この週末は美智子さん忙しかった。
まずは鑑賞のはしご。


両陛下は14日午前、東京都千代田区のパレスサイドビルを訪れ、「ラストエンペラー」として知られる中国清朝最後の皇帝溥儀の一族が残した書画を展示した「愛新覚羅一族の書画作品展」を鑑賞された。

これは日中平和友好条約締結40周年に合わせた企画。
この展示会は昨日15日で終了してしまった。


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JNN 両陛下、愛新覚羅溥儀の一族が残した書画を鑑賞

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両陛下、愛新覚羅一族の書画展に

時事ドットコム 2018/4/14()11:06配信

 天皇、皇后両陛下は14日午前、東京都千代田区のパレスサイドビルを訪れ、「ラストエンペラー」として知られる中国清朝最後の皇帝溥儀の一族が残した書画を展示した「愛新覚羅一族の書画作品展」を鑑賞された。

 日中平和友好条約締結40周年に合わせた企画で、両陛下は溥儀の弟、溥傑の書などの書画を見て回った。旧満州の文字で書かれた書を見た陛下は「これは何の文字の影響なんですか」と質問。皇后さまは溥傑の書を見て「おおらかで柔らかい字ですね」と述べた。

両陛下は溥傑と皇太子夫妻時代の1974年に東宮御所で初めて会い、その後も訪日時に会った。溥傑は94年に死去。即位後の92年の中国訪問時に会ったのが最後となった。 

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愛新覚羅一族の書画展


続けて4月14日(土) 午後、美智子さんひとりで鑑賞にお出ましは、東京都板橋区区立美術館で開催中の絵画展「東京・沖縄・池袋モンパルナスとニシムイ美術村」展を鑑賞された。
午前と午後続けて鑑賞、元気なものだ。



JNN 皇后さま、東京と沖縄の美術交流を紹介する展覧会に (0:44)
 


皇后さま、東京と沖縄の美術交流を紹介する展覧会に

TBS News 2018/4/15()6:06配信
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20180415-00000008-jnn-soci

皇后さまが、東京と沖縄の美術における交流を紹介する展覧会を鑑賞されました。

 昭和の初めから戦前にかけて、東京の池袋周辺などにはアトリエ村と呼ばれるアトリエ付きの住宅が建ち並び、多くの画家らを輩出しましたが、さらに戦後、このアトリエ村の画家らが沖縄に渡り、現在の那覇市にニシムイ美術村をつくりました。

 皇后さまは13日、このニシムイ美術村の画家の作品などを紹介する展覧会を鑑賞され、「ニシムイ美術村は沖縄のどのあたり?」などと熱心に質問されていました。皇后さまは「沖縄と東京が近代美術の分野で交流があったことを初めて知りました」と驚いた様子で関係者に感想を述べられたということです。(14日21:34)

 

皇后さま、沖縄の絵画鑑賞

東京・板橋区立美術館で

共同通信 2018/4/1419:00

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東京・沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村」展を鑑賞される皇后さま14午後、東京都板橋区の区立美術館


 皇后さまは
14日、東京都板橋区の区立美術館を訪れ、開催中の絵画展「東京・沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村」(主催・共同通信社、同美術館)を鑑賞し、沖縄県出身の画家の絵画に触れられた。

 皇后さまは興味深そうに熱心に見て回り、戦後すぐの沖縄の画家たちが地元の石灰岩で絵の具を作り、沖縄らしさを追求していたとの説明を聞き、「きれいな白ね」と感心していた。

 天皇、皇后両陛下は、太平洋戦争の地上戦の舞台となり、戦後も米軍施政下に置かれた沖縄県に心を寄せ続け、今年3月にも陛下の在位中としては最後の予定で同県に赴き、戦没者を慰霊した。

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翌日4月15日(日)、美智子さんは先だって亡くなった水俣病を告発し続けた石牟礼道子さんを送る会に弔問に訪れた。

美智子さんが親しくしていた人、鶴見和子さんがいる。石牟礼道子さんと初めて会ったのが、
2013年7月の鶴見さんを追悼する催しだったことに触れたそうだ。


「日本の宝失った」皇后さま弔問、石牟礼道子さん送る会

朝日新聞 2018/4/15()20:13配信
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石牟礼道子さんについて語る緒方正人さん=15日、東京・有楽町


