コーヒーと女 連載   ローズマリーの詩   18 
愛した人が焼いたパンの味
破産して家の離れに間借りするおじと、出戻りの私。それぞれの愛の物語。

聡史と再会したことを
おじにだけは報告した。
「久しぶりのキス」をからかう
おじに、お返しのジャブ。
「どうだった、千里さんの焼いた
パンの味は?」に、おじは
途端に狼狽した――。



 ここまでのあらすじ  会社を倒産させ、破産したおじがわが家の離れに住むようになって1年になる。私は、進めていた結婚話が破談になって、家に出戻って来た。おじも、私も、母にとっては「厄介者」だった。そのおじが住む離れから、時折、ギターで弾き語りするおじの歌が聞こえてくる。そのもの悲しげなメロディが、なぜか、心に響く。私は、その歌の内容を知りたくなった。その曲は『スカボロー・フェア』という曲。おじはもう40年、その歌を歌い続けているという。私はその理由を知りたくなったが、おじは、笑ってごまかすばかりだった。そのおじが「紗世ちゃん、ほんとは、もっと好きな人がいたんじゃないの?」と言う。よみがえった名前があった。鳴尾聡史。大学のサークルの先輩で、いまは、アフリカでポランティア活動に従事している。その鳴尾に「一緒にアフリカに行かないか?」誘われたことがあったが、決断がつかなかった。日本に残って就職した私は、職場で出会った萩原一郎に「ふつうに幸せになりなよ」と言われて、心が揺らぎ、一度は結婚を決断する。しかし、萩原は街でホームレスを見かけると舌打ちするような男だった。「結婚するとは家に入ることだ」と言われて、「この人、違う」と思った私は、結婚をキャンセルすることを決めた。そんなある日、おじに来客があった。尾崎と名乗る初老の客。ふたりの会話の中に「真坂千里」という名前が出てきた。その千里がハーブ・パンの店をやっていると言う。彼女は、かつて、おじが愛した女だった。しかし、ふたりは別れた。青い理想を語るおじは、「ふつうの幸せ」を求める彼女を理解できなかったのだ。私は内緒でその店をのぞいてみたくなった。「千の丘」という名のハーブ・パンの店。その店名は、「七つの水仙」という曲の歌詞から取ったという。そして、その曲を彼女に教えたのは、かつて、彼女が愛した男だった。「この前のパンがおいしかったから」と、再び店を訪ねた私に、千里はガーリックトーストをブルスケッタにして食べさせてくれた。次の日曜日、私は彼女に教わったブルスケッタを作っておじに食べさせた。「懐かしい味がする」というおじにニンマリする私。そんなとき、一通のエアメールが届いた。アフリカにいる鳴尾聡史からだった。負傷して日本に帰るという。「会いたい」という聡史にどう返事をすべきか、迷う私におじは、「彼はもう、昔の彼ではなくなっているかもしれない。そんな彼を丸ごと受け入れる覚悟があるか?」と問い、そして言った。「あるなら会いなさい。私のような後悔はしてほしくないから」。千里さんも同じ「後悔」という言葉を口にした。千里さんの後悔は何か? それには答えがなかった。5年ぶりに会った聡史は、負傷した脚を引きずっていた。しかし、痛んでいるのは、体に負った傷よりも心に負った傷のほうだった。銃弾に脅えて逃げ出したことを後悔し、自分を責める「青銅の騎士」に、私は、おじから聞いた言葉を伝えた。「騎士は、何もプロである必要はないんだって」。その言葉に、少し聡史の顔が和らいだ――。
⇒この話は、連載18回目です。この話を最初から読みたい方は、こちらから、
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 聡史と会ったことを、私は、父にも、母にも、話さなかった。
 話して、「あんた、まだ、そんな人と……」と言われるのが、何よりもいやだった。
 しかし、おじには、何となく話しておきたかった。おじでなくてもいい。だれかに話しておきたかったが、私と鳴尾聡史の話をきちんと理解して聞いてくれそうな人は、おじ以外に思いつかなかった。
 あれ……!? と思った。
 おじの部屋から聞こえてくる曲が、また変わった。
 スロー・バラードだ。
 「メモリー……」というフレーズだけが、耳に飛び込んでくる。
 メモリーがビューティフル――とか何とか言ってる。しかし、それ以上の歌詞は聞き取れなかった。

