すっとこどっこい 横浜再び!

「おいでませ!」 横浜→ヒューストン→ロンドン→NY→ロサンゼルス→NY→横浜再び。 流浪生活の長州人です。 真面目に生きようとしてるのに  何故かつまづくイテテのテ。 !!お知らせ!! すっとこメルアド変更に。頭がrfy→rfnyと変わりました。 不手際で相手先アドレス消失してしまって個別にお知らせできないんです。 済みませぬ。

もー 素直じゃないんだからーーー。

さて。
電車で母のホームへ向かったら
乗り換えが2回あってローカル線は
電車運行が間遠で 実際には2時間半
以上かかってしまい。

教訓
【親のホームはあまり遠くない処が
よろし】

母の部屋へ入っていくと
後ろ向きでテレビを見ていた。
耳が遠くなっているのは知ってるので
大声で「おばあちゃーん!」と叫ぶ。

驚いて振り向いた顔。
「あっらー アメリカから?」

ここで「アメリカからだけど もう帰国
したから」と答えると混乱すると思い
「そうそう!よく覚えてたね!」
にしておく。

久しぶりに会う母は 少しボケが進んだ
ようだった



母の場合は

ボケてるのか トボケてるのか 判断が実
に困難だ。

昔から答えたくない事には答えず巧妙に
ズラした返答してたので これがボケか
スットボケか 分かりにくいったらない。

すっとこがしてたトルコ石のブレスレット
には目が光って「いい色だね〜」と言う。
それは予想していた。母が気に入ったら
プレゼントしようとわざと身につけて行っ
たものだから。マンハッタンのチャイナ
タウンで見つけた多分おもちゃの石。

「おばあちゃん、トルコ石好きだった
よねー。着けてみて」
シリコンゴムに小さな石が散りばめられ
て伸び縮みするので装着も簡単なり。

「いらん!いらん!」
しかし目は離れない。
「じゃあ誰かにあげて」
「ああ、誰かにあげよう」
とあくまで自分が貰うのではない事に
したいらしい。

もー素直じゃないんだからーーー。

それから 自分のやった塗り絵を見せて
くれたり デイケアセンターで書いた習字
やその道具を見せてくれるが所々辻褄が
合っていない。

でも一生懸命話すので「そうなんだね、
そうなんだね」と聞き役に回る。

前回訪問した時に「飴が食べたいけど
ここじゃあ買えんから」と言ってたので
飴ちゃんのお土産を渡そうとすると

これも「いらん!いらん!持って帰って」
と又言う。

もー素直じゃないんだからーーーー。

「何もお返し出来んからいらん」

実家から持って来たお気に入り舟箪笥の
上に飴ちゃんと昭和な駄菓子と腕輪を
置いて行く。

「じゃあ又来るね」
「このトルコ石いらんから持って帰って」
「本当にいらん?おばあちゃん好きだと
思ったんだけどなー。誰かにあげるん?
だったら持って帰ろうかなぁ」
「いや 誰にもあげん。綺麗な色だから
自分で着けてみる」

もー素直じゃないんだからーーーーー。

雨のホーム玄関まで手押し車をついて
送りに来た母。
この後いちにちをどう過ごすのだろうか。



朝から家を出て母に手を振ったら
既に午後1時半近くになっていた。

お腹の空いた若夫婦は駅前派出所
で食事の出来る処を聞く。一番近
いのは喫茶店だとのこと。

ウルトラマンはハンバーグ定食、
すっとこはナポリタン定食で。

喫茶店が好きだった母、次は連
れ出してここへ来てみようか、と
雨の外を眺めていたすっとこ拝。

何故ななさん?

ここのところ 幼少時の長州の
想い出に浸っているせいなのか

すっとこが幼少時の父、つまり
えらい若い父が夢に出てきた。

若いけれど自分のことを今と同じ
“じんちゃん”と呼んでいる。
「じんちゃんのう、恥ずかしい話が
ナイショキン:内緒金:ヘソクリがのう
ななさんしかないんじゃあ」

「ななさん?」

「はぁ 73じゃあ。
ばあさんの目をくすねて やっと貯め
たのが73万じゃあ。これをのうアンタ
らにあげるから好きに使いんさい」



ぇぇぇぇえええええ!?



ただそれだけの夢でした。
何故ななさん?
すっとこお金に困って相談
したのか?覚えないけど。

年金も軍人恩給も母に握られ
て小遣いにいつも困ってた父。
夢だとしてもよくヘソくった
なぁ拍手。

別々のホームに居る母に「会
いたいなら車で一緒に行こう」
と誘っても「御免こうむります」
と面白い断り方をしてた父。

今日これから母のホームへ行く
のも父の夢を見た一因だろうか。

ウルトラマンが長いドライブを
辞めたのでもう父に「車で一緒
にどう?」とは誘えなくなった。
若夫婦も2時間近くを電車に揺ら
れなくては。揺られてこれから母
のホームへ帰国挨拶に行ってきます。

会うのに「えいっ」と気合の必要
な母なんです、すっとこ拝。

“尻子玉” と “煮える海”。

長州の常識は 全国の非常識、と
いいますか

非常識とは云わないまでも
「え?何それ一体?」なのですね。

まず “尻子玉”。
コメ欄でご質問がありましたが
これ、全国区の名詞ではない?

多分すっとこ世代の瀬戸内育ちなら
「エンコウ(河童)に尻子玉抜かれる」
と聞いたら、その場で卒倒してしま
う怖い話なのです。

尻子玉というのは 誰も見たことない
けど 人のコウモン様の内側にある玉
でエンコウの大好物なのです。

因みにエンコウの手は右と左が繋がっ
ておりまして片手を延ばすともう片方
は短くなります。

尻子玉を抜く時は ぬぅぅぅと片手を
両手分延ばして玉をひっつかむと
ぶっちぎって抜くのですギャーーー。

尻子玉抜かれた人はふにゃふにゃと力
を失くして命も失くしてしまいます。
抜かれた証拠にコウモン様は緩んで
ぽっかり口を開けておるのです。

エンコウに出くわして溺れかけさせら
れてもすんでのところで助かる人もあ
り、その場合は「尻子玉までは抜かれ
とらんかったげな」。コウモン様は
締まっています。

そんな尻子玉
皆さま ご存知ない?

