◆神社界にわだかまる神社本庁への批判

 この1年ほどのあいだ、取材で神職たちに話を聞いた際に、よく耳にした言葉がある。

 それは、全国の神社の大半を束ねる、包括宗教法人としての神社本庁に対する批判だ。

「神社本庁(神社庁)はあてにならない」「神社本庁は同業者の組合、寄り集まりみたいなもの」「神社本庁は、ただ末端の神社から金をとるだけの組織」……。

 もっとも、筆者の取材に協力してくれた神職にはもともと神社本庁に批判的な人が多く、神社本庁寄りの神職には敬遠された、という事情もあるかもしれないので、その分は差し引いて考える必要もありそうだが、ある神職から聞いた、次のような言葉は強く筆者の印象に残った。

「神社本庁の議決機関である評議委員会の評議員(定数168人)を務めているのは、神社界のほんのごく一部にすぎない『飯の食える』神社の宮司たち。だから評議委員会は、ただ単にそうした『飯の食える』神社の体制を守るためのものになってしまっている。全体の神社の6割を占める、年収300万円未満の『飯の食えない』神社をどうするか、という問題を切実にとらえていない」

 事実上、神社本庁の機関紙となっている神社新報(週刊)をみると、政治がらみ(改憲、領土問題、神道政治連盟など)や皇室関係の記事の扱いが大きく、神社本庁は右派的な政治活動に執心しているようにも映る。自分の神社の運営のことだけで手一杯の「飯の食えない」神社の神職からすれば、そうした姿勢には辟易してしまうのではないだろうか。

 そして近年では、神社本庁が所有する不動産(職員宿舎)の不正転売疑惑にからんで、神社本庁の元幹部が本庁を訴えるという騒動がマスコミで報じられていて、こうしたことは神社本庁のイメージを世間的にも悪化させているようだ。

 連載の第1回でも指摘したように、戦後の設立から70年以上を過ぎて神社本庁を核とする神社システムに制度疲労が生じ、そのことが神社経済にもひずみをもたらしている点は否めないだろう。


 もっとも、神社を束ねる包括宗教法人・団体は、じつは神社本庁以外に、
40ほど存在している(『平成29年版 宗教年鑑』)。とはいえ、これらの包括宗教法人・団体(多くは神道系の教団)には、「包括」とは称しつつも、2社、3社程度の神社しか傘下にないケースも多く、神社本庁に比べれば圧倒的に弱者である。

 だが、そうした状況であればこそ、逆に神社界に「神社本庁にかわる新たな包括団体ができてもいいのでは」という声が生じたとしても、決して不思議ではないだろう。

 そんななか、最近になって筆者は、「神社を束ねる新たな包括宗教法人が立ち上がる動きがある」という情報をキャッチした。

 

◆新たな神道系包括宗教団体設立の動き


「神社の新たな包括宗教法人として、〈神道神祇本庁〉を今年(平成
30年)中に正式に立ち上げる予定です。傘下に入る神社は3社、5社程度になるかもしれませんが、最初はそれでいいと思っています」

 そう語るのは、NPO法人「にっぽん文明研究所」の代表を務め、目下は「神道神祇本庁設立委員会」代表理事として奔走している、神職の奈良泰秀(たいしゅう)氏である。


 はじめに、奈良氏のユニークな経歴を簡単に紹介しておこう。

 東京都生まれで、國學院高校から國學院大學に進んだが、入ったのは神道系の学科ではなく文学部の文学科。実家はとくに神職・神社というわけではなく、当初は神職の道に進むことなど、まったく考えてはいなかった。

 大学卒業後は家業の建設業に携わるが、その後、海外に渡り、ヨーロッパや北アフリカなどを放浪して、「ヒッピー」生活を送る。1970年代のことで、年齢は30代になっていたが、イスラム世界などに触れたことではげしいカルチャーショックを受け、逆に日本人の精神性に気づかされる。そして帰国後は、「スペインに神社を建てたい」という夢を抱いて母校で開催される神職養成講習会に参加し、神社本庁の神職資格を取得した。日本の精神を伝えるには神社が最適ではないか、と考えたからである。


