2011年07月
2011年07月29日
ブルージュへ日帰り旅行(ブリュッセル2日目)
朝10時過ぎ頃にホステルを出て、歩いてセントラル・ステーションへいく途中にサンミッシェル・カテドラルによってその中を見せてもらった。ここも大変美しいカテドラルだった。
その後、列車におよそ1時間 揺られてブルージュへ行った。ブルージュは大変小さい村であり、村全体が古い町並みをたたえており、繁華街のとおりでは、ベルギーのお土産を売る店と観光客があふれていた。歩いていると、地図を見ているご夫妻を見かけたので、どこで地図を手に入れたかを聞いて、その場所へ行き、50セント(1ユーロの半分)を支払って地図を手に入れた。ともかく、街に着いたらすぐに必要なのは、街の中心街の地図だ。地図があれば目的地まで自分で行かれるし、道に迷っても誰かに尋ねて教えてもらえる。地図は生命線である。
ブルージュでは、古い町並みが保存されている区域の中心街であるマルクト広場まで、細い石畳と石造りの昔ながらの家が並んでいる通りを歩いて行き、まず、鐘楼を見学。その鐘楼の音がヨーロッパの象徴のように感じた。すぐに「地球の歩き方~ヨーロッパ篇~」で紹介されているマルクト広場から入れる「聖血礼拝堂」へ行こうとしたが、お昼休みでしまっており、開館は2時からということなので、その前に少し歩いてメムリンク美術館を見学した。入館料は8ユーロ。この地方はフランドル地方というらしい。そして、この美術館はかつて修道院の病院が建っていた場所を使っているらしく、当時の修道院の病院で治療がどのように行われていたか、というような展示があった。ほかには、フランドル地方に縁のある絵画などが展示されていたが、かなり修道院の修道士とか宗教的なテーマが色濃くみられた。
ブルージュの街では、ブリュッセル以上にチョコレートのお店が多くて、さらに、この地方名産のボビンレースと言う手芸品のお店も多く見られた。また、ベルギーワッフルのお店とか。甘いお菓子が特産のようであった。
2時過ぎたので、再びマルクト広場へ戻って、聖血礼拝堂へ行った。小さな礼拝堂であり、質素な感じがした。それから、世界遺産にもなっていると言う、ベギン会修道院へ向かった。そこは質素な生活をしているベギン会の修道女が今も暮らしている場所だと言う。中は見学できないので外側からだけ見学した。城壁と中庭に植えられた大木が印象的であった。ただ、世界遺産としては、単に城壁の建物と中庭だけであり、とりたててあっと驚くようなものではなかった。
そして、帰りの列車に乗ろうとしてプラットフォームにいると、日本人の親子連れ(祖母、母親、娘)に出会い、帰りの列車の中では祖母の方がわたしの隣に座られたので、おしゃべりをして帰ったのだが、その方がおっしゃるには、娘さんの家族がブリュッセルに住んでいるので、夫婦でブリュッセルの娘の家に遊びに来ているのだが、丁度、ノルウェーのオスロで爆破事件があったとき、オスロの美術館に行っていて、そこは爆破事件のすぐそばだったという。そして、美術館の中でも、ものすごい大きな音と揺れがあったそうだ。そして、それは日本のメディアでも大きく報道しており、じつは同時に別の場所でも爆破があり、子供たちが30人以上亡くなったとか。そして、市の中心の市庁舎のようなところでも大勢の方が亡くなったと言われるのだった。
そうして、その夜もブリュッセルのホステルに戻ってきた。韓国人の女性がルームメイトであった。彼女は韓国で英語と音楽を教えていると言っていた。ロンドンへも行き、オペラ座の怪人を鑑賞した、といっていた。
2011年07月28日
26日(火曜日)パリ→ブリュッセル
ブリュッセルに着いたのは午後3時過ぎだったが、ホステルで荷物を置いた後、歩いて街の中心へ歩いていった。「地球の歩き方」で紹介している見どころである、世界で一番美しい広場だと言われたともいうGrand Placeという広場へまずいって見た。 そうしたら、ものすごい光景が現れた。その広場は四方が素晴らしく凝った装飾の施された大きな建物で囲まれていたのだ。そのうちのひとつはカテドラルのような形をしていた。その他も建物の正面の部分に金の装飾がされていたり、とにかくものすごく凝った素晴らしい装飾の施された建物たちで囲まれた広場であった。本当にあっと驚いて唖然としてしまった。それから、その広場の近くの細い路地のようなところがレストランで埋め尽くされ、大勢の観光客のような人たちがレストランのテラスでみんな話したり食べたりしていた。名物のムール貝の蒸し煮を食べている人たちもいた。