それから
“海が煮える”という表現。

いや 実際に海が沸騰して煮え立った
訳ではありませぬ。
それでは誰も海に入られん。

例年になく海温があがり 浅瀬がなまぬ
るくなったのを「海が煮えた」と言う
たのでありました。
それで村人にはよう意味が通じたのです。

でも読んだ方の中には「うっひゃー瀬戸
内海では海が沸騰するのか」と驚かれた
むきもあるような。
海は沸騰せんけど ちょっとぬるくなった
のを「煮えたげな」「そうじゃげな」と
言ってしまう村人を許してつかぁさい。


海に遊びに行く気配で 当時飼ってた
犬のチビが狂喜して繋がれた鎖をジャ
ラジャラ鳴らして「早よ放してんか」
わんわん吠えましたっけ。
赤犬チビをお供に竹を片手に海岸へ
向かった小学生すっとこ。

あの頃は友達がいなかったなぁ。
想い出はいつも甘酸っぱい、すっとこ拝。

サザエも煮える夏。

すっとここ実父は97歳です。

帰国の報告にやっと出向きました。
ちょうど昼食どきで メニューは
鯵フライでありましたがそれを
自分で箸を使って食べていたので
驚きました。

昔から歯の良い人で ご飯も硬めに炊
いたのが好きでした。
頭髪も黒々していて 次女のすっとこ
の方がずっと白髪です。

認知症を 昔は“脳軟化症”と云いました。
なんだか脳が軟化して溶けていくような
迫力のある病名ですね。

父には今の“認知症”よりは“脳軟化症”の
方がピッタリ来るなぁ。
軟化した脳ミソは昨日今日のことより
大昔のことの方をよく思い出せます。

耳が遠くなっているのもお約束どおり
で耳元で大声で話しかける。
いきおい叫び続けてるようになるのは
仕方ないよね。

「じんちゃん!暑いね!
こんなに暑かったら海も煮えるね!
いっぺん えろう暑い夏があって 浜が
煮えたね!サザエが食べられんかった!」

「おうおう。あったのう ほげなことが」

「私が小学生くらいだったよ!あれしか
覚えてないけど他にも煮えた夏があった
かね!?」

「いいや。あげな夏はあれいっぺんきり
じゃった」

そうだったのだ。
異常に暑い夏で海温も上昇した事があった。

遠浅の瀬戸内の浜の底が干潮で出現する時、
子供らは姿を現した岩の下を 細い竹を手頃
に切ったマイ道具で掻き出すのでありました。
すると小さめサザエが転がり出てくるのです。

大きいサザエはもっと深い海におって そう
いうのは漁師さんの縄張りでした。

あの頃の野生の勘をどう言ったらいいのか。
岩を見たら「よし この下に2個もしか3個
はサザエがおるな」と判ったものです。

竹の切れっぱしから伝わる感触で 触っている
のが石ころかサザエか確信が持てた。

ある夏は そうやって転がり出たサザエが弱り
きっていた。手繰り寄せる手元に抵抗感が
なくて 出てきても直ぐに蓋を閉めようとせず
ノロノロと動いている。
あるいは蓋を閉じすぎて奥の方で縮こまって
いて様子がおかしい。

ダメだ。
こんなに弱ってるのは食べたらイカン。
子供にもそれがわかりました。
海中で煮えたサザエは食べちゃならん。

瀬戸内で
大昔にサザエの煮えた夏があったとさ。



ここのところ 暑さが一段落で ちょっと
涼しい今朝の横浜です。

とはいえ 蒸し蒸ししてるのでクーラー
の除湿モードには働いてもらっている。
また時間を作って父を訪問して瀬戸内の
話をしたいものです、すっとこ拝。

ツクツク法師が鳴いて夏の終わり。

ツクツク法師の鳴く声を 昨日聞いた。

この夏初めてであり ここ11年間聞いて
なかったので聞き入ってしまった。

「ツクツクオーシ ツクツクオーシ」で
これまでの様々な夏がどっと脳裏に甦る。

小学生の夏。
学校の先生の言いつけを固く守った時代
だった。

長州では「本日から海で泳いでよろしい」
の決定を学校が発表していた。7月の半ば
過ぎだったと思う。夏休みが始まる何日か
前の朝礼で告知されるのでその時分の朝礼
は毎回ドキドキものだった。
多分海温が一定の高さになるまで待って
いたのだろう。毎年その日は違っていた。
だから今年はいつだろう、の期待がいやが
上にも高まっていたのだった。

そしていよいよ「本日から海に入ってよろ
しい」と厳かに発表がある。
その時の爆発するような嬉しさを何に例え
よう。

遊園地もない地方なので海で遊ぶという
のは夏のビッグイベントでありました。
子供たちは学校の言いつけをきちんと守
りそれまではどんなに暑い日でも水着に
なって海へ入ることをしなかったのです。

そしていつから海に入るのを止めるか、
という通達は確かなかった。
なかったけど お盆明けからは誰も海に
入らなかった。
死者が泳ぐ者の足を掴んで深みへ引き
ずり込む、と信じられていたから。

それに先立つように お盆が近づくと小
さなクラゲが出没するようになり“イラ”
と呼ばれる乱暴者は人を刺すのでした。
子供の片手のひらに入るほどの小ささ
なのに刺されると剣山で突いたような
跡が残り暫くヒリヒリ痛むのでした。

イラが出て お盆が来たら 海から上がる
時です。夏が終わり 二学期がが始まり
ます。

始業式では 夏休みの間に亡くなった子供
のお知らせもありました。
大抵は海で溺れたおり 「エンコウ(河童)
に尻子玉抜かれとってやげな」という噂
が子供の間を駆け巡るのでした。


