2015年06月14日

ラプラン・タシキル僧院僧侶4人拘束

image写真右はアムドの名刹ラプラン・タシキル僧院である。この僧院はゲルク派六大僧院の内の一つであり、アムド地方の仏教学の中心である。

ちなみに7月18日から日本で公開される、チベット人の焼身抗議をテーマにしたドキュメンタリー映画『ルンタ』の中でも、この僧院内で2008年に起こった事件や老人の焼身のことが報告されている。

先週のRFAの記事の中にこの僧院に関する記事を見かけたので、以下他のチベット系メディアの記事も参照しながら、最近この僧院で起こった事件について報告する。

ラプラン・タシキル僧院は今の中国の行政区画に従えば甘粛省甘南チベット族自治州夏河県ラプラン鎮にある。もともとこの街はラプラン僧院の門前町であった。この僧院は学問だけでなく政治的にも活発な僧院として有名であり、今は中国の観光地としても有名である。

最近、この僧院の僧侶4人が当局により連行され、行方不明になったという。今回その内の1人を警察が拘束したときのやり方が私には興味深かった。電気修理人に変装して侵入したというのだ。

まず、6月5日の現地時間午後7時頃、僧院傍のマーケットを歩いていた3人の僧侶、チュンゲ・ジンパ、ケルサン、ジャミヤンが突然警官により連行された。3人とも焼身が多発している同州ボラ県の出身という。家族が警察に行方を知らせてほしいと求めたが、警察は行方を知らせることを拒否したという。チベットでは政治犯の場合、拘束された後、数ヶ月から1年以上も行方不明のままになることが普通である。

彼らとは別に、同日、もう1人の僧侶が僧坊で拘束された。その状況をRFAに伝えた現地のチベット人によれば、「警官たちは電気の修理人に変装し、僧坊の壁を乗り越え、中庭に飛び降りた。拘束目的であったケルサン・モンラムを見つけると、最初は『自分たちは電気修理に来た者だ』と言いながらも、ケルサンの携帯の電源を切らせ、彼の部屋を捜索し、彼に手錠を掛けて連行して行った」という。

拘束する前に逃げられることを怖れ、「電気屋に変装しよう」と警官の誰かが思いついたのであろうが、それなら塀を乗り越えて侵入したことの意味が分らないような気がする。

拘束の理由はまったく誰にも分っていないという。この4人も、いつの頃からか警官に目をつけられる僧侶になっていたのであろう。気に入らない僧侶を見つけると、何かの口実をつくり出し、拘束し、虐め尽くすというのが中国当局のやり方である。今現在も彼らは暴力を受け続けているものと思われる。







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2015年06月02日

<続報>先週ツォネで焼身・死亡したサンゲ・ツォは短い遺書を残していた

bdb990646月1日付けICT(International Campaign for Tibet)リリースによれば、先週5月27日に甘粛省甘南州ツォネ県で焼身抗議を行い、その場で死亡した2児の母サンゲ・ツォ(36)は焼身直前に短い遺書を走り書きしていたという。その他、目撃者の情報も伝えられている。

現地よりの情報によれば、サンゲ・ツォは焼身する前に「ダライ・ラマ法王に長寿を。パンチェン・ラマはどこにいらっしゃるのか?チベットに自由を」と書かれた紙を残したという。

また他の情報によれば、彼女は武装警官隊と軍隊の詰め所の前で夜明け前に焼身したが、そのとき、ダライ・ラマ法王の写真を掲げる仮の祭壇を作り、線香による供養を行っていたという。

また、早朝コルラ(右繞)していて、彼女が焼身するのを目撃したという老夫婦にコンタクトしたという情報も入っている。その老夫婦の話は以下である。「コルラをしているとき、少し遠くで炎が上がるのが目に入った。でも、それが人が燃えている炎とは思わず、何かが燃えているのだろうぐらいにしか思わなかった。それでも、なんだろうと近づいてみたが、同時に部隊も焼身に気付き出動して来たので、その場を立ち去るしかなかった」という。

当局はサンゲ・ツォの家族に対し、一切の法要を禁止すると命令し、親族のうち少なくとも1人を拘束したという。またサンゲの焼身に関連しチャプッシ僧院の僧侶1人が連行されたとの情報も入っている。

