パークスとの会談


 今回は慶応2年(1866)1月23日夜、坂本龍馬が伏見寺田屋で伏見奉行所の捕吏に襲撃された事件から始まる。西郷は龍馬とその妻お龍(おりょう)を連れて鹿児島に帰国し、イギリス公使パークスと会談した。この間、第二次長州征討が行われたが、薩摩藩は出兵を拒否。そして同年10月、西郷は鹿児島を発ち、上京する。


 パークスとの会談は薩摩とイギリスの接近という、日本外交史上でも重要な意味を持つ一場面だろう。ただし、パークスが西郷に心を開いてゆく過程が、ちょっとお粗末すぎた気がする。
 ドラマのパークスは島津久光らの連日の饗応にうんざりして、怒って帰ろうとする。そこへ西郷が船に乗り込み、パークスに会って「薩摩が天子様のもとにこの国をまとめてみせる」との決意を披瀝し、「民をないがしろにする」と、幕府を非難した。するとパークスは、たちまち西郷を信頼するようになるというもの。


 相手が西郷に理屈抜きでほれ込んで話が進むという、このドラマの毎度おなじみのパターンである。イギリスの凄腕の外交官をたちまち味方にしてしまうのだから、「西郷どん」には神がかった魅力がなければならない。しかし、これまで32回を使って西郷の人物像がしっかり描けていないから、ろくな話し合いもないまま、パークスが西郷に心服してしまうのが不思議な感じである。


 史実では西郷がまずパークスと話したのは、兵庫開港問題だった。西郷は幕府が西洋列強との間に結んだ貿易の条約は不正だと言うと、パークスは内輪の問題など関心が無いと突っぱねる。それでも西郷は、幕府から外交権を朝廷が奪うことの利点を粘り強く説いた。こうしてパークスの心は、じょじょに幕府から離れ、薩摩へと傾いてゆく。


 これは、幕末外交史の大変重要な場面である。外交の話だから、お互いの腹を探り合ったり、丁々発止の言い合いがあったり、双方が利害を理屈っぽく突き詰めたりという交渉過程は描く気がないようだ。

 

龍馬とお龍


 今回のスペシャルゲストとも言うべきは、龍馬とお龍の夫妻である。龍馬が第二次長州征討最中の下関へ向かったのは史実だが、お龍が追いかけたというのはフィクション。戦場で夫婦揃って派手に暴れるシーンがあるのかと思いきや、少なくとも今回は描かれなかった。


 ドラマでも描かれていたが、龍馬とお龍は確かにぶっ飛んだ夫婦だったようだ。お龍は維新後、回顧談を残している(拙著『わが夫 坂本龍馬』朝日新書)。その中から、いくつか逸話を紹介しておこう。


 龍馬とお龍が夜の伏見を歩いていると、新撰組に遭遇した。ところが龍馬はさっさとお龍を残して逃げてしまう。お龍は新撰組にあれこれと尋問されたが、なんとか言い逃れた。隠れていた龍馬はお龍と再会し、「あいつらに引っかかると、どうせ刀を抜かねば済まぬから、それが面倒で隠れたのだ。お前もこれくらいの事はふだんから心得ているだろう」と言ったという。女性を置き去りにして、とっとと逃げる龍馬は微笑ましい。


 あるいは、西郷とともに薩摩藩軍艦で鹿児島に向かうさいのこと。退屈になった夫婦とその仲間は、夜の玄界灘に徳利を投げ込んでマトにして、ピストルで撃つという危ない遊戯を始めた。船頭は「やめて下さい」と懇願するが、聞く耳もたず。西郷は囃し立てたという。

 極め付けは高千穂に登り、「天の逆鉾」を抜いたという逸話だろう。ドラマ本編では描かれなかったが、最後の紀行のコーナーでは紹介されていた。逆鉾につき、お龍は、「ひと息に抜いて倒したままで帰りました」と回顧する。

さすがに、倒したままをドラマにするのはまずいと思ったのか、8年前の大河「龍馬伝」では、抜いた逆鉾をちゃんと元の状態に戻すところまで描かれていたと記憶する。今回の紀行も、逆鉾の映像に「現在、触れることは出来ません」というテロップが入っていた。


 悲しいかな、この国には自分がヒーローの「龍馬」であると信じて疑わない、エエ年をした大人たちが存在する。何かお気に召さないことがあったようで、僕もかつて「斬ったるぜよ」と、暗殺予告をいただいたことがある。

殺人はともかく、抵抗しない逆鉾相手なら抜き捨てる真似をしかねない。こんなテロップが必要なのも、分かる気がする。

<了>

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