楽しい相撲大会

 嘉永4年(1851)5月、島津斉彬は薩摩藩主となり、初めてお国入りする。そして家臣との親睦を深めるため、相撲大会を開催する。モデルになる史実も殆ど無い、フィクションで覆い尽くされた回。優勝者には米10俵が贈られるという。

 こりゃ、今後の展開が、ちょっと(かなりかも)心配になって来た。緑が眩しい明るい画面の奥から、もくもくと黒い雲が立ち込め始めているような感じだ。

 相変わらず四季は描かれない。夏ばっかりなので、この一回で時間がどれ程進んだのかは不明である。多分ひと月ほどだろうか(そうしておこう)。

 この年、西郷吉之助は25歳だから、51歳で亡くなるまであと26年しかない。余計なお世話だとは思うが、それを残りの40回ほどで描くのなら、こんなペースで進めても良いのかという疑問がまず沸く。

 なにしろ、歴史を「大河」に見立てて、巨大な流れを描くドラマなのだ。にもかかわらず、「じゃりン子チエ」の相撲大会の回を見ているような、面白さとばかばかしさ。これで良いのか。

 ドラマの西郷は、相撲大会に出場するんだと張り切っている。島流しに処されたままの大久保正助の父の赦免を、優勝して斉彬に直言してお願いするのが目的だという。そこへ同じ郷中の村田新八が出たいと言い出して、西郷を負かして出場権を獲得する。

 
 ところが当日、食べ過ぎた村田は腹を下して出場出来ず、かわりに西郷が出ることに。案の定、西郷は勝ち抜き、最後のひとりが岩山糸のフィアンセの海老原重勝。これを破り、優勝した西郷にサプライズで斉彬が勝負を挑む。斉彬は負け、勝った西郷は獄に投ぜられて、終わり。

 史実では、この頃の西郷は相変わらず「郡方書役助」を勤めながら、大久保や有村俊斎らと『近思録』を輪読したり、禅をかじったりしている。藩主の椅子に座った斉彬だったが、「お由羅騒動」の報復人事もしないし、処罰者の赦免もしない。だから大久保の父も島から帰れないのだ。

 

男色と相撲と

 林真理子の原作には、こんな相撲大会のエピソードは無い。ドラマのオリジナルみたいだ。ただ原作は別のところで、相撲を西郷の男色趣味を説明するものとして使う。

 

「相撲を取る時、好きな少年が相手になると吉之助の動悸は速まる。彼の汗のにおい、耳朶から漂ってくる甘い垢のにおいに、下半身がかすかな変化を始める。それに気づかれまいと吉之助はことさらに大きな声をあげる」(『西郷どん!(上)』角川書店)

 

 さすがにこんな部分は、ドラマでは描かれていなかった。事実、薩摩では男色も相撲も盛んだったらしい。それだけ荒々しい気風だったのだ。

 明治の週刊誌のようなゴシップ集には、西郷が長州の山田顕義に言い寄ったという話が出て来る。あるいは土佐高知に行った時、坂本龍馬の親戚の美少年を連れて帰りたいと言ってゴネたという話を、僕は子孫の方から直接聞いた。

 大久保が父譲りの相撲好きだったことは、大久保の逸話集で読んだ記憶がある。いま偶々長州の久坂玄瑞の伝記を書いているが、玄瑞も学友たちと相撲をとったという史料がある。

 たびたび拙著の宣伝で申し訳ないが、間もなく書店に並ぶはずの(もう並んでいる?)『語り継がれた西郷どん』(朝日新書)では、西郷の義妹マツ(松子)が、西郷と相撲取りの交流を少し語っているので紹介した。

 

「隆盛ドンのここに(当邸に)おさいじゃした時でごわしたが、ある日、陣幕とかいう角力ドンの来やったこつもごわした。

 彼ン人(しと)のそン時でごわすか、ハイ。長ンか刀に袴という扮装で供の者を連れて参(め)上げ申した」

 

 陣幕久五郎は第十二代横綱で、現在の島根県出身。元治元年(1864)には薩摩藩抱えとなり、西郷とも親交があった。「明治6年の政変」で鹿児島に下野した西郷のもとを、訪ねて来たらしい。

 

民の暮らしはどうなった

 ともかく、今回は「変」なところが目立った。

 片方の下駄を失った糸を、白昼堂々、西郷がおぶって帰るというエピソードを生み出す作り手の歴史に対する感覚も、信じ難い。おそらく、糸の縁談は破談になるだろう。相撲大会で藩主一族の姫たちを、スケベそうな笑いを浮かべながら、藩士たちが品定めしているのも、またしかり。

 西郷が土俵に上がる時、側近が斉彬に次のように説明する。

 

「郡方書役助西郷吉之助、仕事には熱心ですが、自分が正しいと信じたことは上役に刃向かってでも曲げん、強情なところがあるようで、役所内の評判は芳しくありもはん」

 

 なぜ、藩主の側近ほどの高い地位にいる者が、一介の下級役人に過ぎぬ西郷のプロフィールを、立て板に水を流すかのごとく話すのか分からない。西郷の出場が、突然だったにもかかわらずである。よほど西郷はマークされていたのだろうか。こうした「変」が目立ち始めたのは、作り手が緩くなっているのではないかと心配になる。

 もっとも、この西郷に対する人物評は、もとになる史料がある。斉彬に周囲の者が西郷の人物像につき、

 

「麁暴(そぼう)或いは郡方にて同役の交わりも宜しからず」

 

 と、誹謗する者がいると教えたという逸話だ。斉彬はかえって喜び、抜擢したという。『鹿児島県史料・斉彬公史料・3』に収められている。

 以前から書いているが、斉彬の藩主就任により、農村はどうなったのだろうか。斉彬は困窮する百姓の暮らしを、どうするつもりなのだろう。西郷は斉彬に、その点で期待していたはずだ。

 ロシアン・ルーレットまでやり、意気込んで藩主になった最初の仕事が、相撲大会で良いのか(良いわけがない)。今回はこのドラマがずっと引きずって来た、民の暮らしを向上させるという問題に、真摯に取り組む斉彬を描くべきであったと思う(たとえ成果が出せなくとも)。

<了>



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