ドラマ化が難しい西郷

 今回は、西郷の長男菊次郎が従兄の市来宗介とともにアメリカ留学に旅立つ明治5年(1872)2月あたりから始まり、欧米を巡回した大久保利通、岩倉具視の帰国を経、西郷の朝鮮派遣をめぐり閣議が紛糾する同6年10月あたりまでが描かれる。


 西郷の生涯を、ドラマ化するのは難しい。戦前は西南の役という「叛乱」を美化しかねないとして、政府からの圧力により、西郷を主人公にした映画がお蔵入りになりかけたことがあった(拙著『幕末時代劇、「主役」たちの真実』講談社+α新書)。そして現代ならば何よりも、「征韓論」の問題である。


 昭和38年(1963)にスタートしたNHK大河ドラマも、人気、知名度が高い西郷を主人公にはなかなか据えなかった。僕が学生のころ、征韓論問題に係わる西郷と南北朝問題に係わる太平記は絶対大河ドラマ化するのは無理だとある人から聞いて、成程と思ったことがある。

 それだけに平成2年、西郷を主人公に据えた「翔ぶが如く」が大河になった時は、驚いた。しかも翌3年は「太平記」だったから、もっと驚いた。平成の初めは、まだ、そのようなタブーに挑戦しようとの意気込みがあったのだろう。


 そう言えば当時、「翔ぶが如く」の「征韓論」をめぐり閣議が白熱するシーンのスタジオ撮影を、見学させてもらったことがあった。俳優たちが口角泡を飛ばして、熱演していた。後日の放送を観ても、その緊張感がひしひしと伝わって来て感心した。もっとも、どのような解釈で「征韓論」を描いていたのか、いま思い出せない。しかし、なかなか切り込んで描いていたような気がする。

 

〝事なかれ主義〟のドラマ


 さて、それから28年後の「西郷どん」はこの「征韓論」をどう描くのか(もっとも「征韓論」の名称は出て来ない)。注目していた方も多いだろう。


 ドラマでは朝鮮国が日本の西洋化などを嫌い、新しい政権とは国交を結ぼうとしないことに、政府の首脳たちが苛立っている。武力で解決するとの強行論も出て来る。このままでは日本人居留民2000人の命が危ないとなった時、西郷が朝鮮へ使節を派遣すべきだと言い出す。それは危険だと、太政大臣の三條実美などが後込みする中、自分が使節となって朝鮮へ赴くと、西郷は言う。


 しかし、ここに汚職などにより政権の座から追われてしまった長州人たちの陰謀が張り巡らされる。木戸孝允・井上馨・山県有朋・伊藤博文は右大臣の岩倉を、自分たちの陣営に引き入れることに成功。さらに岩倉は天皇の許可を得、大久保利通を参議として閣議に参加させ、西郷の朝鮮派遣を阻止しようとする。


 長州人を絡ませてしまったから、ちょっと話がややこしくなってしまった感じだ。ドラマとしてどのように収拾するのか、次回以降に注目しておこう。

 じっさい、西郷は戦争勃発を期待していたのか、平和的解決を考えていたのか、あるいは士族の不満のはけ口を作ろうとしたのかなど、この「征韓論争」には、さまざまな説や解釈があるのは、周知のとおり。場合によっては西郷は、侵略戦争の先きがけと評されてしまう。


 それだけデリケートな問題なのだが、ドラマはひたすら無難に描こうとしている姿勢が、ひしひしと伝わって来る。朝鮮の言い分にも、西郷の真意にも深入りしない。「なんか誤解が生じたみたいだから、ちょっくら話し合って来ますわ」といった感じである。作り手側の事なかれ主義は、やはり「世相を映し出す大河」と言うべきだろう。

<了>


洋泉社歴史総合サイト


歴史REALWEBはこちらから!

yosensha_banner_20130607