その他、サンゲ・ツォの生活に関する新しい情報も入っている。彼女は2003年にラサに出て、そこで夫となるタムディン・ドルジェに出会い、2人はラサで結婚し、2人の子供を得た。2人は食堂、店、宿屋を経営するまでになっていたという。しかし、地元の中国人商人たちに追い出し目的の嫌がらせを受け、やむなく北のナクチュで新たに商売を始めたという。最近ツォネに帰って来たが、2人はツォネとラプランに不動産を所有するともいう。子供2人は学校の傍に住む祖父の下に預けられていたという。

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2015年05月30日

タウ県で20日焼身のテンジン・ギャンツォ死亡確認/同県県長「焼身したい者にはガソリンを支給してやる」

628先の5月20日、四川省カンゼ州タウ県で焼身抗議を行ったテンジン・ギャンツォ(35)の生死は数日間不明のままであったが、その後亡命側に伝えられた情報により、彼が次の日までに亡くなっていたことが判明した。

RFAが亡命タウ出身者が得た情報として伝えるところによれば、「当局は木曜日(5月21日)の午後3時ごろギャンツォの家族に電話をかけ、彼が火傷の結果死亡したことを伝えた。そして、家族に遺体を処理するためにダルツェンドに来るようにと命令した」という。

しかし、現地の人たちは「どうせ家族がダルツェンドに行っても、これがギャンツォの遺灰だというものが渡されるだけだろう」と噂しているという。

焼身したい者にはガソリンを支給してやる

resizedテンジン・ギャンツォが焼身し、部隊が消化器で火を消し、彼を連れ去ろうとしたとき回りにいたチベット人たちはこれを阻止しようとして部隊と衝突した。その結果、10人が拘束された。彼らはその後激しい拷問を受けたことが写真と共に伝えられている。

22日には地元の有志が集まり、拘束された男性6人、女性4人の計10人の開放を求め、なぜ焼身が起こるかを説明するために庁舎に向かい、県長と面談したという。ロンドンベースの人権団体フリーチベットによれば、このとき県長はその返答として「焼身したいやつにはガソリンを支給してやる」と言ったという。

タウでは焼身を防ぐという名目の下、ガソリンを買うチベット人すべてに身分証明書の提示を義務づけている。

2015 05 26 Update on Tawu 224日にはタウのニャンツォ僧院で僧院長と各村の代表者が呼びかけ人となり千人規模の抗議集会が行われた。

新たにタウの県長に就任した党委員会書記はこの焼身を機会に、地域のチベット人に対する厳しい弾圧キャンペーンを開始。「分裂主義活動家」を洗い出し、ダライ・ラマ法王の80歳誕生日を祝うイベントを計画していそうな者たちを次々と拘束していると伝えられる。

「当局は同時にダライ・ラマの誕生日を祝わないという書面にサインすることを住民たちに強要するということを始めた。これを拒否した者は激しい暴力を受け、頭を剃られている」と現地から報告される。さらに「住民を威嚇する目的で武装警官や軍隊が盛んに街中を行進を行っている」という。

2142在ダラムサラのタウ出身元政治犯ロプサン・ジンバは「すでに80人以上が拘束され、今も拷問を受け続けている」、「このまま厳しい弾圧が続けば、新たな大きなデモがおこるかも知れない」とコメントする。





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2015年05月27日

<速報>アムド、ツォネで2児の母親が焼身、死亡

11150782_10153029742209825_2417693386216290766_n翌日現地より送られてきたサンゲ・ツォ生前写真。

チベットタイムズによれば、今日5月27日、現地時間早朝4時頃、甘粛省甘南チベット族自治州ツォネ(ཀན་སུའུ་ཞིང་ཆེན་ཀན་ལྷོ་ཁུལ་ཅོ་ནེ་རྫོང་། 卓尼)県にあるチャプッシ僧院近くにある中国の武装警官・軍隊合同駐屯地前で、36歳、2児の母親サンゲ・ツォ(སངས་རྒྱས་མཚོ།)が抗議の焼身を行い、その場で死亡した。

遺体は部隊によりツー市に運び去られたと伝えられる。彼女が焼身した後、彼女の里には大勢の警官が現れ、村を封鎖し、家族や付近の住民を尋問しているという。

焼身したサンゲ・ツォは、焼身する前日に、中国のソーシャルサイトであるWechat(微博)上に焼身をほのめかすような書き込みをしていたという。これに気付いた家族はすぐに彼女の行方を探したが、朝になり彼女が焼身し遺体は当局に奪われたことを知ったという。

