はじめに

 10月4日(水)と7日(金)に市川公民館(千葉県市川市)と城西大学(埼玉県坂戸市)で、直虎に関する講演会をしてまいりました。両会場とも受講生の皆さんが大変ご熱心で、最後までご清聴いただきました。感想をうかがってみると、やはり反応はさまざまです。皆さんがご関心をお持ちなのは、以前から取沙汰されている「直虎が男か女か?」ということになりましょうか。

 

 今回のタイトルは、「天正の草履番」でした。このタイトルは、小説家の杉森久秀氏の作品『天皇の料理番』(読売新聞社、1979年。のちに集英社文庫)をもじったものでしょう。小説の内容は、宮内省大膳職司厨長(料理長)を務めた秋山徳蔵の青年期から司厨長になるまでの姿を描いたものです。なんとテレビドラマ化を3度もした名作です。タイトルを一生懸命お考えになるのも重要ですが、視聴率が低迷気味ですので、もう少し内容をがんばっていただきたいのですが・・・。

 

 さて、今回から万千代(直政。役・菅田将暉)が活躍する模様ですが、おもしろかったのでしょうか?

 

井伊家の再興は迷惑な話

 前回から万千代が徳川家康(役・阿部サダヲ)に仕えることになりました。小姓ではなく、草履番という少しばかり低い役です。万千代は不満を抱きましたが、家康の命令ですから致し方ありません。渋々ながら草履番で辛抱をいたします。

 

 万千代が井伊家を再興しようとすることは、非常に迷惑なことでした。改めて整理しておきますと、理由はおおむね次のようになりましょう。

 

 ①直虎(役・柴咲コウ)自身が井伊家の家督を降りて一介の百姓となり、井伊谷の支配を諦めた。

 ②井伊谷の支配は、近藤康用(役・橋本じゅん)が担当することになった。

 ③虎松(=万千代)は松下家の養子となり、その家督を継ぐことになっていた。

 

 ①を受けて、康用が井伊谷を支配することになったのだから、急に井伊家が再興されると、支配をめぐってトラブルとなることが予想されます。また、万千代は松下家を継ぐことになっていたのですから、急に井伊家を再興しても困るわけです。それゆえ、万千代以外は、みな反対したということになりましょう。やる気満々なのは、万千代だけなのです。

 

 万千代はやる気満々で草履取りの仕事に励みますが、これがなかなか大変です。学校の下足箱のようなものがあって、それぞれが自分の草履を取るわけではありません。万千代が居並ぶ武将の顔を覚え、すぐに草履を準備しなくてはならないのです。ドラマのとおり、万千代は万福とともに仕事に励みますが、顔と草履が一致せず、大変な苦労をした挙句、間違える始末です・・・。これには、さすがの万千代も少しばかり凹んだようですね・・・。

 

 とはいえ、松下家も井伊家の関係者も万千代の行動に迷惑なことに変わりなく、松下家当主の源太郎はショックのあまり寝込んでしまいました。結局、直虎たちは万千代に手紙を書き、何とか松下家に戻るよう説得しようとします。むろん、万千代も松下家に止まって家康に出仕すれば、草履取りなどせず、最初から小姓として仕えることができたのかもしれませんね。

 

草履取りの仕事

 ところで、草履取りの仕事というのは、身分の低い者が担当する仕事でした。ドラマでは、不特定多数の多くの武将の草履を管理していました。まるで、サッカーや野球の道具係のようでしたね。実際はそうした仕事ではなく、主人の外出のとき草履をそろえ、替えの草履を持って供をしていました。

 

 もう一つ、草履取りには深い意味がありました。武将のなかには男色を目的として、草履取りを雇うことがあったようです。小姓と同じような感じでしょうか? 要するに、草履取りも小姓も主人の近辺にいたので、そういう関係になったということになりましょう。

 

