2017年04月11日

今上陛下と美智子さんのご成婚パレードに投石した青年について

 

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今上陛下と美智子さんのご成婚パレードに馬車に石を投げ、よじ登ろうとした19歳の青年がいた。

戦後貧乏な中、当時のお金で3億円という巨費を使っての結婚式への反対の行為だった。

こんなことがあったのに、今上と美智子さんはその後も巨額な血税を使い、56億円もの御殿も建てている。

政府専用機を使っての海外慰霊の旅や地方へお出かけ、静養、鑑賞など動くたびに巨額な警備費がかさむ。

当時もそういうことに反対した若者がいたことは驚くことだし、こういう事件がご成婚時にあったのに反省もせず、さらなら巨額な血税を御殿や豪華なドレスを数え切れないほど作ってきたのに、ティアラは消えている不思議さ。

若い方はご存知ないのでこの事件をおさらいしてみよう。

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Yahoo知恵袋に簡単に説明されている。いくつか書かれた記事を紹介する。


Yahoo知恵袋 2007/2/809:57:47 より

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   御成婚は、翌昭和34年(1959)の4月10日であり、挙式の後、皇居から東宮御所まで、青山通りを馬車によるパレードがあった。この模様は、テレビで実況中継された。このパレードに対し、投石を働いた少年がいた。

昭和34(1959).4.1019歳が皇太子夫妻に投石〕
 東京都皇居前で御成婚パレードの皇太子夫妻が乗った馬車に、長野県の浪人生(19)が投石し、さらに馬車に駆け寄ってよじ登ろうとしたが、警官隊に逮捕された。「天皇制には反対だ。こんな人を集めて道を開けさせるなどけしからん。引きずり落として訊いてみようと思ってやった。ふたりが結婚するだけで23千万円もつかっている。税金は福祉事業につかうべきだ。こんな馬鹿げた行事は今後いっさいぶちこわしてやる」と自供。家にあったノートには「税金をつかう虫を殺せ」などと書かれていた。
 精神分裂症と鑑定され、保護処分となった。
 


昭和
34年ご成婚パレード投石事件

2015410 ()


http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/34-6418.html

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    1959年4月10日、皇太子の結婚式。式場の馬車パレードが二重橋を渡り、祝田橋方面に向った午後2時半過ぎ、見物の人垣の中から若い男が飛び出してこぶし大の石を投げて、さらに馬車によじ登ろうとした。男はかけつけた警備の警官に逮捕された。

    「天皇制に反対だ。こんな人を集めて道を開けさせるなどけしからん。引きずり落として訊いてみようと思ってやった。ふたりが結婚するだけで2億3千万円をつかっている。税金は福祉事業につかうべきだ。こんな馬鹿げた行事は今後いっさいぶちこわしてやる」と自供している。 家にあったノートには「税金をつかう虫を殺せ」などと書かれていた。

  少年は19歳の大学浪人生。長野県の伊那北高校を卒業し、同志社大学を受験していたが失敗。ガソリンスタンドでアルバイトしながら勉強していた。彼は未成年なので保護観察処分となり、故郷の長野県長谷村に帰された。暴行現行犯と道路交通法違反くらいの罪しかないので、警察は少年を精神分裂症とした。もちろん精神障害はなかった。その鑑定結果をださないと、皇室の権威はもちろん、その少年とその家族の安全自体が保証できなかったからだった。

   妹尾義郎は「この現実は一部に流れる反皇室の気分を代表したものと思われる。3億円の巨費。それは国民の血税を投じて、この馬鹿々々しいかざり方に対する反感といえよう」と記している。(妹尾義郎日記7) ふつうの少年による天皇制反対の一行動であるが、「皇太子ご成婚パレード投石事件」に関して、日本社会はほとんど黙殺している感がある。

 

その後、この犯人について、

不敬列伝 2015年01月16日より
http://blog.livedoor.jp/su_mi_jun/archives/20589218.html

 

犯人の拘留は50日に及び、精神鑑定の結果、本人が後に語ったところによると「分裂症と認めればすぐに出してやる」と言われて、精神分裂症ということになり、故郷に帰ることが許された。

故郷の村は保守的な風土であり、実家は名家であったため、衝撃は大きかった。
事件前に決まっていた姉の縁談が、先方からの強い申し出によって破談になり、教師の兄は辞職。若者が故郷に帰って来ると、兄は若者を連れて村中の家を一軒一軒回り謝罪して歩いた、「村の名誉を汚した」として。
しかし若者はどこに吹く風、といった態度で、村人は少し反感を覚えた