ツクツク法師は「ツクリンヨーシ
ツクリンヨーシ ジーン」で鳴き
終わります。

この夏のことも後から思い出すの
だろうな。

一瞬一瞬が凄い速さで過去へと過ぎ
去って行きます、すっとこ拝。

浦島ウルトラマン太郎。

ついこの間この横浜の家が出来上がった

ような気がしてたけど
もう築30年物件となっておったのです。

その間 ロンドンに3年半、NYに11年と
都合15年近くを留守にしてるので 私達
が 住んだのは30年のうち半分ですが。

そんな家も まだパパがひとりで暮らして
る時は良かったのです。
ホームへ入居してからのここ8年ほどの間
は空き家状態でした。

ひとの住まない家って荒れるんですね。

あちこちが壊れてしまってて。
インターフォンも壊れてしまってて 郵便局
さんがみえてピンポンしても音がせんの。

結果 空しくポストに入れられた不在配達を
後になって発見する始末。
えええぇぇ家に居ったのにぃぃぃ残念無念。

再配達も 気が付かない可能性あるので郵便局
まで引き取りに行った方が確実。なのでここ
のところ郵便局へ日参してるような。

昨日も不在配達票を見つけました。

郵便局駐車場はいつの間にかコインパーキング
仕様になっている。通ううちにお気に入り番号
が出来て「あ、ウチのとこが空いてる!」と
勝手にウチの場所と決めた番号へ苦手なバック
駐車で入れるすっとこ。

「ああっ それでは隣の車にぶつかります!」
ウルトラマンの視野欠損は治らないので 帰国
してからはもっぱら嫁が自慢の運転腕前を
駆使して助手席の夫の心臓をキュッキュッと
締めあげております。

昨日は平日金曜日なのに郵便局窓口は長蛇の
列。なんか様子がおかしい。


訝しんだウルトラマンは列の前の
人に「今日は金曜日ですけど休日
なのですか?」と聞きました。

「はい、そうです」
「何の休日ですか?」
「えっと何だったかな。あ、山の
日ですよ」

そうなん?
海の日は知ってたけど 山の日を
知らなんだ。
浦島太郎と花子です、すっとこ拝。
*インターフォン含む壊れた所は
お盆明けに直してもらうんだぜ。

テキサスのワニに噛まれて。

さて。

ようやっと我が家の若夫婦居住部分2F
の断捨離が始まりました。

NY駐在は 当初2〜3年と思ってたし
年2回は一時帰国するし、でおおかたの
荷物をそのまま置いて出発したのです。

それが
「3年が5年、5年が7年、7年がさぁさぁ
10年越えだよ、お立会い」とガマの油売り
のようなことになってしまい

この度帰ってみれば 10年放置のいろんな
物がエエ感じに古びてホコリにまみれて
おったのです。

捨てる捨てるさで捨てる!を又しても進め
ます



さで捨て切れんもの

の筆頭がアルバム、古い写真でありました。

見入っていると手が止まるので ひたすら
脇に置いておいて眺めず、 ひと息ついた
今朝にふと 頁をめくると

35年前のテキサスワニ園の写真が。
IMG_8427


↑えっとですね、説明割愛しますが
どうやっても天地返しが直りません。


このワニ園は わざわざ行ったのではなく
走ってたら 看板が目に付いたので入って
みたのでした。
お客さんは我々ファミリーだけ。

ワニ園管理のおっちゃんは 張り切ったのか
「食事するとこを見せてあげっぺ」
とバケツにチキンを詰めて「こっちだっぺ」
と案内してくれました。

我々はゲートの外側で見守ります。
おっちゃんは ゲート内側に入り、ずんずん
巨大ワニに近ずいて
IMG_8428


↑事情により天地返しで済まん。

この写真をとった直後 ワニの口先にチキン
を差し出したら

ワニったら

おっちゃんの
手首ごと
ガブリと行ったんです!

ゲートにしがみついて声も出せない東洋人。
ワニは手首を咥えたまま じりじり水辺へ
這って行きます。
おっちゃんも引きずられるように姿勢を低く
して(なんせ手首とワニが一体化しとるから)
よちよち水辺へと近ずくしかないのです。

どっ どっ どうしたらいいんだ!

その時ワニはもっと深く手首を飲み込もうと
口を上に上げて咥え直そうとしたのです。

噛んだ上下の歯が開いた その一瞬

おっちゃんは 見事に手首をするりと抜きま
した。ワニを後にゲートを出ようとしてこち
らに近付いてきます。
その手首からは血がだらだら流れています。

青ざめて固まって居る東洋人におっちゃんは
こう言いました。
「ついに ヤツも私だという事がわかったよう
だっぺ」



違うと思いました。
あのワニはおっちゃんのこと絶対に
分かってなかったよね。

でも良かったっぺ、大惨事にならん
かったっぺ。

“ひよっこ”の影響で茨城弁だっぺ。
写真が天地逆で困る、すっとこ拝。
*PCが調子悪くてスマホから
アプリ経由でないアップを
しておって写真掲載不調なり。

贅沢茗荷。

日本のスーパーやデパ地下などでの
お総菜コーナーの充実ぷりったら!

また美味しそうに魅惑的に盛り付けて
あって 歩みが自然と遅くなるのは
垂れる涎をぬぐいぬぐいだからであり
ます。

「ぎゃっ。ポテサラのプレゼンを見て
くれいっ」
普通のポテサラを円錐形に盛り上げて
合間合間に水菜やキュウリのざく切り
を挟んであって涼やかである。
これはいつか真似したい。

「うぐっ。これはナスだねっ」
ナスのグラタンは ひとつひとつがチーズ
にトマトソースで化粧してあって 何と
も美しい。

チーズはどこの国とは言わんけど下に
何があるか分からんほどかけてあって
しかも溶けてるので食すまで正体分か
らんという事は

絶対になく。

ナスの領分を侵さない絶妙なチーズのかけ
具合が 繊細であります。

「あれを見ろっ」
「こちらもどうでしょうかっ」
互いの袖を引き合いながら身悶えしつつ
総菜コーナーをよろめき歩く帰国おじさん
と帰国おばさん。


そして極め付けは

その名も【茗荷】!
NYでは高級品で一個3ドル超えで
3個入ったパックが10ドル:1200円
近いこともありましたっけ。

それが奥さん!
3個で150円とかですよ!

