remmikkiのブログ

2014年07月

柏に住むKさんと柏からふた駅のおおたかの森ショッピングモールにある店へ。

ケーキ食べ放題 生パスタ チキン ピザ スイーツ ワイン飲み放題
トラットリアパラディーゾ流山おおたかの森店
http://www.otakanomori-sc.com/shop/?id=314

こちらは柏高島屋に入っているスィーツパラダイス店の姉妹店のよう。
こちらの方が自分としてはお気に入り。

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メインのパスタを注文。

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デザートとソフトドリンクが取り放題。
デザートは種類は多くはないが、こちらの方が好き。
      
*       *       *       *       *

こちらはよく訪れるお気に入りの銀座のタイ料理ビュッフェ。
K子さんを案内した。

バンコクキッチン有楽町
http://www.bangkok-kitchen.com/yurakucho/

バンコクキッチンビュッフェ

ずらっと並んだビュッフェ。


写真撮影に失敗し、以前に行った時の写真を掲載。

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ここのタイ料理はあまり辛くなく、日本人好みのマイルドな味付け。
辛いのが好きな人は香辛料で調節できる。


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料理も、デザート、ドリンクも取り放題で消費税アップ後平日1450円。

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ランチ後は近くの千葉市花の美術館へ。
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入り口の花の飾り。
ここは市営だったと思うが、名称が「三陽メディアフラワーミュージアム」と変わっていた。

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入ると広い庭園、その向こうに温室の美術館が見える。

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温室の中に小さな滝と池がある。
まわりにたくさんの熱帯性の草花が。

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建物の外には小さな庭園も。

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建物を出たところから広い庭園を撮影。



美術館の後は近くの巨大リサイクルショップへ、そしてイオンの幕張ショッピングモールへ出かけた。
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フラワーアレンジメント教室の仲間と千葉のヨットハーバーに隣接しているレストランとその近くの花の美術館へ行ってきた。

稲毛ヨットハーバー3階
イタリア料理Vespucci ヴェスプチ
043−279−0770
http://vespuccibay.info/%e3%83%a1%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc

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店内から見るヨットハーバー。

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ヴェスプチビュッフェ




サラダ・前菜・スープはビュッフェ。


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取り放題の前菜、これがけっこうおいしい。アサリのスープがとってもおいしく、お代わりしてしまったほど。

メインはパスタかピザから選ぶ。

ウェスプチパスタ1

私はペスカトーレ、魚介のパスタを注文。Kさんもパスタ。

ウェスプチパスタ2

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NさんとTさんはピザを。

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デザート、コーヒー・紅茶もついている。
テラスメニューは1300円前後,セットメニューだと2千円前後。

ランチ後は花の美術館へ(続く)。
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ここで難しい話題を置いて、ちょっと一休み。

8月はお盆でお休みなので今月は2回教室があった。

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ようやく出来上がったタケノコ、けっこう手間のかかった作品だった。


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Kさんが作った鯛。金魚かと思ったら鯛とのこと。


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タケノコが出来上がって、次はスズメの制作にとりかかった。

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もうすぐ終戦記念日がやってくる。

今読み終わった本を読んで戦中・戦後にあった出来事で初めて聞く内容に驚く本だった。
「変見自在 スーチー女史は善人か」という高山正之著の本(新潮社版)で週刊新潮の名物コラムを本にしたもの。

http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%89%E8%A6%8B%E8%87%AA%E5%9C%A8-%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%BC%E5%A5%B3%E5%8F%B2%E3%81%AF%E5%96%84%E4%BA%BA%E3%81%8B-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%AB%98%E5%B1%B1-%E6%AD%A3%E4%B9%8B/dp/4101345910

このタイトルにも惹かれたが、やはりスーチー女史は曲者だった。私がそう思ったのはスーチー女史が慰安婦問題で韓国の肩を持ち、日本を非難したことでだった。なんだ、まったく歴史を勉強しないで韓国のいいなりになっている、たいしたことない人だな、と感じたことだった。この話は次回にして、

