すべて周囲が悪い


 今回は、西郷軍が鹿児島を発つ明治10年(1877)2月から始まる。ドラマの西郷はあくまで平和主義であり、政府に「尋問」に行くだけと言う。

「全国の士族たちの思い。その全てを政府に訴える」と、一万三千もの私学校生徒とともに鹿児島を発つ。現代で言うところの「デモ」として、作り手は描こうとする。


 その「デモ」が、なぜ「戦争」に発展するのかと言えば、内務卿の大久保利通が西郷潰しを企んでいるからだ。独裁者を気取る大久保は「おいが政府じゃ」と言ってはばからず、戦争に持ち込むために、天皇から西郷征討の詔を引き出す。

 だが、ドラマの西郷はそんなこととは露知らず、武装した一万数千人を引き連れて熊本までやって来る。ところが「意外」にも熊本鎮台が抵抗して来たので、ようやく「戦争」になると気づく。大久保に嵌められたと、悔しがる。


 失礼だが、この西郷はどうみてもアホにしか見えない。現代でも、武装した一万数千人が国会議事堂を取り囲めば、おそらく機動隊が出て来る。そこに至り、「なんでじゃ?」と、憤慨しているデモのリーダーのようなものである。


 なお、実際の西郷はここまでくると、「デモ」ではなく、「戦争」をやる気満々だった。このドラマ最大の難点は、すべて評価を強引に現代に引き寄せ、主人公の西郷を徹底した「善人」として描こうとするところである(このあたりは、3年前の『花燃ゆ』も非常に似ている)。今回も、すべて悪いのは大久保を中心とする政府であり、西郷の意に反して西南戦争が行われたことになっている。戊辰戦争の時も、西郷は江戸城を無血開城させ、平和裡に解決したつもりだったが、東北諸藩が勝手に反乱を起こし、戦火が拡大してしまったとの解釈だった。すべて、周囲が悪いのである。


 史実云々ではなく、ここまで一人の人間を空想の中で祭り上げてしまったら、それはもう一種の宗教であり、ドラマとして面白くないのは当然であろう。

 武士にとり、政治問題の解決手段としての戦争は現代よりもずっと身近にあったことが、伝わって来ない。まして西郷は、戦争好きなのである。


 決して西郷を、悪人として描けと言っているわけではない。そういう現代人とは違う側面が示されてこそ、現代劇ではない、歴史を題材としたドラマの面白さがある。

 現代の物差しですべてを計り、「悪」、あるいは「封建的」「非開明的」とみなされる部分はたとえ史実であっても、徹底的に消そう、潰そうという傾向が最近特に強まっている気がしてならない。日本人が、幼稚化している証拠である(そのことは、青志社から来月出す拙著『吉田松陰190歳』に書いた)。そんな中での「明治維新150年」だったことを思うと、盛り上がらなかったのも当然であろう。

 

遊び心の無いドラマ


 西郷の息子菊次郎の語りで、

「後に『西南戦争』と呼ばれる戦いに突入してゆきました」

 とあったが、「西南戦争」という呼び方は意外に新しい。昭和3年(1928)まで生きた菊次郎の存命中には、ほとんど無かった。少なくともメーンになるのは、第二次世界大戦後であろう。その前は「西南の役」であり、古くは「十年の役」とか干支から取って「丁丑の役」というのが多い。


 ドラマの西郷は、熊本ではからずも戦争に巻き込まれたので、しばらくは田原坂などでの戦闘シーンが続く。あまりにも小規模で、数十人の小競り合いにしか見えない。予算が無いのかも知れないから、このあたりは目を瞑ろう。西郷の末弟小兵衛が戦死し、菊次郎も足を負傷する。


 前々回、私学校に現れた桐野利秋が、日本刀で小銃をスッパリと斬って見せたが、あのネタがドラマの戦闘シーンでも描かれるのかと思いきや、無かった。いっそ、桐野の指導を受けた西郷軍の兵士たちが、政府軍の小銃を片っ端から斬って回る、平田弘史の時代劇マンガばりのシーンでもあればと期待していたのに、残念である。そういう創り物ならではの、ぶっ飛んだ楽しさが無いのも、このドラマの魅力を半減させる。


