西郷家の異常な蒲団

 今回は、嘉永6年(1853)の正月から始まる。前年、西郷吉之助は妻須賀を迎えた。しかし、須賀が嫁いでから半年ほどの間に吉之助の父母が相次いで他界。須賀は近所の者が自分のことを、「不吉な嫁」と噂していると言う。

 西郷家は、経済的に窮乏しているという設定。だから、須賀が干している蒲団はボロボロである。あちらこちら派手に破れまくり、触れるのも憚られるくらい、汚ならしい。ところが、ボロボロなのは蒲団だけで、西郷や須賀をはじめ西郷家の人々の着物は、皆こざっぱりしており、継ぎ接ぎひとつ無い。


 つづいて、大久保正助が、自身の謹慎が解かれ、再び記録所書役助に出仕することになったと、西郷のもとに知らせに来る。西郷は大喜び。しかし、よく見ると大久保の着物は、西郷のそれよりも上等そうである。

 大久保こそ三年も失職していたのだから、作り手は働いている西郷よりもボロを着せてよいはずだ。少なくとも、そのように演出すべきだろう。にもかかわらず、この着物では大久保の暮らしぶりの方が、西郷よりも豊かに見えてしまう。しかも前回、前々回と、大久保家には大名家にも無いような珍しい書籍が所蔵されていた。


 生活のレベルを表現する時、衣装は非常に大切だと思うのだが、あまり考えずにドラマを作っておられるような気がしてならない。

 

去って行く須賀

 嘉永6年6月、アメリカ合衆国のペリー艦隊が浦賀に来航した。薩摩藩主の島津斉彬は、これを「好機」と見る。いち早く軍備を整え、国政に参加するのだ。篤姫を養女にして、将軍家に輿入りさせる準備も進める。


 ちなみに史実では、この年3月、吉之助は善兵衛と改名した。

 安政元年(1854)1月21日、斉彬は鹿児島を発ち、江戸出府の途に就く。そのさい西郷は中小姓として、行列に加えられた。


 ドラマでは西郷は江戸へ行きたいが、支度金の30両が用意出来ない。須賀のためにも、西郷は一旦江戸行きを諦めかける。

 だが、大久保が走りまわって金を集める。そのさい武士である大久保が、商人の板垣与三次に土下座して金を無心する場面があったが、あまりにも軽い。


 須賀は西郷を江戸に送り出すため、自分の我がままに見せかけて、離縁を望む。確かに史実でも安政元年、須賀の父・伊集院直右衛門の求めにより離婚したとある。その理由は、定かではない。今回はその謎の部分を、メロドラマ化したわけだ。


 ただ、以後も須賀の弟・伊集院兼寛が、西郷や大久保の同志として政治運動に奔走しているから、円満な離縁であったのだろう。

<了>

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