この本の中のいくつかにびっくりする初めて聞く内容がある。

「変見自在 スーチー女史は善人か」
高山正之著
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-magazine005.html

京都がなぜ爆撃・破壊されなかったのか、私は歴史的建造物が多くあるのをアメリカが尊重した、と長いこと思っていたがそうではなかった。京都もまた原爆投下候補地だったからだ。

そして驚くことに、原爆が完成するまで日本に降伏させなかった
アメリカは善人面してほんとうにひどい。

「残忍な米国ならいざ知らず」

 映画「パール・ハーバー」の中で、日本の艦載機が病院を銃爆撃し、患者や看護婦がばたばた殺されていく場面があった。日本軍の残虐さを訴えたかったらしいが、これに石原慎太郎知事は「嘘が過ぎる」と怒った。

  真珠湾やヒッカム飛行場攻撃ではこの種の言い掛かりが昔からあったと、羽田記者クラブ時代に付き合いのあった日航機長の藤田怡与蔵氏が言っていた。

 氏は民間航空パイロットとしては異例の旧海軍出身で、真珠湾攻撃にも参加したが、「米軍のパイロットならいざ知らず、日本軍はそんなことは思いつきもしない」と。

  確かに、米軍パイロットはそういうこことを平気でやったと慎太郎知事が体験談を書いている。「麦畑を走っていると、米軍のP51がきて機銃掃射された。胴体に原色で漫画が描かれていた」。

  二子玉川の床屋で聞いた話だが、戦時中、あの橋を東京側に逃げる若い女性を、米軍機が低空で追って撃ち殺した。パイロットの顔が地上から見えたそうだ。

  教育出版の教科書に「夏の葬列」というのがある。疎開した男の子が地元の女の子に庇われて米軍機の機銃掃射から逃れる。でもちょっとした諍(いさか)いがあって女の子が外に飛び出して米軍機に撃ち殺される。作者の意図とは別に「米軍のパイロットは子供まで狙い撃ちしていた」ことを図らずも告発している。

  米国はまた日本の文化財に敬意を表して京都を爆撃しなかったと主張する。これも米軍の公式資料を調べれば大嘘とわかる。即ち原爆の投下候補地は…招贈灰泪ぅ襪鯆兇┐訶垰圓猫△つ有効な損害を与えられる地形をもちD名鑁弾による爆撃をしていないことが条件だった

  これに適うのが京都、小倉、新潟、広島、長崎などで、中でも盆地状の京都市街は申し分なかったため、本土爆撃が始まってからも一切の通常爆弾による爆撃は行なわれなかった。

 確かに最終段階で第一候補の京都に“執行猶予”がついたのは事実だが、それをもって「京都を守った」とはよくも言えたものだ。

  広島もまた同じ。原爆を落とし、それがどれほどの人的、物的被害を及ぼすかを測るために、ここも通常爆弾を落とさなかった。

 それを元長崎市長の本島等は「広島は殺人軍団・第五師団の本拠地。原爆を落とされて当然」と言う。

 そんなに危険な軍都なら、原爆ができる前にとっくに通常兵器で爆撃しているはずだ。こういう馬鹿を言う人につける薬が欲しい。

  米国はもう一つ、この原爆を落とすに当たって「日本には継戦能力があり、米兵百万が失われるおそれがあった」とも主張する。

 昭和20年の日本は、原爆用の都市以外の都市はすべて焼かれ、飛行機も船もなかったが、米国は「戦争を継続する能力あり」と判断したのか。

  鳥居民氏は「原爆が完成するまで日本に降伏させなかった」と著書で説く。
  8月6日に考えてみることは多い。


そしてこの文章の下に書かれていることは、

まず、なぜ原爆が広島に落とされたのか、アメリカは原爆実験をしたいために、日本の降伏を遅らせた、そのために、広島には通常の爆撃をしなかった、とある。

・アメリカは原爆ができあがるまでに、日本の各都市を軒並み爆撃し、一般市民の殺戮を行なっていた。

・その殺戮の方法は、市街地の周囲にまず次々と爆弾を落として火災を発生させ、人びとが街の外に出られないように火で取り囲んでおいて、それからゆっくりと中心部に爆弾を落としていったということです。まさに無防備の市民を皆殺しにすることを主目的にしていた。

