November 11, 2008

born to be...

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2008.11.8 10:16AM。この世に新たな生を受けた者。

 

おれの宝です。

  
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October 25, 2008

今日も

仕事でした。最近は、何も準備しなくても100人くらいの前で2時間くらい普通に話せます。

岡崎久彦さんという人がいますが、彼の日本史への造詣の深さはなかなかのもんです。最近何冊か読み入りました。primary sourcesが明示されていないものが多いのが残念ですが、史実の要約の手際の良さは大したもんです。

自分の眼前の世界に関係しようが関係しまいが、日々勉強。それだけです。

 

  
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October 17, 2008

すっかり

Blogを書く習慣がなくなってしまった。もともと習慣というほどに書いてはないけど。

最近は、大きな変化もない生活です。いや、私的生活はそうとう変わりましたが。ああ、まじで外に出たい。あのニオイを感じながら生活したい。しかし、そうやって嘆いても始まりません。好機を掴めるように頑張るだけです。

そういえば、来年からとある大学で兼任講師をやらせてもらうことになるかも知れません。これは楽しみです。なんでも実務家として講義を持つことになるらしいので、専門である中東政治思想史等に特化した形ではできませんが、自分の興味関心に合わせて期間を設定し、流行りの政治理論なんぞも参照しつつ、実態としては全く理論どおりには動いていない、そんな動態的な国際関係の位置付けを自分でも学びながらやれればなと。いつの日か、研究・教育生活に没頭できる期間を作りたいもんです。ということはなかなか今の仕事柄言えません。

なにはともあれ。

  
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July 17, 2008

ideal/real

ideal/real。永遠の課題ではあるが、自分の志向としてどちらに自分を傾注するかという問題ではなく、ある事象に対して「客観的」とされる考え方に対して臆することなく、「客観的」を装いつつidealに近づいていく。それがidealな実務家の在り方なのだと思う。realになるのは、実務家としては実はそれほど難しいことではないようにも感じます。

しかし、常に現実はrealに動いていく。それに正面からぶつかることは、思っていた以上に大変で、かつ刺激があります。自分の中には、常にidealとrealが併存していますが、種々の事象に対して首尾一貫した思考と行動が出来ること。これが自分の課題です。

久し振りの投稿で訳わからん話ですみません。

 

ところで、最近仕事の一つの山場を越えました。予想を遙かに超えて、非常に勉強になりました。人の人生に正面から向き合うことはそれなりの勇気と覚悟が要るもんです。人の心の痛みを真の意味で分かる人間になりたい。そう強く思います。と同時に、自分を支えてくれる周囲の人達に常に実直でいたい。そう思います。

 

 

 

  
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May 09, 2008

なんしか

久方ぶりに旧職場友と飲みました。四ツ谷のエリマキラーメン。あれは科学です。しかし不味いです。

今日は宮中通訳でしたが、途中から英語でやってしまいました。まあ自然体で。

果てしなくねむい。ねます。

 

  
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May 06, 2008

kalb

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GW中は4日に仕事+友人結婚式2次会があった以外は、風邪で家で寝込んでいたが、幼馴染の親友から犬を預かっていた。

かなりいい感じの奴だった。昔から猫の方が自分勝手で好きだったが、犬も相当に自分勝手な奴もいるもんだ。

ちなみにkalbとはアラビア語で犬。アラブでは犬は人間扱いされていない。って人間じゃないけど。

 

  
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May 03, 2008

最近考えること

Orientalism - 皆さんも聞いたことがあると思う。

『オリエンタリズム(Orientalism)は元来、特に美術の世界において、西ヨーロッパにはない異文明の物事・風俗(それらは“東洋”としてひとまとめにされた)に対して抱かれた憧れや好奇心などの事を意味する。西洋史や美術史などの分野では「東方趣味」「東洋志向」などの訳語が与えられてきた。

 しかしながらパレスチナ出身のアメリカの批評家、エドワード・サイード(1935-2003)の著書『オリエンタリズム』Orientalism1978年)において今日的で新たな意味がこの言葉に附与された。後者の概念で使われときには、その翻訳語としては、そのまま「オリエンタリズム」と使われることが多い。

 サイードは歴史を通して西ヨーロッパが、自らの内部としてもたない「異質な」本質を「オリエント」(「東洋」)に押し付けてきたとし、「東洋」を不気味なもの、異質なものとして規定する西洋の姿勢をオリエンタリズムと呼び、批判した。また、サイードは単に西ヨーロッパとそれ以外の地域だけの対比ではなく、同様の権力構造・価値観を内包しているエスノセントリズムのような他文化や他国に対する思想・価値体系もオリエンタリズムとして同様に批判している。そのため、サイードの言うところの「オリエンタリズム」を理解する場合には注意が必要である。

 「オリエント」(「東洋」、「東洋的」、「東洋性」)とは西ヨーロッパによって作られたイメージであり、文学歴史学人類学等、広範な文化活動の中に見られる。それはしばしば優越感や傲慢さ、偏見とも結びついているばかりではなく、サイードによれば欧米の帝国主義の基盤ともなったとされる。

 オリエンタリズムの一種としては、「東洋」、あるいは自らよりも劣っていると認識される国や文化を、性的に搾取可能な女性として描く、といった傾向も指摘されている。具体例としては、イメージの一人歩きしているハレムや、ゲイシャ、そして、最近の作品では『ミス・サイゴン』や、ディズニー映画の『ポカホンタス』などにもオリエンタリスティックな視点が見られる。またイスラム過激派の中には非イスラム教徒の女性に対して同様の視線を向けることが多々有り、これはオキシデンタリズムと呼ばれる。』