11295776_10153029742229825_2816919613987749656_n残された2人の子供。

彼女の焼身が早朝4時頃であったこともあり、目撃情報はまだ入っていない。焼身の目的に付いても、はっきりしないが、現地のある人は「部隊駐屯地の前で焼身したことが彼女の目的を語っている」と話たという。

サンゲ・ツェはツェネ県チャップシ郷メル・シッパ村の出身。8,9年前にメル・ニンバ村のタムディン・ワンギェルの下に嫁に行き、2人の子供を育てていたという。

内地焼身141人目。内外地合わせ146人目。内、死亡確認121人目。



for Sangye Tso highest井早智代さんが描かれた「サンゲ・ツォへ捧げる絵」。













11136708_1020434ツォネ、チャプッシ僧院。

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2015年05月24日

ウーセル・ブログ「隠喩としてのチベタン・マスティフ」

ちょうど今日、朝日新聞が『ブーム去り、悲惨な運命たどる中国のチベット犬』と題されたニューヨークタイムズの記事を日本語に翻訳したものをネット上で発信しているのが目にとまった。4月19日付けのこの元記事はチベット関係者の中ですぐに話題となっていた。

このニューヨークタイムズの記事は愛犬擁護的視点から書かれているが、チベット人たちの視点はもっと複雑なものであった。

ウーセルさんは5月6日のブログでこの記事を受け、この悲しいチベタン・マスティフの運命がどれほど今のチベット人の運命と重なっているかということを説かれている。

原文:唯色;作为隐喻的藏獒
翻訳:@yuntaitaiさん

◎隠喩としてのチベタン・マスティフ

1Untitled

(写真説明)ネットから転載した2011年11月28日のニュース……牛という名の男性は北京の南四環でチベタン・マスティフ基地を経営していると言った。基地内で交配させるため、彼はわざわざ純血種のチベタン・マスティフを探してきた。交配が1回成功するごとに5万元(約98万円)以上が必要だ。ジェクンドからの客人とチベタン・マスティフ2匹をもてなすため、彼は特に美女とBMWを用意したという。


「中国の富裕層はもはやチベタン・マスティフをペットとして飼わなくなった。北京の動物愛護活動家が止めなければ、かつて破格の高値で売り出されていたチベタン・マスティフは5ドル(約600円)相当の安値で処理場に売られ、火鍋の食材やフェイクレザー、防寒手袋の裏地になるところだった」

盛んに議論されているこの4月19日付ニューヨークタイムズの記事を読んだ時、私は全く驚かなかった。故郷から連れ去られたチベット高原のシンボル的動物、チベタン・マスティフにこうした結末があり得ることは、早くから分かっていた。ただ、全ての悲劇のうち最もやりきれないこの結末はあまりにも早く訪れたと言わざるを得ない。ジェクンド(青海省玉樹)の友人は2年前、親戚がチベタン・マスティフを400万元(約7800万円)で河南人の業者に売ったと話していた。業者は先に200万元を支払い、残りの200万元は転売後に支払うという話だった。値上がりを待って転売するジェクンドのチベタン・マスティフも、今では火鍋の中の肉片へと変わり果てたのだろうか?

IMG_8598ジェクンドは純血種のチベタン・マスティフの故郷だといわれる。こうした言い方はジェクンドのチベタン・マスティフを大々的に売買している各地の投機家から出ているようだ。5年前のジェクンド地震後には、「消防救援」のオレンジ色の制服を着た救援隊までもが公然とチベタン・マスティフの子犬を盗み、現場でボランティアに写真を撮られていた。多くの人は今でもこのことを信じようとはしない。救援活動に参加したメディア関係者の文涛氏は当時、ツイッターで「チベタン・マスティフ泥棒は本当だ。自分の利益のために活動している」と書いた。あるチベット人ボランティアは「ボランティアにかこつけてチベタン・マスティフを盗んだ者もいたし、金持ちの財産を掘り返したグループもいた」と暴露した。

