コーヒーと女 連載   ローズマリーの詩   37 
小さな宴の陰で…
破産して家の離れに間借りするおじと、出戻りの私。それぞれの愛の物語。

エジプトに赴任が決まった
聡史と私は、結婚式を挙げ、
小さな宴を挙げることになった。
聡史が赴任中、私は、
千里さんの部屋で
子育てしながら彼の帰りを待つ。
では、おじは——。



 ここまでのあらすじ  会社を倒産させ、破産したおじがわが家の離れに住むようになって1年になる。私は、進めていた結婚話が破談になって、家に出戻って来た。おじも、私も、母にとっては「厄介者」だった。そのおじが住む離れから、時折、ギターで弾き語りするおじの歌が聞こえてくる。そのもの悲しげなメロディが、なぜか、心に響く。私は、その歌の内容を知りたくなった。その曲は『スカボロー・フェア』という曲。おじはもう40年、その歌を歌い続けているという。私はその理由を知りたくなったが、おじは、笑ってごまかすばかりだった。そのおじが「紗世ちゃん、ほんとは、もっと好きな人がいたんじゃないの?」と言う。よみがえった名前があった。鳴尾聡史。大学のサークルの先輩で、いまは、アフリカでポランティア活動に従事している。その鳴尾に「一緒にアフリカに行かないか?」誘われたことがあったが、決断がつかなかった。日本に残って就職した私は、職場で出会った萩原一郎に「ふつうに幸せになりなよ」と言われて、心が揺らぎ、一度は結婚を決断する。しかし、萩原は街でホームレスを見かけると舌打ちするような男だった。「結婚するとは家に入ることだ」と言われて、「この人、違う」と思った私は、結婚をキャンセルすることを決めた。そんなある日、おじに来客があった。尾崎と名乗る初老の客。ふたりの会話の中に「真坂千里」という名前が出てきた。その千里がハーブ・パンの店をやっていると言う。彼女は、かつて、おじが愛した女だった。しかし、ふたりは別れた。青い理想を語るおじは、「ふつうの幸せ」を求める彼女を理解できなかったのだ。私は内緒でその店をのぞいてみたくなった。「千の丘」という名のハーブ・パンの店。その店名は、「七つの水仙」という曲の歌詞から取ったという。そして、その曲を彼女に教えたのは、かつて、彼女が愛した男だった。「この前のパンがおいしかったから」と、再び店を訪ねた私に、千里はガーリックトーストをブルスケッタにして食べさせてくれた。次の日曜日、私は彼女に教わったブルスケッタを作っておじに食べさせた。「懐かしい味がする」というおじにニンマリする私。そんなとき、一通のエアメールが届いた。アフリカにいる鳴尾聡史からだった。負傷して日本に帰るという。「会いたい」という聡史にどう返事をすべきか、迷う私におじは、「彼はもう、昔の彼ではなくなっているかもしれない。そんな彼を丸ごと受け入れる覚悟があるか?」と問い、そして言った。「あるなら会いなさい。私のような後悔はしてほしくないから」。千里さんも同じ「後悔」という言葉を口にした。千里さんの後悔は何か? それには答えがなかった。5年ぶりに会った聡史は、負傷した脚を引きずっていた。しかし、痛んでいるのは、体に負った傷よりも心に負った傷のほうだった。銃弾に脅えて逃げ出したことを後悔し、自分を責める「青銅の騎士」に、私は、おじから聞いた言葉を伝えた。「騎士は、何もプロである必要はないんだって」。その言葉に、少し聡史の顔が和らいだ。そして私は、聡史と砂の味のするキスを交わした。そのキスをおじがからかう。お返しに私は、おじに食べさせたパンを焼いたのが千里さんであることをバラした。その千里さんは「許してくれるなら」と、かつての恋人に再会することを望んでいる。おじはおじで、「許してもらいたいのは自分のほうだ」と言う。そして私はついに、千里さんに自分が「かつてあなたを愛した男の姪っ子」であることを告げた。しかし、そこでわかったことがある。おじと千里さんがたがいに「許してほしい」と願っていることは、まったく違っているようだった。そんなある日、私は千里さんに招かれて、閉店後の店を訪ねた。千里さんはお見せの上階にある部屋に私を招き、ふたりですき焼きを囲んだ。その部屋に、おじの写真はなかった。「なぜ?」と疑問をぶつける私に「別れたから」と言う。