・アメリカは、広島をはじめいくつかの都市については原爆を落とす候補地として温存し、まったく通常の爆撃を行なわなかった。

・そのうえで、日本の中枢がすでに戦意を喪失しているのを知りながら、原爆が完成するまでは日本を降伏させないようにいろいろと画策した。

・広島には、「私たちは二度と同じ過ちはくり返しません」と書かれた碑が建てられているが、これは誰の言葉か?

・「原爆を落としたアメリカが言うのなら分かる。しかし、落とされた日本人がそのような考え方になっているのは、まさに戦勝国アメリカによって仕組まれた東京裁判の呪縛に、日本人がいまなお縛られたままだからだ」

・やっと間に合った原子爆弾の威力を確かめたいために、その実験台として日本の都市を選び、通常の爆撃を止めて街が破壊されないように温存し、

・日本が降伏のシグナルを発しているのを無視して、出来上がったばかりの2発の爆弾を投下して一般市民の大量殺戮を行なった国は、どんな反省をしているのでしょうか。

 ・ 人類最大の罪を犯した国から、「日本が最初に戦争を始めたから悪いのだ」と言われて、「そうですね。ごめんなさい。もう二度と同じ過ちをしないようにしますね」と言って自分を責めている姿が今の日本なのです。おかしいと思いませんか?

そう言っているのがサヨクであり、大江健三郎を始めとするサヨク連中だ。

・GHQ(占領軍)の総指揮をとったマッカーサーが、後に「日本の戦争は防衛のためのものだった」とアメリカで証言した。

・アメリカ(を裏から支配する層)は、朝鮮戦争を率いていたマッカーサーをあっさりと切り捨ててしまう。そのことを通じてマッカーサーは真実を知った。

・あの戦争はアメリカ(を操る勢力)が計画的に日本を追い込み、真珠湾攻撃へと巧妙に誘い込んだものであるという事実です。

・しかしながら、失脚してアメリカ国内での影響力を失っていたこの老いた将軍にとって、もはや法廷で証言をするのが精いっぱいの抵抗だった。 なわふみひと


高山氏の痛烈な発言、「隣国が一番危険」に納得。

高山正之 「隣国は一番危険!隣人こそが紛争の源泉!」


高山 正之(盪 正之、たかやま まさゆき、1942年 - )は、日本のジャーナリスト、コラムニスト。元産経新聞記者、元帝京大学教授。

経歴:
東京都出身。東京都立九段高等学校を経て、1965年、東京都立大学法経学部法学科卒業後、産経新聞社に入社。警視庁クラブ、羽田クラブ詰、夕刊フジ記者を経て、産経新聞社会部次長(デスク)。

1985年から1987年までテヘラン支局長を務め、1980年代のイラン革命やイラン・イラク戦争を現地で取材。また、アジアハイウェー踏査隊長としてアジア諸国を巡る。1992年から1996年までロサンゼルス支局長。

1998年より3年間、産経新聞夕刊1面にて時事コラム「高山正之の異見自在」を執筆。定年後、2001年から2007年3月まで帝京大学教授を務める。現在、『週刊新潮』誌上で「変見自在」、『テーミス』誌上で「日本警世」、『Voice』誌上で「日本の事件簿」を連載中。

•コラムにおける批判対象は国外においては中華人民共和国、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のみならずアメリカ合衆国をはじめとした欧米諸国にも批判的で思想的には反米保守に近い。

また、国内では官僚とマスコミ、とりわけ朝日新聞社に対して批判を展開することが多い。

(Wikiより)

百田さんに続いて高山氏のファンになってしまう。
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