祖父と両親の死


 今回は嘉永5年(1852)の物語。数えで26の西郷吉之助は、この年7月に祖父、9月に父、11月に母を立て続けに亡くしている。父の死により、吉之助は家督を相続した。

 両親が死ぬ話などは、どうしても自分の経験と重ねてしまうから、なかなか冷静には観れない。観る者のそうした感情に頼るようなドラマは実につまらないものだが(いわゆるお涙頂戴)、特に過剰な演出も無かった。

 もちろん、母が桜島を眺めながら西郷の背中で息絶えたというのは、フィクション。しかも、旧暦の11月29日だから季節は冬だが、ドラマでは夏にしか見えなかった(「花燃ゆ」の萩同様、鹿児島も常夏の国らしい)。

 

最初の結婚


 両親の勧めで、西郷が最初の妻を娶ったのもこの年である。伊集院直五郎の長女須賀で、ドラマでは無愛想な女ということになっていた。

 『伊集院兼寛関係文書』の解題によれば、伊集院家は薩摩島津家の分家にあたる家柄という。須賀の実家は、伊集院の宗家が9代目の時に分かれたとされ、それから12代を経て幕末の当主直五郎(21代)となった。

 須賀は天保3年(1832)4月生まれというから、西郷より5つ年下である。

 

対外危機迫る


 この年1月にはイギリス軍艦が琉球・那覇に来航し、艦長が首里城に入るなど、対外危機が高まっている。

 ドラマでは、謹慎中の大久保正助が郷中の後進たちを前に、『海国図志』という書籍を紹介していた。

 『海国図志』は、アメリカ宣教師の著作を始め外国語の書物・新聞を翻訳、集大成した中国初の本格的な世界知識の宝庫で、海防全書である。増補に増補を重ね、1852年(つまり今回の嘉永5年)には100巻が完成した。全文88万字、地図75枚、西洋船砲図式42頁という超大作である。

 ただし、日本に入って来るのはもう少し後であろう。前回の英和辞典に続き、ドラマの大久保家には、大名家にもないような本が蔵されている。これは、何かの伏線だろうか。

 なお、藩主島津斉彬は、参勤のために8月23日、鹿児島を発ち、10月9日、江戸に到着している。アメリカのペリー来航は、すでにオランダ経由で幕府に予告されており、11月、斉彬は国もとの異母弟の久光に書簡を発し、藩地の警戒を怠らぬよう注意を与えた。

<了>
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