掏模の友情

快盗、義賊、色悪、ピカレスクロマン――。悪党と呼ばれる連中のすべてが、万人に憎まれていたわけではない。なかには死を恐れぬ潔さや侠気(稀に人情)、アブナイ魅力と反権力的キャラクターで喝采を浴びた者もいた。もちろん、残虐な殺人犯や極悪非道の悪人が、共感や同情を得ることはなかったが。

 私が愛する旗本鈴木桃野(180052)は、昌平坂学問所の教授を務めた知識人だが、悪党の生き方に興味を抱き、随筆に詐欺師や掏摸(スリ)の手口を書きとめている。書きとめたといっても、備忘録的にメモしたのではない。

この連載の前回、前々回で紹介したように、桃野は文筆の才に溢れ、着眼もすぐれていた。おのずと桃野が書きとめた悪党は、魅力的である。反社会的な連中が魅力的だなんて! 憤慨する読者も多いと思うが、江戸の昔の話なので(とっくに時効だ)お許しいただきたい。

 はじめは『反古のうらがき』から「すりといふ盗人」の一話。「すり」は言うまでもなく、往来や人混みで懐中の金を盗み取る悪党のこと。漢字で書けば掏摸で、巾着切(きんちゃくきり)とも呼ばれていた。江戸時代末には江戸の町だけで、1万人を超える掏摸がいたというから、いまさら「すりといふ盗人」というのも変だが、さすがに旗本の鈴木桃野教授にとって、彼らは〝向こう側の〟存在だったのだろう。

 桃野は知人の竹崖子から聞いた、ある掏摸の話を記している。それは次のようなものだった(以下、意訳で)。

 

 ――杉並の何某(名は忘れてしまった)が、歳の暮れに家の男女34人を連れて浅草観音へ見物に出かけた。途中、下谷を過ぎたところで、思いがけなく古い友人に出会ったので、思い出話をしながら道連れとなったのだが……。何某が「君は今、どこで何をして暮らしているのか」と尋ねると、友は声をひそめて「実は酒と女で身を持ちくずし、父や兄から勘当されてしまった。生きる術もないので、今は掏摸の仲間に入り、このような繁華な所で人の懐中や腰に下げた金品をこっそり頂戴して暮らしている」。友は続けて「よりによってこんなあさましい業をと、はじめは涙がこぼれたが、ひとたび経験すると、掏摸ほど面白いものはない。だから悪いとわかっていても止められないんだ」。

そう告白したのち「今はご覧のように身なりも見苦しくないし、金に不自由もしていない。それでも人混みに立ち入るのが生業なので、こうしてやって来たのさ。ところで一年の中でもとりわけ賑わう今日は、われわれ掏摸の稼ぎどきだ。君も十分注意したまえ。はやく帰ったほうがいい。僕は旧友だから忠告するが、ほかの掏摸たちは遠慮しないぞ。女連れは特にねらわれやすい」。自分は掏摸だと吹聴しているのに、友は周囲をはばかる様子もなかった(「其様あたりを憚る様もなし」)。――

 

 ここまでが話の第1幕。旧友が掏摸の業を生業(原文は「身過ぎ」)とさりげなく言い切っているのが面白い。

昨年あるテレビ番組で、長年デンマークに住む高齢の女性が、掏摸の被害にあった思い出にふれて「あちらも仕事ですから」と語った場面を思い出した。インタビューした出演者は、あせった様子で「掏摸は仕事ではありません」とフォローしていた。掏摸も仕事(生業)という感覚は、江戸時代にさかのぼらずとも、旧い世代の間に生き続けていたようだ。素振りも見せず瞬時に金品をすり取る神業の持主であれば、仕事ではなく至芸という言葉がよりふさわしいだろう。

閑話休題。第2幕の始まり。

 

 ――忠告を受けても、何某は素直に従う気持ちになれなかった(こんな話を往来でするのだから真実であるはずがない)。繰り返し帰宅をうながすのを鬱陶しく感じた何某は、「今すぐ帰るつもりはない。でも君の忠告にも一理あるので、日が暮れるまでには帰ろうと思う」と述べて友と別れた。

 ほどなく浅草観音前に着き、懐中をさぐってみると、あるはずの鼻紙袋(鼻紙や金銭、印鑑、薬などを入れる袋。鼻紙入れ)がいつの間にか消えていた。さては掏摸の仕業に違いない。ああ、友の忠告に従うべきだったと後悔しても、あとの祭り。さし当たって食事をするお金もなく、日も暮れ始めた。がっかりした何某は、しかたなく家人をひきつれて家路を辿るしかなかった。その様子はたいそう哀れだった(「いとあわれにこそ見えける」)。――

 

 気づかぬうちに懐中の鼻紙袋を盗み取られた何某は、ようやく友が正真正銘の掏摸であると知ったのである。話の結末は第3幕で。

 