 僕が一番好きな幕末時代劇映画は、五社英雄監督『人斬り』(昭和44年)だ。50回以上は観ている。勝新太郎扮する岡田以蔵が京都から「天誅」が行われる石部(現在の滋賀県湖南市)までを、一気に疾走するシーンがあるのだが、そこでマンガチックな演出がなされる。以蔵の走った後ろに、派手な土煙がもくもくと立つのだ。つづいて石部に着いた以蔵が桶の水を頭から浴びると、一気に湯気が吹き出す。実際には有り得ない現象だろうが、それを描いてしまう。そんな、ちょっとした遊び心が「西郷どん」には皆無である。

 

妻が訪ねて来る


 熊本をはじめ、戦場になった町や村の多くが甚大な被害を受けたことは史実としても沢山残っているのだが、ドラマでは一切描かれていない。


 後年、松本清張が小説の題材にして有名になった「西郷札」などは、西郷軍による私製の紙幣である。これを使って強引に買い物をするのだから、庶民にとっては大迷惑だったはずだ。事実、戦後は「西郷札」は紙くずになってしまった。

 あれほど「民が、民が」と言っていた西郷が、なぜこんな戦争を行ったのかという、ドラマとしての辻褄合わせをする気はないようである。そもそも西南戦争の目的からして、「士族の声」を東京の政府に届けるためとしていた。すでに「民」の視点は無い。それは史実としては大体合っているのだが、ドラマとしてはいささか破綻している。


 8月半ば、西郷軍が延岡の近く、俵野まで落ちて行くと、いきなり民衆たちが食料を持って馳せ参じて来る。西郷を世直しの神様と称え、拝むがごとし勢い。薄汚れた、いかにも貧しそうな民を見ながら、ニコニコとほほ笑む西郷は、どこぞの国の将軍様に見えて来て、いささか不気味ではある。


 それから、なんと俵野に西郷の妻糸子が訪ねて来る。これはまったくのフィクションだが、呆れた。

 まず、妻に陣営を訪ねさせるという、作り手の歴史に対する感覚を疑う。下っ端の兵士だったら、処刑されるレベルの話である。維新のさい、恋人が陣営に訪ねて来たため、心中に追い込まれる兵士の史実を、僕も著作で紹介したことがある(『長州奇兵隊』中公新書)。


 『花燃ゆ』では、下関で外国艦への砲撃真っ只中の久坂玄瑞のもとを、妻文が訪ねて来るというとんでもない創作逸話があったことなどを思い出す。あの後、玄瑞は文にひざ枕をしてもらいながら、話していたと記憶する。『花燃ゆ』も色々と批判はあったはずだが(僕の周囲では絶賛以外の評価は厳禁だったようで、追従するか、黙りこくるかだった)、あまり反省になっていないのだろう。変なところで、「薩長同盟」が締結されているものである(玄瑞については来月ミネルヴァ書房から出す『久坂玄瑞』に、さんざん書いた)。


 さて、このドラマでは西郷を訪ねて来た糸子が、

「吉之助さあが、ただのお人だったらどんなに良かったか」

 と言い、涙を落とす。つづいて西郷は糸子を抱き寄せる。糸子の台詞は実感が籠もっていて、悪くない。しかし、それを西郷を訪ねて来て直接言わせたことで、ドラマはぶち壊しになったと僕は思う。


 これは2月に鹿児島を発つ前夜に、交わしておかねばならない夫婦の別れのシーンである。

 それが出来なかったのは、平和主義の西郷は、一万数千人の武装集団を率いて「尋問」に行くだけであり、まさか「戦争」になるなど予想外という設定のためであろう。そして妻もまた、戦争になるとか、死ぬとかは想像も出来なかった。だから、別れの言葉も交わさなかったのだ。


 ならば、それを知った糸子は死んでゆく夫に思いを馳せながら、ひとり鹿児島で後悔すべきであろう。そして涙を流し、件の台詞をつぶやいた方が何倍もいい。

 「会いたい」と思えば簡単に会えるのならば、兵士たちの家族が鹿児島から大挙して俵野にやって来なければならない。ぐっと押さえるからこそ、どうにもならない非情の現実が観る者の心にまで迫って来る。「会いたかったから、来ましたわ」では、まともなドラマにならないと思うのだが。

<了>

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