それから、次の名所である、「Manekin pis (小便小僧)」のある場所へ行った。そこへ行く途中も何度も人に道を聞いていった。行ってみるとその像は意外に小さかった。 でも、たしかにかわいい、と言えるものであった。その象の隣の道には、ベルギーの名物であるワッフルやチョコレートや、レースなどを売る店がたくさんあった。
バスチーユ広場で車の爆破テロを目撃
そして、パリの次はベルギーのブリュッセルとブルージュへ行くことにし、その後、ドイツのケルンに入って、ライン下りと、ロマンチック街道を行くことにしようと思った。だが、その地域の地理など調べて分かったのだが、ケルンはライン下りの終着点で、ライン下りの始まりの地点はマインツなのだ。わたしは、ベルギーから近いケルンからライン川のほうに入るので、ライン川を遡るかたちで、ライン川に沿ってバスか鉄道で途中の小さな町にも途中下車しながらマインツまで行くことにした。ライン川のほとりにある古城がユースホステルになっているところがあるらしいので、そこにも泊まってみたい。そして、マインツからローデンブルグへ移動してローデンブルグからフォッセンまでロマンチック街道を行く。大都市のミュンヘンは飛ばす。今回はドイツは行く気がなかったので、都市へは行かず駆け足で回ることにする。ドイツはもう少しドイツ語を勉強してから改めて行ってみたい。
で、フッセンからオーストリアのザルツブルクへ移動する。ザルツブルクはサウンドオブミュージックの舞台になったところ。そのゆかりの地を訪れてみたい。そのあとスイスへ移動して、それからスイスを横断して再びフランスのリヨンへ出る。その後イタリアのミラノへ行き、ベネチア、フィレンツェ、アッシジ、ナポリ、ローマ、などへ行く。
そして再び南フランスへ出る。そこから、スペインの国境近くのカルカッソーネやルルドへ行き、それからスペインのバルセロナ、イビサ(島)、サンティアゴ・コンポステーラやマドリッドなどへ行く。それから、パリへ戻って再びロンドン行きを試みる。日本への帰国の航空券は、パリ発のをインターネットで購入する。
と、一応、だいたいのコースを考えてみたのだが、あまりに壮大なので、もしも時間とお金の余裕がなさそうだったら、これらのうち何箇所かを省略して、次の地点へ移動する。たとえば、スイスのどこかからイタリアのミラノへ出るなど。
一応、翌日からのベルギーとケルンの予約ができたので、それを近くのインターネットカフェでプリントアウトしてもらった後、街を歩こうと思い、バスチーユ広場の方へ向かおうとしたら、同じホステルに滞在している中国人だが東京に15年住んでいるという女性に出会い、一緒にルーブル美術館の方面まで夜の散歩をした。そして、いろいろ話したり、カフェでお茶をしたり(彼女の頼んだ赤ワインは非常においしかった)して夜遅く戻ってきた。パリの街は夜遅くまでにぎわっている。それに夜も10時頃まで明るいので、みんな夜遅くまで活動しているのだ。
7月24日(日曜日) ~ロンドン入国を拒否されたこと~
7月24日(日曜日)は、ロンドンへ行く予定で、ユーロスターのパリからロンドンへの直行列車の片道切符を持って、駅へ行った。
ロンドン行きのユーロスターの片道切符はオンラインで購入したのだが、120ポンドだ。それでも、直前に手配したにしては安いほうで、時間帯によってはもっと高くなるのだ。
ともかく、そうして準備して行ったにもかかわらず、パリの駅の、イギリス政府の入国審査局で、質問攻めにされた上、別の場所へ連れて行かれて、さらに長い時間、待たされたうえにさらに根掘り葉掘り聞かれて、さらに荷物を全部調べられて、その上、結局入国を拒否されたのだ!!!
