早くも討幕

 今回は「長州征伐」を終え、西郷が約一年ぶりに鹿児島に帰国する慶応元年(1865)1月から2月にかけての物語。「花燃ゆ」の時、さんざん言ったが、「西郷どん」もまた、季節感が全くと言っていい程無いドラマで、いつも夏のようである。

 藩主側役になった西郷は、藩主島津茂久から労いの言葉をかけられる。国父の島津久光も苦々しい思いを噛み締めながら「大義であった」と言う。

 西郷は「次の一手」を見据えている。それは幕府を潰すことだと、河原で大久保一蔵に打ち明ける。しかし、大久保には理解してもらえず「おいは、ついてゆけん」と言われてしまう。

 この帰省中に西郷が「討幕」を考えたのかは、分からない。人の心の中のことだからである。感情に任せて、いつか潰してやるぞ!とは思ったかも知れない。しかし、それは具体的な政策ではない。リアルな「討幕」のために動き始めるのは、慶応3年(1867)中盤から後半にかけてのことである。

 

結婚と討幕

 ドラマの西郷が史実よりもずいぶんと早く討幕を具体的な政策として決意せねばならなかったのは、イトとの結婚と深く関係する。

 確かに帰省中の1月28日、西郷は薩摩藩士岩山八郎太の次女イトと結婚した。イトは西郷よりも16歳年少で、幼なじみというのはフィクション。イトは以前、同藩士の海老原家に嫁いだことがあり、再婚だったというが、異説もあるようだ。

 ドラマでは竹馬の友である大久保も理解出来なかった西郷の討幕の「志」を、イトが理解してくれたことが、結婚の大きな決め手になる。西郷は「民のための国」をつくるのだと言い、それをイトも「見たい」と言う。イトは西郷の「志」を理解した、最初の人という位置付けである。

 つまりこのドラマの軸足は、「討幕」という政治的問題よりも、イトとの関係の方にあるのだ。軸足の方に、強引に史実をねじ曲げて、ひき寄せるという感じである。

 それが悪いとは言わない。しかし、「史実」というやつは、相当な覚悟をもってねじ曲げて寄せないと、あるいは軸足がよほどしっかりしたテーマを持ってないと、ドラマとして破綻することは、「花燃ゆ」の例(これは、あまりにも呆気なく破綻していたが)を見ても分かる。

 

「民」のための討幕

 とにかく以後、史実では西郷が関係した政治劇の部分は、ドロドロして、腹の探り合いのような事ばかりが続く。

 ドラマでは西郷家に嫁希望者の若い女が殺到して、面接が行われるといった馬鹿馬鹿しくも面白いフィクションを描いたり、AKB48の「ゆきりん」こと柏木由紀(鹿児島出身。西郷吉次郎の妻役)を出演させたりと、何かと華やかさを添えようと、苦心しておられる様子はうかがえる。ただ、本筋だけはしっかり貫いてもらいたい。 

 このままゆくと、「民」のためというお題目付きの薩長同盟、王政復古、戊辰戦争、征韓論、西南戦争……となりそうだ。

 思い出してみたら、このドラマの西郷は若いころ、郡方(こおりがた)に出仕し、百姓たちと接触した時から「民が、民が」と言っている。そのために西郷が最初に打った策は、島津斉彬を薩摩藩主に据えることだった。

 藩主になった斉彬は、集成館という洋式軍事工場を築くが、それが「民」のためだと言っていた。しかし斉彬が、もっと地に足を着け、薩摩の民の暮らしをどう変えた、あるいは変えようとしたのかは、ちゃんと描いていなかった(印象に残るのは相撲大会)。そして、間もなく亡くなった。

 奄美大島に流された時、斉彬の政治が民を苦しめていたと知った西郷が、衝撃を受ける場面は核心を衝いており面白かった。だからと言ってその反省が、西郷をどのように変えたのかは描かれていない。そして、今回は「民」のために討幕を行うと言い始めた。

 奇しくも「明治150年」の今年は、なにかと政治不信が強まっている。このドラマは「明治維新」は「民」のためだったと、押し付けがましく歌い上げようとしている感じだが、一体何が目的なのだろうか。

<了>

 

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