原作との違い

 今回はいきなり時間が飛んで、明治37年(1904)の京都市役所から始まる。京都市長となった西郷の息子菊次郎が初登庁して、部下から請われるまま父の思い出を語り始める。

 これから最終回までは、菊次郎の回想という形で物語を進めるつもりかも知れない。実は林真理子の原作は、冒頭からこの手法をとっている。

 しかし菊次郎の回想とするなら、西郷の青年期からスタートさせるのは無理がある。だからであろうか。ドラマでは9歳の菊次郎が奄美大島から鹿児島に引き取られ、西郷と共に暮らし始めた明治2年(1869)からの回想とする。


 そして今回は戊辰戦争後、鹿児島に帰っていた西郷が、中央政府からの要請により明治4年(1872)に上京を決意するところまでが、描かれる。

 この間、武士の特権が失われることに対する、不満が高まってゆく。島津久光は版籍奉還をみずから行ったものの、西郷に不満をもらす。あるいは焦燥する武士の横山安武に対し、西郷は「いずれ侍の世は終わる」と言う。横山は上京して、集議院門前で抗議の自殺をする。


 これらのエピソードが伏線となり、西南の役に流れてゆくはずである。だが、ドラマの西郷の言動からすると、ちょっと首を傾げたくなる節も、無きにしもあらず。

 

心が描けないドラマ

 西郷は愛加那との間にもうけた菊次郎と菊草を、奄美大島から引き取って鹿児島で育てる。引き取りに行くのは、妻の糸子と家僕の熊吉。再び奄美大島ロケが見れるのかと期待したが、ただのスタジオセットだった。

 史実では菊次郎が先に来て、明治9年(1876)になり菊草が来る。


 ドラマとしてもう少しちゃんと見せて欲しかったのは、たとえば子供と引き離される愛加那と、自分が産んでいない子供を引き取ることになった糸子の複雑な思い。ドラマでは糸子と愛加那はお互い感謝の言葉を述べ、お互いほめ合っておしまい。


 このあたりの心の機微を描くのが作家の腕の見せどころだと思うが、あまりにも西郷に都合良すぎる、物分かりのよい台詞と展開で、いささか気持ち悪くなって来る。

 別にヒステリックになった、二人の女性の争いが見たいわけではない。鹿児島に送り出すことが、息子の将来のためだと理解出来たとしても、愛加那の母親として心の葛藤はあったはずだ。


 私事にわたるが、僕が三十余年前、大学進学で関西から上京する日の朝のことなど思い出す。母は自分の寝室から出て来ず、玄関で見送ってはくれなかった。その時は、大して気にもならなかった。あるいは早朝だったから、体調がすぐれず、寝ているのかとも思っていた。

 すでに母は亡くなったから、いまとなってはその理由を尋ねることは出来ない。僕は母が亡くなる直前まで尋ねたいと思っていたが、なぜか言い出せなかった。尋ねなかったのが良かったのか悪かったのかも、分からない。しかし僕は多分死ぬまで複雑な思いが、心の中に残るような気がする。


 別に僕に限ったわけではない。視聴者の心の中にある、さまざまな個人的な体験や思いとシンクロするのが、ドラマの基本のはずだ(やたらとシンクロばかりさせようとするドラマは、下らないお涙頂戴物になってしまう)。

 失礼を承知で言わせていただくと、このドラマの台詞も演出も、個人の思い、人間的な心を表現するのが下手だ。本来ならば黙って耐える姿を描くことで、その思いを表現するような場面でも、妙に多弁で説明的になったりする。


 菊次郎を迎える、鹿児島の西郷家の人々も皆パーフェクトなくらい善人である。菊次郎も自分が「嫡男」ではないと理解しており、食事のさいも5歳の異母弟である寅太郎に率先して上座を譲る「良い子」である。ここでも菊次郎の心の葛藤や悲しみが、丁寧に描けているとは思えない。


 菊次郎が背負っているのは、強烈な「差別」である。

 島妻である愛加那は明治になり、鹿児島でもどこでも自由に住めるようになった。しかし、明治35年(1902)に亡くなるまで奄美大島から出ることはなかった。その理由のひとつは、島の者に対する根強い「差別」が存在したからだ。

 

子供までが「民のため」

 そして、ドラマでは西郷に上京を決断させたのが「東京に行ってくれ」という菊次郎のひと言である。

「自分のためより民が大事、そうでごわしたな父上」

 菊次郎の台詞に、観ているこちらは悪寒が走る。つづいて菊次郎は、自分も民のために働きたいなどと言い出す。


 その言葉自体が、自分は民ではないという強い武士意識の表れであり、いわゆる「愚民論」なのだ。西郷というエリート武士の家で2年も育てられると、少年でもこのような特権意識を抱くに至ったというのはある意味、リアリティがある。


 だが作り手の狙いは、そこに無いことは明々白々。「明治維新」という政権交代を、国のため、民のためと、一方的に美化したいだけである。

 ドラマの西郷は奄美大島に流され、民のためと思って行った政治が、実際は民を苦しめていたと知った。何度も言うが、あの視点は秀逸だったと思う。だが、以後まったく生きていない。

 このままでは「不平士族の反乱」ではない、「民のため」の西南の役が勃発しそうな気配である。

<了>

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