着物の右前・左前の違い

19:08
コメントからいただいた初めて見る画像、美智子さんの着物が左前になっているのが衝撃を言われている!
光の加減でよくわからないが、左前になってます?
普通着物は男女とも右前に着るという。左前は亡くなった方が着る死に装束。
この写真はイメルダ夫人が来日した時か?
1962年に当時の皇太子夫妻が訪比した時の大統領はマルコスさんではなかった。(下記記述)


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***やっては駄目な左前(死人前)***

http://miyaposi.com/kimono/talk01/ki003.htm


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短く申し上げれば、
 日本ではお亡くなりになった方を荼毘に付す時、新しい(もしくは故人がお気に入りの)着物を着た方の左手が懐に入るように着せます。

 お亡くなりになった方がお召しになる着方だから死人前、いわゆる左前と言います。縁起が悪い着方のため、この着方をしていると信心深い方には注意をされます。

 長く申し上げれば、
 日本では、奈良時代の元正天皇(氷高皇女:天武天皇の孫娘、奈良の大仏を建立した文武天皇の姉、そして日本では最初の未婚の女性の天皇)が「右衿の礼」という詔を出し、国内の者は全て衣服を右前に着なければならないと決めました。

 当時、中国派は右前、朝鮮派(本当はもっと別れるのですが纏めてしまいました。ごめんなさい)は左前という着方をしていたようで、韓国では今でも左前に衣服を着ています。
 政治の上で、日本は中国派ですよ。と発したわけですが、これ以後、わが国ではずーーと右前が守られてきたのです。

 ちなみに、当時の日本では左は貴いという意味を持ちます。朝鮮派に気を遣ったんでしょうね‥‥‥
 死者に左前で衣服を着せるということは、故人を貴い方だと思っているという意味も含んでいるのかもしれません。

 ですが、日本でずっと左が貴かった訳ではありません。
『奥の手』左が貴かった時代の言葉。後から来る良い手は「左手」を指します。
『左遷』右が貴かった時代の言葉。左に行くのが悪い意味になっています。

 こんなふうに昔から他国に合わせて意味を変えたりして、臨機応変に政治の波をかいくぐって来ていたのです。
 ただし、長い間左前は死者が着る着方というのは変わっていないため、昔気質の方やおば様方はこの着方をしていると注意して下さいます。
 それに作法や礼儀に関わってもきますので、お寺や神社などへの参拝、お茶会やお稽古事の時に左前で行くと冷ややかな視線で見られてしまいます。


やっぱり朝鮮派は左前に着ていたというではないか!

これは仁川アジア大会の女性スタッフの衣装、美智子さんの着物に似ている。

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韓国開催なのに女性スタッフの衣装が着物?しかもなぜか死装束風?衣装から見る仁川アジア大

http://matome.naver.jp/odai/2141180005779820001

 

韓国・仁川で開催中のアジア大会。
 胸躍るメダルラッシュの報もあれば、運営の不手際や不正の噂もちらほら漏れ聞こえ、あらゆる意味で話題のつきない今大会。
 
 吉報や疑惑が飛び交う中、まとめ主はスポーツとは全然関係ない部分が気になって仕方ありませんでした。運営スタッフの服です。

これは各競技の表彰に置いてメダルや花束を運ぶプレゼンターの女性。彼女たちのユニフォームに注目。

 透ける布地なのでわかりにくいのですが、重ねてあわせる襟元。
 振袖を思わせる、長く四角い袖。
 帯&帯締めによく似たウエスト切り替え(ベルト)。

 まとめ主は、「なぜ韓国開催の大会で運営スタッフが着物とも漢服ともつかないものを着ているんだ?」と思わずにはおれませんでした。

 



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「教えてGoo」によると、

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http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1313221.html


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1200年以上も前から、着物は右前。

 着物は右前に着るのが当たり前で、左前に着るのは「死んだときだけ」「早死にする」などといい、たいへん縁起の悪いこと、いわばタブーとされています。
これは仏式の葬儀で、死者に着せる経帷子(きょうかたびら)を左前にすることから連想されたことなのでしょう。
葬儀では、ふだんとは逆にするしきたりが多いのです。
 