 「いま歌ってたのは?」
 離れから出てきたおじに尋ねると、「追憶」という答えが返ってきた。
 「だれが歌ってたの?」
 「バーブラ・ストライザンドだよ。知らない?」
 「名前を聞いたことはあるけど……」
 「じゃ……『追憶』って映画を観たことは?」
 「ないんですけど……」
 「あ~あ……」

 おじは、ひときわ深いため息をついて、そのまま、部屋に引き込もうとする。
 「あの……」と、その背中に呼びかけた。
 おじは、ひまな駅の駅長みたいな顔で振り向いて、「何か……?」という顔をした。
 「会ってきちゃった……」
 「オゥ!」
 とたんに、顔が崩れた。
 まるで、孫ができた――と知らされたおじいちゃんのような顔だった。

    クローバー

 「それで、それで? どうだった、5年ぶりに肌を合わせた感想は?」
 「あのね、おじさん……」
 「なんだ、愛は復活しなかったのか?」
 「愛の復活イコール肌を合わせる……じゃないでしょ!」
 「でも、キスぐらいはしたくなるじゃないか」
 「そんな……」
 「オッ、したんだ。したんだね、沙世ちゃん」
 なんだろ、このおじさん――と思った。
 私のキスひとつが、そんなにうれしいんだろうか?
 それとも、単なる好奇心……?
 しょうがないから、ウン……とうなずくと、おじは私の両肩を両手でポンポンと叩きながら、顔をほころばせた。
 「やったねェ……沙世ちゃん」
 ほんとうに、うれしそうに言う。
 きょうのおじさん、ヘン!――と思った。
 「どうして、そういうことばっかり訊くかなぁ」
 「ごめん、ごめん。自分だったら、そうするよなぁ……と思ったものでね」
 「じゃ、訊くけどね、おじさん」
 「ホイ、何でしょう?」
 「もしも……もしもよ、おじさんと真坂千里さんが、40年ぶりに再会したら、いきなり、キスしたり、肌を合わせあったりする?」
 「エッ!? 何で? 何で、真坂千里を、キミが知ってるんだ?」
 「話してたじゃない、この前、尾崎さんがいらしたときに?」
 「そ、そうだっけ……?」
 「草野の駅前で、ハーブ・パンの店をやってるんでしょ?」
 「エッ、そ、そんなことまで聞いてたのか、沙世ちゃん」
 「ウン。わたし、耳がいいから」
 おじは、アチャーという顔をして、それから、少し考え込むふりをした。

    クローバー

 ここは、一気にショックを与えたほうがいい。
 とびきりのニュースで、おじを卒倒させてやろう――と思った。
 「おいしかったでしょ、千里さんのパン?」
 「エーッ!?」と声を挙げたおじは、口を「エ」の字に開いたまま、一時的痴呆状態に陥ったように見えた。それが、ちょっぴり愉快でもあった。
 「あのパン……」
 「そう、真坂千里さんが焼いたパンなのよ」
 「ど、どうして、キミが……?」
 「ヘヘ……見に行っちゃった、千里さんのお店。『千の丘』っていうのよ、そのパン屋さん。『千の丘』っていうのはね、サウザンド・ヒルから取ったんだって。『七つの水仙』に出てくる『千の丘』だよ」
 「…………」
 おじは、言葉を失ったように見えた。
 少し、ショックを与えすぎたのかもしれない。
 「ど、どうしてキミが……?」
 なぜ、そんな余計なことを――という顔で、私をニラみつけるおじに、私は言った。
 「わたし、なってあげたんだよ。おじさんの、パセリとセージとローズマリーとタイムに」
 おじは、ポカンという顔で私を見つめ、それから、やれやれというふうに、首を振った。(続く)


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