 その後、広島の天ノ岩座(あまのいわくら)神宮宮司で霊能者でもあった溝口似郎(じろう)と出会い、その奥深い神道観に魅了されて師事する。そして仕事を辞め、師に従いながら祈禱の修法などを習得し、修行を積んだ。戦没者慰霊のため南洋諸島に赴いたときには、神社跡でひとりで大祓詞(おおはらえのことば)を奏上した際に、何百人もの戦死した兵士が眼前にあらわれる――という強烈な神秘体験もしている。

 さらに、40代も終わりになってから母校に聴講生として入りなおして神道学を学び、さらなる研鑽も積む。


 そして神職として独自の活動をつづけるなか、平成
12年(2000)には、日本人の霊性を見直し、神道を中心に伝統文化の普及・啓発を行う組織として「にっぽん文明研究所」を設立した。現在、同研究所では、各界から講師を招いて講演会・セミナーを一般市民向けに開催しているが、そのテーマは神道にはじまって、茶道、香道、中東問題、古史古伝、葬礼など、じつに幅広い。また、少人数制の神職養成講座を開催していることでも知られ、これまで400人以上の神職を世に送り出している。

「昔ヒッピー、今神主」――奈良氏本人は、自身のプロフィールをしばしばそんなふうに称している。

 

70年代に大当たりした地鎮祭のビジネス化


 いささか余談になるが、地鎮祭のビジネス化を最初に手掛けたのは、奈良氏だという。

 神職の資格を得てまだまもないころ、当時は家業の関係で営繕工事などを生業としていたが、たまたま仕事先で、國學院高校時代の同級生の神職が地鎮祭を執り行っているのを目にしたのが、「地鎮祭ビジネス」をはじめるきっかけのひとつとなった。


 当時(
1970年代)は、家やビルを建てるとなると、まず工務店の担当者がその近くに鎮座している神社を探し出し、その神社を訪ねて宮司に地鎮祭を依頼する、というのがふつうだった。だが、せっかく探し当てても、宮司が不在がちで何回も訪ねてやっと会えたというケースや、やっと会えたにしても「あの場所はウチではなく〇〇神社さんの氏子区域です」と言われてしまうようなケースが多かった。

 おまけに地鎮祭当日は、工務店側がお供え物を用意し、車で神職を迎えに行き、祭式道具も積み込んで現場に来てもらう――というのが当たり前になっていて、依頼する側からすると、何かと面倒が多かった。


 そこで奈良氏は斬新なやり方を思いついた。

「地鎮祭の日にちと場所さえ教えていただければ、当日、祭式道具一切を持って、神職が現場に伺います」と謳うダイレクト・メールを2000枚印刷し、都内の工務店や設計事務所に送ったのだ。

 つまり「電話一本で地鎮祭を請け負います」というわけである。まだFAXも普及していなかった時代である。すると、次々に地鎮祭の依頼が舞い込みはじめた。料金はその当時で35000円ほどだったが、これが大当たりし、「地鎮祭ビジネス」の魁となったのだ。


 ところが、
2年もたたないうちに、奈良氏はその看板をたたんでしまう。

 なぜか。

 あるとき奈良氏は、学生時代に所属していた空手部の後輩でもあった神職に、酒の席ではあったが、「先輩、お日供(にっく)をやらなくて、神職といえるんでしょうか?」と言われたのだという。

「お日供」とは、毎日神前のお水を取り替えて拝礼することで、神職にとっては神事の基本ともいえる。それをやらず、ただコスプレ的に装束を着て地鎮祭という神事をやっている奈良氏のことを、その後輩は暗にたしなめたわけである。

 奈良氏はこの後輩の冷や水のような言葉に目を覚まされて、「神様を商売に利用してはいけない」と地鎮祭ビジネスからはすっぱり足を洗ったのだった。

 ところがその後、他にいくつも地鎮祭業者があらわれ、また神社本庁傘下の神社に地鎮祭をビジネスとしてやりだすところがあらわれたため、過当競争になっていったという。


 さて、「地鎮祭ビジネス」の現況はどうだろうか。筆者は以前、別の神職からも地鎮祭について聞いたことがあったが、そのときの話では、「地鎮祭の依頼は年々減り続けている。家を新築する人のうち、地鎮祭をやるのは
3割ぐらいじゃないかな」ということであった。地鎮祭の本義は「土地の神を祀る」ということにある。産土(うぶすな)神や地主(じぬし)神に対する意識がなければ、家主の目には、地鎮祭は金のかかる無意味なセレモニーとしか映らないのだろう。