さて、この「左前」ですが、着物に馴染みのない人には、ちょっとわかりにくいかもしれません。
着る人からみて、先に左側の衽(おくみ=前身ごろに縫いつけた半幅の布)をつけてから、その上に右側の衽を重ね合わせたのが左前。
もちろん正しくは右→左の順で重ねる右前になります。

ちなみに洋服の場合、紳士服の襟合わせは右前、婦人服は左前になっています。
 
古墳時代の埴輪、そして法隆寺五重塔にある塑像(そぞう)には、右前、左前両方の襟合わせが見られますから、600年代までは特別の決まりはなかったのでしょう。
それが右前と統一されるのは、719(養老3)年のこと。
「続日本紀(しょくにほんぎ)」元正天皇2月3日の条に『初メテ天下ノ百姓ヲシテ襟ヲ右ニ令ム』とあり、この詔勅(しょうちょく=天皇が述べた言葉)以来現在にいたるまで、実に1200年以上の長きにわたって日本人は右前の着方をしてきたのです。

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右前と定めたのは女帝。


 わが国において、最初に服飾の制度を打ち出したのは推古天皇(在位592-628年 )で、聖徳太子の冠位の制定に始まります。以後、奈良時代には何度となく服制が改正され、新しい服飾令が次々と発布されます。また奈良時代は女帝が活躍した時代としても知られていますが、服装に対して女性ならではの関心と感性が反映されたのではないでしょうか。実は前述の元正天皇もそのひとり。

右前と定めたのは女帝だったのです。
 奈良時代は中国の文化を積極的に取り入れており、服飾令もそのほとんどは中国や韓国の服制にならっていました。"右前"も大陸の習わしに従ったものなのでしょう。
また、この世はすべて陰と陽との対比で成り立っているとする中国渡来の思想、陰陽説による「左=先」「右=後」に、着付ける側から従ったともいわれています。


しかし、わざと左前に着る人もいるようで。


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園山真希絵の着物が左前でビックリ!チマチョゴリは左前が正式なんだってね

http://kingfung.blog.fc2.com/blog-entry-8043.html


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名前:
可愛い奥様[sage] 投稿日:2013/09/09() 19:54:06.84 ID:+7a4UV5yi
園山さんが始めた和菓子店

着物が左前でビックリ!
でも、チマチョゴリは左前が正式なんだってね



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着物についてはやっぱりおばあちゃんに教わるのが一番!

おばあちゃんに教わった「着物を右前で着る理由」

http://matome.naver.jp/odai/2137739889672252301

 

なぜ右前に着物を着るようになったのかというと、これには諸説ありますが、歴史的には、奈良時代の養老三年(七一九年)に出された「衣服令(えぶくりょう)」という法令の中にある「初令天下百姓右襟」という一文がその起源であるとされています。

 

この時から「庶民は右前に着なさい」とされ、これ以降、着物を右前に着ることが定着したものと考えられています。

 

この背景には中国の思想の影響から、左の方が右より上位であったことから、位の高い高貴な人にだけ左前は許され、庶民は右前に着ていたという経緯があり、それに倣って聖徳太子がこれを日本でも普及させたのだとする一説があります。

 

死者に着せる着物が左前なのは「誰でも死ぬと位が上がって神や仏に近づくとして、貴人と同じ左前に着せた」からだと言われているそうです。

 

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イメルダ夫人に会う美智子さん、皇太子妃時代、54年前、1962年11月のこと。
日本とフィリピンの国交正常化60年を記念して公式訪問された時のもの。

時のフィリピン大統領はディオスダド・マカパガル

これは右前に着ているようだが。


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さて、美智子さん本当に左前に着物を着てらっしゃる?
誰が着つけたの?