動機は「母校が火事で焼けたのに国は金を出さなかったため父母が金集めに苦労した。それなのに、御殿やパレ-ドに巨額のお金を使うことが許せなかった」というようなことがあったらしい。

若者は周囲から理解されることなく、その後常に「投石少年」として、警察とマスコミに追われ続け、職と土地を転々とした。
著者は彼の居場所を突き止め、訪ねたものの扉を挟んで向かい合ったまま、ついに顔を見ることさえできなかった

若者の名は「建設」といい、それは彼の父親(事件の時点で既に故人)が「大東亜建設」にちなんでつけたものだったという。

元「投石少年」が著者に会うことをガンとして拒んだため、本人の口から犯行の動機や心情を聞くことができなかったこともあり、かえって不可解な印象を残します。

おそらく世の中の不条理に対する不満を皇室に向けてやつあたりした衝動的行動に過ぎなかったのかもしれない。

しかしその行動が、日本中が歓喜し注目していた皇太子のご成婚パレ-に対するものだったこと、手をかけようとしたのが皇太子ではなく皇太子妃の方だった(これは偶然だったのかもしれませんが)あたりに、投石少年の心情の謎を解くカギが隠されているのかもしれません。


現在でさえ、多くの国民は少ない給料や年金で苦しい生活を強いられ、生活保護費は日本人でなく、K国人に払われ、巨額な税金は海外にばらまかれ、日本人の生活はますます苦しくなる一方で、皇族は豪華な数十億円御殿に住み、血税を使って豪遊、豪華な衣装を着て拍手を受けて鑑賞する、祭祀もせず、公務もおざなり、三日やったら止められないだろう。

それが58年前にすでにこのような贅沢な皇族に対して反旗を翻した青年がいたことに驚く。
この青年の名誉を回復させたらいかが?

三島由紀夫と石原慎太郎元東京都知事がこの青年について興味深い感想を述べているので紹介したい。

この事件について、三島由紀夫は少年と会って、記事を書いている。
  皇太子の成婚パレードに石をなげた中山少年についてもいえる。いま「週刊平凡」に書いたかれの手記を読んでみると、かれ自身、あの行為を一時の発作的衝動だなどと思ってはいない。いまなお、かれは自分の行為の正当性をハッキリと主張している。投石事件をできるだけ穏便に済ませようとする当局は、かれに「精神分裂病」のレッテルを貼って、月に二回病院に強制的に通わせているが、当人のほうは「わたしはもともと精神病患者ではなく、国家が便宜上そういう名前をつけているだけ」と書いている。


三島由紀夫の投石青年に対する感想

https://utaronotes.blogspot.jp/2017/01/blog-post_17.html


   一つここで私は、三島由紀夫の言葉が想起された。「裸体と衣裳」という彼の日記抄の中で、昭和
34410日の皇太子御成婚パレードをテレヴィジョンで見た彼は、こんなことを書き記している。三島が釘付けになったのは、両殿下が乗る馬車に一人の若者が突然近づき、周囲が騒然となったアクシデントの瞬間だ。

       《そこではまぎれもなく、人間と人間とが向い合ったのだ。馬車の装飾や従者の制服の金モールなどよりも、この瞬間のほうが、はるかに燦然たる瞬間だった》――。また、こうも述べている。

   《それにしても人間が人間を見るということの怖しさは、あらゆる種類のエロティシズムの怖しさであると同時に、あらゆる種類の政治権力にまつわる怖しさである》

(三島由紀夫著『裸体と衣裳』より引用)

 

『金閣寺』フライヤーの裏面

 皇太子は生まれて初めて、裸の人間の顔を見、向かい合ったのだと三島はその時、昂奮を抑えることができないでいた。世界が変わった瞬間とも言える。それと同じものを私は、今回観た演劇『金閣寺』の舞台上においても、三島のこの不動の常態を示す感性の小端を見たはずだ、と気づいた。

 

しかし、明仁皇太子は生まれて初めて人間の顔を見て、向かい合ったのにその後なにも学習していない。

石原慎太郎の天皇観と「あれをした青年」

20061026 ()

http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2006/10/post_c174.html


   「あれをした青年」とは『文藝春秋』
1959年8月号に石原が著したエッセーである。同年4月10日、東京で行われた「皇太子成婚パレード」で皇太子夫妻(現在の天皇皇后両陛下)の乗った馬車に投石して逮捕された「皇太子成婚パレード投石事件」の犯人少年が石原の宿泊地を訪ねて「僕の気持ちを聞いてもらいたい」と申し出、それを受けての一文だった。
    投石した少年は石原にも警察にも、その後のメディアの取材にも一貫して犯行の動機を次のように語っていた。
皇太子夫妻が住む東宮御所が2億3千万円もの巨費を投じて新築された。ミッチーブームに引き続いたパレードのバカ騒ぎも腹が立つ。なぜならば自らの地元も含めて貧しいまま困っている国民が多数いるなかでの天皇家の振る舞いは何だ。投石後は馬車に駆け寄って退位を促す直訴をするつもりだった、と。
    興味深いのは少年の言い分を紹介した後の石原自身の感想だ。「あれをした青年」の最後に石原は次のように結ぶ。

