コーヒーと女 連載   ローズマリーの詩   13 
飛びたい。その羽が重い
破産して家の離れに間借りするおじと、出戻りの私。それぞれの愛の物語。

ケガを負った海野聡史が、
日本に帰って来る。
「会いたい」とカレは言う。
しかし、かつてカレの誘いを
断った私の心の羽は
重かった——。



 ここまでのあらすじ  会社を倒産させ、破産したおじがわが家の離れに住むようになって1年になる。私は、進めていた結婚話が破談になって、家に出戻って来た。おじも、私も、母にとっては「厄介者」だった。そのおじが住む離れから、時折、ギターで弾き語りするおじの歌が聞こえてくる。そのもの悲しげなメロディが、なぜか、心に響く。私は、その歌の内容を知りたくなった。その曲は『スカボロー・フェア』という曲。おじはもう40年、その歌を歌い続けているという。私はその理由を知りたくなったが、おじは、笑ってごまかすばかりだった。そのおじが「紗世ちゃん、ほんとは、もっと好きな人がいたんじゃないの?」と言う。よみがえった名前があった。鳴尾聡史。大学のサークルの先輩で、いまは、アフリカでポランティア活動に従事している。その鳴尾に「一緒にアフリカに行かないか?」誘われたことがあったが、決断がつかなかった。日本に残って就職した私は、職場で出会った萩原一郎に「ふつうに幸せになりなよ」と言われて、心が揺らぎ、一度は結婚を決断する。しかし、萩原は街でホームレスを見かけると舌打ちするような男だった。「結婚するとは家に入ることだ」と言われて、「この人、違う」と思った私は、結婚をキャンセルすることを決めた。そんなある日、おじに来客があった。尾崎と名乗る初老の客。ふたりの会話の中に「真坂千里」という名前が出てきた。その千里がハーブ・パンの店をやっていると言う。彼女は、かつて、おじが愛した女だった。しかし、ふたりは別れた。青い理想を語るおじは、「ふつうの幸せ」を求める彼女を理解できなかったのだ。私は内緒でその店をのぞいてみたくなった。「千の丘」という名のハーブ・パンの店。その店名は、「七つの水仙」という曲の歌詞から取ったという。そして、その曲を彼女に教えたのは、かつて、彼女が愛した男だった。「この前のパンがおいしかったから」と、再び店を訪ねた私に、千里はガーリックトーストをブルスケッタにして食べさせてくれた。次の日曜日、私は彼女に教わったブルスケッタを作っておじに食べさせた。「懐かしい味がする」というおじにニンマリする私。そんなとき、一通のエアメールが届いた。アフリカにいる鳴尾聡史からだった――。
⇒この話は、連載13回目です。この話を最初から読みたい方は、こちらから、
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 会うべきか?
 それとも、いまさら会うべきではないのか?
 そもそも、自分に、いまさら彼と会う資格があるのか?
 5年前、「卒業したら、ボクと一緒にアフリカに行かないか?」と言ってくれた鳴尾聡史の誘いを、自分は断った。
 勇気がなかったから……?
 目の前のありふれた平和にしがみついていたかったから……?
 たぶん、どっちもあった。
 おじと尾崎さんが、「思想のプロ」と言ったその「プロ」になる覚悟が、私にはなかったのだ。
 しかし、おじたちが「青銅の騎士」と言ってくれたその男は、体に傷を負って、日本に帰って来る。
 飛んででも会いに行きたい、という気持ちはあった。
 でも、その羽が、ちょっと重たい――。