よおし、そっちがその気ならこっち
にも考えがあるぞ。
・・・2パックいっぺんに成敗するぞ。

冷や奴にも素麺薬味にも 贅沢に使っ
ちゃうからな!どうだ!!
ムフフと鼻の穴のふくらむ自分。

茗荷を見て冷静でいられるまでには
時間のかかりそうな、すっとこ拝。


人のシイタケを笑うな。

「捨てる」と言う言葉に
長州弁では2種類あります。

普通に捨てるのは「捨てる」、
強い意志を持って敢えて捨てるのは
「さで捨てる」と言います。

「さで」が強意の接頭語に当たるわけ
ですね。



パパの部屋やクローゼットや和室の天袋、
果てはベッド下の引き出しに至るまで
ぜーーーーーーーーーーーんぶ開けて

捨てる捨てる捨てる捨てる、さで捨てる。

捨てるモノはパパの思い入れのあるもの
ばかりでしょうから ゴミ袋に投げ入れる
のは忍びないものばかりだけど

すっとこが 特にさで捨てるには忍びなか
ったモノは

高級どんこ干し椎茸

の大箱でありました。
それが何箱も出て来たのです。それも一箇所
ではなく色んな所から。
熨斗紙付きで頂いた日付けの入ったものも
ありました。

ああ パパ。
日付け記入してまた蓋して天袋や食器棚下に
仕舞い込むなんて。
同居の嫁に下げ渡して下さったら 嫁は狂喜
乱舞して必ずや料理に使いきりましたものを。

幾ら保存食品の乾物言うても十何年以上経過の
ものは 干物と言うより有難いミイラ状態で。
これで白い布に包まれていたら、見ると目が
潰れるという御神体かも。

ホコリで茶色に変色した箱ごと涙でさで捨てる。



「またシイタケが出てきました」

さで捨てる前には 箱の蓋を開けて
中味改める作業があってウルトラマン
と黙々と作業してたんだけど

疲れてきた若夫婦はどこかのネジが緩
んできたのか、シイタケが出てくると
げらげら笑っちゃうようになってしま
いました。

箱に入ったモノで1番多かったのは
タオルやシーツ類でした。使えそうな
のは義姉義妹と分けた、すっとこ拝。

他でもない客人が。

ともかく義父の居住部分の遺品整理を
急いだのは 他でもない、弔問客を迎える
為でもありました。

義父の生前からの希望で「葬儀は近親者
のみで」となってこじんまり執り行った
のですが

葬儀に参列しなかった親戚などが
「お線香をあげに行きたい」と言うて
下さって

いや
あの
その

正直言うて
とてもお客様をお呼びできる状況にない。

百歩譲って
門扉が壊れ 網戸が垂れ下がり 障子に穴が
空いてるのは経年劣化という事で客人には
見て見ないフリして頂くとして

家の中が 仏間もリビングも謎の到来物や
手紙、書類の類で 埋め尽くされておって
歩くのもやっと、

でありますのに

客人ですか?! あがってお茶ですか?!-

こうして義姉義妹も参戦してくれて疾風怒濤
の断捨離が始まったのです。

仏間がまず片付いたけど ふと気がつくと我々
含めて「正座苦手」なお年頃。昔は仏間で
座布団でお茶をお出ししたものだけど

お話は椅子のあるリビングの方が良いでしょう。

ビフォーの写真はきっとパパから承諾得られない
でしょうから アフターの写真だけ⬇︎

IMG_8424



こうして やっとお客様を迎えられる状態になりま
した。
締め切り日があると頑張れますね。



さあ、これから二階の片付けにかかるぞ。
でもこっちは締め切り日は当面ないから
ぼちぼち行きます、すっとこ拝。



ウルトラマンの検査結果は。

この2〜3日 ウルトラマンが

「だるいです」と言うようになった。

おお、だるかろうとも!
ここのところの肉体労働を思えば
「だるくて当たり前」じゃろっ。

ただ我が家の場合は
ウルトラマンの病気があるので
「だるいのは当たり前」と片づけても
いられない。
血中の赤血球が危険レベルで上がって
来たのかと不安になる。

そして
今日が
ちょうど検査日でありました。

ドキドキしながら呼ばれるのを待つ気分
は、これは慣れられん。
病院の待合室は いつも重い雰囲気だ。
どの人も病気を抱えている。
今日は何て言われるのか 皆がドキドキ
しながら順番を待っている。

後から来たと思える人が先に呼ばれて
診察室へ入っていくと
「ウチは重篤なので ドクターも言葉を
探しあぐねて後回しにしてるのか」と
悪い方へ勘ぐってしまう。

これではイカン!
もっと前向きに待つ事にしようではないか。

「おい、今日の値は前回と比べて上がってる
か 下がっているか 賭けよう」
「うーん。上がってるような」
「じゃあ ワシは下がってる方へ一票だ」




結果ですが

下がってました!
この病気が判明してから 1番良い値が
出たんです!

「だるいです」は何だったのか。
言うたら妻だってだるいわい。
あんだけの肉体労働を続けて来たのだ
からな。

「肉体労働が向いてるんじゃないのか」
「違うと思います!」
必死で否定してたウルトラマンだけど
検査値は正直です。きっと向いてるん
だって。まだまだできる、って(おい)。

賭けに勝ったのにご褒美を決めてなかっ
た、ぬかったすっとこ拝。

トラックが2台来た。

さて。

横浜の家の歴史を紐解くと

30年前に建てられたのですが
パパママが1Fに、そして2Fには 当時小学生
だった娘を入れて3人家族のウルトラマン
ファミリーが住むという上下2世帯住宅。

これはウルトラマン夫婦の最初の海外駐在
からの帰りを待って取り掛かられたファミリー
プロジェクトでありました。

間取りをああじゃこうじゃ云いながらついに
家が完成していよいよ明日鍵を貰う日、の前日
にママが倒れたのです。

2世帯で引っ越すための手配は全て済んでい
ました。電化製品の搬入日も決まっていま
した。

入院してしまったけれど 新居への引っ越し
を1番楽しみにしていたのはママなのでとも
かく予定通りに引っ越しを進行することに
したのです。

しかし倒れたママの病状は思った以上に深刻
で5日目に急逝してしまいました。

それからの葬儀と決まっていた引っ越しと。

ママの荷物は整理する人がいないので旧宅から
とりあえず何もかも段ボールに詰めて横浜の家
に運び込んだのです。

結果 遺品となったママの荷物は封印された
ままでした。30年間手付かずで。

そして今回のパパの旅立ち。

パパは8年前のある日に転んだのをきっかけに
入院して、そのまま病院からホームへ入ること
になったのです。
ウルトラマン夫婦はすでにアメリカ在住だった
ためパパは1人暮らしでした。パパの状態で無人
の家での1人暮らしはもう無理でしょう、という
のが子供達の判断でケアの手のあるホーム入所
が決まったのです。

