コーヒーと女 連載   ローズマリーの詩   9 
あなたに「七つの水仙」を
破産して家の離れに間借りするおじと、出戻りの私。それぞれの愛の物語。

かつてのおじの恋人が
やっているハーブパンの店。
私はそっと、その店を見に行った。
「千の丘」という店名。
その店名には、かつての
おじと彼女の秘密が、
込められていた――。



 ここまでのあらすじ  会社を倒産させ、破産したおじがわが家の離れに住むようになって1年になる。私は、進めていた結婚話が破談になって、家に出戻って来た。おじも、私も、母にとっては「厄介者」だった。そのおじが住む離れから、時折、ギターで弾き語りするおじの歌が聞こえてくる。そのもの悲しげなメロディが、なぜか、心に響く。私は、その歌の内容を知りたくなった。その曲は『スカボロー・フェア』という曲。おじはもう40年、その歌を歌い続けているという。私はその理由を知りたくなったが、おじは、笑ってごまかすばかりだった。そのおじが「紗世ちゃん、ほんとは、もっと好きな人がいたんじゃないの?」と言う。よみがえった名前があった。鳴尾聡史。大学のサークルの先輩で、いまは、アフリカでポランティア活動に従事している。その鳴尾に「一緒にアフリカに行かないか?」誘われたことがあったが、決断がつかなかった。日本に残って就職した紗世は、職場で出会った萩原一郎に「ふつうに幸せになりなよ」と言われて、心が揺らぎ、一度は結婚を決断する。しかし、萩原は街でホームレスを見かけると舌打ちし、「結婚するとは家に入ることだ」と言われて、「この人、違う」と思い、結婚をキャンセルすることを決めた。そんなある日、おじに来客があった。尾崎と名乗る初老の客。ふたりの会話の中に「真坂千里」という名前が出てきた。その千里がハーブ・パンの店をやっていると言う。彼女は、かつて、おじが愛した女だった。しかし、ふたりは別れた。青い理想を語るおじは、「ふつうの幸せ」を求める彼女を理解できなかったのだ――。
⇒この話は、連載9回目です。この話を最初から読みたい方は、こちらから、
  前回から読みたい方は、こちらからどうぞ。



 草野駅の前で、ハーブ・パンを焼いているという、おじのかつての恋人。もしかしておじは、その人に届くことを願って、あの曲を口ずさんでいるのではないか。
 そう思うと、ちら……と見てみたい、という気持ちが湧いてきた。たぶん、『家政婦の三田』レベルの単なる好奇心。
 しかし、その好奇心は、私の足を動かした。
 草野駅は、私が通勤に使う私鉄の支線にある、小さな駅だ。
 行ってみるか――。

 次の週の火曜日、帰りの電車を3つ先の駅まで乗り越して支線に乗り換えた。そこからさらに5つ目。すでに、乗客の半分以上は途中駅で降りて、車内はガランとしていた。
 遠くまで来ちゃったなぁ――と思ったが、パセリとセージとローズマリーとタイムに想いを託すには、ほどよい距離とも思えた。
 改札を出ると、駅前がロータリーになっていて、そこを取り囲むように小さな店が並んでいた。薬局、ミニ・スーパー、サイクル・ショップ、クリーニング店……そして、あった。
 焼き立てハーブ・パンの店「千の丘」。
 絶対、ここだ――と思った。「千の丘」の「千」は、「千里」の「千」に違いない。
 店頭には、いま焼き上がったばかり――という感じのパンが、小さなワゴンに載せられて、焼き立ての香ばしい香りを放っている。店内の棚には、何種類かのパンが陳列され、客は、好きなパンをトレーに取って、レジに持っていくようになっている。
 陳列棚には、パンだけでなく、ハーブ入りのジャムや、いろんな種類のドライハーブも並べてある。
 品のいい、清潔感にあふれる、どこかかわいい店構え。壁には、女性と花がモチーフとなったリトグラフが飾ってある。
 あれは、もしかして、カシニョール……?
 店の主人の感性が、それだけでもわかるような気がした。
 フーン……と思いながら、店の中をのぞき込んでいると、いきなり、後ろから声がした。
 「いらっしゃい」
 思わず、駆けて逃げ出しそうになった。
 しかし、別にわるいことをしてるわけじゃない。
 でも、ちょっとだけわるいことか――。
 なにしろ、おじの昔の恋人を、断りもなく、盗み見に来たのだから。

