コーヒーと女 連載   ローズマリーの詩   38 
あの歌に送られて
破産して家の離れに間借りするおじと、出戻りの私。それぞれの愛の物語。

聡史と私の門出を祝うパーティ。
祝宴の最後にスピーチに立った
哲司おじが選んだのは、
あの曲、『七つの水仙』だった。
その曲に涙をぬぐった
あの人とおじは――。



 ここまでのあらすじ  会社を倒産させ、破産したおじがわが家の離れに住むようになって1年になる。私は、進めていた結婚話が破談になって、家に出戻って来た。おじも、私も、母にとっては「厄介者」だった。そのおじが住む離れから、時折、ギターで弾き語りするおじの歌が聞こえてくる。そのもの悲しげなメロディが、なぜか、心に響く。私は、その歌の内容を知りたくなった。その曲は『スカボロー・フェア』という曲。おじはもう40年、その歌を歌い続けているという。私はその理由を知りたくなったが、おじは、笑ってごまかすばかりだった。そのおじが「紗世ちゃん、ほんとは、もっと好きな人がいたんじゃないの?」と言う。よみがえった名前があった。鳴尾聡史。大学のサークルの先輩で、いまは、アフリカでポランティア活動に従事している。その鳴尾に「一緒にアフリカに行かないか?」誘われたことがあったが、決断がつかなかった。日本に残って就職した私は、職場で出会った萩原一郎に「ふつうに幸せになりなよ」と言われて、心が揺らぎ、一度は結婚を決断する。しかし、萩原は街でホームレスを見かけると舌打ちするような男だった。「結婚するとは家に入ることだ」と言われて、「この人、違う」と思った私は、結婚をキャンセルすることを決めた。そんなある日、おじに来客があった。尾崎と名乗る初老の客。ふたりの会話の中に「真坂千里」という名前が出てきた。その千里がハーブ・パンの店をやっていると言う。彼女は、かつて、おじが愛した女だった。しかし、ふたりは別れた。青い理想を語るおじは、「ふつうの幸せ」を求める彼女を理解できなかったのだ。私は内緒でその店をのぞいてみたくなった。「千の丘」という名のハーブ・パンの店。その店名は、「七つの水仙」という曲の歌詞から取ったという。そして、その曲を彼女に教えたのは、かつて、彼女が愛した男だった。「この前のパンがおいしかったから」と、再び店を訪ねた私に、千里はガーリックトーストをブルスケッタにして食べさせてくれた。次の日曜日、私は彼女に教わったブルスケッタを作っておじに食べさせた。「懐かしい味がする」というおじにニンマリする私。そんなとき、一通のエアメールが届いた。アフリカにいる鳴尾聡史からだった。負傷して日本に帰るという。「会いたい」という聡史にどう返事をすべきか、迷う私におじは、「彼はもう、昔の彼ではなくなっているかもしれない。そんな彼を丸ごと受け入れる覚悟があるか?」と問い、そして言った。「あるなら会いなさい。私のような後悔はしてほしくないから」。千里さんも同じ「後悔」という言葉を口にした。千里さんの後悔は何か? それには答えがなかった。5年ぶりに会った聡史は、負傷した脚を引きずっていた。しかし、痛んでいるのは、体に負った傷よりも心に負った傷のほうだった。銃弾に脅えて逃げ出したことを後悔し、自分を責める「青銅の騎士」に、私は、おじから聞いた言葉を伝えた。「騎士は、何もプロである必要はないんだって」。その言葉に、少し聡史の顔が和らいだ。そして私は、聡史と砂の味のするキスを交わした。そのキスをおじがからかう。お返しに私は、おじに食べさせたパンを焼いたのが千里さんであることをバラした。その千里さんは「許してくれるなら」と、かつての恋人に再会することを望んでいる。おじはおじで、「許してもらいたいのは自分のほうだ」と言う。そして私はついに、千里さんに自分が「かつてあなたを愛した男の姪っ子」であることを告げた。しかし、そこでわかったことがある。おじと千里さんがたがいに「許してほしい」と願っていることは、まったく違っているようだった。そんなある日、私は千里さんに招かれて、閉店後の店を訪ねた。千里さんはお見せの上階にある部屋に私を招き、ふたりですき焼きを囲んだ。その部屋に、おじの写真はなかった。「なぜ?」と疑問をぶつける私に「別れたから」と言う。その理由は、おじがかつて発した受け入れがたいひと言。おじは、「子どもは嫌いだ」と言ったのだった。千里さんは、その話をおじにするのかと訊く。迷う私の目に、一帯の聖母子像が飛び込んできた。その母子像が、私に「秘密を守れ」と語っているような気がした。その秘密は、おじが発した「子どもは嫌いだ」のひと言にある、と睨んだ私は、おじのひと言を責め、その真意を問い質した。年が明けると、私はおじを散歩に誘った。少し長めの散歩。その行先は、千里さんのいる草野駅だった。40年ぶりに会ったかつての恋人同士は、おたがいに訊きたいことがあるようだった。