突然の入院からのホーム入所。
パパの暮らしはそっくり家に残されてたまま
となりました。

葬儀が終わり、中断されたパパの日常生活風景
を片付けなくてはなりません。

いや、その前に
30年間封印されてたママの遺品の整理が先です。

そして 新たに判明したもう一人の方の遺品。
パパのお姉さんで生涯独身を貫いたオバちゃま
(市川房枝さんと女権活動もしていたユニークな
オバちゃまですっとこは大好きでした)
の遺品も1番近い身寄りのパパ宅、つまりこの
横浜の家の物置に入れてあるのが分かったので
す。

かくして3人分の遺品と格闘する事になったの
です。

NYから引っ越して来るのも格闘でした。

格闘技づいてるのか、頭を空っぽにしてひたすら
闘いました。
中にはママの桐箪笥2棹も含まれており処分する
のは断腸の思いではありましたが それを貰って
くれる方を探す余力が残っていない。
ひたすら捨てる捨てる捨てる捨てる捨てる捨てる。

勿論捨てる前には目を通すので それもエネルギー
が要る。そして捨てる捨てる捨てる捨てる捨てる。

ママの遺品、パパの遺品、オバちゃまの遺品の
整理の合間に2Fに置きっ放しだった不用品も
どうにかせんと。気を取直して闘うぞ。

連日の闘いは1週間続き
ようやく4トントラック2台分の荷物が出て行き
ました。産廃業者さんが来てくれました。


今は虚脱状態です。

正直NYからの引越しなんて この整理に
比べたら楽なものでした。

こんなに遺品整理が大変だとは。

いつか来る自分達の旅立ちに備えて出来
るだけ身軽に暮らさないと!


決意をあざ笑うように 今月末か来月頭に
NYから130箱の船便が届くのですトホホ。

今まで朝ご飯食べなかった若夫婦はここ
のところの連日肉体労働についに宗旨替え。
チーズトーストを「日本の食パンは美味し
いね」とむしゃむしゃしておるのでありま
す、すっとこ拝。


エンバーミングとキャデラック。

30年前の義母の脳梗塞による急逝は

欧州在住だった義妹の帰りを待って、と
なりましたが

当時はご遺体保存には ドライアイスしか
手立てがなく まだ寒い3月でありましたが
「ぎりぎり待って5日でしょう」という葬儀
屋さんの言葉に従って通夜・告別式の日取り
を5日後に決めたのでした。

義妹は空港でキャンセル待ちの待機を2日
続けて4日目の深夜に帰国、ようやく間に
合ったのです。

今回の義父の葬儀日取りも 亡くなって5日目
というスケジュールとなりましたが
暑い真っ盛りの7月中旬。
大量のドライアイスに活躍してもらうのだと
ばかり思っていたら

葬儀屋さんから提案されたのはご遺体を保存
するエンバーミング。

エンバーミングで パパは静かに穏やかに眠った
お顔で弔問客を迎えました。

子供3人、孫5人、ひ孫5人、甥姪7人も全員集合
で パパのお陰で久しぶりの邂逅がありました。
愛知県菩提寺の和尚様の読経の流れる中、遠方か
らの親戚も集って滞り無く通夜・告別式終了。

これから斎場へ向かいます。

事前打ち合わせでこの後斎場へ向かう霊柩車も
これまでの金ピカ和式霊柩車だけでなく外車の
霊柩車もあると云うことで
海外生活も経験したパパなので

「ではキャデラックでお願いします」
「かしこまりました」

書類の霊柩車箇所のキャデラックにぐるりんと
丸を付けた葬儀屋さんでしたが 後で電話がかか
ってきました。

「まことに申し訳ございませんが すでに他で
キャデラック予約が入っておりました」
「ではどうしましょう」
「こちらのミスですので代車をご用意させて
頂きます。キャデラックの・・・リムジンと
なりますがよろしいでしょうか」

よろしいも なにも。
パパ、キャデラック リムジンですって。

きっとそういうのを面白がる方なので
「では その代車でお願いします」

かくして 当日。
後方にパパ、前方にウルトラマン、
義姉、義妹、すっとこの5人は生まれて初めて
キャデラック リムジンに乗って斎場へと向かっ
たのでした。


こうして葬儀は終わりました。

喪主を務めたウルトラマンは大変
だったと思います。

そして

大変なこと、はまだ続いたのです。
それは・・・以下次号、すっとこ拝。






30年ママを待たせたパパは。

家から出る葬式は 30年前の義母の時以来。

義母は脳梗塞で入院して 5日目に亡くなっ
たのだった。

病院ではモニターに計測されててその機械
の数値で看護婦さんや医師が慌ただしく出
入りしていた。

義母の心臓が止まった時 医師は電気ショック
を与え 馬乗りになって蘇生術を続けてくれた。
すると心臓は暫くは動くのだった。

そしてまた止まり 医師は心臓マッサージを
行って ややあって心臓が動き出し。

それを何度も繰り返して 義母の蘇生は間遠に
なり ついにどうしても鼓動が戻らなくなって
医師は「ご臨終です」と告げたのだった。

後に何かで、ある医師の告白を読んだら
「もう助からないと分かっていても 病院では
家族の手間 蘇生術を行なうしかない。患者さ
んを静かに逝かせてあげたいと内心思っても
家族は『先生なんとかして下さい』とその死を
納得してくれないので」
とあった。

