はじめに

 とうとう10月になってしまいました。時間の流れがあまりに早すぎます。私の誕生日は10月3日なのですが、とうとう50歳の節目を迎えてしまいました。私が子供の頃、会社員の定年年齢はなんと55歳でした。今は60歳のところが大半ですが、やがて65歳に延長されるとも聞きます。いったい、いつまで働けばいいのでしょうか? しかし、昔お世話になった保険のおばちゃん曰く「元気に働けることが最高の幸せだ」とのことです。

 

 今回のタイトルは、「虎松の野望」でした。「~の野望」という映画のタイトルは、別にないことはありません。しかし、このタイトルは、あの名作ゲーム「信長の野望」をもじったものでしょう。80年代後半から90年代の初頭頃はまだパソコンがかなり高価だったのですが、友人宅にお邪魔して楽しんだものです。もうゲームはしませんが(ほかにやることがたくさんある)、現在の「信長の野望」は以前よりもはるかに複雑になり、いつまでたっても終わらないと友人が言っていました。

 

 さて、前回から虎松(直政。役・菅田将暉)が登場していますが、今回からおもしろくなったのでしょうか?

 

井伊家の再興

 虎松は立派に成長し、直虎(役・柴咲コウ)らに挨拶をいたしました(ドラマでは「おとわ」と名乗っていますが、煩雑なので「直虎」で統一します)。もうお気付きでしょうが、虎松が立派に成長しているのに対して、まわりの人々は年を取りません。同じ現象はここ数年の大河ドラマではお馴染みになっており、少しは年齢に応じた顔立ちになるよう対応をお願いしたいところです。

 

 早速、虎松は井伊谷を見回り、人々が生き生きと働き、うまくやっていることに目を見張ります。すべて近藤康用(役・橋本じゅん)の行政手腕かと思いきや、実はそうではなく、おおむね直虎の力によるものだと知り、直虎は激しく驚きます。虎松はそれまで綿花で頬をすりすりしていましたが、急に怖い顔に変化します。ときどき態度が急変するとのことですが、今後、たびたび虎松がこうなるのかと思うと、いささか先が思いやられます。

 

 虎松は井伊谷で着物を作りたいと、熱くこれからの将来構想を語ります。まるで、希望の党の小池百合子代表のようです。そのうち「井伊谷ファースト」などと言いだすかもしれませんね。虎松は直虎に対して、「井伊家を再興するつもりでは」としつこく迫ります。直虎は井伊家再興を強く否定します。まんざらでもなさそうですが・・・。

 

 南溪(役・小林薫)は奥山六左衛門(役・田中美央)を相手にして、酒を酌み交わしています。そこへ虎松がやって来て、井伊谷がいかに素晴らしかったかを熱く語りだします。その際、虎松は南溪に書状を渡しますが、六左衛門は嫌な予感がしたようですね。虎松は井伊家再興を目論んでおり、井伊家のために死んだ人々に報いたかったようです。虎松のしぐさ(六左衛門の顔を拭く)は小野政次(役・高橋一生)そのものですが、早速ネット上で話題になっておりました。

 

徳川家に仕官か

 ここで、虎松が徳川家康(役・阿部サダヲ)に仕官した経緯について触れておきましょう。直政と家康との邂逅については、『井伊家伝記』『寛政重修諸家譜』などにいきさつが記されています。『井伊家伝記』は、次のように記しています(現代語訳)。

 

《天正3年(1575)2月、家康は初鷹野で直政とお目見えになった。早速、召し抱えるとのお考えだったので、直政はお供をして城に入った。》

 

 なお、『寛政重修諸家譜』には、天正3年2月15日と具体的な日付が書かれています。また、家康が直政と会ったのは路辺つまり道端だったようで、事前に約束したというよりも、偶然(直政が道端で家康の通過を待っていたか)であったようです。ただ、南渓和尚らが家康への出仕を勧めたといわれており、実際はあらかじめ準備していたとも考えられます。

 

 『井伊家伝記』は、続けて次のように記しています(現代語訳)。

 