サイードの意図に関しては、若干端折り過ぎかつ不正確な部分もある気がするが、以上がWikipedia。

最近よく考えるのが、「自らの内部として持たない異質な何か」を一つのnotionに当て嵌めることの適否。いつの時代でもそうかも知れないが、現代に生きている中でそれに何らの抵抗を感じないのが普通となっているということ。

日本を語る時、日本人であることを「自覚」する時にも、「自らの内部として持たない異質な何か」について、どういう姿勢が最も「正しい」のか、自分自身よく分からなくなってしまうことがある。

何はともあれ、サイードの議論で最も面白かったのが、彼の言う西洋にとって異質である「東洋」の範疇に、彼にとって「自らの内部として持たない異質な何か」である極東が含まれていなかったこと。

ハーバードの大学院にいた時、近代思想史のゼミかなんかで、『サイードOrientalismの議論の範疇からさえも除外された、しかし一応サイードOrietalismの言うところの「西洋」と「東洋」をそれなりに理解している一人の「極東人」として、サイードの議論には明らかな、根本的な論理矛盾が存在するように思う』と指摘したことがあった。その際に恩師や講師、同級生が見せた困惑した表情は、今でも忘れることが出来ない。

 

  
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April 25, 2008

gotta be strong

先週末に来ていただいた方々、深謝でした。まじで楽しい時間でした。

唯一の心残りは、H雄が全身にかぶった日本酒をしっぽり飲みたかったことくらい。腹の底から笑ったけど。

違う意味での強さも大事にしながら、自分のケツをこれまで以上にたたきながらやっていきたいと思います。

改めて深謝。

今週のアラビア⇔英語通訳はからぶったけど、連休明けは再び陛下通訳。ぼちぼちやります。

ねむい。寝ます。

  
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February 29, 2008

唯識

唯識。興味深い。

今週尊敬する上司の一人と飲みに行って、その節々の思想を教わった。

仏教の無我って面白い。無我。

 

以下、Wikipedia。

 

唯識は語源的に見ると、自己、および自己を取り巻く世界のすべての存在は、自己の根底の心(無意識)である阿頼耶識が知らしめたもの、変現したもの、という意味である[1]

心の外に「もの」はない

仏教の考え方の基礎は、この世界の全存在は縁起、つまり関係性の上でかろうじて現象しているものと考える。唯識説はその説を補完して、その現象を人が認識しているだけであり、心の外に事物的存在はないと考えるのである。これを唯識無境(「」は心の外の世界)または唯識所変の境(外界は識によって変えられるものである)という。一人一人の人間は、それぞれの心の奥底の阿頼耶識の生み出した世界を認識している(人人唯識)。他人と共通の客観世界があるかのごとく感じるのは、他人の阿頼耶識の中に自分と共通の種子(後述)(倶有の種子)が存在するからであると唯識では考える(これはユング集合的無意識に似てなくもない)。

阿頼耶識と種子のはたらき

人間がなにかを行ったり、話したり、考えたりすると、その影響は種子(しゅうじ、阿頼耶識の内容)と呼ばれるものに記録され、阿頼耶識にたくわえられると考えられる。これを薫習(くんじゅう)という。ちょうど香りが衣に染み付くように行為の影響が阿頼耶識にたくわえられる(現行生種子)。このため阿頼耶識を別名「蔵識」、「一切種子識」とも呼ぶ。阿頼耶識のアラヤという言葉は「蔵」という意味である。さらに、それぞれの種子は、阿頼耶識の中で相互に作用して、新たな種子を生み出す可能性を持つ(種子生種子)。

また、種子は阿頼耶識を飛び出して、末那識・意識に作用することがある。さらに、前五識(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)に作用すると、外界の現象から縁を受けることもある。この種子は前五識から意識・末那識を通過して、阿頼耶識に飛び込んで、阿頼耶識に薫習され、このサイクルを習気(じっけ)と言う。これが思考であり、外界認識であるとされる(種子生現行)。

 最終的には心にも実体はない

このような識の転変は無常であり、一瞬のうちに生滅を繰り返すものであり、その瞬間が終わると過去に消えてゆく。

このように自己と自己を取り巻く世界を把握するから、すべての存在現象は現象でしかなく、空であり、実体のないものである。同時に、種子も識そのものも現象であり、実体は持たないと説く。これは西洋思想でいう唯心論とは微妙に異なる。なぜなら心の存在もまた幻のごとき、夢のごとき存在()であり、究極的にはその存在性も否定されるからである(境識倶泯)。

単に「唯識」と言った場合、唯識宗・唯識学派・唯識論などを指す場合がある。

唯識思想の特色

仏教の中心教義である無常無我を体得するために、インド古来の修行方法であるヨーガをより洗練した瑜伽行(瞑想)から得られた智を教義の面から支えた思想体系である。

  1. 心の動きを分類して、八識を立てる。とりわけ、末那識阿頼耶識は深層心理として無意識の分野に初めて注目した。
  2. 自らと、自らが認知する外界のあり方を、三性(さんしょう)説としてまとめ、修行段階によって世界に対する認知のありようが異なることを説明した。
  3. ヨーガを実践することによって「唯識観」という具体的な観法を教理的に組織体系化した。
  4. 法華経』などの説く一乗は方便であるとし、誰もが成仏するわけではないことを説いた。(五性各別
  5. 成仏までには三大阿僧祇劫(さんだいあそうぎこう)と呼ばれるとてつもない時間がかかるとした。
  6. 般若経』のを受けつぎながら、まず識は仮に存在するという立場に立って、自己の心のあり方を瑜伽行の実践を通して悟りに到達しようとする。
  
