映画 「LIFE」秋葉原殺傷事件 弟は自殺していた

2014年04月19日

グリーンファーザー杉山龍丸

日本軍のインパール作戦によるインド独立に続き、これは戦後インドの砂漠を緑に変えた杉山龍丸の話。日本人がインドを助けた素晴らしい話。

動画の最後の映像を見てほしい。黄色い砂漠が緑と化している!470キロにもわたる緑。

そしてさらにヒマラヤのシュワリックレンジ、3千キロにもわたる裾野を緑化することを考えた。祖父の田畑を売り、140億円を投じた。

インドの砂漠を緑に変えたグリーンファーザー杉山龍丸


Wikiより:
杉山 龍丸(すぎやま たつまる、1919年(大正8年)5月26日 - 1987年(昭和62年)9月20日)は、日本の陸軍軍人。インドの緑の父(Green Father)と呼ばれる人物である。

経歴
福岡県福岡市出身。祖父は政財界のフィクサーともいわれた杉山茂丸、父は作家の夢野久作である。弟は詩人の杉山参緑。1937年(昭和12年)福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)卒業後、1940年(昭和15年)陸軍士官学校(53期)を卒業し、ボルネオでは胸部貫通銃創の重傷を負う。 陸軍少佐で終戦を迎える。

戦後、3万坪の農地を売り、緑化の費用にあてた。インドの政府や個人の協力を得て、インドの各地にあった砂漠地帯や土砂崩壊の地域を緑化したが、日本の政府や企業などからは理解や協力が得られず、日本ではあまり知られていない。

1955年(昭和30年)戦友から、日本で農業を学んでいたインド人を紹介され杉山農園で農業技術を教えた。初めてインドに行ったのは1962年(昭和37年)、砂漠となったパンジャブ州を見て、国道1号線沿いの延長470キロメートルに、成長が早く根が深くパルプの原料となるユーカリを植林し、ヒマラヤからの地下水脈をせき止めて水を確保することを提案した。 また、国際文化福祉協会を設立しインド救援の寄付金を募った。

植林開始と共に旱魃に襲われ、3年間で500万人が餓死する事態に、インド政府も事業中止に至ったが、杉山は杉山農園を売却して資金を調達し、家族を日本に残して渡印した。のち、4万坪の福岡市の杉山農園、家屋敷は人手に渡り、借家住まいとなり、国連関係者からの環境会議出席の求めに友人から旅費を借りて出席した。 祖父・茂丸が台湾で関与した蓬莱米をインドに移植することに成功している。

終始、日本政府からの援助は無く、学界からは黙殺され、国際文化福祉協会の財団法人認可申請もいまだ認められていない。インド、パンジャブからパキスタンまでの国際道路のユーカリ並木とその周辺の耕地は杉山の功績であるとされている。


インドでは、こう云い伝えられているそうだ、
独立の父、マハトマ・ガンジー、
緑の父、タツマルスギヤマ。


日本人はすごい!私たちは誇りに思う。もっとこういう話を広めるべき。



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remmikki at 21:10│Comments(2)TrackBack(0)その他 

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この記事へのコメント

2. Posted by remmikki   2014年04月21日 09:16
raita1025さん、

教科書にも載せるような題材です。
こうのようないい話を知らされないのは恥です。

マスコミはくだらない報道ばかりしてないで真実をもっと取り上げてほしいものです。
1. Posted by raita1025   2014年04月21日 07:34
5 感動しました。
奇跡を起こすのは、努力のみ。

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映画 「LIFE」秋葉原殺傷事件 弟は自殺していた