西郷吉二郎の死

 今回は明治元年(1868)5月の彰義隊戦争から北越戦争などを経て、11月の西郷帰郷までが描かれる。

 もっともドラマでの戊辰戦争は、単なる東北諸藩の「反乱」として片付けられ、それ以上踏み込む気も無いようだ。徳川慶喜の時とは異なり、平和主義者である西郷が憎む「敵」の「顔」はまったくと言っていいほど見えない。この西郷は、何を相手に戦っているのか、よく分からない。作り手の歴史観もさっぱり見えず、ただ、「戊辰戦争」という年表上の出来事を消化してゆくような感じ。

 そんな中、西郷の弟吉二郎の死だけは、劇的に描こうとしていた。


 二十数年前、新潟県上越市金谷山の「官軍墓地」に初めて詣でて調査したさいのこと。数十人の長州兵戦死者はひとり一基ずつ角材型の墓があったが、薩摩兵戦死者は「戊辰 薩摩藩戦死者墓」という巨大な墓にまとめられていた。その台座部分にはめ込まれたプレートに書かれた、たくさんの戦死者名の中に西郷吉二郎の名があった。確かに、西郷の弟として特別扱いはされていなかったことなど思い出す。


 吉二郎に関する史料は乏しいようだ。はじめ薩摩軍の府下小銃八番隊の監軍として5月10日、京都を発ち、越後柏崎に在陣中の7月12日、番兵二番隊の監軍に転じた。敦賀からイギリス蒸気船に乗って越後今町まで行き、北越各地を転戦してついに長岡城を落とす。

 しかし戦闘中、負傷した吉二郎は8月14日、高田病院で他界。34歳。遺体は現地に埋葬された。遺髪は鹿児島に送られ、9月29日到着したと記録にある(横山健堂『大西郷兄弟』)。


 ドラマでは江戸開城後、しばらく鹿児島に帰った西郷は、家庭を守ってくれる吉二郎に感謝する。姉の琴子から「鋤か、鍬か、袴か」と、欲しい物(なんというラインナップだろうか)を問われた吉二郎は、武士らしく戦争に行きたいと西郷に願い出た。それを西郷も許して、従軍が決まる(なぜ、吉二郎は従軍していなかったのかは、わからなかった)。


 この部分はフィクションが多い。西郷が京都や江戸などで活躍中、吉二郎は鹿児島で家族の世話を焼いていたわけではないだろう。西郷が1月10日、西郷家居候の川口雪蓬(量次郎)にあてた手紙では、鳥羽・伏見の戦況を報じ、次弟信吾(従道)や大山弥助(厳)の負傷に触れた後、「吉二郎には病気にて引き入り居り気の毒の事にござ候」と述べている。西郷と行動は共にしていたが、病気にかかり、戦場に出られなかったらしい。


 ドラマの吉二郎が戦争行きを志願するエピソードは必然性を感じなかったし、感動も無い。かえって、きな臭いものしか感じられなかった。

 

『俺物語!!』と『西郷どん』

 本批評では俳優や視聴率の話題は故意に避けているつもりだが、今回は河合勇人監督『俺物語!!』という、3年ほど前の映画に少し触れておく。原作は少女マンガ。いかつい風貌ながら、お人よし、力持ちの男子高校生の不器用なラブストーリーである。


 主役の剛田猛男を演じるのは、『西郷どん』の鈴木亮平。というより、ほとんど西郷どんと同じキャラクターである。

 『俺物語!!』は、ばかばかしくて面白いが、人間描写も薄っぺらで、あまり中身の無い映画だと思う。ただ、変な歴史やイデオロギーのスパイスが振りかけられていない分、『西郷どん』よりもストレス無く観れる。


 橋の上で女の子(永野芽郁)と愛を語る、『西郷どん』ばりのシーンもある(真似たとすれば『西郷どん』の方だろうが)。猛男の幼なじみで親友の砂川誠(坂口健太郎)が、大久保利通に見えて仕方ない。今回の『西郷どん』にあった西郷・大久保の別れのような雰囲気の場面も確かあった。


 あるいは失礼かも知れないが、作り手が目指したのは『俺物語!!』の明治維新版ではなかったか。これを時代劇にすれば一丁あがりになるとでも、安易に思ったのではないだろうか。

 どうも、そんな疑惑が沸いて来て仕方ない今日この頃である。興味を持たれた方は、一度ご覧あれ。

<了>

洋泉社歴史総合サイト


歴史REALWEBはこちらから!

yosensha_banner_20130607