ジェクンドだけではなく、ラサを含むチベット全土にいわゆるチベタン・マスティフ基地があふれている。解放軍や武装警察などの軍警組織が設置したものも多く、それらはチベタン・マスティフの飼育や訓練、売買を手掛ける大手だ。規模は大きく、飼育数も多い。私は以前、ラサからクンガ空港に向かう旧道沿いの巨大基地について見聞きしたことがある。武装警察消防部に属する施設で、腐敗は並大抵ではないという。

rdn_4ecafc816b02eチベタン・マスティフ熱の盛り上がりを前に、チベット人のペマ・ツェテン監督は2011年、映画「オールド・ドッグ」でチベット人の悲鳴を描いた。父親はチベタン・マスティフへの感情を大事にし、犬の売買を禁じた伝統を守り続ける。息子はそれを売って金を手に入れようとし、業者は金持ちにペットとして転売しようとする。老いた父は最後、身を切る思いで犬を殺す。

コロンビア大学アジア研究所のツェリン・シャキャ教授は映画評の中で次のように書いた。「この映画は(文化大革命ではなく)中国経済の変化がチベット(あるいはほかの民族)の文化を侵食し、不安定を生み出していることを考察している。(中略)『オールド・ドッグ』は今日のチベットの情景に対するチベット人の見方を紹介している。(中略)この映画には国家による侵犯の大きさを物語るモチーフがあふれている。私有化された経済、土地の剥奪を象徴する金網。都会に行けば犬はより良い暮らしができるのだと言って老人を説得しようとする業者(老人は「それなら都会の人は何を恐れているんだ?」と答えた)。強欲と商業的な日和見主義によってかすめ取られていく貧者の宝」

実のところ、チベタン・マスティフが中国各地に連れて行かれてペットになったことは、いっそう隠喩のようになっている。簡単にいえば、隠喩としてのチベタン・マスティフが明らかにしているのはチベット人の運命だ。私はこれに関連して、2008年3月に起きたチベット全土の抗議がもたらした民族関係の変化について、「もともとペットと人の関係だった」という記事の中で次のように書いた。

「青蔵高原の最も有名な動物で、とても珍しく貴重なチベタン・マスティフと同じだ。中国の大金持ちや見えっ張りは争うように大枚をはたいてペットにし、毎日たくさんの肉を与えている。しかしある日、チベタン・マスティフは突然かんしゃくを起こし、もともと主人ではなかったこの飼い主にかみつき、憤慨されてたちどころに殺されてしまう。中国の新聞にはいつもそんなニュースが載っている。これはまさにチベット人と中国人の関係だ。これこそ中国社会の民族間の基本的な関係だ。チベット人がもしペットの地位に満足するなら、漢人は以前と同じ深い愛情を持ってチベットに接してくれるだろう。好きな猫や犬などのペットに喜んで餌を与えるように、漢人はチベットへの『熱愛』を続けるだろう。しかし人はペットではない。ペットに自分の意志はないが、人には自分の意志がある。チベット人がペットになるのを望まないのは、その結末が自己喪失だからであり、最終的にチベットを失ってしまうからだ。

したがってチベット人がペットの地位に満足しなかったり、ペットの運命を受け入れず、人としてチベット人として勇敢に抵抗したりするだけで、面倒な事態を引き起こしてしまうだろう。実際、もう面倒な事態になっている。例えば逮捕されたり、監禁されたり、虐待されたりし、ひどい場合には虐殺される。これは国家から懲罰を受けるということだ。民間の漢人についていえば、彼らの変わり身の速さも真相を教えてくれる。チベット人は人にはなれないというのが事の真相だ。人になろうとすれば死地に追いやられるだけだ」

IMG_8969(写真説明、中原)チベットの有名歌手シェルテンも以下に書かれてる画像をシェアしているというもの。

隠喩は今も続いている。高値を付けたチベタン・マスティフが今では耐え難い仕打ちを受けているため、教養あるチベット人、特に有名人たちはSNS上で1枚の画像を次々とシェアしている。画像には1匹の黒いチベタン・マスティフの姿と広大な緑の草原が写っており、中国語と英語で「あなたを草原に連れて帰る」と書かれている。実際には、中国各地に売られたチベタン・マスティフを草原に連れて帰るのは決して容易なことではない。長期間にわたって交雑され、シリカゲルで整形されたチベタン・マスティフは姿も性格も変わり果てている。一部を草原に連れて帰れたとしても、チベタン・マスティフの変異を引き起こし、さらに混乱をもたらすのではないか?
詩人のガデ・ツェランが数年前に書いた「チベタン・マスティフの死」の最後の一節こそ真実だと私は考えている。

