あなたが僕にくれたモノ

 先週の金曜日、母が急逝しました。58歳でした。この場で病名は明かせませんが、約5年間の闘病の末、安らかに逝きました。

 色々と語りたい事はあるのですが、今はまだ正直心の整理がつかず、モヤモヤした状態が続いています。

 亡くなってから葬儀が終わって僕のアパートに遺骨や遺影、位牌を連れてくるまで、とにかく泣き尽くしました。今までの人生でこれほどの涙を流した経験はありません。人目を憚らず号泣しました。

 「もう少し生きてくれるんじゃないか。」親族皆がそう願っていた矢先の出来事だったんです。


 残業を終え、家に着いて夕食を済ませ、弁当の準備をして一息ついた頃に伯父から電話がありました。詳しい事は分からなかったのですが、「危ない状態らしい」と。

 急いで着替えて病院へ向かいました。着くと、母は心臓マッサージと人工呼吸を受けているところでした。その光景を見た僕は茫然と立ち尽くす以外ありませんでした。

 何とか心臓が動き始め、先生から詳しい話を聞きました。

・20:30に痙攣発作が起こり、薬を投与して落ち着いた。
・その後、定期的に巡回していたが、21:30に心肺停止状態になっており、強心剤を投与、心臓マッサージと人工呼吸を始めた。
・21:50頃に僕が到着する寸前に、再び心臓が動き始めた。


 先生の話では、恐らく15〜20分ほど心臓が止まっていただろう、という事でした。5〜10分程度であれば再び動き出すこともあるが、これだけ時間が経って再び動き出すのは珍しいと。しかし、自発呼吸が復活しない事から、恐らく今夜が山だろうと言われました。

 たぶん僕の到着を待っていてくれたんじゃないかなって思います。

 その後、親戚も到着して経緯を見守っておりましたが、よほど心臓に負担が掛かっていたのでしょう。4月25日23:20に亡くなりました。とても穏やかで安らかな顔で。まるで僕らに向かって微笑んでいるかのようでした。

 葬儀での喪主挨拶でも触れたのですが、この日は僕の30才の誕生日でもありました。一度止まった心臓を頑張って動かして僕の到着を待ち、日が変わらないうちに静かに亡くなりました。優しく、厳しく、強い反面、とても寂しがり屋な一面もあった母だったので、「一生忘れないでね」と、そんな気持ちで旅立ったのだと思います。

 そこから葬儀まではバタバタと時間が流れました。自分でも不思議なくらいの涙がずっと流れ出ていました。

 無事に葬儀も終わり、母を連れてアパートに帰りました。病気の兼ね合いもあり、僕のアパートに招待したのは初めてでした。

 「ビックリするほど汚いけど、ごめんな笑」

 そう語りかけ、部屋の一角にとりあえずのスペースを設けて母の場所を作りました。言い訳がましくなりますが、これまで自分が日々を生きていくので精一杯で、数ヶ月に一度しか掃除をしてなかったものですから汗

 しかし当日都合が付かず、弔問に訪れる事が出来なかった方々もいらっしゃったので、部屋を片付けて落ち着いた環境にしなくてはと思い、今日1日かけて大掃除をしました。今度は掃除をしやすい配置になったと思います。

 今も母は変わらぬ笑顔で僕を見つめています。今度からは二人暮しの始まりです。ちょっと気を抜いたら、きっと夢に出てきて叱られてしまうでしょう笑


 僕は宗教的思考というものがあまり好きではありません。古くから存在する仏教・神道・キリスト教などはまだ認められますが、新興宗教なんて大嫌いです。

 そういう意味では無神論に近い立場でもありますが、今回の母の死で、不思議な巡り会わせやご縁というものがある事を知り、と同時に『母の愛の深さ』というものを改めて実感しました。というのも、実は年明けの1月7日、妹の誕生日の深夜にも倒れ、この時も危篤寸前までいったのに帰ってきてくれたんです。そして約4ヶ月間も頑張って、僕の誕生日を選んで逝ってくれたんです。これを母の愛と言わずして何といえば言いのでしょう。

 これまで30年間ずっと脛をかじりっぱなしの人生で、結局何一つお返しする事も出来ませんでした。悔しくて情けなくて堪りません。これからでも母に親孝行・恩返しとしてしてあげられる事は、頑張って働いて母にピッタリの墓を立ててあげる事だと思います。そしてそのついでに、母の分も幸せに生きる事だと思います。

 これからは、何か楽しい事があった時は喜びを分けるつもりで母を思い出し、辛いことがあったら語りかけ、まずは懸命に自分の人生をまっとう出来るよう、努力していきたいと思います。



 お母さん、30年もの間、全力で愛してくれてありがとう。あなたが僕に分け与えてくれたモノ、一生忘れません。あとは自分の幸せだけを考えて、そっちで楽しく第二の人生を過ごして下さい。

 さようなら。

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