きのう1日は水俣病の公式確認から56年となったそうだ。ところが、国の認定基準を満たさない被害者の救済を掲げて09年7月に特措法を成立させたが、申請者数が熊本、鹿児島、新潟の3県で5万3062人に上っているという。

環境省は2月、特措法が定めた「救済措置開始から3年以内(13年4月末)の対象者確定」との規定を基に今年7月末での申請締め切りを表明。これに対して、一部の患者団体は「救済に手を挙げていない潜在患者が多くいる」と反発している。

日本における公害病を起こした原因企業がチッソ。皇太子妃雅子さんの祖父が社長をしていたが、当時婚約が決まった時、原因を起こした時の社長でないから問題ない、と報道していた。

皇室のそれも将来皇后になる人の実家がチッソ社長でよくまあ、決まったなあ、と驚いたものだ。皇室に嫁ぐ女性の親族の問題ありは普通なら絶対にあり得ないと思っていた。

チッソ社長になった江頭氏が社長になってからの「処理」が問題だったと書かれている。解決努力どころか、水俣病の原因が工場排水と一切認めなかった、患者と一切交渉をもたなかった、社長になってもそのまま水銀を水俣湾に流し続けた、法的責任どころでなく、「殺人行為」に加担していた、というではないか。

患者に対しても冷酷卑劣、「腐った魚を食べる貧乏人」などと呼び、補償から逃げていた。

その上、水俣病患者を撮影していた写真家、ユージン・スミス氏を襲撃させ、片目を失わせ、その時の暴行が原因でスミス氏は数年後命を落としている。そんな恐ろしい祖父をもつ雅子さんがよくまあ、皇太子妃になったものだ、と思う。

皇太子夫妻は毎年の慰霊式に参列し、亡くなった患者たちに頭を下げるべきと思う。皇室のひとりもこのような慰霊式に参列していない。秋篠宮両殿下は水俣を訪れ、献花をしたことがあると報道されていた。

静養とグルメとお遊びばかりの東宮夫妻、少しはこの公害病について、勉強し、頭をさげたら、と思う。皇太子は「お水」の研究をしているのでしょ。だったら、なおさら、お水が原因で多くの命を失い、いまだに公害病に苦しんでいる人たちの心に寄せる行為をすべきではないか。

下記に江頭チッソ社長の「犯罪性」というタイトルで詳細が記されている。

噂の真相1993年4月号によると、
●江頭チッソ社長の"犯罪性"というタイトルで、

江頭豊が日本興行銀行からチッソ専務取締役となったのは、1962年。
64年には副社長、同年暮れには社長に昇格。
公害発生時にいなかったという意味では、宮内庁の説明どおり江頭には「法的責任」はないのかもしれない。

むしろ、江頭は水俣病問題の処理のためにメインバンクの興銀から送り込まれた形になっている。
しかし、実はその江頭のやった「処理」こそが問題。
「解決努力」などとよべるシロモノではなかった。

江頭が経営権を握った後も、しばらくの間、チッソは自らの工場排水が水俣病の原因であることを一切認めようとはしなかったのである。
患者といっさい交渉をもとうとしなかったのはもちろん、
驚くべきことに江頭はそのまま66年 まで水俣湾に水銀を延々とたれ流し続けた。
「法的責任がない」どころではない。

江頭自身が殺人行為に加担していたことは動かしがたい事実なのである。
ようやく自らの責任を認めたのは、水俣病発生が発覚してから10年以上も経過した
1968年のことだった。

しかし、これとてけっして江頭自身の自発的な判断ではない。
この年、政府がついに水俣病の原因をチッソ廃液とする正式見解を発表したため、
チッソとしても対応せざるをえなくなっただけのことである。
それどころか、この政府見解発表が出される前には、地元選出の自民党議員と結託して、それを止めるべく画策していたフシさえうかがえる。
しかし、さすがの自民党政府も明確な事実と悲惨な現実を前に、
水俣病を公害病と認定せざるをえなかったというのが"真相"なのである。

●冷酷な江頭の患者対策
謝罪後もチッソの無責任な対応は全くかわることがなかったのである。
「補償は誠意をもって話し合う」というセリフの舌の根も乾かぬうちに、
江頭はさまざまな画策を始める。

結局のところ、この間、江頭は水俣病患者にたいする補償交渉などしなかったに等しい。交渉から逃げ回り、ただただ「金額決定」の引き延ばしを図り続けただけである。

チッソについて
「チッソ水俣病」とは熊本県水俣湾周辺で発生した有機水銀中毒症。
水俣湾でとれた魚介類から、人体に有機水銀が入り、
神経が侵せれることから四肢マヒや言語障害、さらに目や耳の機能も失われる。
調査にあたった、熊本大医学部は昭和34年
水俣市のチッソ(当時日本チッソ肥料)水俣工業、の排水が原因と結論を出し、
昭和43年日本で最初の公害病に認定された。
平成3年末までに、2946人が認定され、1283人が死亡。

政府が水俣病の原因がチッソ水俣工場から排出される有機水銀であると、
公式に認める昭和43年まで有機水銀廃液を水俣湾に垂れ流し続けた。

以後も江頭豊社長は「患者への補償は終わっている」と損害賠償交渉に強硬な態度を取った。

江頭豊氏は雅子妃の母方祖父(2006年9月逝去)

一旦 浮上していた小和田雅子さんが妃候補からはずされたのも、
公害企業の孫というのが最大の理由。

「当時、宮内庁幹部も我々報道陣に係累にチッソ関係者がいるのはまずいとはっきり口にしていた。

また当時の官房長官だった後藤田正晴が強硬に反対していたようで、
一説には雅子さんで話を進めていた宮内庁幹部を
『皇居にムシロ旗がたったらどうするつもりか』と怒鳴りつけたといわれているほど」(宮内庁担当記者)

実際、当時の宮内庁長官・富田朝彦が皇太子に
「チッソの件が付随しますから、お諦めください」と進言していた。
ところがそれから五年、公害企業元社長の孫である小和田雅子さんは再び妃候補に浮上し、今度はそのまま皇太子妃に決定してしまった。

江頭豊氏は水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し続けた。
患者や家族に謝罪したが補償案をださなかった。
(そのせいで被害者は一任派と自主交渉派に分裂)

謝罪した後も悪質なデマを流し患者や家族を冒涜した。(NHKアーカイブより)
「端的にいうなら彼らは海に浮かんだ死んだ魚を食べたんですよ。」
「水俣病はただの障害児」
「庶民が何をいうか!」
「補償金を貰えるなんて有難いと思ってもらいたいものです」
会長時代、患者や報道カメラマンを暴力集団に襲撃させた。 
千葉県の五井工場に抗議に訪れた「自主交渉派」の水俣病の被害者やユージン・スミスら取材陣をチッソは暴力集団に襲わせた(1972・01・07)

ユージン・スミスは片目を失明するほどの重傷を負わされたのに告訴せず、
時間とエネルギーを写真に向け、6年後に負傷からの後遺症が元になり、死亡
暴力団(チッソの下請け業者扇興運輸)は、会社の敷地から出てきて、
襲撃後ゲラゲラ笑いながら敷地内に戻っていった。(会社側が雇った)
(ユージン・スミスによる「襲撃」の証言より)

扇興運輸は翌年センコー(株)に社名変更している。
そして雅子妃の嫁入り道具を御所に運び入れたのがセンコー(株)のトラック。
雅子さんが皇室入り(93年6月)した後もチッソの相談役に就いていた。(98年10月まで確認できる)

以上