コーヒーと女 連載   ローズマリーの詩   5 
「ふつうの幸せ」という名の監獄
破産して家の離れに間借りするおじと、出戻りの私。それぞれの愛の物語。

「好きな人がいたんじゃないの?」と
おじが言う。蘇った名前があった。
鳴尾聡史。いまは、アフリカで、
ポランティア活動に従事している。
しかし、私はかつて「アフリカへ」いう
彼の誘いを断ったことがあった——。



 ここまでのあらすじ  会社を倒産させ、破産したおじがわが家の離れに住むようになって1年になる。私は、進めていた結婚話が破談になって、家に出戻って来た。おじも、私も、母にとっては「厄介者」だった。そのおじが住む離れから、時折、ギターで弾き語りするおじの歌が聞こえてくる。そのもの悲しげなメロディが、なぜか、心に響く。私は、その歌の内容を知りたくなった。その曲は『スカボロー・フェア』という曲。おじはもう40年、その歌を歌い続けているという。私はその理由を知りたくなったが、おじは、笑ってごまかすばかりだった。そのおじが「これ見ておくといいよ」と渡してくれた一枚のDVD。『卒業』という名の映画だった。その映画を見て、よみがえった思いがあった――。
⇒この話は、連載5回目です。この話を最初から読みたい方は、こちらから、
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 「沙世ちゃん、ほんとは、もっと好きな人がいたんじゃないの?」
 いつだったか、おじにポロッ……と訊かれたことがある。
 ポロッ……と言うなよ、そんなこと――と、そのときは思った。
 しかし、当たっていた。

 鳴尾聡史。その名前が、おじのひと言でよみがえった。
 学生時代のサークルの1年先輩だった。
 サークルは、アジアやアフリカの飢餓問題などを研究するサークルで、鳴尾聡史はその副部長を務めていた。
 「餓えている子どもたちがかわいそう」ぐらいの感覚でサークルに参加していた私に、飢餓を生み出すアフリカやアジアでの社会構造の問題などを説いて聞かせ、その問題を解決するために、自分たちに何ができるかを熱く語る男。
 私は、そんな鳴尾をいつしか尊敬の目で眺めるようになり、その尊敬は、知らないうちに、恋しいと思う気持ちに変わっていった。
 私と鳴尾聡史は、男と女の関係になった。
 もちろん、そんなことは親には話してない。サークルのことも話してない。
 たとえ話しても、母などは、「そんなことして、何になる?」ぐらいしか言わないに決まっている。だから、何も言わなかった。
 鳴尾聡史は、アルバイトでお金を貯めては、アジアやアフリカへ飛んでいった。フィールド・ワークに命を燃やすようなタイプの男だった。そのために、1年留年して、卒業は私と同期になった。
 卒業後の進路を決めるとき、彼が一度だけ、私を誘ったことがある。
 「杉野は、卒業したら、何をしたい? もし決まってなかったら、オレと一緒にNPO団体に入って、アフリカの大地に行ってみないか?」
 いま思えば、それは、鳴尾なりのプロポーズだったのではないか――と思う。
 しかし、即答できなかった。
 「私、卒業したら、アフリカでNPO活動とかやろうと思ってるんだけど……」
 一度だけ、親の前で口にしたことがある。母は血相を変えた。
 「何のために、高いお金払って大学まで行かせたと思ってるの? そんなわけのわからないことさせるためじゃないでしょ。ちゃんとした会社に就職して、立派な社会人になってもらいたい。そう思って、いい大学に行かせてあげたんだからね」
 母が口にする「ちゃんとした会社」とか「立派な社会人」とか「いい大学」という言葉が、そのときは、異世界の言葉にしか聞こえなかった。

 それでも、自分に強い意志があれば、親の反対を押し切ってでも、私は、彼について行くことができただろう――と思う。
 しかし、できなかった。
 どこかに、そこまではできない――という自分がいた。
 どこかに、安心して眠れる枕を求める自分がいた。
 「ごめん。私には、ムリ……」
 あのときの私には、そう返事するしかなかった。
 「ウン、わかった……」
 鳴尾聡史は寂しそうにうなずき、それが、私たちの最後の会話になった。