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February 26, 2008

なんしか

とてつもなく外に出たい気分になってきた。激動の地に足を踏み入れて、地殻変動を肌で感じたい。頭が固くなり過ぎる前に、世界の動きをもっともっと吸収したい。

あと1年半弱とりあえず前向きになれる対象を仕事でも見付けつつ、仕事以外でも研鑽しつつ、その時に備えようと思います。

 

  
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February 19, 2008

The Clash of Civilizations

皆さんも聞いたことあるかと思いますが。

面白い記事があったので以下に貼り付けます。9・11の3ヵ月後にWPに載っていた記事。

ちょっと時間が出来たら、Huntington教授のThe Clash of Civilizations and the Remaking of World Orderについて、まったくもって個人的な書評を書きたいと思います。

 

washingtonpost.com

The Clash
Two professors, two academic theories, one big difference. depending on which is right, September 11 may mark a brief battle against terrorism, or an endless struggle between Islam and the West

By Joel Achenbach

Sunday, December 16, 2001; Page W17

Not so many years ago, the world made a lot more sense.

At the very least you could pretend to understand it. This illusion of comprehensibility was a fringe benefit of the Cold War. Every international skirmish could be explained as part of the epic struggle between democracy (or "the free world," as we put it) and the Marxist-Leninist dictatorship of the proletariat ("the godless Commies").

The prospect of thermonuclear war had a way of clarifying the mind; anyone seeking a framework for thinking about the destiny of humankind could start with, at one extreme, Armageddon. The United States and the Soviet Union enforced their national security with a wonderfully acronymed strategy called Mutual Assured Destruction. The academics described this world as "bipolar." There was a method to the madness.

Then the unthinkable happened: One side gave up without anyone firing a shot.The theorists had to scramble in a suddenly unipolar (multipolar?) environment. Things were flying apart, breaking up, disintegrating. Two theories-dramatic, bombastic and immediately controversial-emerged from the convoluted mass of academic jabber.

The first idea was triumphalist. It came from an obscure young Washington think tank dweller named Francis Fukuyama. He called his thesis "The End of History," and although that sounded apocalyptic, he was attempting to deliver good news. Fukuyama argued that the historical process that had seen the rise of feudalism, monarchism, communism, fascism and various other isms had come to its conclusion. Democracy and free markets - the core values of Western civilization - had proved victorious over all competing systems. There was no better way to organize human affairs. Game over.But there was this other idea. It was darker. Indeed it sounded like a medieval nightmare. The theorist was a Harvard professor named Samuel P. Huntington-Fukuyama's former teacher, as it happens. Huntington summed up his theory in a dramatic phrase: "The Clash of Civilizations."

The Huntington thesis mocked the feel-good notions of the Fukuyama camp. Huntington saw a world of tribes. Tribalism was increasing. Ancient hatreds were rising to the surface. In Huntington's world there was little danger that everyone would join hands around a campfire and sing "Kumbaya."


Francis Fukuyama holds that -- despite terrorist attacks -- the world may be witnessing "the emergence of Western liberal democracy as the final form of human government." (Chris Hartlove)

The reason is culture. Culture, said Huntington, is the preeminent force of conflict in the modern world. Politics, economics, ideology and national interests remain important, but culture trumps everything. Culture is bone deep, essential to a person's identity, and transcends national boundaries. Cultural conflict, Huntington said, was erupting along civilizational fault lines.

The two theories may suffer from nearly lethal cases of overstatement and oversimplification. For political scientists, however, these are the two touchstones of any debate about the direction of the world. Many people who reject both theories still cite them dutifully-they're the theoretical elephants in the room. The old debate about capitalism vs. communism has been replaced by Fukuyama vs. Huntington.

We're deep in the land of theory here, of abstractions and esoterica. Even so, these ideas seem more relevant and potentially more useful since the calamity of September 11.

For many Americans, the events of that morning were simultaneously horrifying and perplexing. Who were these people who'd attacked us? Why did they hate us so much? What did they want? As the nation girded itself for a war against terror and sent troops and warplanes to Afghanistan, many of us wondered, too, where this conflict would lead. Was this a three-month war, a three-year war, or would it possibly drag on for the rest of our lives? In such a context, it's not a trivial matter which of the two big ideas is closer to the truth.

If Fukuyama is right, the current crisis is a momentary detour in humanity's inexorable march toward global brotherhood.

If Huntington is right, you might want to start digging that bunker in the back yard.

It was early November, and on the bulletin boards in Coolidge Hall, on the campus of Harvard University, fliers announced a bewildering array of upcoming seminars. Some seemed narrow in their focus ("Unwanted Cesarean Sections in Brazil") and some sounded rather exotic ("Footbinding as Artifact"). Some might have been inspired by current events ("Religion and Misplaced Secularity in South Asia") and some were simply indecipherable ("The Transnational Villagers: Rethinking Determinants of Inequality").