  「天皇が国家の象徴などという言う言い分は、もう半世紀すれば、彼が現人神だと言う言い分と同じ程度笑止千万で理の通らぬたわごとだと言うことになる、と言うより問題にもされなくなる、と僕は信じる」
     「彼(投石少年)の話の殆どが殆どの人間に理解されるだろうことを僕は信じる。(中略)現代では狂っている人がまともで、まともな奴がおかしいと言うことを誰もが感じているはいるのだ。その誤謬を修正する直接の行動のためには、今日では矢張り一種の狂気に近い誠実さと勇気がいると言うことも」

 

こちらは投石青年の従兄弟の話:
ここに書かれているAさんが投石青年。
IさんはAさんの従兄弟。
事件前後のAさんの生活、事件後のことについても詳細に書かれている。
当時の青年が感じたことは現在の私たちも感じることに通じているのでは。



https://plaza.rakuten.co.jp/msk222/diary/200811290000/


    僕がIさんと知り合った10数年前のことを話してくれたことがある。

Iさんもまだ大学生だったが、アパートの管理人を兼ねて住んでいて、同年代の従兄弟たちが家賃もロクに払わずにアパートに転がり込んできた。

   アパートの管理人室は、毎日のように麻雀と酒盛りの場となっていたようである。

まだ皇太子だった今の平成天皇が、日清製粉社長の娘の正田美智子さんとのご成婚ということで、結婚パレードが行われるという日だった。
   例によって、前の日から飲みながらの徹夜麻雀で、雨戸の隙間から射し込む外の陽ざしに気づいて、ようやく散会となった。メンバーは、Iさんと友人二人、そして某大学に合格して最近東京に出てきたばかりの従兄弟のAだった。
   皇太子の結婚相手が初めて民間人からということで、軽井沢のテニスロマンスから始まるミッチーブームという国民的関心事となり、パレードの見物人も空前の人出ということであった。
撤マンあけのIさんも、酒ビンの転がる部屋の万年床に寝転がり、買ったばかりの白黒テレビでパレードの様子を見ていたが、いつしか眠ってしまったそうだ。

    そして、夕刻近くになっていただろうか。

突然、「ドン、ドン」と乱暴に戸を叩く音がした。何事かと開けると、男達が土足のまま部屋になだれ込んできた。
「警視庁公安部だ。これから家宅捜索する!」
と叫ぶと、部屋中を引っ掻き回し始めた。なにがなんだかわからぬままIさんは、部屋の隅で震えて見ていたが、やがて事情聴取が始まった。

   どうやら、皇太子ご成婚パレードで事件があり、その容疑だという。

Iさんは警視庁まで連れてゆかれ、事情聴取という取り調べを受けた。Iさんは思想的に誰を尊敬するか、大学ではどんなゼミに入っているのか、友人関係まで根掘り葉掘り聞かれた。

    その頃になってようやくことの真相が見えてきたという。

Iさんの従兄弟のAが、こともあろうにご成婚の列に石を投げ、馬車に飛び乗ろうとしたというのだ。
しかし、なぜAがそこにいたのか、石を投げようとしたのか、そのときのIさんには思いもつかなかったという。
当日は、朝まで酒を飲み麻雀をしていた。政治はおろかご成婚の話などひとつもしていない。しかし、まてよ、あれも政治だったのかな、と思い出したのがAの母校が火災にあった話しだ。

  この春までAのいた高校が、一昨年、不審火による火災にあっていた。犯人として疑われた生徒もひとりいたが、結局真相はわからず闇の中に沈んでしまった。

   当時、県の財政も厳しく、校舎をすぐに建てることもかなわずバラックのような仮設校舎で授業が行われていた。信州伊那地方の冬は雪こそ少ないが、寒さは昼間でも氷点下の厳しさだった。


  冬期の授業は、生徒も教師も凍えるような手をこすりながらで、室内に干してある雑巾も凍って、掃除もままならなかったという。そんななかで、ようやく進学を果たし、希望大学に入ることができたAであった。

