日本一の将棋駒の産地、天童--。全国的に知名度が高いこのフレーズは、先人たちの長年の努力で定着させてきた。ゲーム機の普及など娯楽が多様化し、近年は将棋駒の需要の低迷が続くが、業界は努力を今も続けている。

 天童の将棋駒作りは江戸時代、天童織田藩の武士たちが内職で始めたことに由来する。昭和に入ると、機械化で駒木地の大量生産が可能になった。戦中は慰問品として喜ばれ、需要が増加。戦後から昭和30年代に最盛期を迎えた。県将棋駒協同組合の庄司浩助理事長(73)は「年間400万組を売り上げた年もあった」と解説する。天童市工業統計などによると、生産額のピークは1980(昭和55)年ごろ。同年には市内の事業所は41カ所を数え、生産額は年間4億7000万円に上った。

戦後復興の右肩上がりと歩みを共にしてきた天童の将棋駒製造だが、テレビゲームが普及して子供の遊びが多様化すると状況が一変した。大衆駒のニーズが減り、09年は事業所15カ所、生産額は1億3000万円。製造に携わる従業者数は80年は131人いたが、09年は38人まで落ち込んだ。庄司理事長は「子供たちがおもちゃ屋で将棋駒を見る機会も減っている。将棋人口を拡大しなければ。祈るような気持ちだ」と語る。

 後継者育成も課題の一つ。庄司理事長は「火種を消すわけにはいかない」と危機感をにじませる。駒木地に漆で直接文字を書き込む書き師の育成講座を実施するなど取り組みを続けている。

 天童で開催される名人戦は、工人たちの晴れ舞台だ。使用する駒は県将棋駒協同組合会員の製品。数種類の中から名人、挑戦者らが直接使用する駒を選び出す。庄司理事長は「駒の産地、天童ならではのことで、皆の楽しみ、励みになっている」と話す。

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 現地大盤解説会が7、8の両日、天童ホテル2階コンベンションホール瑞祥で開かれる。両日とも午前8時半開場。解説は酒田市出身で昨年、新人王を獲得した 四段。聞き手は長沢千和子女流四段。入場料は2日券2500円、1日券2000円。いずれもコーヒーのサービスが付き、同ホテルで入浴できる。
立会人は島朗九段。毎日副立会は飯島栄治七段、朝日副立会は中川大輔八段。記録係は鈴木肇三段(23歳、所司和晴七段門下)が務めます。