Obviously there were some big ideas here, and some medium-size ideas, and some ideas too fuzzy to have any distinct dimension. In this peculiar universe I found Sam Huntington, in a book-cluttered office on the fourth floor, tending an idea so huge it was heard around the world.

Seventy-four years old, tenured, Huntington is a mild-mannered, balding man who, on this day, was wearing a regulation herringbone tweed jacket. I had imagined him as an Old Testament figure, maybe with a bushy white beard, definitely a severe countenance, but in fact he's strikingly bland and bookwormish, a bit reticent, someone who'd rather be reading and writing than giving an interview. (His friend Daniel Patrick Moynihan, the scholarly former senator, says, "I don't use a word like this often, but he's gentle.")

On the morning of September 11, Huntington told me, he didn't go to Harvard, but rather went to Logan International Airport and got on a plane. Had it been the wrong plane, this interview obviously would not have been happening, and conspiracy theorists would have had a field day. He landed safely in Washington, and headed off to a board meeting downtown, and soon heard that two planes had crashed into the World Trade Center towers.

Did he feel vindicated? No, he said. He felt outrage and horror. The terrorists did not represent Islam-this wasn't an authentic civilizational clash. It just might lead to one.

"Osama bin Laden clearly thinks of it as a clash of civilizations. He's declared jihad on the United States, and encouraged Muslims to go kill Americans whenever they get a chance. I think President Bush and the administration have so far been reasonably successful in trying to define it as a war on terrorism," he said. This is properly defined as a war for civilization, he said. "But it certainly could become a clash of civilizations."

He thinks the reaction to September 11 was divided along civilizational lines. "Countries with similar cultures immediately identified with us," he said. "Le Monde ran this famous headline: 'We are all Americans now.' Berliners issued this declaration, echoing Kennedy: 'We are New Yorkers.'"

As we spoke that afternoon, the news from Central Asia was hardly encouraging. The Northern Alliance had made little progress against the Taliban. There had been a number of anti-American protests in Pakistan and Indonesia. Violence had flared anew in the West Bank and Gaza.

And yet in the days and weeks that followed, despite all these tensions, a full-blown cultural conflagration never quite materialized. The unlikely and fragile alliance between the United States and Pakistani President Pervez Musharraf managed to survive. Joseph Nye, Huntington's Harvard colleague and friend, says recent events indicate that Huntington's theory is an overstatement: "What we've seen in the last few months, and before that, is a civil war within Islam, rather than a war between Islam and the West."

Give Huntington credit: He sounded a warning, a useful one. You can hear an echo of the professor's theory every time President Bush declares that the West is not at war with Islam.

The war on terror remains fraught with uncertainty, but as I write, in late November, the Afghanistan operation has turned sharply in favor of the United States and its allies. The Taliban has been routed, and Osama bin Laden is on the run, a poor candidate at this point for a new life insurance policy. There is speculation that the United States will go after Saddam Hussein next.

What's certain is that, if and when bin Laden is erased from the picture, gone will be the one man who has openly advocated a clash of civilizations.

"These events have divided the whole world into two sides," bin Laden said in a videotape aired in October, "the side of believers and the side of infidels." Benjamin Barber, a University of Maryland political scientist and author of Jihad vs. McWorld, says, "Bin Laden is the primary publicist for Huntington's theory." For Huntington, a clash of civilizations was a worst-case scenario. For bin Laden it was a game plan.

Perhaps the most damning assessment of Huntington's thesis comes from Francis Fukuyama.

"It had a mischievous impact on the way people around the world thought about these things," Fukuyama says. "I think it's not just wrong, it's also not helpful to world politics. It gives aid and comfort to people who want to reject Western values."

Fukuyama operates out of a tidy office on the seventh floor of a Johns Hopkins think tank on Massachusetts Avenue NW. For a big thinker with bold ideas, he's a soft-spoken man who largely avoids the media spotlight. He says he and Huntington remain on friendly terms, even if there have been some tense moments over the years. Huntington and Fukuyama are continuing a controversial tradition of writing universal histories of the human species. Making "sweeping generalizations" is not a character flaw in their case, it's what they do professionally. In the 19th century, a favorite generalization about human affairs was that they reflected "Progress." Almost everyone believed that the world got better over time. Karl Marx, for example, saw civilization marching through a capitalist phase toward an eventual arrival at communism. Technological progress was astonishing: Man could communicate at a distance through wires, he could conquer ancient diseases, he could banish the darkness. As the 20th century arrived, he suddenly could fly.

Like Icarus, he got burned. In the second decade of the century the world was plunged into a tragic and largely pointless war. Technology now meant machine guns and mustard gas. Starting with Oswald Spengler's "The Decline of the West" (1918), universal histories became tales of inevitable decay. Another world war, the Holocaust and Stalin's gulag gave abundant evidence that the human animal remained a brute. In George Orwell's novel "1984," a chilling character named O'Brien tells the captured protagonist, Winston Smith, "Progress in our world will be progress toward more pain . . . If you want a picture of the future, imagine a boot stamping on a human face-forever."

When Robert Nisbet published History of the Idea of Progress in 1980, he could accurately report that the intellectuals of the West didn't believe in Progress and certainly didn't believe in the superiority of their own civilization. Hardly anyone in academia (or the CIA, for that matter) had a clue that the communist world was about to collapse.