そのAが、徹マン明けの宿酔いの残ったまま出かけたのが日比谷付近。折からご成婚の馬車行列を見るために群衆が街頭に繰り出していた。

    ぼんやりと群衆のなかに割り込んだAの視線の先に、騎馬護衛兵に先導された皇太子と皇太子妃がにこやかに手を振って近づいてくるのが見えた。


    その豪華で荘厳な式典が、Aにはとても空々しく腹立たしい出来事と感じたのだろう。無意識に歩道に転がっていた石を拾い、Aの正面を通り過ぎる馬車に向かって、投げつけた。そして馬車に向かって走り出した。馬車の後部に手が届くかどうかというあたりで、護衛警官たちに組伏せられた。


    Aは取り調べにあたって、学校の再建にさえお金がないと渋っているのにこんな豪華なパレードを見ていたら腹立たしくなって、というような供述をしたという。きっと、なれないアルコールが身体に残っていたこともあるのだろう。

ちなみにAの生家は、当時小学生だった僕の生家から2キロに満たない距離だった。この事件は、わがふるさとにとっての大事件となった。

    国民的慶賀に泥を塗ってしまったとして、村は上へ下への大騒ぎとなった。Aの家は旧家であったが、言うなれば重い不敬罪ということなのだろう、一時は江戸時代さながら蟄居させられるような状態となった。


    数年の刑期を終え、自宅に帰されたAはその後も数十年にわたり特定保護観察人物として扱われた。自宅には時々刑事が訪れて、生活の様子などの点検を受けていたという。


    Aも、この日にブラリと日比谷を訪れなければ、何事もなく平凡な人生を送れたかも知れない。人生の歯車は、悪魔のイタズラのようなことで狂ってしまうものだということを思い知ることとなった。





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remmikki at 21:28│Comments(24)TrackBack(1)皇室 

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1. 国旗掲揚・国歌斉唱を行うは国際社会の常識・・・  [ 母さんによる徒然・・・ ]   2017年04月15日 09:33
☆様々な式典で国旗掲揚、国歌斉唱が行な われるのが国際社会の常識であるが、米国 人は実に誇らしく星条旗を仰ぎ見、実に堂々 と国歌を口ずさむ。それに対して我が国は、 国旗掲揚、国歌斉唱時に起立を拒否したり、 その場を立ち去ったりする者が決まって現れ る。私

この記事へのコメント

24. Posted by remmikki   2017年04月13日 22:27
ありすさん、

三島由紀夫の天皇論をありがとうございます。
さすが鋭いです。
「王侯が人間的表情を見せるのは、恐怖の瞬間だけ」なるほど唸りますね。
平成皇室を見た三島さんのご意見聞きたいです。
23. Posted by ありす   2017年04月13日 21:28
三島由紀夫の天皇論に、共感します。

以下、抜粋

>つまり、天皇といふのは、国家のエゴイズム、国民のエゴイズムといふものの、一番反極のところにあるべきだ。さふいふ意味で、天皇が尊いんだから、天皇が自由を縛られてもしかたがない。
その根本にあるのは、とにかく「お祭り」だ、といふことです。
天皇がなすべきことは、お祭り、お祭り、お祭り、お祭りーーそれだけだ。 これが僕の天皇の概略です。

>覚悟しない君主といふのは君主じゃないと思ふ。
前にも、皇太子の結婚式の時に、石を投げつけたやつがいる。
あのときの皇太子の顔といふものを、テレビで見たわけだ。 つまり、王侯が人間的表情を見せるのは、恐怖の瞬間だけで、王侯といふものの持っている悲劇を見たね。

だけど、しかたのないことでせう。

以上
「若きサムライのために」より抜粋
三島が生きていたら、現在の皇室のことをどのように感じ、表現するのでしょう。
聞きたかった。
22. Posted by remmikki   2017年04月13日 20:30
鉄人66号リターンさん、

三島由紀夫氏の投石青年と当時の皇太子の人間と人間の向き合いについて鋭く書かれたものをよく見つけましたね。
さすが三島由紀夫です。そのことに気づかないアキヒトさん、残念です。
三島が書いた文献を側近の誰かが読ませればよかったのに。
でも読ませても理解できなかったかも。
「対峙したふたりの青年」を深く考えてほしかったですね。