義母の場合がそうだったのかもしれない。

何度もこの世へ引き戻される身はどうだった
のだろう。

この時の経験もあってか
義父の最期は「病院へは行かずに ホームで
の看取りを希望」が子供達の総意でありま
した。

義父が徐々に衰弱して行っても 病院へは送ら
ずにホームで静かに寝ている方を選んだのです。

臨終を誰にも知らせず ひっそりと幕を引いた
のは義父の優しさであったと思います。
「夜中だから誰も来なくていいよ。」と。

いいえ
誰も来なかった訳ではありません。

義母がきっと迎えに来ていたでしょう。
「パパ、遅かったわね!30年も待たせて!」


ホームの方も「こんなことを申し上げる
のもなんですが 」と前置きして「理想的
な最期でいらっしゃいました」と言って
下さいました。

意識のある時はいつもご機嫌さんのパパ
でした。ホームの人気者でした。

そんな義父の葬儀がいよいよ始まります。
30年経つと葬儀事情も色々変化している
のでありました。

次号に続きます、すっとこ拝。

義父の旅立ち。

帰国3日目です。

一昨日、昨日と同じように朝一番でホーム
へ義父を訪問。

心なし 今日は呼吸が穏やかな気がする。
昨日まで肩で息するような荒い呼吸だった
のが すーすーと静かな寝息を立てている。

ウルトラマンへ
「パパに“故郷”を歌ってあげて」と頼む。

嫁が歌ったのでは静かな寝息が荒く
なってしまう怖れあり、だから。

歌が進むにつれて
義父の目は開かないけど 力の入った眉の
あたりが緩んで 表情が優しくなってきて
いるのがわかる。

3番の
「志を果たして いつの日にか帰らん
山は青きふるさと 水は清きふるさと」
で 義父が僅かに頷いたような気がした。

志を果たして
いつの日にか
還らん

義父は 生まれる前の場所へ還ろうとして
いるのか。

ナースさんへ教わった脈のとり方で 手首
を触るけど 今朝は何もこちらの指に伝わ
ってこない。血圧が50を切っているのか
も知れない。

ずっと義父の傍に居たいけど 今日は日本
へ転入届けを出す予定の日だ。その為に
本籍地の東京の区役所へ戸籍謄本を貰って
来なくてはならない。
「パパ、ちょっと出かけて来ますね。
又明日来ます」

東京で貰った戸籍謄本を持って今度は横浜
の区役所へ。
これで晴れて日本国民再び、であります。

暑い中を歩き回って どっと疲れた若夫婦は
時差もあって つい昼寝をして
目が覚めたら夜になっておりました。

どちらからともなく「パパの所へもう一度
行こう」となった。
「明日来ます」とは言うたけど今日はもう
いっぺん行っておきたい気がした。

幸い家からホームまでが車で10分足らずの
所なので 思い立ったらすぐに行けるのが
有難い。

夜9時過ぎだったけど 義父の部屋へ。

呼びかけるけど朝と同じでよく眠っている。
脈を取ると元気にドクンドクンと指に触れた。
「あっ きっと血圧50より上がってる!」
2人で代わる代わる脈に触ってみる。

でも足の甲にむくみが出ている。
そして冷たい。
温まるようにマッサージしながら 点滴が義父
のからだにもう過剰なのかとも思う。
過剰分がむくみとなって現れているのかと思う。

義父の顔はとっても穏やかだ。

息子であるウルトラマンは耳元で
「ではお休みなさい。又明日の朝来ますよ」
と大きな声で言っている。

そーっと部屋を出た私達。

その4時間後に

父はひっそりと1人で旅立ったのでした。


ホームの方の話によると
夜中1時の見回りの時は 静かに呼吸していて
30分後の1時半に見たときには もう呼吸が止
って居たそうです。

息子の帰りを
こんなにも一生懸命待っていてくれた義父。

息子の元気な声を聞いて(病気でもウルトラマン
は声だけ大きい)
歌も聞いて安心して旅立って行ったことでしょう。


それから真夜中に義姉、義妹も集まって
の葬儀屋さんとの打ち合わせがあり

家に帰って来たのは明け方でした。

玄関で靴を脱ごうと下を向いた瞬間
重力の働きなのか 突然涙が溢れて来た。

もうパパがいない。

しかし 少しだけ眠った翌朝からの葬儀
準備で 泣く暇なんか無くなったのです。

現在まで続くバタバタでコメ返しが遅れ
ておりますが とても力を貰っています。
有難うございます。

現代葬式事情に続きます、すっとこ拝。



脈が取れない。

若夫婦が義父に付き添っているときに
ちょうどホーム付きのナースさんが入って来られた。

「息子さんを待っておられたのですね。
肺炎を起こされて 経口栄養が取れなくなってから
普通は一ヶ月保つのも難しいくらいなのです。
それがこうして二ヶ月半も。
98歳というお歳を考えると驚異的といいますか奇跡
といいますか」

「えっ じゃあ父は点滴と酸素マスクだけで二ヶ月半を」
「そうです」

若夫婦は知りませんでした。
車椅子に乗って誕生祝いされてる笑顔の写真から、
流動食など経口栄養を摂れているものだとばかり解釈
していたのでした。
点滴と酸素マスクだけで命をつないでいたとは。
義姉や義妹はウルトラマンが心配しすぎないように
悪いことはあまり知らせないでくれてたのです。

「最近は点滴からの栄養分を体が受け付けなくなって
水分補給だけをさせて頂いてました。
何度も危機がありました。
血圧も50を切ると脈が取れなくなって そのたびに私
共も覚悟したのですが。

次に測ると脈の取れる50台以上に戻られて ご家族の
「長男が帰るまで待ってて!」の思いが通じていたのだ
と思います」

いま
荒い息をしながら今日は呼びかけても反応のない義父。

聴覚は最後まである、を信じて
「パパ、もう本帰国したのですよ。空港で買った
I ♥ NY のTシャツですよ!靴下も国旗柄ですよ!」
と耳元で呼びかける。

いつもふざけた柄の靴下を喜んでくれた。
しかし 今回はいったん履かせた靴下をしばらくしたら
脱がせることになった。
足の甲から足首にむくみが生じて ゴム部分が内出血
のように赤くなってしまったから。

ナースさんから脈の取り方を教わり 若夫婦はかわる
がわる細い手首で脈打つ鼓動を確かめました。


    「ではまた明日!」
    明るい大きな声でウルトラマンは言って
    義父のホームを後にした二日目でした。

    壊れた冷蔵庫、トースター、使えないテレビ
    を買い求め、スマホの新しいプロバイダーさん
    との契約などでその日は暮れました。

    それにしても祖国は暑い、すっとこ拝。
    

ご無沙汰でした。何から話して良いのやら。

祖国日本へ戻りましたので

すっとこどっこい 横浜再び!と装いを改めて
再出発です。これまで同様よろしゅうにお付き合いを
お願い申し上げます。

さて。
帰国してからのことですが 何から話して良いのやら。

まず成田に到着。
すぐに義姉に電話すると「家に帰る前にパパのところへ
直行してね」との返事です。

義父は四月終わりに誤嚥性肺炎を発症していました。
老人には命取りになる肺炎です。
一時は危険な状態になりながらも持ち直して 五月に
は無事に98歳の誕生日を迎えた、と知らせが来ました。