「あれからどうしてた?」「好きな人はできなかったのか?」たがいのたがいに対する答えに、私はちょっぴり感動した。ふたりはそれからもちょくちょく顔を合わせているようだった。そんな中、私の体に変化が現れた。妊娠だった。海外赴任が決まった聡史の子を宿していたのだった。どうしよう? 迷った私は、「千の丘」を訪ねた。迷っている私の顔を見て、千里さんは「実は……」と打ち明けた。かつて千里さんはおじの子を身ごもったが、それをおじには告げずに下ろしてしまった。「同じ過ちを犯すな」と千里さんに言われて、私はすべてを聡史に打ち明けた。「すぐ結婚しよう」と言う聡史。しかし、母は激高した。その母におじが声を荒げた。「おまえ、それでも母親か?」と。そしておじは、「オレもこの家を出て行く」と言う。出て行く先は、どこか? おじは笑ってごまかすばかりだった。反対する母は放って、私は聡史をおじに会わせ、「千の里」に誘った。意気投合するおじと聡史。聡史は、おじに「七つの水仙」を歌ってほしいとリクエストし、おじに尋ねるのだった。「千里さんにも、七つの水仙をあげたんですか?」。「あげたつもり」というおじと「何度もくれようとはした」という千里さんの答えには、微妙なズレがあった。聡史と結婚して子どもを産むと決意した私に、千里さんは、「私の部屋に住んだら?」と勧めてくれた。私は聡史を誘い、おじも連れて、千里さんの自宅を訪ねた。初めて訪れた彼女の部屋でおじが目を留めたのは、小さな母子像だった。その台座に刻まれた「見知らぬ天使に……」という文字。それは、おじだけが気づくことのできる、千里さんの秘密だった。聡史がエジプトに赴任するまで、もう、時間がなかった。私は、千里さんの2LDKに移り住み、聡史の出発前に結婚式を挙げることになった――。
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 おじがギターを抱えて、スツールに腰を下すと、千里さんも手を拭きながら厨房から出てきた。壁に背をもたせ、両腕を胸の前で組み合わせて、「さぁ、聞こうかしらね」という体勢をとっている。
 「きょうは……」と言って、おじは会場内を見渡し、フゥ……と息をついた。
 「鳴尾聡史クンと杉野沙世、若いふたりの門出を祝う席に、出席してくださり、ありがとうございます。わたくし、新婦のおじの牧原哲司と申します」
 そこで、ジャランと弦をかき鳴らした。
 弦の音は、店の石造りの壁に反響して、店内の空気を震わせた。その残響が残る中で、おじが静かに言葉を継いだ。
 「いまから40年近く前、その頃の若者たちは、世の中を動かしている体制に矛盾を感じて、さまざまな抗議行動を起こしていました。みなさんも、TVなどでご覧になったことがあるかもしれない、激動の時代です。しかし、若者たちの抗議行動は、次々につぶされていきました。多くの若者たちは、口をふさぎ、肩を落とし、社会に順応する羊のようなおとなとして、既成の組織の中に取り込まれていきました。若者たちの口から、社会や世界を語る言葉は、どんどん消えていき、代わりに、成功法則を語るいささか露骨な、品性に欠ける言葉が、世の中を飛び回るようになりました。世の中は、いやな方向に進んでいるなぁ――と思っていました。しかし……」
 そこで、おじは言葉を切って、会場内を見渡した。その視線が聡史と私をとらえて、ニコリと微笑んだ。
 「こんな時代になっても、世界の矛盾に、自分たちの力で立ち向かっていこうとする若者たちがいます。きょう、みなさんの前で夫婦となる誓いを立てた鳴尾聡史クンは、アフリカの大地で飢餓に苦しむ子どもたちを救おうと救援活動に従事し、銃弾を受けて負傷しましたが、それでも、今度は通信員として再びアフリカに旅立ち、アフリカの現状を世界に向けて打電する任務に就こうとしています。そして、私の姪・杉野沙世は、そんな聡史クンを支え、その子どもを育てながら、つましくも美しい家族の形を作り上げ、そうすることによって社会とコミットしていく決意を固めました。いまの若者は、自分の利益にしか興味がないのだろうか――などと考えていた自分の不明を、私はいま、心から恥じています。この若者たちになら、これからの社会をまかせていける。いや、もしかしたら、私たちにできなかったことを、この若者たちならやり遂げてくれるかもしれない。私にそう思わせてくれたのは、このふたりでした。ありがとう……」
 会場から、「よっ、ガンバれ!」と声が飛んだ。
 聡史の両親は、何度も何度もうなずいては、そっと目頭にハンカチを当てていた。
 私の両親は、そんな会場の雰囲気に身を小さくしていた。
 おじは――というと、そんな反応を確かめるように見回したあとで、ゆっくりと弦をつまびき始めた。イントロのアルペジオが、場内の空気を一瞬にして静まり返らせた。