21. Posted by 鉄人66号リターン   2017年04月13日 10:37
 前項から続けます。
君候がいつかは人前にさらさなければならない唯一の裸の顔が、いつも決まつて恐怖の顔であるといふことは、何といふ不幸であらう。 
それにしても人間が人間を見るといふことの怖しさは、あらゆる種類のエロティシズムの怖しさであると同時に、 あらゆる種類の政治権力にまつはる怖しさである。
(引用おわり)
"義憤の石つぶて"で身体を張って抗議した青年と、美智子妃をかばおうともせず馬車に隠れた青年。
後者はおそらく、華麗な馬車のような暮らしを続けることだけを人生の目標としたのでしょう。
 一瞬だけ対峙したふたりの青年。生の人間と虚飾の人間。
中山青年には、この時、恐怖で凍りついた臆病な男の顔だけが焼き付いたのではないでしょうか。
そして、豪華な馬車の中には自分が抗議をしようとした相手すらいなかったことに気がついたのではないでしょうか。
ありがとうございました。
20. Posted by 鉄人66号リターン   2017年04月13日 10:17
 三島由紀夫の「裸体と衣装」の4月10日のエッセイは以下の通りです。
四月十日(金) 
庭で素振りをしてから、馬車行列の模様をテレヴィジョンで見る。 
皇居前広場で、突然一人の若者が走り出て、その手が投げた白い石ころが、画面に明瞭な抛物線をゑがくと見る間に、若者はステップに片足をかけて、馬車にのしかかり、妃殿下は驚愕のあまり身を反らせた。忽ち、警官たちに若者は引き離され、路上に組み伏せられた。馬車行列はそのまま、同じ歩度で進んで行つたが、その後しばらく、両殿下の笑顔は硬く、内心の不安がありありと浮んでゐた。 
これを見たときの私の興奮は非常なものだつた。劇はこのやうな起り方はしない。これは事実の領域であつて、伏線もなければ、対話も聞かれない。しかし天皇制反対論者だといふこの十九歳の貧しい不幸な若者が、金色燦然たる馬車に足をかけて、両殿下の顔と向ひ合つたとき、そこではまぎれもなく、人間と人間とが向ひ合つたのだ。馬車の装飾や従者の制服の金モールなどよりも、この瞬間のはうが、はるかに燦然たる瞬間だつた。 われわれはこんな風にして、人間の顔と人間の顔とが、烈しくお互を見るといふ瞬間を、現実生活の中ではそれほど経験しない。これはあくまで事実の事件であるにもかかはらず、この「相見る」瞬間の怖しさは、正しく劇的なものであつた。伏線も対話もなかつたけれど、社会的な仮面のすべてをかなぐり捨てて、裸の人間の顔と人間の顔が、人間の恐怖と人間の悪意が、何の虚飾もなしに向ひ合つたのだ。皇太子は生れてから、このやうな 人間の裸の顔を見たことははじめてであつたらう。と同時に、自分の裸の顔を、恐怖の一瞬の表情を、人に見られたこともはじめてであつたらう。
次項に続きます。
19. Posted by remmikki   2017年04月13日 08:56
このところ毎日のようにコメント欄に湧いてくる嫌がらせコメントは読みもせず、即削除してます。

IPアドレスを調べて特定もしています。

当ブログを“テロリスト”だの
内廷皇族をいじめる“リンチの首謀者”と呼びつけてきてます。

そんなコメントを取り上げてほしくて仕方ないようですが、すべて非公開にしてます。
そういうキチガイに通知します:

「コメントに取り上げるか否か」の基準は、
「論理が破綻している」
「一方的に相手を責めたり、自分で調べることもしないで二言目には根拠を示せ」と言う、
「さんざん根拠を示して記事にしているのに、理解もできず」
「読者やブログ主に不快感を与える」など。

結局のところ、、
「バカ兼無礼でないか」が判断基準です」

18. Posted by remmikki   2017年04月13日 08:35
ありすさん、

ご成婚時は戦後まだ14年でしたね。
まだまだ貧しい生活でしたよ。
「この青年の中で、何かのスイッチが入ってしまった」そうかもしれませんね。
三島は確か美智子さんと見合いをし、「つまらない女」と言ったと聞いてます。
人を見る目が厳しくあった作家ですね。

「人間が人間と向かい合った」というすごい瞬間だったのに明仁さんはなにも理解せず、その後も理解しないで次々と贅を極める妻を許していった。
晩年になって、この青年が抱いた思いが現実となり庶民にも理解される時が来たと思いました。
国民の苦しみを理解もせず、寄り添うなどと口から出まかせばかりの言葉を親子二代で言い続けているのを国民は見抜いてます。
素晴らしい分析のコメントありがとうございます。
17. Posted by ありす   2017年04月12日 22:54
1959年と言えば、終戦後14年目で、まだまだ日本が貧しかったころですよね。
そんな時代に、巨額の費用を使って結婚式を挙げ、さらに、道路を封鎖して、パレードをする皇族。 ダイヤのティアラとネックレスで着飾った民間から輿入れした妃。
隣には、国民を見下したようなドヤ顔の、カリスマ性の無い皇太子。
この青年の中で、何かのスイッチが入ってしまったんでしょうね。

