西郷の辞表提出

 今回は大久保利通が参議となり、岩倉具視とともに西郷の即時朝鮮派遣に反対する明治6年(1873)10月14日の閣議から、朝鮮派遣が中止となった西郷が参議を辞し、大久保と別れを交わす同月末くらいまでが描かれる。


 ドラマの西郷は相変わらず、平和的解決を目指して朝鮮に交渉に行くつもりだ。だが、大久保は西郷の考えを、非現実的なものと見ている。


 欧米から帰国した大久保と西郷との間に、なぜ、決定的な亀裂が入ったのか、じっさい確たるところが分からない。大久保たちの留守中、西郷らが約束を破り、諸改革を進めたからだともいう(その怒りは当然と言えば当然なのだが)。


 ドラマの大久保もまた、岩倉に向かい現在の政府を潰したいとは言うものの、何やら虚ろな目をしており、そのあたりがはっきり分からない。そう言えば前回もドイツの影響を受け、独裁国家をつくりたいとの旨、西郷に話して反対されたりしていた。何やら人間不信に陥っているようにも見える。大久保役の演技がいささか過剰すぎるせいもあり、精神を病んでいるような雰囲気も、無きにしもあらずである。


 つづいて太政大臣の三條実美が錯乱して閣議を欠席し、岩倉が代理を引き受ける。そして10月23日、西郷の朝鮮派遣という閣議決定を岩倉は明治天皇に拝謁して、報告。さらに、みずからは反対である旨の意見書を上奏する。天皇は岩倉の上奏を容れて、翌24日、西郷の朝鮮派遣は延期となってしまう。

 これでは何のための閣議なのか、わからない。


 西郷は辞表を提出し、参議・近衛都督の辞職は認められる。ただし陸軍大将と正三位はそのままとなる。

 つづいて副島種臣・後藤象二郎・板垣退助・江藤新平の4参議が辞職する。

 

西郷・大久保の別れ


 よく、西郷は「征韓論争」に破れて、下野したと勘違いされている。しかし、自分の意見が通らなかったからと言って怒り、いちいち下野して帰国していたら、まるで駄々っ子だ。

 事情はもう少し複雑で、西郷は閣議では勝ったのである。西郷が憤慨したのは、岩倉が天皇との関係を利用して、閣議決定をひっくり返そうとしたからだ。


 「明治維新」とは、天皇が「権威」から「権力」に変わることだった。以前は西郷も、「権力」となった天皇を戴き、徳川慶喜を政権の座から排除し、旧幕府勢力をコテンパンに打ちのめした。今度は西郷が、「権力」である天皇の判断により、打ちのめされた。

 だが、このようなやかり方が、毎度通用するわけがない。だから天皇の権限を、法的に決めておく必要が生じて来る。そして自由民権運動が始まり、国会開設が求められ、憲法編纂が急務になってゆく。


 それから、ドラマでは西郷追い落としに長州人グループが暗躍しているような描き方をしていた。間違いではないと思うが、なんとなく物語の本筋から外れてしまっており、たとえばかれらと大久保との関係など、まったく描けてなかった。大久保と洋行中から信頼関係を深めた伊藤博文がキーマンのひとりなのだが、そのあたりも全然描かない。


 西郷が蹴落とされて、単純に喜ぶ伊藤・山県有朋・井上馨。しかし木戸孝允だけは複雑な思いを抱いており、帰国前の西郷を例の貧乏長屋に訪ね、別れを惜しんだというのはフィクション。


 つづいて大久保を訪ねて、別れをしたというのは史実にある。もっとも、ドラマのように大久保の子供と遊んだわけではない。

 西郷は「あとを頼む」と言ったが、大久保は冷たく突き放したという。西郷は怒って帰った旨、その場に同席していた伊藤博文が後年になり回顧している。


 西郷が鹿児島を目指し、横浜を出帆したのは28日のことだった。以後、西郷・大久保は二度と会うことはなかった。

<了>

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