    クローバー

 「この曲は……」と、おじは、アルペジオに乗せて、静かに口を開いた。
 「私がまだ20代だった頃、体制に異議を唱える若者たちの間で、盛んに口ずさんだり、演奏されたりした曲です。『反戦歌』であるという評価もありますが、歌詞の中には『反戦』という言葉も、『反体制』という言葉も出てきません。ボクには、豪華な邸宅もないし、土地もない。手に握り締める1ドル札さえない。でも、キミに見せてあげることができる。この千の丘にやってくる美しい朝を。そしたらボクは、キミにキスをして、そしてあげるんだ。この丘に咲く七つの水仙を。ただ、そう歌っているだけです。この曲を、40年前、私は、その当時、愛していた女性に捧げました。きょうは、これから新しい人生の一歩を踏み出すふたりに捧げたいと思います。そして……」
 しばらく、間があった。
 「この曲を自分たちのために歌ってほしい――とリクエストしたのは、他ならないそのふたりでした。聡史クン、沙世クン、幸せになってください」
 そう言って、おじの歌が始まった。
 「アイ・ハヴント・エニィ・マンション……」
 私にとっては、そして千里さんにとっても、もう、何回も耳にしたフレーズ。聡史にとっては、「千の丘」で聴いて以来となる2回目。
 しかし、そのどれよりも、その日の「七つの水仙」は、凛と胸に響いた。
 私も、聡史も、背筋を伸ばしておじの歌に聞き入った。
 千里さんは、壁にもたれたまま、静かに目を閉じて聞いていたが、白く、長い指が、何度か、そっと目の縁をぬぐった。

    クローバー

 おじの歌の後、全員で『We Are the World』を歌って、パーティはお開きになった。
 会場のあちこちで、友人たちがグループを作っては、そこに私たちを招いて記念撮影を始めた。聡史の両親と私の両親は、ひと言、ふた言、あいさつを交わしている様子だったが、私の父と母は、「じゃ、私たち、これで失礼するわ」と会場を後にした。
 おじと千里さんは、テーブルに散乱した食器を厨房に運んで、マスターの片づけを手伝い始めた。その姿は、来たときよりも、いくぶん、親密さを増したように見えた。
 すべての片づけが終わり、店のマスターにていねいにお礼を言うと、おじと千里さんは、ひと足早く店を出た。先に「千の丘」に帰っているから――と言うので、私と聡史はその姿を見送った。
 おじは左手に、千里さんは右手に、持ち込んだ調理道具などを持って、ふたり並んで駅への道を帰っていく。
 おじの右手と千里さんの左手は空いている。
 見ていると、おじと千里さんは、何か言葉を交わすたびに、おたがいに肩をぶつけ合いながら、楽しそうに、駅への道を歩いていく。
 やがて、千里さんの左手がおじの右腕に添えられた。おじが何かを言い、その言葉にうなずいた千里さんの頭が、おじの肩に傾いた。

 千里さんは、幸せな気分になっているのだろうか?
 おじは、その気分をまるごと受け入れているのだろうか?

 ふたりが歩いていく道は、桜並木になっている。その枝では、気の早いサクラが、薄桃色の花弁を開き始めている。
 ピンク色に染まっていく街路を歩いて行くふたりの姿を見ながら、私は聡史の顔を見た。
 この男と私も、40年後、あんなふたりでいられるだろうか?
 「ン? 何?」
 と、聡史が私の顔を見る。
 「わたしね……」と、聡史の目を見る。
 「いま、とっても幸せよ」
 聡史のたくましい腕が私の肩を抱き寄せる。
 その腕の中に、私は、ゆっくり、顔を埋めた。

=完=
お詫び『ローズマリーの詩』は、これにて《完》です。ご愛読ありがとうございました。


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