当時の皇太子と美智子さんを、ナルと小和田雅子に入れ替えると、石を投げつけた青年の気持ちが、今の私たちにも良く理解できますよ。 税金の無駄使いにすぎませんもの。 というか、税金泥棒ですから。
実際に、今上と美智子さん、ナルと雅子、本当に税金泥棒の国賊になっていますもの。

三島の視点はさすがです、「人間が人間と向かい合った」、 立場とか地位を排除して、初めて人間として見られた皇太子。 尊敬とか信頼ではなく「除外すべき対象」として見られたわけです。
皇太子(当時の)は、この青年をただの暴漢としてしか理解できず、彼の思いに寄り添うことなどしなかった、
結果、今上、晩年になり、国民の総意として、亡霊のようにこの時の青年の情念が蘇りつつあるのです。

原因は全て、人としての、倫理観すら持つことが出来なかった、そして、国民の苦しみを理解せず、国民に寄り添うこともしない、天皇と内廷にあり、因果応報です。

16. Posted by remmikki   2017年04月12日 21:03
やまもつ太郎丸さん、

野蛮ですかね、こういう形でしか反抗できなかったのでは。
日本をつぶしたい人達の方がよほど野蛮と思いますが。

ベターニアさん、

貧乏な故郷を思う純粋な青年だったのかも。
団地のLDKの狭い部屋を見学した二人の写真見たことありますよ。
ここを見学してどう感じたのか、庶民なんてこんな狭い部屋に住んで、自分たちは豪華な御所、見下していたのでは。
学習してないふたりですね。

さと子さん、

皇室入内してすぐに親王に恵まれ、贅の限りを尽くしたドレスや御殿、舅・姑を見送ってから自分が頂点、だれにも文句言われなくなり、傲慢になってしまいました。苦言を呈する人もいなく、裸の王様状態です。
マスゴミが共犯なのでなかなか暴露されませんが、ネットの拡散により、時間の問題では。



15. Posted by さと子   2017年04月12日 16:17
この結婚式のパレードの馬車は確か香淳皇后の時よりも豪華で、新築の東宮邸に入り皇后になったら50億の御殿暮らし。
若い頃の衣装は、毒々しくも贅の限りを尽くして・・

結婚後すぐに男子を成し、夫君は言いなり
雑誌には美辞麗句。

苦労していないから傲慢になった。
あとどれくらいすれば、素顔の皇后美智子が暴露されるのでしょう。
14. Posted by ベターニア   2017年04月12日 08:43
remmikkiさま

そう言えば、そんなことがあったんだっけと、この事件に関しては、その程度のことしか知らなかったので、とても興味深く読ませていただきました。
remmikkiさまが記事にしてくれなかったら、ずっと知らないままだったかも、ありがとうございます。
Aは本当に純粋な人だったんだと思います。

この記事を読んだら、以下の写真を思い出しました。
http://mainichi.jp/graph/2013/03/28/20130328org00m040010000c/028.html

結婚1年後のことです。今見ると、すごい違和感ですが、当時は大騒ぎだったんでしょうね。
その記事を探せませんでしたが、当時は最先端だったこの団地の感想を「とても住みやすそうですね」とお2人は言っているんですよね。
今では、嘘ばっか!と思いますけどね。

今現在に至るまで、皇族で庶民の住まいをこんなふうに直接視察したのは、この2人だけではないでしょうか。
その事件も含めて、どんなふうにこの2人は受け止めたんでしょうか。
「何も学習していない」この一言にすべて凝縮されているように思います。

本当に貴重な記事、ありがとうございます。
13. Posted by やまもつ太郎丸   2017年04月12日 08:14
昔から天皇制反対してる奴は野蛮だったんですね(汗)

12. Posted by remmikki   2017年04月12日 07:57
紅さん、

私も調べてみて初めて知ることばかりです。
この青年も今や78歳ですか、ご家族も苦難の人生となりましたが、名誉回させてほしいです。
今なら共感する人多いのではと思います。
あの事件の被害者の当事者が青年の思いに馳せることもなく、さらなる贅沢をし続けてきたのですよ。
「下賤の婆が姑息な手を使いあれこれと画策」
彼女こそ皇室破壊テロリストではないですか!もう尊敬などできなくなりました。

