諸侯会議は描かれず

 今回は坂本龍馬が京都で暗殺される慶応3年(1867)11月から翌12月末までの話。
 前回書いたが、史実では大政奉還後、10万石以上の大名を京都に集めて諸侯会議を開き、投票(入り札)でトップを決めて新政権をスタートさせるはずだった。だが、投票が行われたら、トップには前将軍の徳川慶喜が選出される可能性が高い。


 坂本龍馬が有名な「新政府綱領八策」と呼ばれる文書を書き上げたのも、この時である。人材登用、外国との交際、律令の制定、上下議院、海陸軍や親兵、為替レートの設定など8カ条に分け、これから誕生する新政権の構想を示す(創作された可能性が高い「船中八策」とは違う)。そして、トップの名を「〇〇〇」と伏せ字にし、「諸侯会盟の日を待って云々」と述べる。

 だが、西郷らは慶喜を何としても政局から排除したい。だから投票が行われる諸侯会議の開催を阻止して、王政復古の大号令という「政変」で強引に新政権を誕生させた。これが、明治政府のはじまりである。

 その間のスリリングな駆け引きは、井上勲『王政復古』(中公新書)などに詳しい。一連の経緯が「西郷どん」ではドラマチックに描かれるのかと思いきや、諸侯会議の話は一切出て来なかった。

 「広く会議を興し、万機公論に決すべし」(『五箇条の誓文』の第一条)をスローガンにした明治維新が、実は万機公論の会議潰しから始まっているという矛盾。その立役者のひとりが、「明治150年」の大河の主人公なのは、とっくに明らかになっている史実である。そろそろこのあたりを、しっかり描き込んだドラマが登場しても良い頃だとは思うのだが。

 

西郷の変節

 「禁門の変」や「長州征討」のさいは、あれほど現代的な平和主義者だったドラマの西郷が、突然「戦の鬼」になっている。

 徳川慶喜は政権を返上した。にもかかわらず、ドラマの西郷は平和裡に解決する気はない。ひたすら「武をもって徳川をたたき潰す」と言い張る。今度は遮二無二、戦争を引き起こすことが、民のためだと言う。民にすれば、大きなお世話であろう。己の願望を満たすため、「市民のみんなが……」などと言い、民意を背負っているかのように主張するのは、しょうもない政治家の常套手段である。

 この西郷、どうやら前回描かれていた、慶喜が薩摩をフランスに切り売りしようとしたという話が、よほど気に食わないらしい。だから江戸に浪士を送り込んで撹乱させ、旧幕府を挑発して、ついには戦争に持ち込もうとする。ドラマとはいえ、相当無理がある変節ぶりのような気がした。

 国を売ろうとした幕府と、それを阻止した薩摩の西郷という単純明快な図式は、かつて薩長閥が構築した明治維新ストーリーそのものである。

 

慶喜の変節

 変節と言えば、敵対する慶喜もよく分からない。

 かつてドラマの西郷は主君島津斉彬から命じられ、慶喜を将軍にするため、エピソード集の写本を作ったり、ボディーガードを務めて人まで殺した。しかし、肝心の慶喜は将軍職に興味は無く、江戸の妓楼に入りびたり。それでも西郷は、日本を救えるのは慶喜しかいないと言っていたと記憶する。

 それが文久2年(1862)に幕閣に復帰するや、突然、島津久光にケンカを売って、性格の悪さをアピールしていた。この時からドラマの慶喜は救世主から一転し、倒されて当然の「敵」として、視聴者の前に再登場した。ふと気になったのだが、なぜ、慶喜は変わってしまったのだろう。

 史実では王政復古の後、鳥羽・伏見の戦いに勝利した西郷ら新政府軍は、慶喜の恭順を認め、江戸城を無血開城させる。徳川家も駿府(静岡)で、70万石の大名として存続が認められた。

 民思いの西郷だったら、ここで戦争を終わらせるはずだ。にもかかわらず史実では、戦火は東北に拡大し、ますます凄惨な殺戮が繰り広げられてゆく。「西郷どん」では、これも民のためだと言うのだろうか。あるいは、こんな時だけ西郷の真意ではなかったことにするのだろうか。今後に注目である。

 ドラマでは、西郷のことが理解出来なくなった龍馬は、

「乗る船が違うようじゃ」

 と呟いて去り、間もなく暗殺されてしまった。主人公の西郷よりも、この龍馬のひと言に、感情移入してしまいそうな回である。

<了>

 

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