Fukuyama, however, believed in Progress. In the summer of 1989, before the fall of the Berlin Wall, he published in the journal the National Interest an article with the dramatic title "The End of History."

"What we may in fact be witnessing," he wrote, "is not just the passing of a particular period of postwar history, but the end point of mankind's ideological evolution and the emergence of Western liberal democracy as the final form of human government. Borrowing the vocabulary of Hegel and Marx, it may be the end of history."

He went so far as to suggest that life in the future might be rather dull. "The end of history will be a very sad time . . . In the post-historical period, there will be neither politics nor philosophy, just the perpetual caretaking of the museum of human history."

The academics howled with indignation. The man was practically declaring that political scientists would soon need another line of work! But Fukuyama's timing was perfect: The Berlin Wall soon was in rubble, and two years later the Soviet Union imploded. Globalization took off. Suddenly American hamburger chains were selling fries where proles had only recently lined up for stale bread. On the most remote island on the planet you might plausibly find a Madonna fan.

Now it was Huntington's turn to roil the academy. He'd been going against the grain his entire professional life. In the 1950s, contradicting conventional wisdom, he argued that arms races don't always lead to wars. In the 1960s, with the antiwar movement surging on campus, he remained hawkish on Vietnam and briefly worked as a Pentagon consultant. He outraged social scientists by declaring that modernization in the Third World would likely lead to instability, coups and corruption. "I try to take a realist point of view," he told me that day in his office. "People have a natural tendency to put a gloss on things." (His conservatism may have been a factor when the National Academy of Sciences twice rejected his nomination for membership-though the biggest factor may have been the academy's generally skeptical view of political science, which isn't a "hard" science like physics or chemistry.)

In the summer of 1993, Huntington published in the journal Foreign Affairs his new and alarming thesis.

"It is my hypothesis," he wrote, "that the fundamental source of conflict in this new world will not be primarily ideological or primarily economic. The great divisions among humankind and the dominating source of conflict will be cultural." This was a stunning article. Culture barely registered on anyone's radar in political science departments. Most people were focused on nation states, the "Great Powers," the quest for a 'balance of power,' and so on. The typical professor didn't talk about religion or culture, he just spent a lot of time using the word "hegemony." It was a shock to hear Huntington de-emphasize the nation state and elevate the tribe.

Huntington saw cultural conflicts intensifying after the Cold War-it was as though the Cold War had suppressed all those historical tribal passions. In the Balkans, along the fault lines between what Huntington identified as the Western, Orthodox and Muslim civilizations, people were killing one another in wars of ethnic rage. Huntington believed that "Islam" and "the West" (I put the terms in quotations because so many of Huntington's readers have objected to these simplistic labels) had been mired in a condition of "quasi-war" since the rise of Islamic fundamentalism in Iran in the late 1970s. As he wrote in his subsequent book, "The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order," published in 1996 and eventually translated into 29 languages, "If Muslims allege that the West wars on Islam and if Westerners allege that Islamic groups war on the West, it seems reasonable to conclude that something very much like a war is underway." The article and the book were blunt and unsentimental. Some readers caught a strong whiff of cultural supremacy. Barber criticizes Huntington for implying that African Americans and Mexican Americans are not part of Western civilization. Graham Allison, one of Huntington's longtime colleagues at Harvard, says, "He has a history of being intellectually provocative and fearless. His critics might say insensitive."

It appears that Huntington is often misinterpreted - his ideas take on a different cast by the time they've sailed halfway around the world.

Akbar Ahmed, a professor of Islamic studies at American University, said that when he went to Morocco and Pakistan about eight years ago, he kept hearing people talk about a certain professor and his new idea.

"They were saying the West wants a war with Islam. I would say, how do you come to this conclusion? And they would say, the leading Harvard professor wants a war with Islam," Ahmed recalls. "It was becoming dangerously self-fulfilling." Huntington, for the record, doesn't want a war between civilizations. His book goes to great length to discuss ways that civilizations can peacefully coexist. He says that Western leaders shouldn't meddle in the affairs of other civilizations - that it's dangerous to tell China, for example, what it can and can't do in the South China Sea. Huntington argues that a Muslim nation should have a permanent seat on the United Nations Security Council.

Still, Muslims felt stereotyped and homogenized by Huntington. There are more than a billion Muslims on the planet and they don't think and act alike. "For Huntington to say that there is an Islamic civilization, he has to impose an unbelievable uniformity on the world of Islam, all the way from Morocco in the west to Indonesia," says Johns Hopkins political scientist Fouad Ajami. Ibrahim Hooper, spokesman for the Council on American-Islamic Relations, points out that millions of Muslims live in the West. If Huntington's thesis is true, he says, "what are we doing here, then?"

When I mentioned to Huntington that Roy Mottahedeh, a Harvard colleague, wrote a piece saying that "Clash of Civilizations" seemed to treat Islam like a monolithic entity, Huntington erupted.

"He is totally wrong!" he said.

Maybe I'm misparaphrasing the article, I started to say, but Huntington was now agitated, and began railing about a recent magazine article.

"They are totally wrong!'

(Earlier he'd told me, "I can't deal with irrational people.")

And yet even some of his friends don't agree with his basic theory. Graham Allison points out, "Most of the conflicts I find in the world today are within civilizations, rather than between civilizations."