秋篠宮ご夫妻、神社本庁創立70周年記念式典にご出席

09:08

昨日は秋篠宮両殿下は、神社本庁創立70周年記念式典にご出席された。
両殿下のご公務は神社関係、日本古来の伝統に基づいたご公務だ。
絵画鑑賞だって日伊150周年に由来するものや日本の絵画などで、変な鑑賞などはない。

いよいよサミットが始まるが、各国首脳は伊勢神宮へ参拝するそうだ。


映像は下記サイトへ。

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秋篠宮ご夫妻、神社本庁創立70周年記念式典に出席される

フジテレビ系(FNN 525()2256分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20160525-00000771-fnn-soci


秋篠宮ご夫妻は25日、神社本庁創立70周年の記念式典に出席された。

神社本庁は、戦後、存続危機に陥った、神社や神道(しんとう)の護持(ごじ)を目的として、1946年に創立された組織。

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式典には、秋篠宮ご夫妻のほか、総裁を務める、天皇陛下の姉・池田厚子さんなど、およそ1,800人が出席した。

この中で、秋篠宮さまは、お祝いの言葉を述べられた。
秋篠宮さまは「今後も、各地の神社や神宮に継承されている行事を通じ、地域に活力をもたらし、社会の平安に寄与されることを心より願っております」と述べられた。






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神社本庁
(じんじゃほんちょう)は、神宮(
伊勢神宮)を本宗とし、日本各地のを包括する宗教法人


神社本庁は神道系の宗教団体として日本で最大
[4]。約8万社ある日本の神社のうち主要なものなど79千社以上が加盟している[4]。都道府県ごとに神社庁を持つ[5][4]内務省の外局であった神祇院の後継的存在であり、宗教法人法にもとづく包括宗教法人である。


神社本庁の
宗教法人としての規則である「神社本庁庁規」では、神社本庁の目的を、包括下の神社の管理・指導、神社神道の宣揚・神社祭祀の執行・信者(氏子)の教化育成・本宗である伊勢神宮の奉賛・神職の養成・冊子の発行頒布を通じた広報活動など、としている。



神社本庁(東京都渋谷区代々木1-1-2


両陛下 熊本被災地慰問の時期を決められた理由

21:49

今月美智子様が熊本へ行かれた理由が、なんだこんなこと?ということが書かれている。

つまり鬼怒川決壊で日光私的旅行に行けなかった日光行きを6月下旬に予定しているそうなのだ。その前に熊本慰問を済ませておきたかったというわけか。

なんだかありがたみも消え失せ、熊本県民や国民をがっくりさせる記事ですわ。

 

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群馬県への私的旅行では、「わたらせ渓谷鉄道」にもご乗車('145月)


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美智子さまが「熊本地震」被災地訪問の時期を決められた背景

週刊女性PRIME 525()110分配信

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160525-00027569-jprime-soci

 

519日、「熊本地震」の被災地を日帰りで見舞われた天皇・皇后両陛下。なぜ、熊本への訪問が5月中旬になったのだろうか。

「両陛下は6月上旬に長野県での植樹祭が予定されているなど、すでにスケジュールが埋まっている状況でした。

 今回の時期は当初、須崎御用邸(静岡県)で静養の予定があったので、これを熊本訪問に充てることにされたようです。両陛下の“無私”の精神の表れだとも思います」(宮内庁関係者)

