クセが強い? 西郷


 今回は、文久2年(1862)4月23日の「寺田屋騒動」をクライマックスとして描く。西郷は下関での待機命令を待たずに、上方に向かったため、薩摩藩国父の島津久光の怒りを買う。

 西郷を切腹させると息巻く久光に、その側近が、西郷は「クセ」が強い人物だと、先代藩主の島津斉彬が言っていたと、とりなす場面がある。これは、もと越前藩主の松平春嶽の回顧録『逸事史補』に出て来る斉彬の言、

 

「彼(西郷)は独立の気象あるが故に、彼を使う者私ならではあるまじく」

 

 などが元になっているのだろう。ただ、このドラマの「西郷どん」は「クセ」が強いというより、お人よしのおっちょこちょいといった単純なキャラクターである。何か信念を貫こうとしている時だけ、ふてくされたような表情になるが、いきなり「クセ」が強いと言われても、ちょっとピンと来なかった。

 「クセ」が強い人物を魅力的に描いたドラマや映画は枚挙に暇が無いが(いちいち例は挙げないが)、「西郷どん」はそのような、深みのある人物像ではなかったはずだ。出来るなら、「クセ」の強い「西郷どん」を見てみたかった。

 結局西郷は切腹を免れ、鹿児島に連れ戻され、のち沖永良部島に流される。

 

凄惨な場面


 久光は千人の兵を率いて上京。孝明天皇から、浪士を取り締まるようにとの詔を賜る(僕の記憶に間違いがなければ、このドラマにおける初めての天皇登場である)。これにより、久光は京都滞在の大義名分を得た。

 そして久光は、伏見の船宿・寺田屋に集まり、九条関白襲撃などを企てる誠忠組過激派の有馬新七らに、大山格之助ら鎮撫使を差し向けて、9名を上意討ちに処す。寺田屋騒動である。

 近頃の大河ドラマにしては珍しく、殺し合いの場面を血糊も沢山使って凄惨に描いていた。史実では斬り合いの現場には居なかった西郷の実弟である西郷慎吾(従道)が、やたらと登場するが、これは何かの伏線なのかも知れない。慎吾は年少ゆえ帰藩を命じられ、翌年6月の薩英戦争ころまで謹慎させられている。

 

明治維新の観光偽装


 番組末尾の紀行コーナーにも登場したが、京都市伏見区の「寺田屋」は、いまも「史跡」として観光客が訪れ、有料で内部を公開している。確か大河『龍馬伝』放映の年に、週刊誌が現存するものは幕末当時の建物ではないと報じ、「平成の寺田屋騒動」などと話題になった。僕などはずっと以前から鳥羽・伏見の戦いで焼けて、その後再建されたと繰り返し書いて来たので、何を今更という感じだったが、世間では驚かれた方も多かったようだ。

 以後、明治維新関係で言えば、亀山社中、長崎花月楼、幾松、明保野亭、高杉晋作生家などが「観光偽装」(言い得て妙)としてつるし上げられていた。いずれも、お粗末なものである。いままで「偽装」して来た側はせいぜい逆ギレするだけで、論理的な反論はしないし、出来ないというのが特徴のようだ。しかも、以後は開き直ったのか、何の反省もなく「営業」を続けている「史跡」が多いのにも呆れてしまう。しょせん、無理が通れば道理が引っ込むのである。

 こうしたエセ史跡、エセ文化財づくりは、時に政治家や行政の「権威」を利用して行われる。だから博物館の要職にある者が平然と乗っかって、お墨付きを与えたりする。誤って与えたならまだしも、真相を知った上で保身のために手を貸したケースを、僕はいくつか見て来た(お断りしておきますが、僕はやっておりませんし、ご協力するつもりもございません、あしからず)。

<了>

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