「私はもともと、陶酔するようにこの物語の中から何かを見いだそうと思っていた。例えばチベット人とチベタン・マスティフの間の感動的な営みだ。最終的に私はこの慈悲の奥底にある裏切りをこれ以上探求しようとは思わなくなったし、現実的な意義を持つ社会的意図をほのめかそうとも思わなくなった。これは思いもよらない結末であり、私が何度も輪廻転生した故郷、チベット高原で起きたことだ。人々は今、確かにチベタン・マスティフを恋しがっている。だが確かなのは、彼らがそれでもこの道を走り続け、両手が空になるまでずっと何かを売っていくだろうということだ!」

2015年5月 (RFA特約評論)



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2015年05月21日

<速報>タウで新たな焼身抗議

628テンジン・ギャンツォ

昨日(5月20日)現地時間午後8時頃、四川省カンゼ州タウ県カンサル郷でテンジン・ギャンツォ(བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ།)、35歳が抗議の焼身、生死不明。

タウでは、ダライ・ラマ法王80歳の誕生日を前に警戒が厳しくなり、街の至る所に部隊が展開し、愛国教育が行われているという。これに批判的態度を示したチベット人たちが暴力を受けていた。このような中国当局の態度に抗議するためにテンジン・ギャンツォは抗議の焼身を決意したと思われている。

彼が焼身した後、部隊が駆けつけ、彼を連れ去った。その後の消息は不明のままである。

彼には妻と4人の子供がいるという。

内地焼身者139人目。



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2015年04月22日

ンガバの作家僧侶連行

imageロミック。

チベットでは2008年以降、知識人・文化人、特に作家と歌手をターゲットとした弾圧が続いている。先月3月19日にもアムド、レゴンで作家のショクジャンが拘束され、今も行方不明のままである。今回新たに拘束されたのはショクジャンとも親交のあるンガバの僧侶作家ロミック(བློ་མིག 意味は「心の目」)である。

ロミックは4月17日、現地時間午後11時半頃、突然ンガバ・キルティ僧院の僧坊から警官により連行され、その後の消息は不明という。

ロミックはペンネームであり本名はジョ・ジャミヤン。連行の理由は明かされていないが、回りのチベット人たちは「彼が逮捕されたのは、彼の作家活動が原因であろう」と推測している。彼は2008年以降、著作活動を始めている。

彼が連行される前日には同じンガバでネキャプ(45)が焼身している。関係があるかも知れない。

ロミックは現在27歳。アムド、ンガバ(四川省ンガバ・チベット族チャン族自治州ンガバ県ཨ་མདོ་རྔ་པ་རྨེའུ་རུ་མའི་རུ་ཆེན་གསུམ་པ།)、メウルマ郷第3村の出身。父の名はドルゴ、母の名はジャムカル。彼は6歳の時、ンガバ・キルティ僧院付属の「仏教青年学校」に入学し勉強を続けていたが、2008年にこの700人在籍の学校が当局により強制閉鎖された後はキルティ僧院に入ると共に、タンゴ、レゴン、ラルンガルなど他の僧院も巡りながら、仏教哲学と著作の勉強を続けていたという。現在はンガバ・キルティ僧院の般若学学級で勉強している。

彼は2010年に「黄色い靄の由来(༼ན་བུན་སེར་པོའི་འཕྱུར་སྟངས།༽)」と題されたチベットの現状に関する本を西寧で出版している。それ以来、盛んに雑誌に投降し、様々な講演会に参加しながら、チベットの政治状況、焼身抗議、環境問題、言論・表現の自由に関する論議を行っていた。つい最近、出身地のメウルマで「言論の自由がない我々」と題された講演会を自分で企画実行している。

彼はショクジャンを始め他のチベット人作家とも親交が深く、地元を中心に若者に強い影響力のある僧侶と見なされている。

参照:4月21日付けTibet Timesチベット語版
4月20日付けRFA英語版
同チベット語版
4月22日付けVOAチベット語版
4月21日付けVOT中国語版

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<速報>ンガバ、屋外に祭壇を作りその前で焼身 内地139人目

10731037_578738372229578_7221147155197004523_n焼身死亡したネキャプ。写真右側の花を持っている写真は、彼が焼身する直前に彼が友人のスマホに送ったものという。