 '117月に、栃木県那須御用邸で静養するときも、福島県から近くに避難していた避難者をお見舞いした両陛下。

「プライベート旅行」で青森県を訪問された'149月にも、津波の被害があった八戸市の港湾施設を視察し、被災者に心を寄せられた。

 今回のお見舞いの時期は、そんな私的旅行とも関係があるようだ。

 両陛下に近い関係者が打ち明ける。

「実は6月の下旬に両陛下は延期になっていた日光への私的旅行が予定されています。その前に、熊本のお見舞いをすませておきたい強いお気持ちがあったようなのです」

 鬼怒川の決壊などで、茨城県、栃木県などに大きな被害をもたらした昨秋の豪雨で、9月中旬に予定されていた栃木県日光市への旅行を延期されていた両陛下。

 なかでも奥日光は戦争中、小学生だった陛下が疎開されていて、終戦を迎えることになった思い出の地だ─。

「昨年は戦後70年の節目ということで、陛下のご希望どおりの“センチメンタル・ジャーニー”となる予定でした。

 その後は、美智子さまが疎開されていた群馬県館林市への旅行も検討されているようで、どちらもプライベート色の強いものとなりそうです。

 多くの被害や犠牲が出た熊本県訪問を後回しにして、そのような旅行をするわけにはいかない、という強いご意向があったようなのです」(同・関係者)

 今回のご訪問で、熊本への「思い」が深く胸に刻まれたに違いない陛下と美智子さま。

 これからも、公私を問わず折にふれて、熊本の被災者を気にかけ、心を寄せ続けられることになるだろう。

 

この記事を読んだ後に下記の記事を読むと白けてしまう。

516日にはすでに沖縄・奄美地方が梅雨入りして、これから九州地方も雨が多くなり、その対策や二次被害のリスクが高まります。
そこで両陛下は、6月までにはお見舞いをすませておきたい気持ちがあったようです」が理由ですって。

すでに一番目の記事にほんとうの理由が書かれてある。梅雨が迫っているからではなく、日光へ行きたいからでしょ。

 
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両陛下は「怖いとか危険だという前に、国民を思うお気持ちが強い」

週刊女性PRIME 525()160分配信

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160525-00027563-jprime-soci


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19日、「熊本地震」の被災地を日帰りで見舞われた天皇・皇后両陛下だが、前の週にその予定が報じられると、読者から「両陛下が現地をお見舞いすれば、人手がかかることになります。余震が続くなか、もう少し落ち着いてからいらしたほうが、被災地のためになるのではないでしょうか」といった声が『週刊女性』に届けられた。

 414日に震度7の揺れがあり、死者・行方不明者50人(520日現在)を出した今回の地震は、その後も余震が頻発。

 気象庁は今後、少なくとも1か月程度は最大で震度6弱程度の地震が起こる可能性があると呼びかけている。

 そんな状況での被災地訪問は、両陛下にとっても、迎える側にとっても「リスク」になるのでは─というのが冒頭の読者の意見だった。

 当日の両陛下の被災地での様子を、宮内庁担当記者が振り返る。

「両陛下はヘリやバスを乗り継いで、土砂災害などで16人が犠牲となった南阿蘇村や震度72回観測した益城町を訪問されました。

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 益城の体育館ではカーテンで仕切られた居住スペースを丁寧に見て回り、陛下が小3の少女から折り紙の花を受け取られる場面もありました」

 熊本県のPRキャラクター「くまモン」のピンバッジをつけた皇后美智子さまも、耳が不自由な山本久美代さんに手話を交えて「元気ですか」「大変ね」と慰労するなど、被災者を励まされた。

 陛下と美智子さまのお見舞いのタイミングについて、

「余震が続いていても、そういうときにこそ被災者や困っている人たちをすぐに励ましたいというお気持ちが、両陛下にはおありなのでしょう」

 と話すのは、皇室を長年取材するジャーナリストで、文化学園大学客員教授の渡辺みどりさん。

「現地の事情も考慮して、地震から1か月が過ぎた今回、日帰りで訪問されることになったのだと思います。

 熊本の被災者も、決して体調が万全ではない高齢の両陛下がわざわざいらしてくださったことに、勇気をもらったのではないでしょうか」(渡辺さん)

 '11年の東日本大震災の折にも、地震から19日後に都内の避難所を見舞ったのを皮切りに、両陛下が7週連続で避難所や東北の被災地を訪問されたことは記憶に新しい。

 昨年9月、栃木県を流れる鬼怒川が決壊した豪雨被害のときも、両陛下は災害発生から1か月もたたないうちに現地を視察されている。

 地震発生から1か月以上が過ぎた今回は、「遅すぎる……」というお気持ちがあったのかもしれない。

 また、「自然災害に負けない姿勢」をお示しになる目的もあったのでは、と話すのは宮内庁関係者。

「東日本大震災のお見舞いで岩手県釜石市を訪問し避難所で余震があったときも美智子さまは動じることなく、驚いた女性を気遣われていました。自然災害の多い日本で、国民と苦楽を共にするという姿勢をお示しになりたい気持ちもあるのではないでしょうか」