    クローバー

 「どうした、浮かない顔をしてるね?」
 私は、もしかして、ロダンの「考える人」みたいになっていたのだろうか?
 夕食にブリ大根を作っていたおじが、キッチンに下りてきた私を見て、声をかけた。
 「ウン、ちょっと……」
 おじの鍋から、しょうゆのいい香りが立ち上っていた。
 鍋の中では、大根がアメ色に輝いている。
 「ウワッ、大根、いい色になってる。おいしそう!」
 「だろ? こいつは、味が滲みてうまいぞォ」
 「あれ? おじさん、これ、きのうから煮てなかった?」
 「そうだよ、沙世ちゃん。こういう煮物はさぁ、煮てすぐ食べても、あんまりうまくないんだ」
 「エッ、そうなの?」
 「一度、味をつけて煮たやつを、ひと晩、冷ましてやる。冷ますと、それまで温められて広がっていた材料の繊維、特に大根だな。こいつが、ウッ、冷えてきた……と思って、身を縮めるんだけどね、そのときに、糖分とか塩分とかの味の分子をその繊維組織の中に取り込んでしまうんだね。これが、味が滲みるということの科学的意味であ~る、なんちって……」
 ブリ大根が、思った味に仕上がっているせいだろうか、おじはちょっと饒舌だった。
 「そうして味が滲みたところへ、もう一度、火を通してやる。そうするとね、再び、繊維が広がって、そこへまた、新たに味が入り込んでいく。ほんとはさぁ、これを2、3回繰り返すといいんだよなぁ。しかし、腹を空かせた客は、それが待てない……と来たもんだ」
 おじは、ブリ大根の話をしながら、何か別のことを言おうとしている――と思った。

    クローバー

 「私も、待てないほうかもしれない……」
 言いながら、鍋に手を伸ばそうとしたら、おじにピシャリと手の甲をぶたれた。
 「実は、ボクも待てない口だったんだよ、若いうちはね」
 私の手をぶったおじは、小皿に大根のひと切れを取り分けて、「ホイ」と渡してくれた。
 箸をつけると、まるで豆腐のようにスーッと箸先が通っていく。
 「信じられないッ! 大根がこんなに軟らかくなるなんて……」
 私が驚くのを、おじは目を細めて見ている。切り分けたのを口に頬張ると、大根は口の中で溶けて、中から、しょうゆと酒とみりんがほどよく混じり合ったやさしい味が、口いっぱいに広がる。
 「おいしいッ!」と歓声を挙げると、おじも「どれ?」と箸を伸ばしてきて、ひと口頬張り、「ウン」とうなずいて言った。
 「カーッ、うますぎるぜ。よし、完成ッ!」
 ガスの火を止めたおじは、「どうだ?」と言わんばかりの顔をして言うのだった。
 「時間をかければ、いい味になる。人生もそういきたいもんだね、沙世ちゃん」
 「だって、おじさんも待てない人だったんでしょ?」
 「若いうちは……ね。何にでも、すぐ、結論を出したがった。人にも、それを求めたがった。しかしさ、人には、生涯をかけて答えを見つけなきゃいけないような問題だってある。そのとき、答えが見つからなかったからって、あせる必要はないんだと思うよ」
 「でも、そんなことやってたら、おばあちゃんになっちゃうよ」
 「命短し、恋せよ、乙女――とも言うしなぁ。そこが、むずかしいところよなぁ」
 おじは、茶化すように言って、満足げに鍋の中の大根を見つめている。大根を見つめていた目がカッと見開かれたと思うと、その口から、思いもしない言葉が飛び出した。
 「3年だな」
 「エッ……!?」
 「3年経てば、そのときの迷いの正体や、自分がどうすればよかったかが、何となく見えてくる。青かった考えも練れてくる。5年も経てば、もっと見えてくる。それ以上待つと、今度は、せっかく見えてきたものが、薄らいでいく。後悔するなよ、沙世ちゃん」
 このおじは、ときどき、タイミングよく心に引っかかることを言う。
 悔しいけど、それが、私の心を動かしたりする。

    クローバー

 夕食がすむと、TVを見始めた父と母をリビングに残して、私は2階の自分の部屋に戻った。
 窓を開けると、少し肌寒くなった秋の夜気が忍び込んできた。その窓から、おじの弾き鳴らすギターの音が聞こえてきた。
 あれ!? また、前の曲に戻ってる……。
 その夜の曲は、いつもの『スカボロー・フェア』だった。

 〈アー・ユー・ゴーイング・トゥ・スカボロー・フェア、
 パースリー・セージ・ローズマリー・アンド・タイム……〉

 その歌が、私に「会いに行くのかい、あの人に?」と問いかけているように聞こえた。
 彼女を追って大学のある街まで行く、ベンジャミンの姿がまぶたに浮かんだ。
 そうだ――と、携帯を手にして、登録してあるワンタッチダイヤルをプッシュした。
 呼び出し音が聞こえる。
 ギターの音が止んだ。
 「ハイ、どうした?」
 受話器の向こうから、「子ども電話相談室」のような声が聞こえた。
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