西郷の名


 今回は西郷吉之助が月照を薩摩に匿おうとしたが果たせず、共に錦江湾に入水する安政5年(1858)10月から11月ころまでが描かれる。

 西郷伝前半の、最も有名なエピソードだけに力を込めて描こうという意気込みは伝わって来た。ただ、話を極力シンプルにしているため、なんだか物足りない印象は否めない。シンプルにするためか、前回書いた筑前浪士の平野国臣や月照の従僕である大槻重助も登場しない。

 鹿児島の家に帰った西郷に、祖母が「吉兵衛、吉兵衛」と呼びかける。これは、西郷の父の吉兵衛と間違えているとのことだが、実はこの時期、西郷の通称は「吉兵衛」なのである。

 年譜を見ると西郷は嘉永6年(1853)3月、「吉之助」から「善兵衛」になった。つついて安政3年(1856)3月までに、「善兵衛」から「吉兵衛」に改めた。

 だから、たとえば『大西郷全集』に収められた安政5年8月19日付の月照から西郷あて書簡の宛名部分は、「西郷吉兵衛様」になっている。ドラマの祖母は「吉兵衛」と呼んでボケ老人扱いされていたが、あれは正しいのだ。


 そして、鹿児島に帰ってからは藩命により「西郷三助(三介)」に改めた。幕府から西郷を差し出せと求めて来たら、死んだと返答するつもりだったと言われる。

 

西郷と月照の関係は

 薩摩に入った月照は西郷の配慮により、ひとまず日高存竜院の修験者のもとに預けられる。ところが存竜院は後難を恐れて、藩庁に届けてしまう。

 薩摩藩重臣の新納駿河は、前々藩主の島津斉興に上申し、月照を藩の東方の関門である日向の法華寺に匿おうとする。


 ところが、これを西郷は「長送り」と解釈した。西の関門から出国する遠客は、穏やかに関外に送り出された。ところが、東の関門は「長送り」と呼ばれ、延岡藩との境で殺害することになっていたのだ(岩崎英重『桜田義挙録』)。

 西郷は月照とともに死を決意する。こうして11月16日夜の入水事件となった。


 ドラマの入水場面は、最後に西郷が月照を抱き締め、恋愛的な感情を抱いていたことを匂わす演出になっていた。

 林真理子の原作では、入水直前の西郷の心情を「すべては無に戻った。自分はこうして好いた男と二人海に沈む。男と心中したら、世間は何と言うだろう。が、月の夜に男と死ぬのは今の自分にとってもふさわしいような気がした」と描く。そして「今だ。二人は手をお互いの首にからめ、しっかりと抱き合ったまま海に落ちた」となる。


 ユニークと言えば、ユニークな解釈だろう。ただし唐突過ぎて、あまり面白くない。

 以前書いたが、僕はかつて男色趣味のある西郷が土佐高知で某家を訪ねたさい、ひとりの美少年が気に入り、連れて帰ると言ってゴネたという話を、某家の子孫から聞いたことがある。「トントや、トント」と、その子孫は嬉しげに言っていた。ゲイの恋人のことを、土佐ではトント(どんな漢字を当てるのか、僕はわかりません)と呼ぶらしい。

 だから、ありえない話ではないと思った。ただ、そのあたりの性のことは日曜夜放映のテレビドラマでは、はっきり描けないだろう(描く必然性も、あまり感じられない)。

 久しぶりに映画の話をさせてもらうと、石井隆監督「G0NIN」を思い出した。暴力団事務所から大金を強奪したため、殺し屋に追われる本木雅弘と佐藤浩市。映画では冒頭から、男娼役である本木の怪しげな台詞や仕草が続く。その美貌で男を誘惑するが、事を成す前に激しい暴力を振るい、金を奪う。

 ところが終盤、佐藤が敵に銃で撃たれ、息絶える寸前、傍らの本木の唇にキスをする。唖然とする本木。れまで、そのような素振りを見せなかった佐藤が、男の本木に恋していたというオチがつく。

 ドラマの西郷と月照の関係にも、そんな驚きがあれば面白かったのだが。

<了>


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