香淳皇后さまがお描きになった絵をコメントから紹介いただいたので収集してみた。


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コメントより:
「いつもいつも、西洋文化称賛私的公務も日本の皇后として如何なものか。

香淳皇后がなさっていた、書道、組みひも、華道、日本画、など、日本の伝統文化の継承はどれも拒否されていらっしゃる様にお見受けします。」

と書かれているが、美智子さまは音楽もご鑑賞も西洋文化が多いように見受けられる。

香淳皇后さまの日本の伝統文化、特に書、日本画、詩集、謡(観世流)、薔薇の栽培もなさったそうで、ピアノもなさる。

大変な多趣味でいらっしゃり、どれもプロ級の腕前。特に日本画は素晴らしい。

いくつか紹介する。


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こちらは日本画を習われていた香淳皇后の絵箱。

引き出しの中には日本画用の鉱物系絵の具を砕く道具や筆、お皿などが入っている。

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第43回
香淳皇后の御絵と画伯たち
平成19年3月27日〜6月17日

香淳皇后は,日本画家の高取稚成(1867〜1935),川合玉堂(1873〜1957),前田青邨(1885〜1977)に日本画の指導を受けられ,多くの絵画作品を遺されました。

高取画伯には,皇室に入られる前,久邇宮家にいらした折から指導を受けられ,特に大和絵の基礎的な技法を習得されたようです。

川合画伯からは昭和10年代末頃から指導を受けられ,自然の描写について多くのことを学ばれたようです。さらに昭和34年からご指導に当たった前田画伯の率直な意見に基づいて,絵のバリエーションを広げていかれました。

こうした香淳皇后の御絵について,多くの人が,気品の高さ,大らかさが自然と滲(にじ)み出ていると語っています。また,御自身が絵を創り上げることをとても楽しんでいらしたことは,様々な作品の中に感じられる温かさ,愛らしさからも看取できます。


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香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年明治36年)3月6日 - 2000年平成12年)6月16日)は、昭和天皇皇后。名は良子(ながこ)、久邇宮家出身で、皇后となる以前の身位は女王

家系:

久邇宮邦彦王の第一女子。母は12代薩摩藩公爵島津忠義の七女俔子(ちかこ)。祖父の朝彦親王は男子9人を儲けており、東久邇宮稔彦王は叔父の一人である。また、五女・島津貴子の夫島津久永は母方の従弟に当たる。

  • 特に日本画は玄人はだしで、結婚以前には高取稚成から大和絵を学び、その後、川合玉堂前田青邨に師事、1956年(昭和31年)以降はよく宮内庁職員美術展に出品した。

    号を「桃苑」といい、
    皇居東御苑にある桃華楽堂はこの号に由来する。画集は『桃苑画集』(37点を収む、1967年(昭和42年)、便利堂)、『錦芳集』(54点を収む、1969年(昭和44年)、朝日新聞社)がある。
     
  • バラは皇后自ら鋏を取り、枝の剪定などを行っていた。皇居の庭は天皇の意向により、武蔵野の面影を残し、自然の生育に任せて、雑草の類もむやみに除くことを禁じたが、唯一の例外は皇后のバラ園で、ここだけは天皇も口を挟むことはなかった。
  • 1971年(昭和46年)秋に、郵政省発行の「天皇皇后陛下御訪欧記念切手」で、所縁の図案として、皇后画「海の彼方」が用いられた。


皇居の庭は天皇の意向により、武蔵野の面影を残し、自然の生育に任せて、雑草の類もむやみに除くことを禁じた」、その皇居の庭をつぶし、56億円の御所を建てられたのが今上天皇と美智子さま。

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 昭和の皇后様のお葬式(斂葬の儀)でお見送りをする秋篠宮家の小さな姫様たち。

雅子さんは「夏バテのようなもの」で葬儀には列席せず。

今年の年回忌、6月16日も出席せず、臨時休館させた「ゆったりーの」でどこから集めたのか親子を呼んでアリバイヤッツケ慰問をしていた。


小さな眞子様、佳子様がきちんとお見送りのお辞儀をなさっているのはご立派。

愛子さんには真似できない。