その理由は、おじがかつて発した受け入れがたいひと言。おじは、「子どもは嫌いだ」と言ったのだった。千里さんは、その話をおじにするのかと訊く。迷う私の目に、一帯の聖母子像が飛び込んできた。その母子像が、私に「秘密を守れ」と語っているような気がした。その秘密は、おじが発した「子どもは嫌いだ」のひと言にある、と睨んだ私は、おじのひと言を責め、その真意を問い質した。年が明けると、私はおじを散歩に誘った。少し長めの散歩。その行先は、千里さんのいる草野駅だった。40年ぶりに会ったかつての恋人同士は、おたがいに訊きたいことがあるようだった。「あれからどうしてた?」「好きな人はできなかったのか?」たがいのたがいに対する答えに、私はちょっぴり感動した。ふたりはそれからもちょくちょく顔を合わせているようだった。そんな中、私の体に変化が現れた。妊娠だった。海外赴任が決まった聡史の子を宿していたのだった。どうしよう? 迷った私は、「千の丘」を訪ねた。迷っている私の顔を見て、千里さんは「実は……」と打ち明けた。かつて千里さんはおじの子を身ごもったが、それをおじには告げずに下ろしてしまった。「同じ過ちを犯すな」と千里さんに言われて、私はすべてを聡史に打ち明けた。「すぐ結婚しよう」と言う聡史。しかし、母は激高した。その母におじが声を荒げた。「おまえ、それでも母親か?」と。そしておじは、「オレもこの家を出て行く」と言う。出て行く先は、どこか? おじは笑ってごまかすばかりだった。反対する母は放って、私は聡史をおじに会わせ、「千の里」に誘った。意気投合するおじと聡史。聡史は、おじに「七つの水仙」を歌ってほしいとリクエストし、おじに尋ねるのだった。「千里さんにも、七つの水仙をあげたんですか?」。「あげたつもり」というおじと「何度もくれようとはした」という千里さんの答えには、微妙なズレがあった。聡史と結婚して子どもを産むと決意した私に、千里さんは、「私の部屋に住んだら?」と勧めてくれた。私は聡史を誘い、おじも連れて、千里さんの自宅を訪ねた。初めて訪れた彼女の部屋でおじが目を留めたのは、小さな母子像だった。その台座に刻まれた文字に、おじと千里さんの秘密が刻まれていた――。
⇒この話は、連載37回目です。この話を最初から読みたい方は、こちらから、
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 私たちには、時間がなかった。
 聡史は4月に入ると、2週間の研修を受けた後、赴任地であるエジプトへ飛び立ってしまう。
 その前に結婚式を挙げよう――ということになって、3月最後の日曜日、ごく身近な友人と親族だけでささやかな宴を催すことになった。
 母は最後まで、「そんな結婚、認めない」と反対していた。「カレがあいさつに来たいと言ってるから」と言っても、「私は会わない」とはねつけた。
 私は、結婚式の前に家を出て、千里さんの2LDKに間借りすることにした。祝福されない家で新生活のスタートを切る気にはなれなかったから――。
 おじも引っ越しの準備を進めていた。
 引っ越し先を聞いて、思わず頬が緩んだ。なんと、草野駅の近く。千里さんの店へも歩いていける場所に、2DKのアパートを借りることになった、と言う。
 「ヘーッ、毎日、千里さんに会いに行きたいんだ?」
 私がからかうと、おじは「ばぁか、孫の顔を見に行けるからだよ」と言う。
 「孫じゃないじゃん。姪の子だよ」
 「それ、何て言うんだっけ?」
 「おおめいとか、てっそんって言うらしいよ」
 「フーン。ま、いいじゃないか。子どもがいないボクたちには、孫みたいなもんさ」
 あ~あ、「ボクたち」になっちゃったんだ――と、私は思った。
 私と聡史の結婚披露パーティには、もちろん、千里さんも、おじも、出席することになった。そして、おじには、聡史のたっての希望で、『七つの水仙』を歌ってもらうことになった。
 「よぉし、練習しとくか」と言うおじに、聡史が言った。
 「いや、練習なんかしないでください。こないだみたいに、自然に口ずさんだ――って感じのほうが、オレ、好きですから」
 そういうところが、おじと聡史の波長の合うところだった。
 作り込んだ曲なんて、心に響かないから――と言うのだった。

