村屋(役・本田博太郎)がやって来ました。実は、徳川軍には船がなく、気賀や堀江城を攻めようにも困っていました。そこで、中村は自分が所有する船だけでなく、武器や兵粮も準備するので、ぜひ堀江城を奪還してほしいと要望します。方久も負けじと、堀江城周辺の潮の流れや満ち引きを教えると懇願します。とにかく二人とも必死です。考え込んだ家康は、一つの妙案を提案しました。

 

 つまり、家康は船を堀江城の裏手につけ、そこからまず気賀の領民を救い出します。その後、大沢の家臣たちを捕らえ、捕らえた者たちと引き換えに、大沢氏に降参を迫るという作戦です。一見するとすばらしい作戦ですが、本当にうまくいくのですかね???

 

 一方、龍雲丸たちは船を使って、着々と逃げ出す準備をします。しかし、逃げようとした気賀の領民が、大沢の手の者に捕らえられた現場を目にし、自分たちだけが逃げることに躊躇します。結果的に、龍雲丸は領民を助けようとするのですが、これが大きな判断ミスとなったわけです。

 

徳川来る!

 龍雲丸が領民たちを助け出そうとしたとき、向こうから中村屋が手配した船に乗った徳川軍がやってきました。龍雲丸の配下の者が援軍に向かって手を振りますが、ブスッと矢が突き刺さり絶命します。それどころか、援軍であるはずの徳川軍からは、雨あられのごとく矢を射かけるではないですか! プロレスラーの真壁刀義も奮闘しますが、しょせんは多勢に無勢で、最期は囲まれて槍などで刺されました。

 

 結局、中村屋たちは、徳川軍が堀江城に捕らえられた領民を助ける気などさらさらなく、大沢氏の軍勢もろとも討ち果たすつもりだったことを聞かされます。

 

 龍雲丸も周囲の状況に驚きを隠せませんが、最期は仲間を救おうとして、直虎に槍で刺されてしまいます。ただ、これは直虎の夢と連動しているので、たぶん別人に刺されたのでしょう。どうやら龍雲丸も絶命してしまったようです

 

おわりに

 今回は、後半部分がなかなか見応えがあったように思います。徳川の裏切りと、無残にも領民らが殺害されるシーンはこれまでにはあまりなく、戦国らしさを伝えていました。実際に堀江城には多くの領民が立て籠もり、討ち取られたようですね。番組の最後の「紀行」では、今も土地の人々が獄門畷にお参りをしていると紹介されていました。その記憶は、現在も土地の人々に共有されているわけです。

 

 今回の視聴率は、11.2%と少し下降しました。前回が政次の最後だったので、政次ファンが離れたのでしょうか。少し心配ですね。

<了>

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