    クローバー

 そこに立っていたのは、どう見ても50歳そこそこ――と思われる女性だった。
 おじと同級なら、もう少しおばあちゃんなはずなのに、もしかして別人……?
 そう思っていると、店の中から若い女の子が出てきて、「店長、さっき、製粉会社から電話がありましたから、いつも通りの注文しておきましたけど」と声をかけたので、やっぱり、この人が真坂千里さんなんだろう――とわかった。
 「よかったら、試食してみません? いま、焼き上がったばかりのパンがあるので……」
 言いながら、女主人は、ワゴンに載せられた焼き立てバゲットの一切れを、ピックに刺して渡してくれた。
 ひと口、頬張ると、口の中にハーブの香りが広がった。エッ……と、この香りは――と、先日の「チキンの香草焼き」を思い出した。
 「もしかして、セージとか入ってます? あ、ローズマリーも……?」
 千里さんは、「あら……」という目で、私の顔を見た。
 見開いた目が、大きく輝いていた。
 「よくわかりましたねェ。ハーブ、お詳しいの?」
 「いえ、それほどでも。でも、うちのおじが、この前、チキンの香草焼きを作ってくれて、そのときの香りと似ていたので……」
 「あら、チキンの香草焼き? すてきなおじ様ねェ」
 それはそうでしょ。あなたが昔、愛した男ですもの――と、口から出そうになった。
 「そのチキンには、何を使ってらしたの?」
 「エーッ……と、パセリとセージとローズマリーとタイム……だったかな」
 「まぁ、おんなじだわ。このパンにも、全部、入ってますよ」
 つながった――と思った。
 パセリ、セージ、ローズマリー&タイム。あなたたちが、私をここへ連れて来てくれたのよ――と思った。
 「カフェ・コーナーもあるので、よかったら、ゆっくり召し上がっていきません? きょうはね、このパンで作ったガーリック・トーストが、おすすめなんですよ」
 子どもみたいに目を輝かせて言う。
 この人、かわいい――と私は思った。

    クローバー

 おじにはわるいと思ったが、勧められるまま、カフェに腰を下して、カフェオレとガーリック・トーストを注文した。
 こんがりとトーストされたバゲットにガーリック・バターを塗ったパンは、そのまま、ワインのおつまみにもなりそうだった。
 「おいしいッ!」と言うと、女主人は、うれしそうに顔をほころばせた。
 尾崎さんが言ったとおりだった。
 どんなむずかしいことを言ってたのかはわからないが、この人は、無邪気に女なのだ。おじがそこを見逃したんだとしたら、わるいけど、おじさん、それは、あなたの痛恨のミスよ。ちょっと、残念だけどね。
 ひとつだけ、確かめておきたいことがあった。
 「あの……このお店の名前なんですけど……」
 お盆を持ったままの女主人が、「何かしら?」というふうに首をかしげた。
 「千の丘っていうのは、何かから取ったのですか?」
 「千里」の「千」よ――という答えを期待したのだが、違った。
 「サウザンド・ヒルっていう英語から取ったのよ」
 「エッ、サウザンド・ヒル? 千の丘? それ、どこかの地名ですか?」
 「ウウン。歌の歌詞よ。『七つの水仙』って曲、知らない?」
 「エーッ!! 聴いたことないです。だれの曲ですか?」
 「いろんなグループが歌ってたらしいんだけど、私は、ある人から……」
 「ある人? もしかして、好きだった人とか……?」
 「エ……まぁ、そんな人かな? その曲の中に『サウザンド・ヒル』っていう言葉が出てくるの」
 「どんな歌詞なんですか、それ?」
 「ボクには、豪華な家もない。土地もない。しわくちゃに握りしめる1ドル札だってありゃしない。でも、朝になったらキミに見せてあげられる。千の丘にやって来る美しい朝を。そしたら、ボクはキミに口づけして、そして、あげるんだ、七つの水仙を。そんな歌詞よ」
 「なんか……泣きそうになる歌詞……」
 言いながら、その歌を歌って聞かせたのは、もしかしておじではないか――という想像が、頭の中に芽生えた。
 「あの……」と、私は、恐る恐る口を開いた。
 「それで、その人……その歌を聞かせてくれた人は、くれたんですか、七つの水仙を?」
 女主人は、「ウーン……」と眉をしかめて見せて、それからため息とともに唇を開いた。
 「くれなかったわね、残念だけど……」
 それだけ言うと、店の奥に消えていった。(続く)


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