Huntington is not blind to such events as the Iran-Iraq war of the 1980s. He wrote that Islam is fractured: "The absence of an Islamic core state is a major contributor to the pervasive internal and external conflicts which characterize Islam." And yet his theory still seems to require that civilizations behave like organisms. He also includes, in his book, maps that he admits are "highly simplified." Islam, for example, covers a big swath of the globe from Africa to Central Asia, with a tiny piece in the Balkans and another section in Indonesia. Civilizations in Huntington's world don't overlap.

Huntington, like Fukuyama, has taken everything that happens in the world, every cultural phenomenon, every border war, every technological innovation, every election, every religious edict, every backroom power grab, every economic and political trend - everything under the sun - and condensed it into a tidy little package that folds up and fits in your pocket. It's a significant skill, but it will always generate criticism.

The professor sees patterns. He makes simplified models of the world. Complications ensue.

After wading into this quagmire of theory, it's fair to call the question. Who's right, Huntington or Fukuyama?

Probably both, to a degree. Fukuyama's forces of globalization are inciting Huntington's cultural rage. Barber, a fan of neither theorist, says, "There's a relationship between the globalizing tendencies and the jihadic, tribalistic reaction. They are part of a single phenomenon. It's not that one person's right and one person's wrong."

Harvard's Theda Skocpol says, "In an era of global capitalism, cultural distinctiveness can become more important, not less important. Because it's sort of what people have left."

There's no doubt that Huntington has been in ascendancy since September 11. His book, five years after publication, has rocketed onto the bestseller lists. Fukuyama has been on the defensive. He says he remains as optimistic as ever, but concedes that there are exceptions to this process that he labeled the End of History:

"If you get these Islamic terrorists who claim to hate Western civilization and they attack New York City, clearly you have a clash of cultures," Fukuyama says. But he quickly adds that the September 11 attack is merely a "rearguard action," and won't stop "this great freight train of globalization." And what about Progress? Is that real, or just a 19th-century delusion? There is a powerful argument in favor of Progress from those who study "game theory," a field in which one tries to figure out how rational beings will behave in hypothetical scenarios. Hazel Henderson, a prominent futurist, and journalist Robert Wright have both argued that the logic of game theory explains why human beings increasingly form networks of cooperation and interdependence. Look at Western Europe, historically home to countless vicious wars and ethnic hatreds, now unified to the point of using a common currency. "Globalization is part of the evolution of the human species. That's been our history for over a million years," says Henderson.

Huntington, for his part, concedes that Progress exists in the technological and material world, but says it doesn't exist in the moral sphere.

"Human nature hasn't changed," Huntington told me by phone one day. "All these physical improvements in material well-being won't change human nature. The same amount of hate will exist in human society."

When we spoke in his office, I asked him, "If you had your druthers, would Fukuyama be right?" Meaning, Western civilization would spread around the world and this nasty thing called History would effectively be over.

"Oh sure," he answered. "But that's not going to happen."

Political prophecy is always chancy. The hot theory today may seem hopelessly naive in two years. No one, not even Huntington, imagined September 11 and its aftermath. "September 11 bloodied us all," says Fouad Ajami.

The future always holds surprises. There might even come a day-hard as it is to imagine now-when the world suddenly makes sense again.

Joel Achenbach is a Washington Post staff writer.

© 2001 The Washington Post Company
  
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February 15, 2008

a tip

達成感と安住の拒絶。些細な絶望の快感と眼前の世界。自己の消滅と世界の消滅が同義ではないとの認識が、決して異なる己と共有されることはない現実。自己忘却とゲーム上の正義。それでも動いていく時間。

 

眠れない夜に。

               地下室の手記

 

  
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February 09, 2008

残寒

毎日寒いです。

              Power/Knowledge: Selected Interviews and Other Writings, 1972-1977

この人は本当に頭いいです。ヘーゲルの認識論の世界から、一歩踏み出している気がしますが、他方においてサイードのOrientalism批判が有してる何かとは一線を画した部分も併せ持つような印象を持ちます。知が知として「在る」状態について、あらゆる知に関連する学問に特有の(又は不可避の)generalizationを排除しつつ、同時に知の権力について真直ぐに捉えようとしている姿勢に憧れに近い何かを覚えます。

ここ最近は、自らをフーコニアンと位置付ける知識人が、欧米の、特にリベラルの中に少なくないようですが、そういうのも少し違う気がします。

知と行動。永遠のテーマです。

  
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February 07, 2008

さらに

継続してますが。

イスラムと形而上学の連関に疑義を持つ人は、これを読んで欲しい。そして、近世以降の世界認識について、東洋人の東洋人たる所以を真の意味で理解しようとする姿勢の一旦が、決して東京では自然的に意図されるものではないことを少しでも感じて欲しい。文庫本で出版されたこと自体が画期的なことです。

              誤りから救うもの―中世イスラム知識人の自伝

訳者の中村廣治郎氏は、それはそれは立派な感性を持つ方だとおれは思ってます。

  
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February 06, 2008

なんとなく

継続してますが。

フランツ・カフカ。この人ばかりは鬼才だと思う。10代半ばから後半にかけて出会い、彼の世界感に衝撃を受けた。異の世界に対する情熱及び好奇心と眼前の世界に対する器用さ、そして一徹したモラトリアム志向を覚えた人間にとっては、彼の世界感(if not 観)はたまらないものがある。同時に、彼を彼たらしめた一因とも言えるであろう歴史認識の中におけるユダヤ人たるものの位置付けの把握について記したサルトル「ユダヤ人」を手にし、以降中東への絶え間ない関心が茫洋としつつも湧いてきたと振り返って思う。 