4月16日、アムド、ンガバで1人の男性が焼身抗議を行い、死亡した。
焼身者の指名その他については未だ、情報が錯綜している。以下、複数の情報を並記する。男性の名前はネキャプ(ནེ་སྐྱབས།)と伝えるメディアと、ダムカル(དམ་དཀར།)と伝えるメディアに分かれる。年齢は40歳と伝えるメディアもあるが45歳前後が優勢。

11141729_846494798774421_4987980684053267526_n焼身場所は、ンガバ県ラデ・カップマ郷(ལྷ་སྡེ་འགབ་མ།)にある自宅の中庭である。焼身後の燃え尽きた遺体の写真が伝わっている。彼は焼身前に家の外壁の前に仮の祭壇を作っていた。その祭壇(仏壇)にはダライ・ラマ法王と10世パンチェン・ラマの写真、その傍に妻と娘たちが写る家族写真が置かれていた。その前には花、香、水をはじめとするチベットの伝統的供養物が丁寧に並べられていた。彼はその前で焼身した。焼身しながら「ダライ・ラマ法王をチベットへ!パンチェン・リンポチェの開放を!」と叫んだと言われる。

遺体は当局に運び去られたという。彼が焼身した後、彼の兄弟や甥が警察に連行されている。

彼はンガバ県アンドゥ郷ギャデ村の出身であり、かつて地元にあるアンドゥ・ヤクゴ僧院の僧侶であった。その後、チュジェマ郷ソルマ村(ཆོས་རྗེ་མ་ཤང་གི་སོ་རུ་མ་སྡེ་བ།)出身の妻の家に養子として婿入りした。妻は去年死亡し、娘は1人という情報と妻は健在であり子供は7人という情報がある。

11156378_967272039979883_5845648855270696202_n今回の焼身発生場所であるンガバが示されている。

彼の妻の兄弟であるダルギェ(http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51747241.html)は2012年5月27日にラサのジョカン前で焼身した2人の内の1人である。彼は最近、地元の僧院が主催する「世界平和と法王の長寿を願う祈り」に参加したり、そのために「非暴力と友愛を誓う」というメンバーに加わり、その模範的人物と見なされていたという。

彼の焼身を知り、ンガバの商店の多くが店を締め、多くの人が彼を弔うために各僧院に向かっているという。

チベット内地焼身者139人目。内死亡119人目。

6日前の4月8日に、カム、カンゼで尼僧イェシェ・ドルマが焼身したばかりである。
参照:

4月17日Tibet Times
ダラムサラ・キルティ僧院リリース


For Nikyab april 16 2015 highest井早智代さんがネキャップ(又はダムカル)を弔うために描かれた絵。

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2015年04月11日

焼身した尼僧の死亡が確認された? 焼身中の写真伝わる

11127880_1090729730943681_9127857687022616514_n炎に包まれ座り込んだ尼僧イェシェ・カンドに、駆けつけた警官が消化液をかけている。

尼僧イェシェ・カンドの焼身後の生死は不明であったが、4月10日付けRFA英語版等によれば、次の日の9日、警察が家族に死亡を知らせたという。しかし、家族は遺体を引き取らせてもらえず、遺灰もなく、本当に尼僧が亡くなったどうかは分らないと話しているという。

最近家にいた彼女は焼身の前日珍しく尼僧院に現れたという。そして尼僧院の仲間たちと話をするなかで、彼女は「明るく、楽しむべきだわ。でもチベットのために何かやることも大事だわ。焼身とかね」と言ったという。しかし、その時には誰も彼女が本気に焼身するとは思ってもいなかったという。

「イェシェ・カンドはとても控えめでした。勉強や修行をたくさん終えていましたが、まったく鼻にかけることもなく、親しみ易い性格でした」と仲間の尼僧は語る。

For Yeshe Kando April 8 2015 highestカナダ在住の日本人画家井早智代さんが尼僧イェシェ・カンドに捧げられた絵。

井早さんはこの絵に次のダライ・ラマ法王の言葉を添えられている。

"Give the ones you love
Wings to fly
Roots to come back
and reasons to stay"
Dalai Lama

愛するものたちに
飛ぶための翼を
帰る場所(根)を
そこに留まる理由をあげなさい


11069629_984762218202459_3101277248409807016_n
内地焼身者顔写真。

11038787_963561870350900_3153201168795025992_n

これまでチベット内で起こった主な抵抗運動と焼身発生地を示した地図。マークされているのが今回のカンゼ。


_DSC2981_1392以下、昨夕ダラムサラで行われた、尼僧イェシェ・カンドを弔うためのキャンドル・ライト・ヴィジル。









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2015年04月10日

<速報>カンゼで一人の尼僧が焼身抗議、内地138人目

11128178_4464975尼僧イェシェ・ドルマ(又はカンド)

