美智子さんと大の仲良し、宮城まり子さんが亡くなった。93歳。亡くなった日はなんと本人の誕生日というから驚く。

 

宮城まり子さんは元は女優さん。

1968年に肢体不自由児の社会福祉施設、「ねむの木学園」を設立した。

美智子さんと大変親しく、学園には何度も訪問、信心深いクリスチャン、プロテスタントであった。
上皇夫妻は宮内庁上皇職を通じ、ねむの木学園に弔意を伝えた。

 

宮城まり子死去




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ANN 宮城まり子さん死去 93歳 「ねむの木学園」設立
    (20/03/23)(0:35)
 

  

 毎日ニュース【速報】宮城まり子さん死去、
     「ねむの木学園」を設立
(0:40)
 




「意思を守っていきたい」 宮城まり子さん死去 葬儀は関係者で 静岡・掛川市
テレビ静岡 2020/3/23() 18:11配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200323-00000009-sut-l22

 

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静岡県掛川市にある障がい者の養護施設「ねむの木学園」の創始者で、女優の宮城まり子さん。

21日、都内の病院で亡くなっていたことがわかりました。

93歳でした。

音楽に合わせ旗を振る入所者たち。

「ねむの木学園」は1968年に女優の宮城まり子さんが設立しました。

子供のころから舞台に立ち、その後、歌手や女優として活躍してきた宮城さん。

体が不自由な子供たちの学びの場を作りたいと考えました。

宮城まり子さん 「(Q私立では宮城さんの所が全国の先鞭を切ったというか第一号なんですけど、こういった学校は各地でつくられるべきでしょうか?)私はべきと思います。べきだと思うからやってやったの」

上皇后さまとの親交も深く、上皇ご夫妻は退位前のおととしにも私的な旅行の一環として学園を訪問されています。

ねむの木学園によると、宮城さんは去年春頃から入退院を繰り返し、21日、93歳の誕生日に亡くなりました。

ねむの木学園・梅津健一さん 「学園長の意思はこれからも守って行きたいということ。子供達のことはしっかり守っていきたい、守っていかなければならない、そういう思いは抱いております」

県知事選挙で支援団体の代表を務めてもらうなど、交流のあった川勝知事も突然の別れを惜しみました。

静岡県・川勝平太知事 「きれいな心を持っている人は世のなかにいますが、それを形にして献身して一生それに懸けた人はいないと言ってもいいくらい」

マザーテレサ
に匹敵する、素晴らしい日本が生んだ女性、宮城さんの葬儀は27日にねむの木学園で職員と入所者のみで行われる予定です。

 

上皇ご夫妻がご弔意 宮城まり子さん死去で

産経新聞 2020.3.23 12:51

https://www.sankei.com/life/news/200323/lif2003230036-n1.html

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宮城まり子さん(左)と園生=2018年6月、静岡県掛川市のねむの木学園

 

 宮内庁関係者によると、歌手で俳優の宮城まり子さんの死去を受け、親交の深かった上皇ご夫妻は23日までに、同庁上皇職を通じ、養護施設「ねむの木学園」に弔意を伝えられた。

 上皇ご夫妻は昭和51年から宮城さんと交流を持ち、平成6年には静岡県浜岡町(現御前崎市)にあった学園をご訪問。以降も、上皇后さまが園生の描いた絵画の展覧会に足を運ばれるなどしていた。

 近年では平成30年11月、ご夫妻が同学園を訪れて車いすに乗った宮城さんと再会し、園生の活動を見て回られた。

 

宮城まり子さん、上皇ご夫妻と40年来の親交 「ねむの木学園」訪問も
毎日新聞2020/3/23() 17:19配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200323-00000049-mai-soci

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「ねむの木学園」理事長の宮城まり子さん=静岡県掛川市で2015年9月10日、野村房代撮影

 21日に93歳で亡くなった宮城まり子さんは、上皇ご夫妻とも40年以上の親交があった。ご夫妻は1976年、静岡県浜岡町(現御前崎市)にあった養護施設「ねむの木学園」で子供たちに絵や歌などを教えていた宮城さんを住まいに招き、子供が描いた絵を鑑賞された。その後も上皇后さまは、東京都内などで開かれた作品展に度々足を運んできた。

【写真特集】歌手、女優、養護施設運営…宮城まり子さんの軌跡

 201811月には、50周年を迎えた学園をご夫妻で訪問。車いすに乗った宮城さんの案内で、子供たちの歌やダンスに拍手を送った。

 訃報を受け、ご夫妻は22日に宮内庁上皇職を通じて学園に弔意を伝えた。交流があった同県の川勝平太知事は23日、「マザー・テレサに匹敵するような素晴らしい女性だった。平和を愛する気持ちはことのほか大きかった」と死を悼んだ。【稲垣衆史、古川幸奈】

美智子さんと親しいせいか、新聞も読売新聞夕刊11ページ目と見開きの5ページ目を割いて報道している。 

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宮城
まり子(みやぎ まりこ、本名:本目 眞理子(ほんめ まりこ)1927321 - 2020321)は、日本歌手女優映画監督・福祉事業家。東京都名誉都民

東京府東京市蒲田区(現:東京都大田区)に2人姉弟の姉として生まれ、幼くして母と死別するつらい少女時代を送った。父親の仕事の関係で、小学校3年から大阪で育つ。小学校5年の時、父親が事業で失敗、母親が病死する。そのため小学校卒業と同時に、弟と共に吉本興業に入り、歌謡曲を歌うようになった。戦時中の194410月、宮城千鶴子の芸名で17歳で大阪花月劇場(吉本興業直営)にて初舞台を踏む

1968肢体不自由児社会福祉施設ねむの木学園」を設立。この頃より、タレント活動は事実上引退状態となる。1973吉川英治文化賞受賞。1974には記録映画『ねむの木の詩』を製作・監督し、第6回国際赤十字映画祭で銀メダル賞を受賞した。1976には、『まんが世界昔ばなし』の声優として名古屋章とともに出演。1977には『ねむの木の詩がきこえる』を製作した。1979、「ねむの木養護学校」を設立。

作家吉行淳之介と交際し、彼の死までよきパートナー関係(都内の互いの自宅で同居)であった。また、信心厚いクリスチャンプロテスタント)でもある。また、同じく作家室生犀星にも可愛がられていた。犀星の見舞いにクリスタルカップを贈ったが、森茉莉に取られてしまった。(犀星のエッセイより)

2020321悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去93歳没。奇しくも自身の誕生日で、1975年に『まり子のチャリティーテレソン』が放送された日でもあった。

(Wiki)



作家吉行淳之介氏と。

吉行淳之介と

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