            審判 (岩波文庫)

同じくらいお薦めなのは、「掟の門」(「カフカ短編集」(池内紀訳、岩波文庫、1987年)に収録)。

彼が描出する世界には、「正しいこと」がないように感じる。

 

  
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February 04, 2008

なんしか

もう少し続けますが、三島の中で多分一番好きな作品の一つ。けっこーうけます。

           
 
サブカルliteratureの記述の随所に、含蓄深い言葉が。彼は精神の何たるかを知りつつ、戯曲のように人生を演じたかったのだろう。才能は凄まじいものがあります。
  
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February 03, 2008

なんしか

本の紹介ばかりですが。Raymond Radiguet「肉体の悪魔」。フランス語へのinspirationを与えてくれる一冊。20歳夭逝。20代以降まで生きていたら、こいつはどんな人間になっていたんだろ。「ドルジェル伯の舞踏会」の方が有名。

手元にあるのは新庄嘉章氏訳の新潮社文庫(1954年)。↓は松本百合子氏新訳版。

               新訳 肉体の悪魔

生き方は色々だ。

  
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February 02, 2008

なんしか

師事を仰いだおっさんの著作の中で、一番好きな著作。Orientalism的な何かへの立ち位置と自己存在の意味について、与えられた認識の範疇内でうじゃうじゃやっている一日本人としての在り方を超えようと志す20代の感性に訴えかけるものがあった。

現代の先駈けとなった認識のフィルターを通じてしか、「対象」と接することの出来ない現実。「対象」を「対象」とせず、同時に自己否定の同義語に類するような言葉で表現される形ではなく、「対象」に接することは出来るのか。

 

               Lord Cromer: Victorian Imperialist, Edwardian Proconsul

             

 

  
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February 01, 2008

最近

ヘーゲルいいです。読み返してみると、10代の時には感じきれなかった何かが。

 
歴史哲学講義(長谷川宏訳、岩波文庫)もかなり含蓄深いです。
 
世界認識の中における、東アジア人、特に日本人って何だろう。
 
理性が形作る歴史の趨勢に、一歩を踏み出せる瞬間に立ち会える一個の理性でいたいもんです。
  
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January 27, 2008

bokra

明日も大物通訳。でも通訳やっても手当ても何もつかないんだよね。世知辛いもんです。

しかし語学ってやってもやっても終わりがないですな。まじで。やらないとすぐ忘れていくし。英語はともかく、二十歳過ぎて人工的にやった言語は継続的な努力だけが救ってくれるとよく感じます。

 

  
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January 16, 2008

異なるということ

「価値」といった時、皆は何を思い浮かべるだろうか。

「資本論」の余剰価値説ではないが、「価値」たるものに人が何かを見出すという前提がそこにはある。そして、何かを見出すという行為自体が人間を人間ならしめるものとして考えられており、その行為が一定以上の不確実性を伴うものであることが判明すると同時に、摩擦が生じる。

摩擦とは何を意味するのだろうか。異なる「価値」の対立であろうか。仮に絶対的な「価値」があるとすれば、摩擦は生じないのであろうか。

おそらく、「価値」を「価値」ならしめることについて判断を下すということ自体が、必然である主体と客体という異に対して、不可能な挑戦を投げかけているのではないだろうか。

しかし、人は生きている以上「価値」を求める。それはそれで良いのかもしれない。

とりあえず寝ます。

 

  
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December 19, 2007

what I'm having in mind these days...

昨日は所謂首脳通訳。おもろかった。今日は在京の外国人の中でも親友と呼べる奴(ルーマニア系アメリカ人)がNYに帰るので、最後の晩餐に行ってきた。なんだか久し振りに良い酒を飲んだ気分。

最近、人生は色々だ ということが分かるようになってきた。なってきてしまった。これが良いことか悪いことか分らない。

「色々だ」と知った後に自分が何をするか。それが良くも悪くも自分の存在そのものなんだと思う。

自分の非力さをあらゆる意味で痛感してから13年。それなりにやってきたが、非力さを痛感する機会は減るどころか増えている。でも、確実に自分が考える対象とする世界は拡がり続けている。

単純に面白い。

とりあえず寝ます。

  
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November 17, 2007

to tell the truth...

最近アクセス数をチェックする機能がこのBlogにも付いていたことがわかり、過去の履歴を見てみました。

なんなんでしょう。この1か月弱で滅茶苦茶増えてます。

理由はほぼ間違いなく、部署移動後の今の仕事でしょう。

そろそろ店じまいかも知れません。

ちょっと志向変えて、英語で中東とか国際情勢関係のことを記すようにするかもです。

なんにしても眠いので寝ます。

 

 

  
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September 19, 2007

ramz

新しい部署に異動して一週間。業務の関係から、今後あまりBlogで仕事で感じたことを書けなくなくなりそうです。って言ってもこれまでもそんなに書いてる訳じゃないですが。ちっと発信方法を工夫したいと思います。

ちなみに、今週金曜は天皇陛下通訳です。陛下。気を引き締めていきます。

 

