大久保利通が主役

 今回は明治4年(1871)1月の西郷の上京あたりから、同年7月の廃藩置県実施までが描かれる。

 ドラマでは、財政上の理由から廃藩置県の早急な実現を唱えるのは、西郷の盟友である大久保利通である。史実でも、明治3年9月から大納言岩倉具視や右大臣三條実美に廃藩を説き、さらに鹿児島から西郷を引っ張り出すなど、下準備を進めた。


 ドラマの大久保は時期尚早と廃藩に反対する長州の木戸孝允を、土佐・肥前(佐賀)勢力への対抗意識を煽って味方に引き入れ、西郷に親兵をつくらせて反乱に備える。そして、薩摩が陣頭に立ち、日本を一等国にするため、西洋を真似るのだと西郷に宣言した。


 一連の経緯は、史実とは異なる部分も多い。西郷は4月の段階で、廃藩の意志は無いと島津久光に伝えている。ドラマでは勢いが良い佐賀藩出身者(江藤新平ら)だが、史実ではこの時期、まだ薩長土の三藩出身者よりも遅れている。東京に集められた親兵も、薩長土からだった。

 あるいは史実では政府の首班も、薩長土の中から一人選ぶのだと、西郷は桂久武あての書簡で述べている。結局、明治4年6月、西郷・木戸がツートップの「参議」となり、他の参議は「卿」に格下げとなる。ちなみに参議だった大久保は、大蔵卿となった。


 貧乏長屋に住み、閣議に持参した握り飯を頬ばるドラマの西郷の暮らしも、質実剛健といった「分かりやすさ」を重視した結果だろうが、あまりにもデフォルメが過ぎて、学習漫画のようでちょっと苦笑させられる。

 

山県有朋の活躍


 ドラマには登場しなかったが、廃藩置県のキーマンのひとりに、長州出身の兵部少輔山県有朋がいる。以下、山県側の伝記などから見てゆこう。


 明治4年6月30日、鳥尾小弥太や野村靖ら長州出身の官僚が山県を訪ね、廃藩を説く。これで意を決めた山県は、7月6日、西郷を訪ねて、廃藩実行を説く。

 同日、鳥尾は長州出身の民部少輔井上馨を説き、井上は木戸と話し合う。早くから廃藩を考えていた木戸は、もちろん賛成。

 山県に説得された西郷は、大久保を訪ねて廃藩の決意を述べる。


 7月8日、西郷・木戸の参議ツートップが会談して、廃藩の決意を合意し、その後調整や手続きを経て14日には早くも詔が出る。

 廃藩には異を唱えると見られていた西郷が説得に応じたのは、山県をそれだけ高く評価していたからだ。大体、西郷は長州人とはウマが合わなかったにも、かかわらずである。


 慶応3年(1867)後半、情勢探索のため京都の薩摩藩邸に潜伏していた山県は、西郷らと話し合い、挙兵討幕を約束したことがあった。薩摩藩でも、久光などが挙兵討幕に反対だった頃だ。

 だから当初、長州藩も動こうとしなかった。それでも山県は命がけで、西郷との約束を守ろうとする。部下の奇兵隊を率いて脱藩し、西郷の挙兵計画に合流するつもりだった。


 結局薩摩藩も長州藩も、挙兵討幕の方向に進むのだが、以後、約束を死守しようとした山県に対する西郷の信頼は厚くなる。現代ではクリーンな西郷とブラックな山県という、両極端のイメージが出来ているようだ。しかし、その信頼関係が、廃藩置県を急ピッチで進めさせたというのが面白い。


 ずっと以前、山県家の史料を拝見させて頂いた時のこと。山県あての西郷・高杉晋作書簡を各2、3通ずつを収め、一巻の巻子としたものがあったと記憶する。同じ長州の高杉と山県の関係の深さは、あらためて述べるまでもない。これらの手紙を一巻にまとめたところに、山県の二人に対する特別な思いを見た気がした。

<了>

洋泉社歴史総合サイト


歴史REALWEBはこちらから!

yosensha_banner_20130607