NYに送られてきた写真は 車椅子でホーム屋上(お気に
入りの場所でした)に連れていってもらって微笑んでいる
ハッピーバースデーの図でした。

カメラに向かって明るく笑ってる表情に「もう流動食でも
始まったかしら」と思ったすっとこでした。

この時期はウルトラマンも抗がん剤の投与が始まり まだ
病状が安定せずにハラハラしていたNYです。
そのことををよく理解してくれてた義姉は「三月に顔を見せ
てるから 今お見舞いには帰らないでいいから」と言ってくれ 
たので 気にしながらも七月の帰国日となったのでした。

「ホームへ直行して」の義姉の言葉に胸騒ぎしながらトランク
を積んだタクシーをホーム玄関で待っててもらい、スリッパに
履き替えるのももどかしく義父のいる3Fへ急ぎます。

部屋の中では 義父が待っていました。
点滴と酸素マスクで。

「帰ってきました!」とウルトラマンが耳元で強い声を響かせる
と 閉じてた目を薄く開けてしきりに頭を動かしました。
「どこ?どこに?」と探してるようでした。
口も動かしていますが酸素マスクの下で 声にはならないので
す。

ひとり息子が帰ってくるのを一生懸命待っててくれた義父。

ウルトラマンは手をつかんで握りしめて

嫁はただ義父のやせ細った足をひたすら撫でるだけでした。



     「また明日来ますからね!
      これから 毎日来ますから!」

     帰国報告を無事終えて 家に到着。
     淀んだ空気を入れ替えるのに開けられる
     窓を全部開け放つ。
     とりあえず寝る部屋とお風呂場だけササッ
     と掃除して コンビニに食べ物を買いに行く。
     冷蔵庫が壊れているので食べきれるものし
     か買えない。

     まずは冷蔵庫が必要。
     テレビも地デジ対応出来てないので これも
     必要。

     でも まずは義父のお見舞い。
     次の日も朝いちばんに義父のところへ。
     ホーム付きのナースさんから話を伺ったところ
     驚くべきことが分かりました。

     以下次号。すっとこ拝。

無事到着。しかし更新遅くなります。

無事に日本へ到着。
インターネット接続手配に手間取って結局繋がるのが今月最終日となりました。
スマホは繋がるのでコメ返しはぼちぼちさせて頂きますが本文はPCからしか投稿できないので

新しい【すっとこどっこい 横浜再び!】は8月1日からの更新となります。

では夏真っ盛りの8月に
お目にかかりませう。
すっとこ拝。
(✴︎今回は長州在の娘に
代打ちを頼みました)」

あら!


もうじきインターネット契約が終了ですって!

NYからの通信はこれにて終了。
日本での環境が整い次第

装いも新たに

って きっと ちっとも新しくないけど

すっとこどっこい 横浜再び!

でお目にかかりませう。



    それでは皆様
    しばらくの間(2〜3日か?)
    留守しますけど

    お元気でね。
    すっとこも元気です、
    NYより百万の愛を込めて。
        すっとこ拝。

コーパスクリスティー。そして冷蔵庫もイカン。

いえね。
昨日は引越し屋さんの黒い猫さんが来て

担当の方(日本人)がウルトラマンへ何気なく
「高校生の頃はテキサスのコーパスクリスティー
に住んでまして」
と自己紹介してた。

コーパスクリスティーだとぉ?

それはテキサス州の美しい、そしてどこか猥雑な
感じのする海沿いの街で
「なんだかさっ 熱海みたいな街だねっ」
が若夫婦が本当に若かった頃に訪れた感想なの
でありました。

「コーパスクリスティーの名前をここで聞くとはねぇ」
   そんな和やかな会話は一瞬で
   あとは殆ど殺気立ってる、と言うても
   良いようなテキパキ作業の仕方で

「はい!シロートさんはどいたどいた!」とばかり
ひとりの作業員さんたらガムテープをシャッと鋭い
音を立てて歯で噛み切っとった!
その技には伏し拝みたいほどの迫力があった。



      そして。
      冷蔵庫。
      大きいからイカン
      物を詰め込むでイカンわ

      泣きながら各種瓶に残った
      オリーブとかドレッシングとか
      手作りだし醤油などをキッチン
      で洗い流しました。
      こうして瓶を綺麗にしてゴミに
      出すのも今日で最後。
      
      この台所とも
        ♪今日でお別れ もう会えない♪
      いろんなお客様があったなぁ。
      もてなし方の学習をさせて貰うた。

      ありがとう、キッチン。
      あと一息の引っ越し作業だ。
      コメ欄での応援サンキュです。
      がんばるぞー、すっとこ拝。
        ✳深夜の洪水騒ぎは落ち着い
         たら書きますね。



半狂乱ではなく。

きゃー!

現在朝の7時前。
10時にはネコの引っ越し屋さんが来て
怒涛のパッキング作業が始まります。

船便 よーし。か?
航空便 よーし。か?
横浜行き よーし。か?
長州娘宅行き よーし。か?
当日のトランク よーし。か?

順調に行くのでしょうか。

今日と明日の二日間が作業日で
今日がうまく行ったら明日はもう楽ちんな
筈です。

勝負は今日の進行次第。

お出しするジュース よーし。か?



    もうね 半狂乱というより
    全狂乱。

    昨夜遅くにあわや水漏れ事故か?
    も出来したんだけど その顛末
    を書く時間がないっ。

    ではこれにて。 すっとこ拝。


下衆の逆恨みとしんみり。

もうね 何が悪いってね
クローゼットが6つあるのが元凶だと
思うんですよ!

2ベッドルームのくせにクローゼットが
6つあって

あったら つい物を入れちゃいますよね?

11年間の滞在中5回引っ越しがあったので
段ボール箱がそれなりに増えて 積み重ねて
中には封印したままの(昨日の化石のように)
もあって 本帰国に際して一応中を改めて
驚いたりなんかするのに時間かかるわけです
よ。

クローゼットが多いのが悪い!
一個のクローゼットやっと空にしても次々に
立ちはだかる新手のクローゼット野郎!

