大久保の焦りと嫉妬

 今回は安政3年(1856)11月、篤姫の輿入れ前後から翌4年11月までが描かれる。ほぼ一年間の物語り。何度も言うが、四季を描く気はまったく感じられない。この間、西郷吉之助は江戸から3年4カ月ぶりに帰郷し、大久保正助は妻を娶る(史実では結婚は安政4年12月)。

 ただ、今回の脚本の出来は良い。歴史を適度に背景に据え、作者の解釈なども適度に散りばめながらドラマを築き上げている。この手のドラマはその性格上、突飛な演出は期待出来ない。だから作品の出来、不出来はかなりの部分、脚本の出来、不出来が左右する。

 西郷吉之助が江戸で藩主島津斉彬の信任を得て活躍する一方、国もとでくすぶっている大久保正助の心の中に、どのような気持ちが芽生えたかを描くのがドラマではないかと、僕はこれまで何度か書いた。大都会で派手に活躍するエリートの噂を聞く、田舎の幼なじみの複雑な胸中なんていうのは、幕末に限らず普遍的なドラマのネタだろう。


 「史実」では、大久保がその時の西郷に対する気持ちを書き残した「史料」は、無かったはずだ。ドラマでは、再び江戸へ行くことになった西郷が、大久保も連れて行くよう藩に推薦する。そのことを、西郷は大久保に話す。すると当然喜ぶと思われた大久保は、それまで溜めこんでいた感情を激しく爆発させ、「上から見下ろしている」と怒り、「ずっと遠かところに、一人で行ってしもうた……おいの前から消えてくれ」と言い放って、西郷と訣別する。

 30余年前、僕の恩師である林亮勝先生が、史学を学び始める学生たちに当時放映されていたココアのテレビCMを例にして、話してくれたことがある。そのCMは高校生の男の子の目線で描かれる。男の子は、ひとりの女の子に思いを寄せている。だから、ラブレターを書く。しかし、勇気が無くて渡せない。でも「日記には渡したと書いておこう」という独白で終わる……。

 日記に「渡した」と書いた以上、「史実」では渡したことになってしまう。それが「史料」であり、「史実」なのだ。そうして出来上がってしまった「史実」を、別の「史料」を使って論理的に裏付けたり、あるいはひっくり返したりするのが「研究」なのである。


 そのように考えると、歴史を題材としたドラマの醍醐味のひとつは、「史実」「史料」には表れない、人の感情を作り手たちがいかに読み込んで、創作してゆくかである。だから「史実」には無い、安政3、4年ころの大久保の感情に注目したのは良い。

 ただし、今回はラストシーンで、二人がすっかり和解したかのように描かれていたのは、ちょっとつまらない。これで爽やかに終わらせるのか、それとも「明治6年の政変」や西南戦争まで引きずるのかは、今後注目しておきたいポイントである。

 

民富論」を説く斉彬


 ドラマの中の薩摩藩主島津斉彬は、自ら建設した軍事工場の集成館で、兵器以外にも薩摩切子、焼酎なども作って民を富ませるのだと言う。「暮らしが楽になれば、民はみな前を向く……民が豊かになれば、国は自然と良くなる」との台詞があった。僕は斉彬(照国公)の全集を読んだわけではないので、どんな言がモデルになっているかは分からない。


 ただ、今回の台詞からは熊本藩の横井小楠などが幕末のころ唱えた、「民富論」の影響を感じた。小楠は政治の目的は民を富ませることにあると、断言する。そのためには君主以下の為政者たちは、無限の努力を行う必要がある。もし出来なければ、たとえ藩主であっても辞職しなければならない。これは為政者である武士を富ませるため、当たり前になっていた江戸時代当時の封建制度を否定しかねない考え方である。


