ポスト占星学

2006年07月09日

ガウス平面、プラトン、ケルト十字、占星術、etc

ガウス平面、プラトン、ケルト十字、占星術、etc
テーマ:叡智学
Sun, July 09, 2006 13:11:11
円○に十字+を重ねると、ケルト十字ができる。+X軸を男性、−X軸を女性としよう。あるいは、オシリスとイシス。そう、これらは、不連続的差異と見るべきである。男性と女性とは不連続的差異であり、もっともよい状態で、共振・共立・共生状態であり、一体化することは、不可能である。差異共振シナジーが最良の状態である。(これを、天才的に、D.H.ロレンスは、『死んだ男(逃げた雄鳥)』で描いているのだ。)
 中国の叡知で言えば、陰陽思想である。しかし、陰と陽の順番に留意すべきだろう。女性・闇が先であり、男性・光が後である。
 それに合わせるならば、−X軸を右に、+X軸を左に置くべきではないのか。そして、同様に、−Y軸を前に、+Y軸を後に置くべきではないのか。そして、Z軸も同様である。−Z軸を上に、+Z軸を下に位置させるべきではないか。
 ♀(雌、ヴィーナス・金星)と♂(雄、マルス・火星)の記号、シンボルを見ると、前者は、正に、+と○で、ケルト十字的である。後者は、直線的である。
 思うに、初めにマイナス、陰、女性ありき、ではないのか。イヴありきでは。『老子』では、玄牝と呼んでいる。玄牝は、イデア円全体を指しているのかもしれない。即ち、太極である。玄牝=太極? そう、陰陽バランス、陰陽中道を、玄牝と呼んだのではないのか。月日のバランス。明である。これは、原光であろう。陰陽光であろう。白い光と黒い光である。併せて、何色の光となるのだろう。白であり、黒である光、黒白光? でも、これこそ、太陽の本来の光のように思える。相補的光である。太極相補的光である。これが、玄牝なんだろう。そうだと、黒さが主要となる。初めに、マイナスありき。マイナスは神とともにありき。そして、マイナスは神であった。つまり、イヴが神であった。

ケルト十字
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/cross.html
 

2005年03月25日

ポスト占星学としての不連続的差異論:差異と「惑星」

差異と占星学:不連続的差異と「惑星」差異

先に空想として、秘数学的に「惑星」差異を提起し、それが太陽系を形成するとした。当然、そこには、地球や生物・人間も含まれている。「惑星」的人間である。より正確に言えば、「星辰」的人間である。そして、そこに、私はコギトを含めた。すなわち、イデア普遍界の差異/虚度に発する差異/強度のもつコギト性(複数のロゴスの交通理性)を述べた。問題は、「惑星」差異とは何かである。それは、単位ないし原点としての差異なのか、それとも複合化された差異なのかである。たとえば、「火星」差異とは、一つの不連続的差異なのか、それともそれらが複合・連結した差異群なのか。もっとも、「火星」差異とは、現実の火星ではなく、火星を形成する根元の「差異」のことである。【省略:ここには、思うに、不連続的差異のある順列があるのではないだろうか。すなわち、「火星」差異順列があるのではないだろうか。(ここでは、どのような構成かは問わないことにする。)すなわち、「惑星」差異順列があるということになる。これは、イデア普遍界における不連続的差異の虚度回転を考えると、考えられないことではない。90度回転という差異の根元的虚度があり、これが捩れてらせんを形成するというイデア普遍界のあり方。】思うに、順列ではなくて、不連続的差異の虚度回転を「惑星」差異としたらどうだろうか。たとえば、90度回転(プラス強度)とは、メディア界化である。これは女性である。「金星」である。ならば、「惑星」差異とは、差異強度のことだろう。そして、これがさらに90度回転して、マイナスになる。これが現象化である。これが「火星」ではないか。「金星・♀」と「火星・♂」とは、正反対である(ヴィーナス&マルス)。そして、270度回転して、逆「金星」となる。これは、「木星」ではないか。そして、360度回転して、いわば「太陽」にもどる。ならば、「水星」、「土星」はどうなるのか。思うに、90度回転のプラス強度が金星で、マイナス強度が水星ではないか。そして、180度回転のプラス強度が「火星」で、マイナス強度が「土星」で、270度回転のプラス強度が「木星」でマイナス強度が「X星」で、360度回転が「太陽」と「月」ではないか。ならば、問題は、「地球」と「X星」である。「地球」を不連続的差異としよう。それは、原点において「太陽」/「月」であるとしよう。すなわち、「太陽」/「地球」/「月」としての、イデア普遍界における不連続的差異である。ならば、「X星」とは何かである。6個惑星がなくてはならないのに、5個しかない。「X星」を例えば、天王星・海王星・冥王星の土星外惑星にしてもいいかもしれない。細部は今は無視して、理念・コンセプトを考えよう。以上の考えは、不連続的差異の回転強度が「惑星」差異であるということである。つまり、差異の強度が「惑星」差異ということになる。これなら、空想ではなくて、客観的になる。イデア普遍界の不連続的差異虚度がある。それに対して、メディア界の直交座標があり、プラスとマイナスの二種類×4=8個の差異強度が生起する。これにイデア普遍界の不連続的差異の一個を加えて、9個となる。8=1である。しかし、この1は、普遍であるから、無限・∞である。ゼロとは、メディア界にあるのであり、メディア界の8個+ゼロの1個=9個の差異強度がメディア界にある。これを9次元にしていいだろう。そして、イデア普遍界の無限・∞の1個を足して、10という秘数・聖数となる。これは、古代宇宙論の10個の天、カバラの10個のセフィロートであり、四柱推命の十干であり、超ひも論の十次元に通じる。今は、ここで留めよう。