 
水俣病の実相を描いた小説「苦海浄土」で知られ、2月に90歳で亡くなった作家、石牟礼(いしむれ)道子さんを送る会(水俣フォーラム主催、朝日新聞社など共催)が15日、東京・有楽町朝日ホールで開かれた。約千人が石牟礼さんの遺影に黙禱(もくとう)を捧げ、交流の深かった人たちが悼む言葉を述べた。

 水俣病で父親を亡くした熊本県芦北町の漁師緒方正人さんは、原因企業チッソの責任を問ううち、自らも自然を損なってまで利便性を追求する社会の一員であることに気付いて苦悩したと振り返った。その姿を見た石牟礼さんは「命の世界に、よう帰ってきたですね」と声をかけてくれたという。「今の制度社会からこぼれ落ちるものをすくい取る慈愛の人だった」

 詩人の高橋睦郎さんは「苦海浄土」を「民衆の叙事詩」と表現。「(水俣病患者ら他者の苦しみを)共に苦しむことができる『共苦の人』だから書けた」と話した。批評家の若松英輔さんは「いずれ水俣病事件も分からなくなる時代が来る」とし、「石牟礼さんが何を残してくれたのか、若い人たちに語っていく役目が我々にはある」と指摘した。

 会に先立ち、交流があった皇后さまも会場を弔問に訪れた。石牟礼さんの遺影を見つめ、白い花一輪を捧げて深く一礼した。長男の道生(みちお)さんに「お悲しみが癒えないでしょうね。慈しみのお心が深い方でした。日本の宝を失いました」と声をかけたという。

 さらに皇后さまは、社会学者の鶴見和子さんの名をあげ、石牟礼さんと初めて会ったのが、2013年7月の鶴見さんを追悼する催しだったことに触れた。同年10月、天皇陛下とともに熊本県水俣市を訪れた際、胎児性患者2人にひそかに面会したのは、石牟礼さんから「胎児性患者に会ってやって下さいませ」との手紙を受け取ったことがきっかけだった。

 道生さんは皇后さまに「患者さんに会ってくださり、母が感激していました」と伝えたという。(上原佳久、編集委員・北野隆一)

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鶴見和子さんって誰?と調べたら、後藤新平の娘なのね。

1946年共産党に入党、美智子さんと親しいのはやはり共産党か。

皇室反対のはずの共産党思想の持ち主が、今上天皇と美智子皇后への深い尊敬の念を語っていた、のは???赤い人達と仲がよろしいようで。


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写真 郡上紬を来た鶴見和子、上智大学名誉教授だった。

「鶴見和子(1918年〜2006)社会学者。上智大学名誉教授。国際関係論などを講じたが、専攻は比較社会学。和歌や日舞、着物などの趣味の豊かさでも知られ、その方面の随筆、写真本などの刊行物もある。」 (Wikipedia「鶴見和子」より抜粋引用)

 


和子
(つるみかずこ、1918大正7年)6月10 - 2006平成18年)7月31)は、日本社会学者上智大学名誉教授。国際関係論などを講じたが、専攻は比較社会学。南方熊楠柳田國男の研究、地域住民の手による発展を論じた「内発的発展論」などでも知られる。

 

19186月10東京府麻布区で、父・祐輔と母・愛子(後藤新平の娘)の間に、4人きょうだいの1番目(長女)として生まれる。

 

1946年、弟・俊輔、丸山眞男武谷三男4人で「思想の科学」同人会議を開き、同年、雑誌『思想の科学』を創刊。この頃、共産党に入党し、党が所感派国際派に分裂した1950年頃まで党員だった。

 

八王子大学セミナーハウスの運営委員や市井三郎桜井徳太郎などと「思想の冒険」グループ(他に、宇野重昭内山秀夫色川大吉三輪公忠菊地昌典山田慶児)をつくり、水俣病近代の超克などの共同研究を行った[要出典]


実現には至らなかったが日本の国連代表部公使の候補になったこともある(結局、選ばれたのは緒方貞子だった)。[要出典]

 

生涯独身[35]。弟の俊輔は『和子はおやじを非常に愛していた。率直に言って、生涯で一番愛した男なんだ。「父の娘」というのがいるでしょ。アナイス・ニンとか森茉莉とか、その型なんだよ』と述べている。

2007728日に新宿中村屋本店で催された一周忌の集いには、美智子皇后も臨席した。鶴見和子本人も生前、今上天皇と美智子皇后への深い尊敬の念を語っていた。

 

 

 

2018年2月28日

水俣病を告発し続けた石牟礼道子さん死去、美智子さんがお忍びで対面
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/2018-02-28.html