4月10日付けTibet Timesによれば、4月8日、カム、カンゼ(དཀར་མཛེས་རྫོང་།四川省カンゼ・チベット族自治州カンゼ県カンゼ)の中心街の路上でイェシェ・ドルマ(ཡེ་ཤེས་སྒྲོལ་མ།)と呼ばれる一人の尼僧が中国の圧政に抗議するために焼身を行い、その場で死亡した。

遺体は駆けつけた部隊により運び去られた。地元のチベット人たちは遺体を家族の下に帰すべきだと、警察に要求していると言われるが、現在の状況は伝わっていない。

焼身したイェシェ・ドルマについてはチョクリンガガンゾモ尼僧院の尼僧であり、カンゼ県ダクセ郷の出身ということ意外は今のところ分っていない。

チベット人の焼身抗議は、先月ンガバで47歳の女性ノルチュクが焼身して以来、約1ヶ月ぶりである。
内地焼身138人目、内外合わせ143人目。
今年にはいり2人目である。
カンゼでの焼身は2人目。

詳細が伝わり次第追記する。

追記:オーストラリア在住の同郷チベット人カルマによれば、焼身者の名前はイェシェ・カン(ཡེ་ཤེས་མཁའ་འགྲོ)、幼名はイェヤン。年齢47歳。ンガガン尼僧院の尼僧。

4月8日の早朝、彼女はカンゼ僧院を何度か巡った後、午前9時頃県警察署の近くで焼身した。
目撃者によれば、彼女は「ダライ・ラマ法王をチベットにお招きすべきだ!チベットには自由が必要だ!ダライ・ラマ法王に長寿を!」と叫びながら焼身したという。

駆けつけた警官が消化器で火を消し、彼女を警察署に運んだ。その後の消息は不明であり、彼女の生死も不明という。しかし、目撃者たちは「彼女が生き延びる可能性は少ないだろう」と話しているという。

警察は次の9日に家族を呼び出したが、遺体?は渡されなかったという。

彼女は長年同じ尼僧院に暮らし、控えめで、模範的な尼僧であったという。また、普段から政治問題に関心が高かったという。


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2015年04月08日

アムドの青年作家再び拘束

Zショクジャン。

3月19日、アムド、レゴン(青海省黄南チベット族自治州同仁県)の警察は作家・ブロガーであるショクジャンとその義理の兄弟を拘束した。数日後、義理の兄弟は開放されたが、ショクジャンは理由も明かされず拘束され続けているという。

ショクジャンはペンネームであり、ドゥクロが本名といわれる。レゴン県ゲンギャ郷出身の彼は現代のチベット人の生活を詩情豊かな文章で綴るのみならず、一般人の視点から法や警備のあり方についてのコメントをしばしば発表している。

彼が拘束されるのはこれが2度目である。2010年、彼がまだ北西民族大学の学生であった時、仲間の作家テウランと共に、2008年蜂起の真実を雑誌に発表したとして逮捕されている。その後しばらくしてショクジャンは開放されたが、テウランは4年の刑を受けた。

ショクジャンの拘束を受け、刑期を終え開放されたテウランを始め、何人かのチベット人作家がブログ等でショクジャンの無実と今回の拘束の不当性を訴えている。

拘束される3日前、街で大規模な武警の示威行進を見た後、彼は「3.16」と題された以下の文を発表していた。これが今回の拘束の原因となった可能性もある。

武装した警官が街角で普通の人たちをチェックしている。
これは人々を守るためなのか、或は人々の平安を乱すためなのか?
これが社会の安定をつくり出す方法なのか?
人々に銃を向けさせているのは誰なのか?
これが人々の普遍的人権を守るやり方なのか?
これが法律で支配されているといわれる国の行動なのか?