 その話をすると、おじはウンウンとうなずき、ポンと肩を叩いた。
 「青春は、苦いねェ……」
 それだけだった。
 話して損した――と思った。

    クローバー

 あのとき、鳴尾の誘いに、首をタテに動かすことができなかった。
 そのことは、私の胸の中の十字架になった。
 就職したのは、自然派の化粧品などを販売している会社だった。少しでも、鳴尾に恥ずかしくない仕事を――と考えた結果、「自然派」の言葉に、いくぶんでも「言い訳」のようなものを感じて、選んだ会社だった。
 萩原一郎は、その会社で営業の仕事をしていた。
 歯切れのいい男だった。仕事もできた。取引先にも、オフィスの上司にも、折り目正しい人間として評価され、目下の人間に対しても面倒見のいい、いわゆる体育会ノリの男だった。
 それまで、あまり出会った経験のないタイプだった。
 「沙世ちゃんって、いいヨメになりそうだね」
 オフィスの何人かで食事に出かけたとき、不意に、そんなことを言われた。
 あまりにも意外な言葉だったので、「そんなこと、ないですよォ」と否定したのだが、返ってきた言葉に、心のスキを突かれたような気がした。
 「いつも、むずかしそうな顔してるけど、ほんとは、どこかでヌクッ……としたいって思ってるんじゃないの? オレにはそう見えるけどな」
 ズルいよ、そういう言い方――と思った。
 しかし、自分を責め続けながらパンパンにふくらませていたタイヤに、そのとき、小さな穴が開いた。その穴から、空気が抜けていくのがわかった。

    クローバー

 そのうち、ふたりで飲みに行くようになった。
 「ふつうに幸せになりなよ」
 そう言って抱き寄せられたとき、その腕を拒む力が、自分には残っていなかった。
 いったん、抱き寄せられてしまうと、その腕の中で、どんどん自分が溶けていくような気がした。
 激しい愛撫に身を委ねているうちに、「いいんじゃないの、これで」と思う気持ちがふくらんでいき、彼のプロポーズを受け入れた。
 プロポーズを受け入れてからの彼は、少しずつ、私を自分の秩序の中に取り込もうとする言動が増えていった。
 あれは、どこかの駅のそばを歩いているときだった。
 不意に「チッ……」と舌打ちをするので、その視線の先を見ると、駅への階段の脇でうずくまるホームレスの姿があった。
 「あいつら、仕事もせずに、薄汚い姿でウロつきやがって……」
 萩原一郎の口から発せられた言葉に、全身の毛が逆立った。
 そして、そのとき、私の頭には、ある映像が浮かんだ。
 赤い土の大地で、やせ細った子どもたちに手を差し伸べ、汗まみれになってその体を助け起こしている鳴尾聡史の姿だった。

 これじゃいけない。こんな男が押し付けようとしてくる「幸せの形」などに染まってはいけない。
 その思いが、日に日に強くなっていった。
 そんな疑問がふくらみ始めた頃、彼の口から、あの言葉が飛び出した。
 「結婚するってことは、相手の家に入るってことだろ? それくらいわかれよ」
 ここで、彼が押し付けてくる価値観と妥協してしまったら、私の人生は私のものではなくなる。
 もしここでキャンセルしたら、家でも、会社でも、自分は針のむしろに座らされることになるだろう。しかし、このまま、彼のシステムの住人になったら、そこから先の人生は、まるで監獄の中にいるようなものになる。世間が、「バラ色」に描いて見せる、「ふつうの幸せ」という名の監獄の中の――。

 「True love of mine」

 『スカボロー・フェア』の歌詞の一節が、頭の中でリフレインする。
 その「True love」がどこにあるのか、いまなら、おぼろげながら口にすることができる。
 しかし、もう会うことはかなわない。

 アー・ユー・ゴーイング・トゥ・スカボロー・フェア

 知らないうちに、その旋律を口ずさんでいた。(続く)


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