 '12年に、福島県川内村で放射性物質の除染作業を視察された際も、防護服を身につけないまま作業員へ予定外のお声がけをして、周囲を驚かせたこともある両陛下。

 前出の渡辺さんもこう話す。

「天皇陛下と美智子さまは、幼いころに疎開という“戦争体験”をして、'75年の沖縄訪問のときには火炎瓶を投げられるなどの苦難を乗り越えてこられた精神力があります。

 ご自分たちが怖いとか危険だという前に、待っている国民のことを思うお気持ちのほうが強いはずです」

 ある皇室ジャーナリストは、「現地の事情を最大限、配慮した結果とも言えると思います」とみる。

「被災地はいまだ余震が続き予断を許しませんが、梅雨の時期も迫っています。

 516日にはすでに沖縄・奄美地方が梅雨入りして、これから九州地方も雨が多くなり、その対策や二次被害のリスクが高まります。

 そこで両陛下は、6月までにはお見舞いをすませておきたい気持ちがあったようです」(同・記者)

 


どちらがほんとうの理由?
熊本県民さんたち、こんな理由を聞かされてがっくりするのでは。



陛下は25日夕方、皇居で恒例の田植えをなさったという。


JNN 天皇陛下、皇居で恒例の田植え




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天皇陛下、2016年の豊作を祈願して毎年恒例のお田植え

フジテレビ系(FNN 525()2053分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20160525-00000760-fnn-soci

 

天皇陛下は、2016年の豊作を祈願して、皇居内の水田で、毎年恒例の田植えをされた。

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日午後4時ごろ、長靴姿の陛下は、皇居内の水田に入ると、しゃがんで苗の根元を持ち、1株ずつ丁寧に植えられた。
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日に植えられたのは、うるち米のニホンマサリと、もち米のマンゲツモチの2種類、あわせて100株で、苗は、陛下が2015年の秋に刈り取られた稲の種もみを、4月に自らまき、栽培したもの。

稲作は、昭和天皇から引き継がれた行事で、秋に刈り取られた米は、宮中祭祀や、正月の餅つきなどに使われる。

 




皇陛下が皇居内の水田で「お田植え」

日本テレビ系(NNN 525()2017分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20160525-00000065-nnn-soci

 

 天皇陛下は25日夕方、皇居内の水田で稲の「お田植え」を行われた。

 陛下は米作りを昭和天皇から引き継いで毎年行っていて、長靴姿でうるち米の「ニホンマサリ」と、もち米の「マンゲツモチ」の苗計100株を丁寧に植えられた。


両陛下、カナダ首相と面会・皇后さま、ご給桑

07:49


伊勢志摩サミットに出席するカナダ首相夫妻が来日し、皇居御所で両陛下と面会された。

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<天皇、皇后両陛下>カナダ首相夫妻と面会

毎日新聞 524()2014分配信

 天皇、皇后両陛下は24日、三重県で開かれる主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に出席するため来日中のカナダのトルドー首相夫妻と皇居・御所で面会された。カナダで暮らす日系人の活躍などを話題にした後、トルドー首相が「サミットで各国首脳とさまざまな問題を議論できることを楽しみにしています」と話すと、天皇陛下は「実りある議論がなされることを願っています」と応じた。


カナダのトルドー首相夫妻と歓談される天皇、皇后両陛下=皇居・御所「小広間」で2016年5月24日午後(代表撮影)


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24日午前にはカナダトルドー氏はソフィー夫人と共に明治神宮を参拝したという。日本の伝統文化に触れたいというご本人の意向で実現した。絵馬に英語で日本とカナダの友好関係を願い、記した。
神社を参拝してくださる首脳、ありがたいことでは。