 

◆独自に神職を養成し、神職の質の向上をめざす


 奈良氏が設立したにっぽん文明研究所の活動の中で、神社界とのかかわりの点でとくに注目したいのは、神職養成講座を開講し、神社本庁とは一線を画すかたちで独自の方式で神職を養成してきたことだ。

 ここで付言しておくと、戦後の日本では、「神職」という職業に公的な資格制度は存在しない。「神社本庁」というと国家官庁のひとつのように聞こえるので、神社本庁(もしくは神社本庁から神職養成を委託されている國學院大学や皇学館大学)が認証している神職資格を国家資格のように勘違いしている人もいるかもしれないが、神社本庁は民間の一宗教法人にすぎない。本連載の第3回でも触れたが、宗教法人法には神職を含めた宗教的教師の資格について定める箇所はなく、宗教的教師の教育や資格については民間団体が任意に制度を定めて行っているのが現状である。このことは仏教やキリスト教系の教団にしても同じである。


 もちろん、神社本庁傘下の神社に神職として奉職する場合は、神社本庁が出している資格を有している必要があるが、非神社本庁系の神社に奉職する場合はそのかぎりではない。実際、にっぽん文明研究所の神職養成講座の修了者は、単立系神社や非神社本庁系の神道系教団などに奉職する人が多い。ただし、「業界最大手」である神社本庁の神職資格が神社界でいちばん幅が利くのは事実であろう。


 さて、にっぽん文明研究所の神職養成講座の中身だが、奈良氏は神職の基本として作法・祝詞・装束の
3つをとくに重視している。なかでも特色があるのが作法の指導で、小笠原流弓馬術の6作法を応用している。奈良氏によれば、立つ・座る・持つ・歩く・回転する・おじぎをする、というこの6つをベースにした神道作法をしっかり覚えれば、神職として品位ある作法ができるようになるという。こうした取り組みは神社界でも評判となったようで、「にっぽん文明研究所の神職養成講座出身の神職は、神社本庁や伊勢神宮の作法よりもいいと言われています」と奈良氏も自負する。


 もっとも、素人からみると、「作法」をとやかく言うのは、「かたち」ばかりを重んじて精神的な面をないがしろにしているようにも思える。だが、奈良氏が神職養成で重視しているのはあくまで「精神と作法」であり、神明に対する心はおのずと作法にあらわれる、というのが基本的なスタンスだ。

 神職の質は、神社界の動向を左右する非常に大きな要素であり、神社界の土壌そのものであるともいえるだろう。したがって、既存のカリキュラム化した神職資格制度の向こうを張って、神職の質の向上を真剣にめざす奈良氏の試みは、神社界変革の呼び水となってゆく可能性を多く秘めている。

 なお、現在、にっぽん文明研究所の神職養成講座はいったん終了しているが、今後新たに立ち上げる神道神祇本庁のもとでかたちをかえて再開する予定だという。

 

◆ビジネスライクに無人神社の活性化を


 このようにして神社の活性化に取り組んでいる奈良氏だが、本連載でもしばしば取り上げてきた、神職が常駐していない小規模神社、いわゆる兼務社の問題についてはこんな提言をする。

「たとえば、無人の神社(神職が常駐していない神社)に、本務神社の了解を得て、私のところで養成した神職がお手伝いというかたちで奉仕する。ただし、本務社の宮司が『兼務社をよそに取られてしまうのでは』と危惧することがないように、たとえば、契約期間を1年間と設定し、ビジネスライクに事細かに条件を定めた契約書をその奉仕者と交わす。そういう方法もあると思います」