 だから小楠は、福井藩に提出した『学校問答』という意見書に、古今東西の藩校から人材が生まれない理由として、儒教が形骸化していると非難した。有り難い教えを説く学者が、実は学内で争いを繰り返し、他人を憎み、蹴落とす。最も儒教の教えに反しているというのだ。その解決法として小楠は政治家と学者、両方の才を持つ者を為政者にすべきだと言っていたと記憶する。


 長州の吉田松陰なども、国防に必要なのは第一が仁政で、第二が武備だと藩あての意見書で述べている。仁政とは民を慈しむ、弱者を大切にする政治である。つまり、仁政が行われている国であれば、そこに住む者は自然と国を愛し、国を護ろうとする。だから武備よりも先に、仁政なのだ。


 愛さずにはいられない国をつくるのが、武士という政治家の仕事であると、小楠も松陰も考えていた。政治家が「愛国心」を強要し、学校教育の中に持ち込み、まして評価を与えようなどと考えるのは、本末転倒なのである。「最近の若い者は、愛国心が足らない。けしからん」なんて政治家が言っている国は、どこかおかしい。

 

史料なんてクソくらえ?

そうして見ると、小楠や松陰の言には耳が痛いお方も多いだろうが、考えさせられることも多い。それが現実の「歴史」であり、耳障りの良い美談ばかりではないのだ。そして、先に見た斉彬の台詞を脚本家が書くことが出来たのも、当時の人々の思想を伝える「史料」が存在したからである。「明治維新の精神の伝承」とは、まずは「史料」の伝承でなくてはならない。


 にもかからず「明治維新150年」のこんにち、行政が奨励しているのはコスプレやマンガといった、およそ歴史とはほど遠いものだ。

 首長みずから、維新関係の人物たちと「対談」しているパンフを次々と作ったりしている地方自治体があるそうだ。これまで僕は、あの世の吉田松陰や高杉晋作らと「対談」される現代人は、某新興宗教の代表者さんしか知らなかった。「霊言」も、ついに行政レベルになったとは、驚きを禁じ得ない。右向け右式なのか、ある博物館の長などは、タレント気取りでコスプレした自身の写真を、何枚も載せた写真集のようなパンフを作り、配っている始末。「明治維新150年」のお題目を唱えさえすれば、日ごろの願望を税金を使って果たすことが出来るのだ。


 しかし、こんなものが「明治維新の精神」なのだろうか。政府は「明治維新」に関するイベントを奨励するとして、補助金まで出してくれるらしい。


 実は先週、山口県某所から、高杉晋作にまつわる重要史料が流出してゆくのを目の当たりにした。ちょっとタイミングが悪くて、買い取れなくて涙が出た。それは小規模なイベントすら開催出来ないほどの、わずかな金額である。「コスプレ」パンフの印刷代よりも、ずっと安い。行政は知っているのだが(何度も行政絡みのイベントに、無料で出展させていた史料である)、見て見ぬふり。もともと、そのような予算を確保していないから面倒くさいのだろう。


 僕は30年ほど前から、このような流出してゆく史料をずいぶん沢山個人で買い取って来た。しかし、そろそろ限界である。もう、勘弁してもらいたい。不思議なのは「維新の精神」云々と言い、その代弁者のごとく振る舞っている方々が、まず自腹を切らないことだ。


 ずいぶん前になるが、大変社会的地位のある方が「史料は観光に供さないから、なくなってもよい」と断言されたそうで、その結果史料を守る仕事に従事していた僕は、とんでもない迷惑を被ったことがある。その取り巻きのコスプレさんも「史料なんてクソくらえです」と、お追従していた。


 本州最西端の自称「維新発祥の地(僕は発祥というのはおかしいと思うが)」が、異常なまでに「史料」を軽視どころか、敵視するのはなぜだろうか。こうした人たちが、いま「明治維新150年」を「イベント」として考える内閣の熱心な「支援者」であることは確かである。

 不思議なというより、いびつな体験の数々(程度の低いものが多いのだが)は、いずれ「歴史」として書き残しておかねばなるまいと思う。

<了>

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