 実は、直政は「容顔美麗にして、心優にやさしければ、家康卿親しく寵愛し給い」と後世の編纂物に書かれているとおり、美男子として知られていました(『甫庵太閤記』)。そういうことも関係しているのか、直政は家康の寵童だったと伝わっています(『徳川実紀)。家康は自邸の近くにわざわざ直政の居宅を作らせ、足繁く通っていたというのです。

 

 ただ、こうした戦国武将の男色の話はよくあるので、史実か否かはよくわかっていません。一説によると、直政が急速に大出世を遂げたのは、家康と男色の関係にあったからだと言われています。でも、そんなことで出世なんかするのですかねえ??? 率直なところ、疑問です。

 

 直政は日本一の草履取りになるべく、いろいろと知恵を絞ります。以前は名札を草履に付けていましたが、それだけでは不十分なので、自ら大工仕事をして棚を作り、草履を整理しようとします。むろん、それだけでは追い付かないのでしょうが・・・。

 

開き直る万千代

 直虎らは浜松へ向かい、直接、万千代に戻るよう説得しようとします。万千代は「お役目中ですから」と面会を拒みますが、直虎はそのままでよいと説得をはじめます。しかし、万千代は直虎に対して、「一介の百姓から言われる筋合いはない」という趣旨の発言をします。現代の会社組織においても、昨日まで上司だった人が、自分の部下になることはあります。立場が変わると、たしかに元上司の言い分は無視することもありましょう。残酷な話です。

 

 そのように揉めていますと、家康があらわれ、直虎を部屋に招き入れました。直虎は、率直に万千代が家康に仕えることが迷惑と言いました。先述のとおり、直虎は松下家にも近藤家にもすっかり顔向けができない状況になっていたからです。

 

 同時に直虎は、家康が万千代を登用した真意を確かめます。その理由は、次の3つになりましょう。

 

 ①井伊谷が攻められたとき、井伊家を助けることができなかったことへの自身の後悔。

 ②瀬名(役・菜々緒)が井伊家を助けたいという気持ちを汲んだ。

 ③万千代が武将として成長すると見込んだから。

 

 この場合は、もちろん③が重要な意味を持ちましょう。先述のとおり、万千代が松下家を継いでいれば、もっと楽に登用されたのでしょうが、井伊家を名乗ると、さまざまな困難が待ち受けています。家康は、万千代がその困難に打ち勝つことができると考えたのでした。そして、万千代が活躍すれば、その功に報いる準備があると申します。つまり、実力主義により、三河出身者以外にも出世の道を開こうとしていることになりましょう。

 

 結局、万千代は松下家からも井伊家を再興しようとすることを許され、めでたしめでたしということになりました。みんな良い人ばかりです。

 

 万千代は草履を素早く準備するため、武将の足元に滑らせるようにして投げる訓練をしています。そんなことができるわけもないですし、第一大変失礼な気がするのですが、特訓で技を完成させます。家康も目を細めて成長ぶりを見守ります・・・。ほとんど漫画ですね。

 

おわりに

 なぜか今川氏真(役・尾上松也)が登場しておりました。氏真は京都に滞在中で、妙に楽しそうでしたね。理由がよくわかりませんが、あまりに暢気すぎます。天正3年(1575)頃に氏真は上洛を果たし、公家らと面会していたようです。

 

 同年3月16日、氏真は信長と相国寺(京都市上京区)で面会をしました。同年3月20日、氏真は信長からの要請もあり、相国寺で蹴鞠を披露いたしました(『信長公記』)。いうまでもなく、信長は氏真にとって、父・義元を殺害された仇になりましょう。いったい氏真は、どういう気持ちだったのか。

 

 それにしても、相変わらずのことになりますが、内容はホームドラマそのものです。いっそう、その度合いが高まったように思います。戦国らしさというのは、一片も感じることできません。何とかならないでしょうかね。

 

 今回の視聴率は、11.6%とほぼ横ばいでした。なかなか視聴率が一桁台に突入しないのは見事ですが、この状態で何とか踏ん張るのでしょうか?

<了>

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