 無人化した神社をただ野放しにしておくのではなく、意欲のある人に一時的に預けるというのはたしかにひとつのアイデアではあろう。

 だが、そうした奉仕者は給与をどこからもらうのだろうか。無料奉仕ということになるのだろうか。

「私たちのところには年金をもらいながら神明奉仕を希望する受講生が何人もいます。最初は無給になるかもしれませんが、重要なのはそこからです。神社には境内地がある。たとえば、一坪農園の貸し出し、定期的に行う不要品のバザー、太陽光パネルを設置して氏子の家に送る、足湯の施設をつくって人を集めるなど、神職の才覚で自前で収入をあげられるようになる方法はいろいろ考えられる。そうしているうちに、『じゃあ、お祓いをしてください』ということになるかもしれない。ねらいはそこなのです」


 ちなみに、昭和のなかばぐらいまでは神職が常駐していない神社に神職の資格のない篤志者あるいは学生が宮番・宮守(みやもり)として奉仕するというケースがよくあった、という話をある年配の神社関係者から筆者は聞いたことがある。そうした宮守は基本的には無料奉仕になるが、社務所に住み込みとなるので、家賃や水道光熱費は本務社や氏子の負担となり、本人はタダで済むということになったらしい。今でも似たようなケースがなくはないようだ。そうした「宮守」に神職の資格を付与するということも神社再生の一案になりえるはずで、実際、神社本庁でも過疎地域神社活性化の方策のひとつとして検討されることはあるようだが、前向きな話は聞こえてこない。


 また、「無人の神社」とは単純に比較できないが、こんな例もある。埼玉県秩父の山奥にある三峯(みつみね)神社では毎月
1日限定で「白い氣守(きまもり)」を頒布してきたが、近年これが大評判となり、奥深い山中にもかかわらず頒布日となると早朝から行列ができるほどになった。ただし、あまりに人が殺到し、道路が大渋滞となって近隣に迷惑がかかってしまうということで、残念ながら今年(平成30年)6月からは、「白い氣守」の頒布の一時休止を神社側が決断せざるを得ない事態になっている。一時休止の顚末はともかくとして、こうした事例も、神社再生のひとつのヒントにはなろう。

 

◆神社が秘めるポテンシャル


 この他にも奈良氏は神葬祭の推進や神宮大麻の非神社本庁系神社・教団への頒布、地鎮祭に代わる神事としての「引っ越し時のお祓い」、ホテルや諸団体とタイアップした神道式の生前葬、企業神社の新設など、さまざまなアイデアを神社界活性化の方策として提言している。そしてまた、明治の神仏分離令以降の神社は、それまで行われていた修験道・陰陽道系の祈禱や呪術的な修法を排除して「祈願」一辺倒になってしまったとみていて、神道が本来もっていたはずの呪術的な部分を見つめなおすことの重要性も奈良氏は訴えている。


「神社が今までやってきたことをそのままやっていたのでは、自滅してゆく。神社界が新たにつくったお祭りは、結局、結婚式だけ。それ以外はなにもないのか。日本のお祭りは季節の中から生まれています。七夕や重陽の節句をモチーフに、新たなお祭りを創出することもできるはず。神社というのは、まだまだ活性化する余地がいっぱいあると思います」

 また、奈良氏が郵政事業の関係者から聞いたところによると、日本には、郵便番号と神社名だけで郵便物が配達される神社が157000社あるという。もしそれが事実だとすれば、法人格をもつ神社は現在約81000社(『平成29年版 宗教年鑑』)なので、単純に計算すると、それ以外にも、法人格はないかもしれないが、およそ76000もの神社が実体をもって存在することになる。


 そうした神社のなかには、街角に佇む小さなお稲荷さんもあれば、新宗教系教団の神社含まれているのかもしれないが、全国の神社の実数が、よく一般にいわれる「約
8万社」をかなり上回っている可能性はあるとみるべきだろう。

 そして、神道神祇本庁のような新たな神社の包括団体が立ち上がることによって、追々、全国各地の数多の神社がさまざまな垣根を乗り越えて大同団結するような展開が生じれば、それは神社界に大きな変革のうねりをもたらすことになるだろう。

「中小の神社がなくなっても、世間ではだれも気にしない。これからは大きな神社だけが残ればいいのでは……」

 昨今の神社界ではそんな悲観的な声もささやかれているようではあるが、神社はまだまだポテンシャルを秘めていると思いたい。

 

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