はじめに

 あっという間に12月になってしまいました。時間があまりに早く流れていくので、びっくりです。私は今年も何事もなしえず、1年を終えようとしています。

 

 今回の大河ドラマには、すっかり失望してしまいました。誠に残念と言わざるを得ません。ここまでの織田信長(役・市川海老蔵)と徳川家康(役・阿部サダヲ)との関係があまりにおかしかったので、嫌な予感がしていたのですが・・・。その点はのちほど触れることにしましょう。最初に、恒例のタイトルの考証をいたします。

 

 今回のタイトルは、「信長、浜松に来たいってよ」でした。このタイトルは、平成22年(2010)に発表された朝井リョウさんの小説『桐島、部活やめるってよ』のことでしょう。朝井さんは直木賞作家ですね。まあ、そろそろ、こうした考証もできなくなると思うと寂しいですが。

 

 今回は少し趣向を変えて、大河ドラマについて考えてみましょう。

 

大河ドラマとは何なのか

 大河ドラマがはじまったのは昭和38年(1963)のことで、記念すべき第1作は舟橋聖一の作品『花の生涯』でした。以降、今回まで56回に及んでいます。当初は名立たる時代小説家の作品を原作としていましたが、今は原作がなく脚本のみのケースが増えています。

 

 小説を原作としているので、別に歴史学の成果を正確に反映させているわけではありません。大河ドラマはドラマなので、演出が必要だというのはよく理解できます。仮に、歴史研究の成果を正確に反映させ、一切の妥協を許さないとするならば、ドラマとしてのおもしろさはまったくのゼロになってしまうでしょう。誰も見ないと思います。別に、研究者のために大河ドラマを作っているわけではないので、当然のことと言えます。

 

 たとえば、昨年の「真田丸」の主人公・真田信繁(役・堺雅人)の史料は乏しく、彼の姿を50回にわたり描くのは困難だったと思います。豊臣秀吉のお友達のようになっているのは変でしたが、そういう演出や想像がないと、ドラマは成り立ちません。それは、今回の「おんな城主 直虎」にも言えると思います。いたしかたないのです。

 

 一方で、ドラマとしての質を高めるべく、時代考証(ほかに衣装など)の先生を置いています。極端に言えば、あまりに荒唐無稽なこと、ありえないことがドラマで続くと、視聴者はがっかりします。そうしたことがないようにお願いしていると思います。私が聞いた話では、「北条時宗」のときに槍を使おうとしたそうですが、鎌倉時代に槍を用いていないことが指摘され、使わなかったことがあったとのことです。時代考証は、そうした歯止めになっていると思います。

 

 とはいえ、難しい問題もあります。仮に、最新の研究に基づく見解をドラマに取り入れても、がっかりされることがあるそうです。要は、視聴者は自分が知っている史実と異なっていて、がっかりしたということになりましょう。歴史が好きな人のなかには、自分の知識を再確認したい方もおり、違っていると混乱することがあるそうです。難しい問題です。

 

 ただ、最新の学説を反映させるとはいえ、それがそれなりに検証され、有力な学説として学界に定着したものでないと意味がありません。おもしろかったら何でもいいわけではありません。特に、大河ドラマは社会や歴史認識への影響力が大きいので、注意が必要だと思います。

 

今回のドラマの伏線

 今回の大河ドラマでポイントとなったのは、家康の描き方になりましょう。家康と言えば、一般的に「狸親父」というイメージがあるように思います。ずるがしこくて、老獪という印象です。また、家康は武芸に優れていましたが、三方ヶ原の戦いや大坂の陣での逃走劇が強調され、武人としての評価は極めて低いようにも思います。

 

 今回の家康の姿は、非常に臆病で弱々しいものでした。妻の瀬名(役・菜々緒)には絶えず叱責され、家臣たちからも散々に突き上げられています。しかも同盟者の信長にはまったく頭が上がらず、平身低頭する始末です。これが実像かと言えば、おそらく異なるのだろうと思います。

 

 個々の事実関係については触れませんが、当時の大名は器量が重視されており、器量なき者は家臣から見放されることが珍しくありませんでした。したがって、少なくとも家康が頼りなくて弱々しいというのは、いささか見当違いだと思います。

 

 信長と家康との関係にも同じことが言えると思います。当初、信長と家康は対等な関係で同盟を結んでいましたが、やがて家康は信長に従属的な姿勢を強めていきます(平野明夫「織田・徳川同盟は強固だったのか」『信長研究の最前線 ここまでわかった「革新者の実像」』洋泉社歴史新書y、2014年)。しかし、いかに信長が力を持っていたとはいえ、あれほど屈辱的な扱いを受けていたのか疑問です。

 

 今回のドラマの伏線は、信長と家康の関係にあったように思います。たとえば、天正7年(1579)に家康は信康を自刃に追い込みましたが、それは暗に信長が下した命令によるものとしていました。信康を許すならば、信長は家康を攻めるぞと、言外に脅したわけです。信長は家康に対して警戒心を抱いているようでした。

 

 近年の研究によると(柴裕之『徳川家康 境界の領主から天下人へ』平凡社、2017年)、当時の徳川家は武田氏への強硬路線をとる家康と、融和策を志向する信康との対立があったのではと指摘しています。結果、家康は家中の混乱を避けるため、信康を廃嫡ではなく、自刃に追い込む必要があったのではないかと述べています。つまり、信康の自刃は、家康の意志によるもので、信長の命令を受けたものではないということになりましょう。

 

 ドラマのなかで信康自刃を信長の命令としたのは、その後のドラマの展開に影響するからと推測されます。つまり、信長が家康を疎んじないと、あとの話が成立しないからです。

 

「本能寺の変」の新説

 今回のドラマで肝になったのは、信長は家康を討とうとしており、その命を受けたのが明智光秀(役・光石研)だったという設定です。信長は家康を討つために、わざわざ上洛を促したというのです。これは最近、話題になった説の一つですが、学界では無視され、まだ学説にまでなっていません。なぜ、学説になっていないのでしょうか。

 

 私が偉そうに言うまでもないですが、歴史研究では先行研究を丹念に調べ、信頼できる史料で自説を構成します。ここで重要なことは、史実を物語るのは史料だけで、史料的(あるいは研究史的)な裏付けのない説は、ただの妄想に過ぎません。妄想が学界で検討の俎上に上がらないのは、むしろ当然のことと言えましょう。検討に値しないということです。

 

 たとえば、史料なり研究史なりに論及されていれば、もう一度それらを検討し直すことにより、反論なりができるわけです。しかし、明確な根拠がない妄想には、反論すらできません。だから、誰も触れることはないし、反論すらしないわけです。

 

 つまり、今回の大河ドラマでは、そうした妄想を取り入れたことになります。前回の予告編で嫌な予感がしたのですが、見事に的中してしまいました。

 

おわりに

 繰り返しなりますが、大河ドラマはフィクションであっても構わないわけですが、一定の節度が必要と考えます。俗にいう「おもしろかったら、何でもあり」というのでは困るわけです。そのために、さまざまな考証者の方がいるのだと思います。

 

 また、今回については、オーソドックスな二次史料に基づいた誤った説とは、次元が違うものなので注意が必要です。新説を採用する際には、説の当否がどうなっているのか(検討に値するものなか、放映して無難なものなのか)をよくリサーチしていただきたいものです。

 

 今回は、ドラマのあらすじに十分に触れられず、失礼をばいたしました。

 

 今回の視聴率は、11.9%。やや上昇しましたが、上がったり下がったりする理由がいまいちわからず、非常に苦労するところです。

<了>

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