クレリアさん、

私も知ることばかりでした。
「敬称はそれに相応しい方々にお付けするもの」おっしゃる通りです。

たまきさん、

私も同じ、敬称付けて呼べなくなったのですよ。
呼び方変遷、同じです。
ただブログ記事内ではまださん付けですが、それも苦しいところ。
呼び捨てにしたいくらい。

老婆心さん、

そうそう、そうでした。皇室をさま付けにしたのは美智子さんから。
昔はさん付けだったと聞いてます。
文句言ってくる人はそういうことすら知らない人なんですね。

11. Posted by remmikki   2017年04月12日 07:55
鉄人66号リターンさん、

馬術をしていたのですね、教官が成婚パレードの騎馬護衛兵として馬車を先導していたとはすごいですね。
その教官に褒められたとはまたすごいではないですか!
このパレードからきっかけに東宮の遣う費用がどんどんふくらみ、皇室費濫用に繋がっていったとは。

二つ目コメント:
石原さんもけっこうまともなご意見言っていましたね。
「・・・最大の問題」のところ大いに共感いたします。

なんしーさん、

まずはアカヒに文句言ったら?あそこは皇室に対して敬語も使わないマスコミですよ。
内廷皇族に尊敬の念が持てればおのずと敬称付けますよ。
彼らの行動を見ていてさん付けさえつけたくないほどの嫌悪感です。

まりりんさん、

やっと真相に巡り合えた思いです。
58年経ってこの青年に共感覚えようとは想像もしませんでした。

腹の虫さん、

同感です、なんで継承付けなきゃあかんの?という心境。
まずは彼らの行動を反省して国民から尊敬の念を持たれるように努力なさるようアレラに伝えてくださいませ、ですわ。

いつも心に太陽をさん、

おっしゃる通りです。尊敬できない行為を続けているからとてもじゃないけど、敬称付けたくないのですよ。
まるで北朝鮮並みの平成皇室ですものね。

10. Posted by 老婆心   2017年04月12日 07:41
昔わね、『さん』付けでよんだんですよ。
明治天皇から戦争のことなどもあり、
欧米流に陛下と呼ぶようになったんですよねえ。
天智天皇を天智天皇陛下と呼びますかしらねえ。
聖武天皇陛下、光明皇后陛下と
呼ぶんですかねえ。
京都の人は『天皇さん』と親しく呼んでましたし、宮さん方もOO宮さんと
呼ばれていたのを知らないんでしょうねえ。
町中にある御所の意味も分からないん
でしょうねえ。
『さま』付けにしたのもミテコさんからですよ。
自分の出から軽く見られるのが嫌だったんでしょうねえ。
ミテコはミッチーと呼ばれてたし、
ミチコさんでしたからねえ。
粉屋のミッチ、ミッちゃんとも言われてましたよ。
皇室にユーモアが無くなったのは、
ミテコからですよ。
もっと明るく、開放的な部分がありましたけどねえ。
菊のカーテンを重くしたのは、庶民出のミッちゃんですけどねえ。
9. Posted by たまき   2017年04月12日 04:26
敬称をつけて呼べなくなりました。

美智子様の呼び方変遷(私の場合)
美智子様→美智子さん→美智子→
ミテコ

最初、痛んでいた心も全く痛まなくなりました。

不敬罪でしょうなあ。昔ならば
8. Posted by クレリア   2017年04月12日 01:20
Remmikkiさん、

まりりんさんがおっしゃっているように、この文献を発見されたのは素晴らしい! 掲載して下さって有難うございます。

なんしー様、

敬称はそれに相応しい方々にお付けするものではありませんか?

レティシア王妃様の腕を掴む等、皇后さんの振る舞いは国辱ものです。敬称をつけたくない理由は他に山ほどありますよ。
7. Posted by 紅   2017年04月12日 00:05
remmikkiさま、感動しました!この「投石事件」の少年について、生まれてはじめて詳細な事実を知って驚いています。当時幼児だったためもちろんリアルタイムでは知らず、周りの人間も話題にしたのを聞いたこともなく、少年の名も知らず、そういう事件があった事のみどこかで読んで覚えておりました。

生涯狂人扱いされた彼に、今は深く共感します。特に50年以上も騙されてきた身には、この記事はこたえました。美智子妃殿下とやらは、才色兼備の非のうちどころのない女性、「日本のどの上流家庭からもお嫁さんとして望まれた方」(本当にこう週刊誌に書いてあったのですよ!)、理想的な家庭、物を大切に、服は着まわして質素な皇室などなど、本気で信じていたんですからね。マスコミの報道を全く疑うことがなかったからです。

皇統は正しく文仁親王殿下、悠仁親王殿下に伝えられるべきです。それしか天皇家の存続する道はないと確信しております。今や下賤の婆が姑息な手を使いあれこれと画策していますが、日本人をなめるなと言いたい。私は絶対にあきらめません。