《家康の御前で直政は質問されたので、父祖の由来を詳しく申し上げたところ、家康が驚いて言うには、次のとおりである。実父の直親は、家康の遠江発向の陰謀が露見し、氏真が傷害におよんだ。つまり実父は家康のために落命した。そこで、当時は直親の実子を取り立てるのが困難だったため、ただちに直政の松下姓を改め井伊に復姓することを命じた。また、家康は童名「竹千代」の「千代」を直政に下され、「千代万代」とお祝いになり、「虎松」を改めて「万千代」と名乗らせた。》

 

 家康はかつての井伊家の貢献を称え、井伊家再興を命じて童名を与えたようです。このあと、家康は小野亥之助(小野玄蕃の子息)に「万福」という名を与え、2人のことを祝いました。虎松は裃を拝領したといわれており、同時に虎松は300石の知行を与えられました。知行地の詳しい場所まで書いていませんが、やはり井伊谷なのでしょうか。ドラマでは、知行のことはなかったですね。

 

 『寛政重修諸家譜』は、このあたりの記述があっさりとしており、家康から父祖の由来を尋ねられたので、詳しく答えたと書かれているくらいです。そして、家康から井伊谷を与えられたとありますが、逆に石高までは記していません。

 

 家康と直政の邂逅の史料は二次史料になってしまいますが、それぞれ書き方が微妙に違っています。次に、『徳川実紀』を見てみましょう。

 

 『徳川実紀』によりますと、鷹狩の道すがらただものとは思えない小童が家康の目に入ったと書いています。この小童が虎松です。虎松は三河国(鳳来寺)に身を寄せていましたが、松下源太郎の養子になっていたことが家康の耳に入っていました。そこで、すぐに召して配下に加えたといいます。

 

 ここでは、家康と虎松の邂逅は、偶然ということになっています。また、虎松のことを「ただものではない」と書いていますが、これは割り引いて考えるべきなのかもしれません。新井白石の『藩翰譜』にも、家康と虎松の邂逅の記事があります。次に、関係部分を訳出しましょう(現代語訳)。

 

《天正3年2月15日、家康が鷹狩のため浜松城を出発し、道端をご覧になると、面構えが尋常でない子供(虎松)がおり、何事かとお考えになった。家康は「誰の子供であるのか」と尋ねたところ、よく知っている人がいて「この子こそ遠江の井伊(直親)の孤児である」と述べ、昔のことを説明した。すると、家康は「不憫である。私に仕えなさい」と直政を召し抱えたところ、さすがに名のある武士の子である。家康は頼もしいとお考えになり、本領を与えた。》

 

 この記述も家康と虎松の邂逅を偶然としています。両方の記事が共通しているのは、家康の人の能力を見抜く力、そして幼少期の直政のただならぬ姿です。家康は、この子供が井伊家の血筋を引くとは知っておらず、その面構えや身体から発する気迫のようなものを感じ取ったのです。いずれの史料も幕府方のものなので、家康の慧眼を称賛しているのかもしれません。

 

おわりに

 ドラマのなかでは、家康は虎松を召し抱えますが、最初は草履番ということでした。小姓として仕えると思っていたので、これには虎松もがっかりでした。虎松は変顔を盛んにしていましたが、これは以降も続くのでしょうか? もしそうだったら、先が思いやられます。登場人物に特色を持たせるのは結構ですが、なんでもかんでもユニークなキャラクターに設定するというのはいかがなものでしょうかね。

 

 しかし、虎松は誰の草履かわかるように、名札づくりを早速行い、日本一の草履番を目指すとのことです。なんだか豊臣秀吉の若い頃のようですね。こうして虎松は立身出世を果たすわけですが(徳川四天王の一人になるとか)、以後を楽しみにしておきましょう。

 

 それにしても、虎松が登場しても変わり映えがしません。織田信長(役・市川海老蔵)はどうなったのでしょうか? 武田信玄(役・松平健)も亡くなったので、視聴率をあげるには、大物大名の登場が望ましいように思います。

 

 今回の視聴率は、11.7%と横ばいでした。なかなか視聴率が上がる条件が見当たりません。裏番組に有力なものがないのが、せめてもの救いでしょうか。直政が登場したので、今後、さらに数字が大化けするのか(あるいは、しないのか)見守りましょう。

<了>
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