カナダ首相夫妻 “日本に敬意”で 明治神宮へ



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カナダ首相夫妻 明治神宮を参拝
毎日新聞2016524日 東京夕刊

来日中のカナダのトルドー首相が24日午前、明治神宮(東京都渋谷区)を参拝した。カナダは26日から始まる主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)のメンバーで、トルドー氏は23日に公式実務訪問賓客として来日した。


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 参拝は日本の伝統文化に触れたいというトルドー氏の意向で実現した。カナダの首相が明治神宮を参拝するのは初めて。トルドー氏はソフィー夫人とともに本殿で参拝。絵馬に英語で「日本とカナダの偉大な友好関係が両国民や世界の人々のためになるように」と願いを記した。トルドー氏は昨年10月の下院選挙で自由党を率いて圧勝し、10年ぶりに保守党から政権を奪還。44歳の若さと整った顔だちで海外でも人気があり、この日も参拝客に囲まれて笑顔で応じる場面があった。【三沢耕平】



カナダ首相はサミット首脳の中でも若い44歳、甘いマスク。父親はカナダ首相を務めたビエール・トルドー氏。先日秋篠宮両殿下がイタリアを訪れた時の伊首相もイケメン、この方もサミットに参加。皇族方との晩餐会はあるのだろうか?
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ジャスティン・トルドー
Justin Pierre James Trudeau19711225 - )は、カナダの政治家。2013年からカナダ自由党党首、2015年から第29カナダ首相を務める

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代首相ピエール・トルドーとその妻マーガレット英語版の長男。ジャスティンは英語読みであり、フランス語読みではジュスタンと発音する。
 





*                        *                       *                           *

そして皇后さま、きのうは恒例の伝統行事、香魚内養蚕所で「御給桑」(ごきゅうそう)をされた。


NNN 皇后さま 蚕に桑の葉を与える「御給桑」をなさる





JNN 皇后さま、恒例の伝統行事「ご給桑」



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后さま、カイコにクワの葉を与える「ご給桑」行われる

フジテレビ系(FNN 524()1838分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20160524-00000633-fnn-soci


皇后さまは、カイコに餌のクワの葉を与える「ご給桑(きゅうそう)」を行われた。

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皇后さまは、24日午前10時ごろ、皇居・紅葉山にあるご養蚕(ようさん)所を訪問された。

ここでは、日本古来の「小石丸」など、3つの品種のカイコを育てていて、皇后さまは、クワの葉を与えると、耳を寄せ、「食べてますね。さわさわと」と、カイコがクワをはむ音を確認されていた。


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養蚕は、明治時代以降、代々の皇后に受け継がれ、皇后さまは、毎年、手作業でカイコを飼育し、まゆを収穫されている。
「小石丸」は、数日後には、まゆを作り始め、できあがった絹糸は、美術品の修復などに用いられる。



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紀子さま、横浜能楽堂にお出まし、報道はなし

08:50
5月22日(日)、紀子さまは横浜能楽堂へお出ましになったという。報道はいっさいなし(怒)!

このお出ましも日伊国交樹立150周年記念の催し。

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22() 日本イタリア国交樹立150周年記念 横浜能楽堂特別企画公演
「楽器は東へ西へ 琵琶とマンドリン」 主催:横浜能楽堂
内容:公演
時間:14001630

下記の書き込みで紀子さまお出ましが分かった次第。

皇室御一行様避難所 part70

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/5135/1459023527/978

 

978可愛い奥様@避難所生活:2016/05/23(月) 00:02:28 ID:aJFo5wK6

琵琶とマンドリン
2016/5/22(日
)
横浜能楽堂にて『楽器は東へ西へ 琵琶とマンドリン』という公演を聴いてきました。

琵琶もマンドリンも、ルーツは古代中近東のバルバットという楽器で、中近東ではウードになり、東へ伝わって琵琶となり、西へ伝わってリュートとなりマンドリンが生まれたそうです。