日本へ帰国するためのフライトの切符を持っていなかったことと、ロンドンからヨーロッパの他の国へ戻る切符も持っていなかったこととか、主な原因と思われる。その他にも、いろいろ理由を挙げた書類を渡され、どう説明しても受け付けてもらえなかった。
そして、フランスの警官に付き添われてパリへ引き戻されたのだ。そして、ユーロスターの切符に関してユーロスターの切符売り場で問い合わせると、切符の払い戻しはできないが、今後2ヶ月以内であれば使えるそうだ。ただし、それには同じパリのユーロスターの駅のイギリスの入国審査で通してもらうことが必要なのだ。それで、切符売り場で答えてくれた女性は親切に、どうしたらイギリスに入国できるかアドバイスをしてくれた。帰りの切符を見せるとか、旅の日程をきちんとして、宿泊先のホステルの予約の確定メールをプリントアウトしておいて見せるとか。。。
ともかく、泣く泣くパリに戻った。そして、この日の宿泊は、これまで泊まっていた郊外のホステルには戻らず、パリの中心街にあるAuberge Internationale des Jeunes に電話をしてから直接行ってその日の予約を取った。そこは、バスティーユ広場(Place de Bastille)のメトロの駅からも歩いていける距離で、街の中心にあり、とてもよかった。そして、郊外のそれまで止まっていたところとは違ってやはり、街の中で大きいユースホステルなので、常に大勢の旅人たちが行き来していてロビーのテーブルではインターネットをしている人たちもいて、ベニスビーチやハワイのホステルで味わったような雰囲気が漂っていてそれが懐かしい感じだった。
ところで、インターネットの接続がそのホステルでうまく行かないので、近くのマクドナルドへ行って、パソコンのバッテリーが切れるまでの1時間足らずを過ごしたあと、とおりに出てみるとひどい状態の車が道の真ん中にあり、周りを綱で囲んであった。その車のトランクはめちゃめちゃに壊れてトランクの中のものが外に飛び出し、車のタイヤは4つとも全部ペチャンコになっていて、車体は汚れて薄黒くなっていた。交通事故にしては異様な車の破壊の仕方であった。
そして、ホステルに戻ってロビーにいると、台湾から来て、小さな娘さんと一緒に 旅行しているという女性にあったのだが、わたしがロンドン行きを拒否されたと言う話をすると、前日にノルウェーで爆発があり、ついさっきはこの近くのとおりでも車の中で爆発が起こったので当局が非常にセキュリティーに関して過敏になっているせいだろう、といっていた。
また、翌日目覚めたときに、同じ部屋のルームメイトになったポーランド人の女性にその話をすると、彼女は津波や、原発事故のせいで、日本人の難民が大勢ヨーロッパに来るのではないかと疑心暗鬼になっているのかも知れない、といっていた。彼女はそれは、人種差別だといって憤慨していた。しかし、アドバイスとしては、旅行者として見られるために、先に他の国を回ってからもう一度、イギリスをトライするとか、また、帰りの切符は同じようにロンドンからパリにした方がいい、そうすると、もしもまた拒否された場合、パリのユーロスターですぐに払い戻ししてもらえる可能性がある、など、良いアイデアを出してくれた。彼女はパリで美術館ばかり行っていて、モネの巨大な睡蓮の絵とかの展示をしている美術館にも行ったといっていた。また、ルーブル美術館へはすでに3日行っていて、また翌日もルーブルへ行くといっていた。彼女は5日間使える美術館のパスを使っていたそうだがすでにその日は6日目なので切符を買って入ったそうだ。何故そうまでして毎日ルーブルへ行くのかと聞くと、ルーブルの展示をすべて見たいからなのだそうだ。
一方、バーバラにもメールで英国への入国を拒否されたことを話す他のだが、中国人が大勢不法滞在しているので、同じアジア人という目で見られているのだろう、といっていた。そして、彼女は、アムステルダムか、アルプスへ行ったら?といっていた。
それで、最初は日本大使館に言って相談するなりしてすぐにイギリスへ行こうと思っていたのだが、いろいろ考え、イギリスに入るのは、もう少し後でもう一回トライすることにして、先にベルギーへ行くことにして、予定を立て直すことにした。
それから、ロンドン行きのユーロスターは、パリの、リヨン駅から出発するのでそこへ行ってから入国の紙に記入していると、これからロンドンへ行くと言う日本人の若い男の人が話しかけてきて、彼はパリで、子供4人くらいと大人1人のグループきて、そのうちの1人の子供が突然走ってぶつかってきて、あっというまにウエストポケットから財布を盗まれたそうだ。その子供は財布のなかに入っていた2万円相当をさっと抜き取って財布は捨てて、お金だけとって逃げたそうだ。
2011年07月27日
モンサンミッシェル見学バスツアーに参加(7月23日)
ともかく、23日は土曜日であり、この日にモンサンミッシェルの見学バスツアーに参加した。 朝早く、パリの中心街にあるCityRamaのPyramid officeに行き、そこからバスで出発。隣には日本人の女性が座り、いろいろおしゃべりしていった。このバスには、ガイド付きとガイド無しのツアーに参加を申し込んだ人が一緒に乗っており、またツアーは五ヶ国語くらいのガイド付きで運行されているため、バスにはそれぞれの言語のガイドさんが乗っており、従って合計で5人くらいのガイドさんが乗っていた。バスの車内での案内も、それぞれのガイドさんが交代でそれぞれの言語で行われた。
バスの案内によればパリからモンサンミッシェルまでは片道、330キロ以上あるそうだ。 そのため、行きも帰りもバスに長時間揺られていった。
モンサンミッシェルは、湾の中に聳え立っており、バスが近づくと絵に書いたような巨大な砦のような光景が何もないところに忽然と現れた。 そこは本当に海の海岸であり、そこに巨大な岩の塊でできた修道院が建っていた。そのあたりは観光客でにぎわっており、特にモンサンミッシェルの中は大勢の日本人の団体がきており、何人もの日本語のガイドさんがそれぞれの団体に説明をしていた。わたしは、自由見学のツアーを申し込んでいたので自由に中を見て回った。最初に、大きな礼拝堂のある最上階から始まり、それから修道僧たちが生活していた修道院の中も見て回った。まるで、 映画やテレビで見る中世そのままのような石造りの部屋がいくつもあり、大変広いしこった建物であった。このモンサンミッシェルは世界遺産に登録されているそうだ。