 ――浅草からの帰途、下谷を通り過ぎた辺りで、「これをお返しするよ」と肩をたたく者がいた。ふり返ると先ほど別れた友で、手には盗まれた鼻紙袋が。「悪い冗談はよしてくれよ」。恨めしく思いながらも、何某は嬉しさを隠しきれなかった。「ほかの掏摸なら盗んだ金は返さないが、君たちが腹をすかせていると察して、金を戻したのさ。さあ、蕎麦でも食べようじゃないか」。友に誘われ、何某は家人ともども寛永寺門前の蕎麦屋に入った。

そこは酒も肴もある店で、酒食足りて店を出ようとしたとき、何某は「今日は君の情けで金が戻ったので、ここは僕に払わせてくれ」と懐の物を出した。すると友は笑って「金が入っていると思ってるのか」。鼻紙袋の中を調べると、金だけ抜き取られているではないか。「掏摸の作法で盗んだ金は返さないが、金以外の必要な品は抜き取っていない。安心したまえ」。友はそう言い捨てて立ち去った。

 「金を奪ったうえ、酒食の代金まで払わせるとは……」。何某は口惜しくてならなかったが、1銭の持ち合わせもないので家にも帰れない。誰々に人を遣って金を借りようか。それとも家から持参させようか。今日は店も忙しそうだ。いつまでもこうしているわけにもいかないと思い煩っていた。ちょうどそのとき、店の小女(年少の下女)が食器などを片付けにきたので、代金はいかほどか問うと、小女は「先に帰ったお連れの方が済まされました。支払い済みなので金額は覚えていません」と答えた。――

 

話は「扨は昔のよしみは捨ざりけり、あなうれしとて、急ぎて家に帰りけるとなん」という一文で終わっている。友は掏摸になった今も昔のよしみを忘れなかったというのである。めでたし。めでたし。

この話は詰まるところ美談であり、しかも、主人公はまぎれもない盗人の掏摸だった。

 

博徒の叡智

 次に紹介するのは、『桃野随筆』から「博徒」の一話。題名通り博奕打ちの話である(やはり意訳で)。

 

 ――博奕打ちが語り合っているのが耳に入った。賽子の目の勝負(=賽子博奕)は「正直」なのがいい。「作りごと」をするのは「吾徒にあらず」(われわれ博徒は作り事はしない)。――

 

 このくだり、訳が難しい。サイコロの目を賭ける丁半賭博について語っているのだが、「正直」「作りごと」の意味がはっきりしない。「作りごと」が細工をすることで、「正直」が細工をしないことだとすれば、続く文章の意味は「われわれプロの博奕打ちは、サイコロに細工をするような八百長はしない」となるが、はたしてそうか。

原文には右に続けて「天に任せて打なれば、必ず勝にはあらねど自然の数も亦あながちに片落ちなることはなき物ぞ、しからば作略によりて工拙あるとしるべし」とある。どうやら賽子博奕では、あまり考えすぎずに(「作りごと」をせず)天に任せて(「正直」に)賭けたほうが大きな失敗がない(そこそこの結果が得られる)という意味らしい。

 定石通りの「正直」な賭け方とは、どのようなものか。博奕打ちは次のように語った。

 

 ――まず100文張る(賭ける)。負けたら200文張る。また負けたら400文張る。それでも負けたら800文。このように張り続ければ、まさかずっと負け続けるはずはない(いずれ勝つ)ので、負け続けても、一度勝てば負けた分を取り戻すだろう。――

 

なるほど。100文から始めて200文、400文、800文と4回勝負し、負け続けても計1500文(1500文)の損失。5回目に1600文賭けて勝てば、損失を上回る金が手に入るというわけだ。問題はそれから先である。

 

 ―― 一度勝ったら、また100文から張れ。勝ってもまた100文。勝ったからといって賭け金を多くしてはならない。100文ずつの勝ちでもそれなりの金を得られる。一度に大勝ちしようと思うな。賭博では負け続けるのは勝ちが来る前兆だから、どうか負けるようにと思いながら張るべきだ。一度勝てば十分。勝ちを重ねる必要はない。この理を知らない者が、独り勝ちしようとして大負けするのだ。可笑しなことさ。――

 

 なんて深い知恵だろう。カジノ法案可決やギャンブル依存症対策が話題となっている昨今、識者やギャンブラーにぜひ読んでいただきたい話である。

 鈴木桃野は別の観点から博徒の知恵に学んでいる。曰く。「武士のいくさをするも、此心をもて勝敗を計らば、少しづゝ負て大に勝の理をしらん」。博奕も戦(いくさ)も勝負に変わりはない。博奕の理は戦の理に通じるというのだ。

いや、武士の戦だけではない。桃野が書きとめた〝博徒の叡智〟は人生の知恵そのものではないか。〝負け続ける人は幸いなり。いずれ勝つときが訪れるから。勝ち続けても大勝ちしようと思うなかれ。勝ち続けた人には必ず負けるときが来る〟

 なんだか、ますます桃野が好きになった。

<了>

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