楽琵琶で『啄木』の演奏がありましたが、きっと経正様もこのような曲を演奏されていたのだろうな〜と、昨日お会いした経正様を思い出して、ウットリ聴きました。
正直に言うと、途中、マンドリンの演奏が延々と続いたときは、居眠りしてしまいました。
最後に、楽琵琶とマンドリンの共演がありましたが、東と西に分かれた兄弟が再び出会って一緒に音楽を奏でるなんて、ロマンティックですね〜!
楽器も喜んでいるようで、素敵な企画でした。
秋篠宮紀子様が2階席にいらっしゃいました〜。

産経新聞には横浜能楽堂の催しの記事は掲載されているというのに、紀子さまお出ましについては一切書かれてない。

この記事は前日に書かれたものだが、お出ましについては知らされてなかった?開催後の記事を探したがない。唯一掲載されたのは皇室掲示板と秋篠宮家画像収集ブログだけ。





産経新
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兄弟楽器琵琶とマンドリン名手が共演 日伊国交樹立150周年あす横浜能楽堂で

 
同じ古代ペルシャの楽器をルーツに持つ琵琶とマンドリンを、名手の演奏で一度に楽しめる公演「楽器は東へ西へ 琵琶とマンドリン」が22日午後2時、横浜能楽堂(横浜市西区)で開かれる。

 日伊国交樹立150周年記念公演。琵琶とマンドリンそれぞれの名曲が披露される1、2部に続き、これら“兄弟楽器”が日伊の垣根を越える第3部が注目だ。

 薩摩琵琶の第一人者で、積極的な創作活動で知られる中村鶴城(かくじょう)(58)は第3部、自身で作詞作曲した「アッシジの聖フランチェスコ」から、五段目の「ラ・ヴェルナの聖痕」を演奏する。

 「かつてイタリア公演で演奏したが、字幕を出したわけでもないのに、熱烈な反応をいただいた。純粋に音楽として聴いてくださった」

 怪談の影響か、日本では暗いイメージを持たれがちだが、鶴城が「天に向かう音楽をやりたい」と生み出した「フランチェスコ」は力強く、情熱的だ。鶴城は第1部でも「壇の浦」を勤める。

 さらに、2つの楽器が共演する新作「楽琵琶とマンドリンのための『緒合わせ』」(高橋久美子作曲)も、中村かほるの楽琵琶とドリーナ・フラーティのマンドリンで初演される。日伊の女性演奏家が、ルーツを同じくする楽器で“緒合わせ(合奏)”する意欲的な試みだ。

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横浜能楽堂

http://ynt.yafjp.org/


横浜能楽堂
(よこはまのうがくどう)は、
神奈川県横浜市西区にある能楽専門の公演場。(公財)横浜市芸術文化振興財団が運営する。


掃部山公園の一角にあり、1996平成8年)3月に竣工。


能舞台は、1875(明治8年)に東京・根岸前田斉泰邸に建てられ、東京・染井の松平頼寿邸に移築された「旧染井能舞台」で、関東地方では最古の能舞台である。


練習用の第二舞台や研修室も有する。1996 (平成8) 520日に横浜市指定有形文化財に指定されている。

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画像がないので過去の能楽堂の写真をどうぞ。



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朝日新聞 
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秋篠宮妃紀子さまと次女佳子さまは1日、東京都渋谷区国立能楽堂で、耳の不自由な人たちでつくる「日本ろう者劇団」による「手話狂言・初春の会」を鑑賞した。



 紀子さまは手話に精通し、佳子さまも手話を勉強している。お二人は「磁石」などの演目を鑑賞。終了後、劇団を支える社会福祉法人「トット基金」理事長の黒柳徹子さんや劇団の俳優たちと手話を交えて懇談した。







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2010123日 国立能楽堂にて、日本ろう者劇団の「第29回手話狂言・初春の会」ご鑑賞の秋篠宮紀子妃殿下

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紀子さま、日本古来の伝統を尊び、高尚なご趣味。




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