コーヒーと女 連載   ローズマリーの詩   2 
スカボローに住むその人へ
破産して家の離れに間借りするおじと、出戻りの私。それぞれの愛の物語。

一度も結婚しなかったおじが、
口ずさむ曲。検索してみると、
『スカボロー・フェア』
という曲だった。
「そこに住む人に伝えておくれ」
と歌詞は言う。その人は、
かつて愛した人だった——と。



 ここまでのあらすじ  会社を倒産させ、破産したおじがわが家の離れに住むようになって1年になる。私は、進めていた結婚話が破談になって、家に出戻って来た。おじも、私も、母にとっては「厄介者」だった。そのおじが住む離れから、時折、ギターで弾き語りするおじの歌が聞こえてくる。そのもの悲しげなメロディが、なぜか、心に響く。私は、その歌の内容を知りたくなった――。
⇒この話は、連載2回目です。この話を最初から読みたい方は、こちらからどうぞ。



 母の目には、結婚をドタキャンして戻って来る娘なんて、「家の恥」ぐらいにしか見えてないに違いない。
 物事が、朝の連ドラのように、「家族の平和」に向かって織り上げられていくことが母の理想で、その計画を踏み外してしまうような出来事は、母が描く「家族の姿」の中には想定されてない「災厄」ということになる。
 私も、おじも、その「災厄」をもたらした「厄介者」ということになっているらしかった。
 何かと言うと、「まったくあんたたちのおかげで」と毒づく母を見ても、父は何も言わない。父は、母に何かを主張して見せるような男ではなかった。私の結婚が破談になったときも、ただ、オロオロするばかりだった。

 だいたい、あんたが――と、顔を見るたびに私を責める母を見ると、おじは「やれやれ」と頭をかきながら、言った。
 「溺れる犬を、あんまり、棒で突つくなよ」
 私は、「溺れる犬」かよ――と思ったが、母は、そんなおじを一瞥すると言うのだった。
 「エラそうに。自分も溺れて泣きついてきたボロ犬じゃない」
 おじは、両手を広げて、「オレが…?」という顔をして見せた。
 言い返せばいいのに――と思うのだけど、おじは、そういうときの母には、ただ、あきれたような顔をして見せるだけで、何も言わない。その顔が、「こいつには何を言ってもダメ」と言っているように見えた。
 おじが「破産処理」の手続きを始めたときに、「だったら、うちの離れに来れば?」と言い出したのは、確かに母のほうだった。
 「その代わり、うちの掃除とかしてくれればいいから」
 てっきり、居候させるのかと思ったら、しっかり家賃を取っているので、私はちょっとビックリした。
 「お母さん、あの部屋で4万もとるの?」
 一度、母に訊いたことがある。
 「ここらへんで4万も出せば、2DKのアパートぐらいは借りられるよ」と言うと、母は、「何、言ってるの」という顔をした。
 「身よりのない年寄りに、家庭の温かみを味わわせてあげてるんだから、それでも安すぎるぐらいのもんでしょ?」
 うちに、どんな「家庭の温かみ」があるんだろう――と、そのとき思ったのを覚えている。

    クローバー

 おじにも、結婚話のひとつやふたつはあったらしい。
 しかし、その話は、いつの間にか、立ち消えになってしまった。
 「どうして?」と尋ねても、母からは「知らないわよ」という答えしか返ってこなかった。
 というか、母とおじは、おたがいの人生観とか結婚観とかを、ひざを交えて語り合ったことなど、一度もないらしい。おじがつき合っていた女がどういう女なのかを、母は知らなかったし、おじも語ろうとはしなかった。
 一度だけ、おじに「どうして結婚しなかったのか?」と尋ねてみたことがある。
 「むずかしいこと、訊くんだねェ。これまででいちばんむずかしい質問だよ」
 おじは、ちょっとだけ「困った……」という顔をして、ひと言だけ、返してくれた。
 「結婚だけが、恋愛のゴールってわけじゃないんだよ、沙世ちゃん」
 それ以上は、何も話してくれなかった。

 そんな複雑な恋愛をしてたんだろうか……?
 もしかして、それは、おじに結婚という道を選ばせない理由になるような……?

 そのときからずっと、そのことが気になっていた。
 おじが結婚しなかったことと、自分が彼との結婚を望まなくなったこととは、どこかでつながっているような気がした。

    クローバー

 結婚が「ゴール」にはならない恋。
 おじがギター片手に口ずさむあの歌は、もしかしたら、その恋と関係あるんじゃないか――と思った。
 何度も、聴いているうちに、最初のフレーズだけがわかった。

 アー・ユー・ゴーイング……。

 確かに、そう歌っているように聞こえる。
 そうだ――と思って、スマホで検索をかけてみた。

 「フェア・アー・ユー・ゴーイング」? 違う。
 「アー・ユー・ゴーイング・ゼア……」? これも違う。

 「アー・ユー・ゴーイング」の後に半角空けて、「パースリー」と打ち込んでみた。
 すると、ひとつの曲が引っかかった。
 『スカボロー・フェア』という曲だった。
 1960年代末に、「サイモンとガーファンクル」が書いてヒットさせた曲だ――ということがわかった。
 1960年代末……?
 その時代がどういう時代だったのか、想像もつかない。
 「サイモンとガーファンクル」も、名前だけは聞いたことがある、という程度だった。
 気になったので、その歌詞を検索してみた。

 Are you going to Scarborough Fair
 Parsley, sage, rosemary and thyme
 Remember me to one who lives there
 She once was a true love of mine


 「スカボロー・フェア」というのが、まずわからない。
 「フェア」っていうのは、「○○フェア」とか言うときの「フェア」だよね?
 てことは、「市場」?
 「スカボロー」は地名?

 これもネットで検索してみると、「スカボロー」はイギリスの北東部、ヨークシャー州にある交易都市で、そこでは毎年8月、大きな市が開かれていた――とあった。
 パセリとセージとローズマリーとタイムは、どれもハーブ。たぶん、市でも人気のハーブだったのかもしれない。
 問題は、「Are you going」と問いかけている「you」がだれか、ということだ。
 いくつか、訳詞を見てみたが、どれも、

 《スカボローの市場へ行くのかい?
 パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム》


 という直訳で、「you」と「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」の関係がわからない。
 この「you」は「通りかかった旅人」か何かで、「パセリ、セージ……」は、ただのおまじないだろう――と解説しているサイトもあったが、それじゃあ、詩としてつまらない。

 「you」は、この「パセリたち」だろう――と、私には感じられた。
 市場に運ばれていく「パセリやセージやローズマリーやタイム」を擬人化して、「キミたち」と呼びかけている。そうでないと、詩にならないような気がする。

 《パセリよ、セージよ、ローズマリーよ、タイムよ。
 キミたち、スカボローの市に行くのかい?》


 そう訳してみると、その後の歌詞とのつながりも、すんなり理解できる。
 「リメンバー・ミー・トゥ・ワン・フー・リブズ・ゼア」は、「そこに住んでる人によろしく伝えてくれ」だろう。
 「True love of mine」が、「そこに住んでる人(One who lives there)」ということになる。単なる「my love」ではない。かつて「mine=私のもの」であった「愛」の中でも「真実」であったもの――という解釈になる。
 その人は、「かつて私が真実、愛した人だった」と歌っているのだ、と確信できた。

 これって、恋歌?
 昔、愛して、そして別れた恋人に、自分の気持ちを伝えてくれ――と言っている恋歌?
 でも、なぜ、パセリとセージとローズマリーとタイムに?

  私は、どうしても、その曲を聴いてみたくなった。
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