島津久光との対立


 今回は3年におよぶ奄美大島での生活を終えた西郷が、鹿児島に帰着した文久2年(1862)2月から、命令に違反して上方に走って奔走した同年4月ころの、幕末政局物語である。西郷は「大島三右衛門」と改名しているが、残念ながら奄美大島の美しい風景は今回は登場しない。

 薩摩藩の実権を掌握した国父(藩主の父)島津久光は、兵を率いて京都に上り、さらに幕府に迫って改革を断行しようと計画している。そのために復帰させもらった西郷だが、分かったようで、よく分からない理由から、久光の計画に反対を唱える。久光が時局に暗いようなことを言っていたが、西郷もまた三年のブランクがあるので、即座に反対するのは、ドラマとしても不自然だ。それでも西郷は久光から先導役を命じられ、下関で待機することになる。


 西郷は久光を「地ごろ」と呼んだという(さすがにドラマでは面と向かっては言わなかったが)。地ごろとは、田舎者の意味。久光の腹違いの兄で、先代藩主の島津斉彬は江戸で生まれ、42歳で襲封するまで、江戸で過ごした「都会っ子」だった。だから、老中首座で福山藩主の阿部正弘や越前藩主の松平慶永(春嶽)らと親交を持ち、新しい風を身にまとって薩摩の地にやって来た。

 西郷にすれば、斉彬の持つ都会的なセンスが、まばゆく見えて仕方なかったのかも知れない。一方の久光は、薩摩生まれの薩摩育ちであり、その点でも侮っていた部分があったのだろう。

 

強い国?

 久光は幕府内部の改革を行うつもりだが、これを「倒幕」の好機と考えた浪士たちは、ぞくぞくと京都・大坂に集結する。今回のドラマでも「吉村虎太郎」「久坂玄瑞」「平野国臣」「小河一敏」といった、おなじみの「志士」たちが、チラチラ登場していた。


 薩摩藩の中でも有馬新七の一派が、浪士たちと行動を共にしようと考えている。有馬は西郷も仲間に誘うが、西郷は時期尚早を理由に拒む。理由は、倒幕が実現しても新しい国づくりの方針が定まっていないから、その隙に外国の餌食にされてしまうというのだ。だから、「強い国」をつくるべきだと言う。


 このドラマ、初回から「強い国、強い国」と繰り返す。外圧に対する危機感を必要以上に煽り立て、恐怖心を植え付けるのは古今東西、政治家の常套手段である。現代ならばさしずめ、「テポドン」や「ミサイル」だろうか。


 ずっと以前「テポドン」が発射された時のこと。深刻な顔でテレビでコメントしていた政治家が、裏では自分の政治活動に利用出来るからと、大喜びするのをたまたま目の当たりにして、ものすごくショックを受けたことがある。平成史の恐ろしい闇の部分だ。

 以来、幕末の「志士」が建言書などで外圧の恐ろしさを強調するのを読むたび、その時の政治家の嬉々とした声を思い出す。たくさんの諸先輩方の研究があるので、僕などがここで改めて述べるまでもないが、ドラマで描かれる1860年代の西洋列強は、そこまでアジアに植民地を欲していたわけではない。むしろシーレーンを確保し、自分たちの資本主義のルールに従わせることが大切だった。植民地獲得に狂騒するのは、もう少し後のことである。

 

腐った幕府?


 ドラマの久光も有馬も「腐った幕府」と連呼するが、何がそんなに腐っているのか、ちゃんと描けていない。このあたり、幕府イコール悪、腐っている、倒されて当然という先入観で話を進めている感じだ。天皇の存在も、その政治的意味もきちんと描いて来なかったから、なぜ皆が京都に行くのかも、よく分からない。


 西郷の実弟信吾(従道)も有馬に従って京都に行くが、「繁の家」という妓楼で「おゆう」という芸妓にメロメロになり、ついには下関商人の白石正一郎から活動資金として預かった30両で、身請けしようとする。フィクションとはいえ、ずいぶん未熟で、つまらない男として描かれている。

 それはともかく、暴発寸前の有馬たちが上意討ちに処される「寺田屋騒動」くらいまで今回は描かれるのかと思っていたら、その手前で終わってしまった。事件は次回らしい。こんなスローペースで良いのだろうかと、余計なお世話かも知れないが、またも心配になってしまった。

 

クセの強い西郷

 ドラマでは西郷が「心が大きい人」であるという「伝説」が、京都の芸妓おゆうにまで知れ渡っている(その弟のクズっぷりは酷いのに)。作り手たちは、てっとり早く西郷をスケールの大きな人物に仕立てたいとお考えのようだが、こうした結論めいた、かつ抽象的な評価は安易な台詞ではなく、一年を通じて描くドラマそのもので感じさせて欲しいものだ。


 ちなみに、同時代を生きた人々の西郷評は必ずしも、美談ばかりではない。有名なのが西郷と同時期、部下の不始末から奄美大島に流されていた薩摩藩士の重野安繹(のち歴史学者)による人物評だ。一部を引用する。

 

「西郷は兎角相手を取る性質がある。是は西郷の悪いところである。自分にもそれは悪いと云って居た。そうして相手をばひどく憎む塩梅がある。西郷という人は一体大度量のある人物ではない。人は豪傑肌であるけれども、度量が大きいとは云えない。謂はば度量が偏狭である。度量が偏狭であるから、西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量の広い人のように思っているが、それは皮相の見で、矢張り敵を持つ性質である。トウトウ敵を持って、それがために自分も倒れるに至った」(「西郷南洲逸話」『重野博士論文集・下』昭和十四年)

 

 あるいは重野は、西郷が部下の人心を掌握するのを、楽しんでいたようなことも述べている。そのためなら、負傷した部下の傷口をすすったりするのも平気だったようなことも言う。そうすると、部下は西郷のために命もいらないと思うようになる。西郷はそれが面白くて仕方なかったのだという。

 だが、そのような西郷像は以後、信奉者たちの激しい美辞麗句の中に消されてゆく。ややもすると「アンチ」「悪口」と、簡単に片付けられてしまう。


 このドラマ、確か宣伝文句にあった「新しい西郷」を目指すのならば、そんな一面をドラマに取り込み、さらに人間臭い人物像を掘り下げて描けば面白くなったと思うのだが。

<了>

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