ワイン激しい国際非難を浴び続けて1994年に終焉したアパルトヘイト。開放されて10年, 南アフリカには新しい風が吹き込んでいる。例えばワイン。アパルトヘイト時代から300余りのワイナリーがあったが, 味も銘柄も特段の物では無かった。
10年経った現在, 南アフリカのワインは国内のみならず欧州やアメリカの市場でひとつのブームになっている。
この国の生産者(ヨ−ロッパ系移民)はそのワインのスタイルをヨ−ロッパ、とくにフランスワインを意識して、フランスで使われているブドウ品種を使って伝統的なヨ−ロッパスタイルのワイン造りをめざしていた。アパルトヘイトからの開放が一気にその動きを加速して,もともと良い風土・気候があった利点を十分に発揮したのであった。
伝統的なスタイルを崩すことなく、新しいスタイルのワインにも挑戦しており,南アフリカのワインは、ワイン鑑定家王国のイギリスで高く評価されるようになった。新大陸ワインと旧大陸ワインの「架け橋」になっている。
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[おびただしい数の難民が暮らす難民キャンプは、まるで巨大な町のようだ---1994年7月、ルワンダ難民約150万人がザイールに逃げ込み、世界最大規模の難民キャンプはさらに膨れあがった。ザイールのゴマ地域にあるキブンバ・キャンプで]



この歴史的な開放が, 南アフリカのように, 全て良い方向に動いたと言うわけではない。
いやむしろ「冷戦の終焉」特に米ソの冷戦の終焉ががその重しにより押さえ込んでいた国内の歴史的・民族的な対立を表面に噴出すことになり発展途上国各国は「分化・分裂の時代」に突入したと, 緒方貞子さんは言う。

1990年から2000年まで国連難民高等弁務官を務めた緒方さんは,その歴史的な流れを冷静に見つめる。

就任時に世界で1700万人だった難民が1996年には2600万人になり,そして2000年には2200万人と政治情勢により大きく変動していくのを体感した。

その長きに渡る激務を終え, 国際協力機構(JICA)の現緒方貞子理事長は再度アフリカに対して支援体制強化に自ら乗り出した。
現場主義, 難民の保護を抽象的に遠吠えしていたのではダメと一刀両断する彼女の姿勢には頭が下がる。

一時期小泉首相が, 緒方さんに外務大臣就任を持ちかけたようだが, ちょっと相手を間違っていない?と思ったものである。その思いが間違っていないことを再認識させていただいた、そんな思いであった。

緒方








[緒方貞子氏の略歴]

緒方貞子氏は1991年から2000年まで国連難民高等弁務官を務めました。緒方氏は、1990年12月に開かれた国連総会で、1991年1月1日からの3年間この職責に選ばれています。氏はさらに2度再選され、2000年までこの職責を務めています。国連難民高等弁務官就任以前の彼女の経歴は、1990年に国連人権委員会・ミャンマーの人権状況独立専門家(Independent Expert of the United Nations Commission on Human Rights on the Human Rights Situation in Myanmar)、1982年から1985年まで国連人権委員会日本代表、また、1978年と1979年には、日本政府国連代表部特命全権公使(Envoy Extraordinary and Minister Plenipotentiary at the Permanent Mission of Japan to the United Nations)、1976年から1978年までも日本政府国連代表部公使でした。

 国連難民高等弁務官を退任した後の2001年に、緒方氏はアマルティア・セン(Amartya Sen) 教授とともに、人間の安全保障委員会共同議長としての役目を引き受けました。ニューヨークでの仕事を続けている間の2001年11月、彼女はアフガニスタン支援日本政府特別代表に任命されました。緒方氏は2001年5月以来フォード財団の常任研究員(Scholar in Residence)にもなっています。
緒方氏は優れた学者でもあります。彼女は1989年から東京の上智大学外国語学部長、それに先立って(1987-1988)同大学国際関係研究所の理事も務め、1980年からは同大学教授でした。1965年から1976年までは東京の聖心女子大学や国際基督教大学で教鞭をとっています。1963年にカリフォルニア大学バークレー校で政治学の博士、1953年にはワシントンDCのジョージタウン大学から国際関係論で修士、1951年には東京の聖心女子大学で学士の学位をそれぞれ受けています。
緒方氏は1927年9月16日東京生まれ。一男一女の母親です。

 緒方貞子氏は2001年6月1日にアマルティア・セン氏とともに人間の安全保障委員会の共同議長に就任した。また、緒方氏はニューヨークで活動しながら、2001年11月には日本国のアフガニスタン支援政府特別代表に任命され、2002年1月21日から22日にかけて東京で行われたアフガニスタン復興支援国際会議においては共同議長を務めた。現在ニューヨークにおいてはフォード財団で執筆活動等を行っている。
1991年から2000年まで、緒方氏は国連難民高等弁務官を務めた。1990年12月に国連総会により同ポストに選出され1991年1月1日から1993年末までの任期を果たし、1993年末には再選され次の5年間(1994年1月から1998年12月まで)の任期を果たした。さらに、1998年には再再選され2000年12月末まで高等弁務官として職務を全うした。これ以前には、緒方氏は国連人権委員会においてミャンマーの人権状況に関する独立専門家として活動し(1990年)、1982年から1985年までは同人権委員会の日本代表を務めた。さらに1978年から1979年までは特命全権公使として、1976年から1978年までは公使として、日本政府国連代表部に所属した。
 緒方貞子氏は優れた学者でもある。1980年に上智大学の教授に就任し、1987年から1988年までは同大学の国際関係学部長、1989年からは上智大学外国学部の学部長を務めた。1974年から1976年までは国際基督教大学において助教授として外交史を、1965年から1974年までは同校及び聖心女子大学で国際関係を教えた。緒方貞子氏はカリフォルニア大学バークレー校で1963年に博士号を、ワシントンDCのジョージタウン大学で1953年に修士号を、東京の聖心女子大学で1951年に学士号を取得している。