    クローバー

 ところで――と、あれから気になっていることがある。
 自分の「罪」をおじに知られてしまった千里さんは、おじからその罪を許してもらったんだろうか?
 おじは、彼女に罪を犯させてしまうことになった自分の愚かさに、少しは気づいているだろうか?
 それを千里さんにも、おじにも、一度訊いてみようかと思うのだが、そのきっかけは、なかなかつかめそうにない。
 しかし、たぶん、ふたりの間では、もう解決ずみの問題なのだろう。
 おじは、前にも増して、千里さんの店に足を運ぶようになった。
 私が、千里さんと同居するようになったら、何だかんだと理由をつけては、毎日のように顔を出すに違いない。
 そんなおじを見て、一度だけ、千里さんが言ったことがある。
 「肝心なところで、言葉が足りないのよね、あの人……」
 それはたぶん、あのことを言っているのだろう――と、想像できた。
 「子どもは嫌い」と言い放ったあとで付け加えるべきだったひと言。「自分の子どもだったら、メロメロになるかもしれない」というひと言。もっと言うなら、「子どもが嫌い」なのではなくて、「子どもがいちばんというような考え方が嫌い」という説明。
 その言葉が足りなかったばかりに、大事なものを失ったふたりは、たぶん、いま、人生をやり直そうとしているのに違いない。

    クローバー

 私と聡史の結婚披露パーティは、同じ私鉄沿線のレストランを借り切って行われた。
 そこは、私と聡史が、たまに洋食が食べたくなったときに寄るスペイン料理の店で、30人も入ればいっぱいになってしまう、小ぢんまりとした店だった。
 そこに、私と聡史の友人が合わせて15人、聡史の両親ときょうだい合わせて4人、それにおじと千里さん。私の両親は、母が最期まで出席をいやがっていたが、おじに諭されて……というより、なかば脅されて、しぶしぶという感じで顔を出した。
 媒酌人もなし、式次第もなし、もちろん引き出物もご祝儀もなし、という会費制。ただ、みんなで飲み食いして、ひと言ずつスピーチして……というシンプルなパーティだった。
 料理は、店のシェフがテーブルごとに出す大皿料理を作り、それを小皿に取り分けて食べるというスタイルをとった。千里さんとおじも厨房に入って、千里さんが持ち込んだパンにいろんな具材をトッピングして長めの楊枝に刺し、ピンチョス風に仕立てて好きなものを選んで食べられるようにした。これが、意外と好評だった。
 千里さん自慢のブルスケッタも、ピンチョスに仕立てられた。おじは、マグロやタイやタコをオリーブオイルなどで漬け(づけ)にしたものを千里さんのパンの上に載せて、洋風にぎり寿司という感じのビンチョスに仕立てた。
 そうやって、厨房でピンチョス作りに精を出すおじと千里さんは、すでに、長年連れ添ったどこかの食堂のオヤジとそのカミさんというふうにも見えた。
 おじは、できた大皿料理やピンチョスのトレーを各テーブルに運ぶウエーターの役目も買っていた。テーブルに料理を運ぶたびに、おじは、「お世話になっております」「若いふたりをよろしくお願いします」と頭を下げ、「ま、おじさんも一杯、どうぞ」と勧められて、ワインやビールを口にする。
 すでに、その顔は赤く染まっている。やや、足がふらついているようにも見える。
 「だいじょうぶかな、おじさん?」と聡史が心配そうに声を挙げた。「あんなに酔っぱらって、ちゃんと歌が歌えるのかなぁ?」という心配だった。
 「だいじょうぶだよ。いつも、酔っぱらって歌ってるんだから」
 おじのギターは、客席の壁に立てかけてある。

    クローバー

  私の父と母は、「どうも、とんでもないところに来てしまったなぁ」という顔で、黙々と料理を口に運んでいた。
 隣に座った聡史の両親が、しきりに酒を勧めたりするのだが、母は注がれた酒にひと口、口をつけただけで、すぐにグラスを置いてしまう。
 「考え方のしっかりしたお嬢さんで、私たちも喜んでるんですよ。お母様、よく、お育てになりましたねェ」
 「とんでもないです。自分勝手なことばかりする娘で……」
 「いやいや、うちの聡史も、安心して任務に赴けるって――ね、それはもう、全面的に信頼してるんですよ」
 「まったくねェ、いまの若い人たちの考えていることは、私にはわかりません」
 「ま、そうおっしゃらずに。私たちよりはよほどしっかり、世の中のことや自分たちの人生のことを考えてるじゃありませんか。何かとご心配かもしれませんが、ひとつ、大きな目で見守ってやろうじゃないですか。私たちからも、よろしくお願いいたします」
 この親たちは、たぶん、これからもかみ合うことがないだろうな――と、私は思った。
 そんな2組の親のやりとりを見ていたおじは、やれやれという顔をして、ゆっくり、壁に立てかけたギターに手を伸ばした。
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