      ↑

   下衆の逆恨み

逆恨みしたりしてるうちに 我が家の仕事も
残すところ今日いちにちとなりました。

明日と明後日の2日間は引越し屋さんがおいで
てプロの技でテキパキ梱包を始められます。

その前に小さな器は自分で小箱に区分けして
詰めてラベル貼っておきます。
大きなものと一緒にすると開梱時にうっかり捨て
てしまうことがあるから。

前回、気に入ってた小さな醤油さしのフタをクッシ
ョンがわりの丸めた新聞紙と勘違いしたのかどう
もホカしてもうたらしく。
フタのない醤油さしは使えんじゃろ。
だから小さなものは自分で別梱包することに。

失敗は小さなものだけではない。

一番最初の本帰国、ヒューストンから帰るとき
「ああ これで全ての荷物が出た」と思ったら
ぽつんと残ってたBBQセットの脚の一部!

脚がなくちゃBBQセットは完成できぬ。
泣きながらそれをトランクに詰めて持ち帰りました。
まだBBQが一般的でなかった35年前、このセット
は大活躍してくれましたっけ。
脚を持ち帰って良かったよ。


     今日はすっとこ愛車の引き渡し日。
     友人ご主人が「大きなおもちゃ」と
     して乗り継いでくれるそうです。
     ああ 良かった。

     普段カーウォッシュとは無縁の愛車。
     せめてもの熟女の嫁入り化粧にと
     中も外もひっくるめてやってくれる
     カーウォッシュに出しました。

     ウルトラマンが行ってくれて「ぴっか
     ぴかになりましたよ」と言うので駐車
     場へ行き彼の指さす彼方を見ると
     
     なんということだ。
     見たこともないほどぴっかぴか。
     大げさでなく光り輝いている。

     こんなにも綺麗になるのかと近寄っ
     てようく見たら

     それはどなたかの

     真っ赤な   新車    でありま
     した。

     でも
     「ホンダありがとう。今まで事故も
     なくよく走ってくれました。サンキュ」
     ちょっとしんみりなすっとこ拝。
     

謎の段ボールと逆か剥け。

まだまだ道半ばではありますが
引っ越し、だいたいの目途が立った昨夕

ウルトラマンが
「ちょっと良いものをお目にかけましょう」
こっちこっちと誘うので彼の部屋へ行きました。

「こんなものが」

指し示す指の先にはきっちりとガムテープで
封印された段ボール箱。

「何が入ってると思いますか?」

年季の入った様子の箱や貼り合わせたテープ。
クローゼットの隅の
空き箱が積まれた一番下にあったそうだ。

はて。
何をしまいこんだのやら。
覚えがない。
想像もつかん。
「まずは検分だ!」

粘着部分が貼りついてしまっているテープの
箱にひっついてる部分をナイフで切って開けて
みると 黄ばんだ新聞紙に包まれて

ユタ州で掘った化石

が出現した。

 ♪あれは8年前
    渋るあなた 尻を叩いて
      募集あった 化石ツアーに
         2人 飛び込んだ♪


       何故でしょう。
       化石に魅かれるすっとこ。

       英国時代にも海岸のライム
       リージスという街まで化石
       堀りに行った。
       メリルストリープの”フランス
       軍中尉の女”のロケ舞台に
       なった街だ。

       ヒューストン時代にも”グレン
       クローズ”という辺鄙な場所
       に恐竜の足跡を見に行って
       川岸で貝の化石掘ってきた。

       今回のNYでも砂漠のような
       ユタ州でガイド付きの化石掘
       りを。恐竜掘り当てる気満々で
       参加したけど観光客に割り当て
       られた「太古の海だった場所」
       からは煮干しのような魚しか見
       つけられなかった。チェッ。
       でも大事に煮干しを保管してあっ
       たらしいのう。

       なんて
       感慨にふけってちゃ    イカン。
       手を動かせ!手を!
       指が逆か剥けだらけになって
       小指以外は絆創膏貼ってます、
       すっとこ拝。
         ✳小指は逆か剥けにならん。

追い手に帆かけて しゅらしゅしゅしゅ。

引き続き

おケツに火がぼーぼー。

燃える勢いが
  ♪追い手に帆かけて♪
いる感じ。

あと少しだ!
がんばろう ほれ
  ♪しゅら しゅしゅしゅ♪

     頑張るぞ、すっとこ拝。

     ✳都民ファースト大勝利ですね。
      長州人として密かに安倍クンを
      応援してたけどこの短期間での
      凋落ぶりはどうだろう。体調悪い
      ようで心配だなぁ。

その自信が羨ましいぞ。

さて。

ベトナム出身のホーンさんが「別れに食事しない
と承知しない!」と泣いて怒るので

お別れ早め夕食をしたのでした。

和やかにこれまでの想い出話、中でも私たちが
知り合ったきっかけとなったベトナム料理店で
「いきなりファミリーの振りをして四人掛けテー
ブルをまんまと獲得した」話は何度話しても盛り
あがったのでした。

別れの時間になり

ウルトラマンが

よせばいいのに’

「病気のことと帰国のことを直ぐに話さなくて悪か
ったね」ともう一度話題にしたら

ホーンさんはそれまでの笑顔を突然引っ込めて
改めてもう一度怒りに身を震わせたのでした。

ウルトラマン、寝た子起こしちゃいかんぞ。



     別れた後でテキストメッセージが来て
     「エニウェイともかく。
     パパとママは私とマイケルに逢うと
     若返るでしょ!それに私たちはあな
     た達をよく笑わせるから健康にも良
     いと思うの!」
     これを読んで大笑いするパパとママ。

     その自信が羨ましいぞ。

     正直 今回11年のアメリカ生活で
     ついに馴染まなくて自分の身にも
     つかなかったのが

     こういう自信のあり方、じゃろう。

     誰かと会って楽しかったとき
     「ありがとう」とは言っても
     「私と会ってあなた楽しかったでしょ」
     って日本人はフツー言わないなぁ。
     思いもしないし。

     世界の学生へのアンケートで
     「自分に自信を持ってるか」の項目
     が日本は他国に比べて著しく低い
     らしい。
     それを謙虚、と取るか自信ととるか。

     「自分を謙虚だと思うか」の項目を
     作ったら日本は上位でアメリカは下
     位じゃろうて。
   
     文化の違いは大きいよね、すっとこ拝。
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