6. Posted by いつも心に太陽を   2017年04月11日 23:31
なんしーさん

敬称をつけてお呼びしましょうよ

敬意を表する価値があるなら、子供じゃないので言われなくとも付けますね

敬する行為をなきものにしているのが今上老夫婦です
我が国は北朝鮮と同様では有りません
国民の血税を湯水のように使い
國體の中でも一番重要な祭祀を拒否して
美術や音楽鑑賞、公務のフリした旅行
新しい衣装をどんどん作る
正統な継承者である秋篠宮殿下と悠仁親王を等閑に付す
それを北朝鮮のように無条件で受け入れろと?
國體としての皇室、天皇だからこそ
日本国民は認めて支え、共に在りました
國體としての存在意義を壊したのは今上老夫婦です
敬称をつける意味が見当たりませんね
5. Posted by 鉄人66号リターン   2017年04月11日 23:16
石原慎太郎が知事時代に著した、『「アメリカ信仰」を捨てよ』(光文社刊)では、
‥傾弔髻峺擬鵑任△襪般正」して、「権力を持たない権威としての天皇のあり方」を憲法上明らかにせよ・とあります。
2006年2月6日付『産経新聞』の「祭司たる天皇」によれば、
「天皇は神道の最高の祭司に他ならない。ならば神道もまた宗教の一つではないかという反論があろうが、私には神道は宗教というよりも日本人の心情、感性を表象する日本独特の象徴的な術だと思われる」
「その集大成が伊勢に他なるまい」
「神道は宗教の範疇を超えた日本人の価値観の表現の様式であり、民族としての自己表現の有効な一つの手立てに他ならない」
「私がこの現代に改めて天皇、皇室に期待することは、日本人の感性の祭司としてどうか奥まっていただきたいということだ。」
「その故にも(中略)天皇陛下には是非々々とも靖国神社にお参りしていただきたい。それは『靖国』が決して政治問題などではなしに、あくまで日本の文化神髄の事柄なのだということを内外に示す決定的なよすがとなるに違いない」
→総じて石原慎太郎氏の皇室観、天皇観は健全ではないでしょうか。
今上天皇が、神道を、祭祀をないがしろにして、奥まるどころかよたよたと歩き回って、天皇を辞めたいと言い出すなど、この理想像から大きく外れてしまっていることが最大の問題ではないでしょうか。
一度、皇居を閉じて、宮内庁を解散し、京都からやり直すくらいの荒療治が必要なのかも知れません。
ありがとうございました。
4. Posted by 腹の虫   2017年04月11日 23:03
あーら、なんで天皇皇后の呼び方に
指図するの?
天皇陛下、皇后陛下は
昭和天皇と香淳皇后です。
皇室会議にかけられていない
立后してない人を呼ぶ必要は
ありません。
海外でも知られてますよ。
あなたが勝手に呼んでらしてね。
宮内庁でも不敬罪などありません
って公表してますから。
好きな人も嫌いな人もいます。
と、民主主義が分かってるわよ。
あなたは認めてるならそれはそれ。
こちらはおかしいと思っているん
ですからね。
国会の議事録にも出自に抵触されて
ます。
3. Posted by まりりん   2017年04月11日 22:22
remmikkiさん
すごい、よくこの文献を発見されましたね。
2. Posted by なんしー   2017年04月11日 22:21
天皇陛下、美智子妃殿下、敬称をつけてお呼びしましょうよ。
1. Posted by 鉄人66号リターン   2017年04月11日 22:09
 "投石少年"こと中山建設さんの詳しい記事ですね。
小学生の自分はリアルタイムでこのパレード投石事件を見てはいませんでした。後で雑誌で読んで知ってはいました。
私事ですが実は、自分の大学の馬術部の卯月教官が当時宮内庁でこの成婚パレードの騎馬護衛兵として馬車を先導していました。
180cmを超す威風堂々とした怖い乗馬教師で、あまり誉められたことがありません。一度だけ、大学の馬場で150cmの障碍を飛越練習してたのを知ってくれて、"あの障碍は誰が跳んだんだ?鉄人と富早号か。皆もあのくらいの高さを飛べないといかんぞ"と言ってもらいました。
戻ります。
現在の過剰な皇室費濫用に繋がる伏線がこの成婚パレードにあったようですね。
戦後のトルーマンの愚民化政策(3S)と、日本国民が徐々に豊かになるのと同期して、今の、"乗っ取られた皇室"と盲目の国民がいるのだと感じます。
常に一次資料を大切にして、自分の考えをしっかり持たないといかんぞと感じます。
ありがとうございました。

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