p.s. 結局、これは、イデア普遍界における不連続的差異として「太陽」と「月」の二個を置いている。正確に言えば、「地球」を入れて三個だ。しかし、プラスとマイナスの極性を考えると、1個でいい。しかし、上述では、「太陽」/「地球」/「月」と考えている。つまり、原点に3個の差異がある。
 今、直感で考えよう。一個の差異が原点にある。これはイデア普遍界にある。そして、同時にこれは、イデア普遍界の縁にあると言える。すなわち、三次元の直交座標(xyz)を考えると、90度回転は、z軸への捩れを生む。つまり、イデア普遍界(xy座標)は、z軸に接しているのである。だから、縁にある。しかし、このように見ると、メディア界はどうなるのか。xyz軸三次元座標が現象界を形成する。強度が時間であろう。だから、時空四次元体である。ならば、メディア界とは、差異と差異との境界であり、90度回転であり、x軸やy軸であろう。このように考えて、所期の問題に返ると、例えば、差異αがあったとしよう。これは、αは(a,0,0)にあるとしよう。これは、イデア普遍界にあると同時に、メディア界に存するし、現象界にも存する。しかし、これだけでは、無変化である。しかし、私の直感では、プラスとマイナス強度をもつ。これは何か。これは、プラスは、自己保存力である。マイナスは、連続化指向力(同化力)である。潜勢力である。エネルゲイアである。虚度である。しかし、一個の差異だけでは、回転しない。もう一つ必要である。差異と差異との境界が回転を生むのである。だから、最低、2つの差異が必要である。差異αと差異βである。α/β、これが出発点である。+α−/+β−、これが回転し、らせん現象を生む。では、αとβとは何か。最初私は、太陽と月と言った。あるいは、太陽/地球/月と言った。しかし、太陽は境界である。だから、地球/月である。地球のシンボルは十字⊕であり、太陽が◎であり、月が三日月マークである。しかし、満月ならば、◯である。⊕◎◯である。太陽のマークを取れば、金星♀になる。古代エジプトのアンクである。とまれ、地球と月、月と地球とは何か考えたい。金星はヴィーナスである。女神である。大女神である。宇宙である。以前は、太陽と月との一如として大女神(イシス/オシリス、キュベレ/アッティス等)を考えたが、太陽は地球なのだろう。そして、イシスは地球で、オシリスが月だろう。そして、イシスは同時にオシリスでもある。イシス即非オシリスである。ホルスが太陽である。月は太陽というよりは、地球の光を浴びているのだ。女神地球ガイアの光を男神月は受けているのだ。ところで、折口信夫の『死者の書』の、女性主人公の郎女(いらつめ)のヴィジョンに現れる俤(おもかげ)の人、蘇った死者(滋賀津彦しがつひこ)は、月なのではないか。このヴィジョンの光は、太陽ではない。女神地球ガイア(郎女)の光を受けた月のヴィジョンだろう。天若日子(あめわかひこ)とは、月オシリスだろう。太陽ではない。そう、アッティスもイエス・キリストも太陽ではなく、月オシリスだろう。聖母マリアは、女神地球ガイアだろう。そして、女神地球ガイアとは金星♀だろう。古代エジプトのハトホルだろう。金星とは、地球・太陽・月のことなのだ。すなわち、根元の差異/差異である。ペアの差異である。以前、私はイデア・ゼロペアと言ったが、そうではなくて、差異ペアである。不連続的差異ペアと言うべきだろう。大女神を月で表象するが、実は、月は大女神の子供である。ピエタである。聖母子である。
 地球の荒廃とは何を意味するのか。差異の喪失である。差異の境界の太陽=智がゼロになったのだ。これこそ、両性具有ではないか。ヘルメス神の喪失。理性の喪失。メディア界の喪失。太陽の喪失。叡智の喪失。思うに、日本においては、この叡智が天皇と結びついていた。そして、天皇制に利用されてしまった。しかし、戦後人間天皇になり、日本人は叡智、太陽を喪失したのだ。オ米国の皮相な太陽を受けて入れた。思うに、折口信夫は、『死者の書』で叡智の新生を表現しているのだろう。女神ヒミコ郎女は、男神天若日子・大津皇子のヴィジョンを表現する。このヴィジョンが新生太陽だろう。死んだ日本の太陽の新生。そう、朝廷・帝の太陽・天皇ではなく、個としての太陽。差異・特異性の太陽・叡智のよみがえりを折口は幻視しているのだ。イデア普遍界の始元の差異のペアを新たに表現しているのだ。それは、地球ガイアと月オシリスの対話としての太陽・叡智の聖書である。そして、同様に、D.H.ロレンスの『逃げた雄鳥(死んだ男)』は、復活したイエス=オシリスとイシスの巫女との共立を表現して、不可視のコスモスの薔薇の幻視を表現している。このヴィジョンの宇宙の薔薇とは、地球ガイアのことだろう。折口で言えば、郎女=耳面刀自(みみものとじ)である。ちょうど、鏡面をはさんで描いていると考えられる。
ーーー地球ーーーーー太陽ーーーーーーーー月―――――――
郎女・女神→→→ヴィジョン・俤・・・大津皇子・天若日子・月・死者
イシスの巫女・・ヴィジョン・大薔薇←←死んだ男・イエス・オシリス




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