July 03, 2009

Sou FUJIMOTO:プリミティブ・フューチャー

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 7月の週末、仙台の阿部仁史アトリエで恒例のハウスレクチャが開催された。今回の講師は建築家の藤本壮介氏である。氏は「プリミティブ・フューチャー」、つまり原初的な未来をテーマとして掲げ、自身の作品がつくられた原初にさかのぼり、かたちになる以前の、まだ曖昧な状態を想像力豊かなイメージ写真と力強いことばで語った。
 藤本氏は同名の書籍を著していることに加え、卒業設計でも「原型的なもの」をつくろうとしたことを語っていることから、「プリミティブ」な建築の在り方とは、氏が建築家としてデビューする前からのテーマだったのであろう。では、「フューチャー」とは何か。おそらく、誰もが知っていて、体験したことのある、しかし建築としては未だ体現されていない懐かしさを備えた新規的な空間のことをいうのではないだろうか。というのも、レクチャーで紹介された作品を言い表す言葉のあちこちにそう思わせる表現が散見されたからである。
 たとえば、「伊達の援護寮」は森とごちゃごちゃした街/都市の対比から説明された。その在り方が、閉じているのか開いているのかわからない「すみっこ」を生みだし、そして空間と人間のインタラクションを発見させるという。また、「HOUSE N」では洞窟性という言葉が提示された。これは中と外の間に隣接関係でできたにじんだ領域のある状態のことだという。相対的な秩序、という言葉でも説明された洞窟性は、一方で廃墟の持つイメージにもつながるという。建築としては成立していないが、場だけが生起している廃墟は藤本氏のもう一つの原初だったのだ。洞窟性は、平面方向への適用として「武蔵野美術大学図書館」にも展開しているという。
 氏は、環境においてあるたくましさを備え、無限のクリエイティビティを発揮できる人を想定し、自分自身がそこで「モゾモゾ」を動きまわることで建築を創り上げるという。「強い人間」像である。コメンテーターを務め、東大大野研時代に助手と学生の関係であった本江正茂東北大学准教授からは、「みんながお前のように北海道の森で育ったサルみたいに能動的に動く人間じゃない」とつっこみが入り会場が沸く場面もあった。しかし、実際に、氏がそもそも持っているキャラクターだけではなく、空間の図式としても明快なダイアグラムを掲示することによって「不純なものが入ってきても耐える骨格のある強度を持たせたい」とするスタイルと、原初に立ち返ろうとする意志は通じるものがあるのだろう。
 近年、海外で講演をする機会もあるという藤本氏から、最初は聴衆からの反応の手応えがつかめずに苦労したというのは意外だった。確かに、建築評論家の五十嵐太郎氏が指摘するように、日本の若手建築家が、微妙な差異を持つ知的な作業として建築をつくりあげる独特な立ち位置を持つ一方、海外でその差異を認識させる困難があることも確かであろう。しかし、藤本氏の示す強度の高いダイアグラムは、そのような言わば「白派」の建築とは異なる評価を得るものと想像しただけに上記のような意外性を感じたのである。最近は努めて明快な言葉の対比から自身の建築を説明するようにしているという。
 明瞭性と不明瞭性の同居する建築として、最新作の「宇都宮」が高い評価を獲得する一方、「ヒートブリッジがいっぱいあって自然環境に近い」と説明する氏のあっけらかんとした態度がどこか憎めないのは、原初に立ち返ろうとする人間の醸し出す雰囲気に、それを見守ろうと思わせる希有な求心性を氏が有しているからなのだろうか。



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