  
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August 14, 2007

Also sprach Zarathustra

飲んで帰ってきて、何となく本を開いた。

「ツァラトゥストラはかく語りき」−Friedrich Wilhelm Nietzsche。高校2年の時、眼前のことに埋没し途方にくれている時に、近くの本屋でなんとなく買い、以後幾度となく読んでいる。

 

「ツァラトゥストラは、多くの国と多くの民族を見た。しかしツァラトゥストラは、かの愛情ある者の創作物よりも大きな力を持つものを、この地上に見出さなかった。創作物の名は、『善』と『悪』である」

「我が兄弟よ。わたしはあなたがたに、隣人への愛を勧めない。わたしはあなたがたに、遠人への愛を勧める」

 

おれは17の時から全く成長してない気がする。

 

 

 

 

  
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June 05, 2007

tarjama

明日は久しぶりの通訳。最近しばらくやってなかったし、アラビア語喋ることから相当離れてますが、まあ適当にやります。

最近なんか仕事にやる気が出ません。昨日は朝4時まで仕事でしたが、やる気出ないったらありゃしません。ひょこっと国連ミッションのポストとかが降ってこないだろうか。「おい、おまえいっちょ○○○行ってこい」みたいな。と言っても降ってくる訳ないので、自分で何とかするしかないのだろうか。いや、何とかするしかないんだろう。まあ何処行っても慣れてしまえば違う形の刺激が欲しくなるんだろうけども。なんにしても淡々と生きていくには、少し長い感じがしますな。

来週は出張。久々に中東抜きの米国です。肉食ってきます。

  
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May 22, 2007

a diary

GWの仕事が終わってから、なんというか今ひとつしっくり来ない日々を過ごしています。いや、別にGWがしっくり来ていた訳ではないんですが、なんとなく。

しかし、あれですな。新しいことを始めようとすると何にしてもパワーがいるもんです。色んな障害があるし、めんどくさいことを言う人も多いし。なんか組織の不文律みたいなルールがあるし。別にルールに沿って働くのは構わないんですが、「あ、こーした方が全然早いな」と思いつくと、反射的に早い方に動いてしまう自分がいます。この癖が良いのか悪いのか自分でも良くわかりません。まあぼちぼちいきます。

書き物への努力も最近怠っており、少し何とかしなければいけないと思っています。アウトプットは勿論、自然にインプットすることも非常に重要なのですが、それも忙しいのに感けて怠ってきていました。誰しも忙しいから、忙しいのは理由にならないということが最近良くわかってきたので、なんとか時間を見付けて長期的な目標に近付きたいと思います。

ちなみに、米のジャーナルに載った論文はいつの間にか大学院のHPにアップされていました。下にURL載せます。著作権とかどーなってんだろ。まあいいか。ってか実名で出てるし。まあいいか。隠すほどのもんでもないし。今更ながら、このBlogの意見と所属組織の意見は異なります。いや、ほんとに今更ながら。ちなみに下記のサイトに出てる写真はおれではありません。オスマン朝支配下に生まれた哲学者ってか思想家のおっさんです。多分けっこーいい奴だったと思います。

まじで近いうちにまた書きたいと思います。少し本腰入れてやっていかないと、ただ悪戯に時間が過ぎていきます。

まだ月曜。今週も引き続き頑張りましょう。

http://cmes.hmdc.harvard.edu/node/689

http://cmes.hmdc.harvard.edu/files/CMES%20web--HMEIR%20v.%207%20Funatsu%20article%201.pdf

 

  
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April 14, 2007

なかなか

なかなかに辛い毎日が続きます。3:30AM。帰ってきました。

しかしあれですな。世の中ってのはやっぱり自分だけでは回っていかない部分が多いですな。色んな人に色んな想いがあって、利害関係ではないところで自分の想いと交錯する時には、一歩引いて考えるくらいの度量が必要なのかもしれません。飽くなき自己成長を目指しながら、人の痛みが本当の意味で分かる人間でいたい。最近、そう強く思います。

自分のためではなくて、人のためでもない。「○○のため」はない。自分に意義を見出そうとするな。謙虚且つ強引に、冷静且つ感情的に、気楽に気合いを入れて、強く前を志す。それくらいの度量が必要な感じがします。

不思議なほどの余裕と、とめどない焦燥感。情熱と客観に対する肌感覚。自然体が自分を導くんだと思います。

いみわからんくてすいません。ねます。

 

  
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April 04, 2007

something i might want to say

最近はいつもにも増してキチガイじみて忙しいです。どうにもこうにもなりません。GWも吹っ飛ぶことに相成りました。忙しいんですが、何となく書いています。

今やっているミッションは色んな意味で「仕掛けている」仕事。単に職場環境の事情からかそのコアを任せてもらっており、仕事には一定の遣り甲斐を覚えていますが、何かに不満でなりません。

社会にある「関係」を頼りながら、他方でその「関係」が煩わしくてなりません。

何の為に自分は働いているか。

現実を創っている力。力が欲しいです。

 

ねむい。ねます。

 

  
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March 01, 2007

its been a while

かなり久しぶりの投稿です。相変わらずです。毎日毎日働いています。

最近は仕事のことを云々する感じではなく、とりあえず正しいと思ったことを言う、やる、という感じです。楽しい時もあれば、つまらない時もあります。「人に買われる」ことがあっても、「人に飼われる」ことがないようにやってます。

論文がやっと出版されました。著作権等の問題がクリアされれば、このBlogにPDFで読み込んだものをアップします。

ねむいっす。ねます。

  
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