彼は中国支配下にある現代のチベット人一般のフラストレーションをリアルに伝える作家として多くのチベット人から尊敬される存在である。更なるチベット人知識人弾圧のケースとして、地域の人たちは強い憂慮を示しているという。

ショクジャンの親友である作家テウランは彼のことを「常に自由に敏感な男」と表している。

参照:4月8日付けVOA英語版
4月7日付けRFAチベット語版

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2015年03月22日

15年の刑期を終え僧侶開放 仲間2人は解放後死亡

3118僧ンガワン・ギュルメ。

21日付けTibet Timesチベット語版によれば、3月20日、チベット自治区ナクチュ地区ソク県にあるツェンデン僧院の僧ンガワン・ギュルメが15年の刑を終え開放された。

僧ンガワンはソク県ドクタ郷の出身。20歳ごろツェンデン僧院の僧侶となる。本堂新築の際には現場責任者となり自ら石を運び、木を切ったという。日頃よりチベット問題に関心が高く、政治的ビラをまいたとして15年の刑を受けていた。

開放された僧ンガワンは衰弱しており、家族は「刑務所で受けた拷問により他の仲間のように長く生きないのではないか」と心配しているという。以前に、彼と一緒に逮捕された僧テンジン・チュワンは開放された後3年間寝込み、死亡している。僧イシェ・テンジンも衰弱した状態で開放され、2ヶ月後に死亡した。

僧ンガワン・ギュルメは2000年3月17日、ツェンデン僧院の他の僧侶3人(シー・ケドゥプ、イシェ・テンジン、テンジン・チュワン)、俗人2人(ダクル・イシェ、ツェリン・ラゴン)と共に逮捕された。彼らは2000年3月中に「ダライ・ラマ法王に長寿を。チベットは独立国だ。中国人はチベットから出て行け」等と書かれたビラを多量に印刷し、街中に張り出したり、配布したとされ、「国家の安全を脅かし、誤った情報を流し、民衆を扇動した」罪で罰せられていた。

NgawangGyurme逮捕前と思われる僧ンガワン・ギュルメ。

2000年終わり頃、ナクチュ中級人民法院により、僧ンガワン・ギュルメに刑期15年、僧シー・ケドゥプに無期、ツェリン・ラゴンに刑期15年、僧イシェ・テンジンに刑期10年、ダクル・イシェに刑期7年が言い渡された。

僧ンガワン・ギュルメは最初の4年間を拷問で有名なラサのダプシ刑務所で過ごした。その後チュシュル刑務所に移された。収監中に彼は胸を病んだが誤った診断により誤った薬を飲まされ、一時期生死の狭間を彷徨うことになったという。その後家族が刑務所側に懇願して、大きな病院に連れて行くことが許され、その後病状は良くなっているが、衰弱していることにはかわりないという。

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2015年03月18日

またもンガバで僧侶が1人デモ/ソク県で僧侶7人連行 携帯で写真や情報をやり取りか?

1604629_1576835509270329_803611985142950912_n僧ロプサン・ケルサン。

ンガバで僧侶が1人デモ

ダラムサラ・キルティ僧院によれば、3月17日現地時間午後3時40分頃、アムド、ンガバ(བོད་མདོ་སྨད་རྔ་པ་རྫོང་། 四川省ンガバ州ンガバ県)の大通りで、ンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・ケルサン(བློ་བཟང་སྐལ་བཟང་།、19歳が左手でダライ・ラマ法王の写真を掲げ、右手でルンタ(祈りの紙切れ)を空に撒き上げながら、「チベットに自由を!」と叫び、行進した。中国共産党のチベット弾圧に抗議したものと思われる。

焼身抗議が頻発するンガバは今チベットでもっとも警戒の厳しい街である。ただちに警官が駆けつけ、彼は取り押えられ、連行された。その後の消息は不明。

僧ロプサン・ケルサンはンガバ県チャルワ郷チュクレーカプマ村の出身。父ツェリン、母デチェンの息子。幼少時よりンガバ・キルティ僧院の僧侶。

参照:3月17日付けTibet Timesチベット語版
3月17日付けRFA英語版

ソク県で僧侶7人連行 携帯で写真や情報をやり取りか?

当局が「(2008年)ラサ暴動の日」とする3月14日、チベット自治区ナクチュ地区ソク県にあるツェンデン僧院(སོག་རྫོང་ཙན་དན་དགོན་པ།)の僧侶7人が僧院で拘束、連行された。警察は拘束の理由を明かさず、行方も不明のままである。地元の人々は「お互い(政治的に敏感な)写真や情報を交換し合っていたからであろう」と推測している。

拘束された僧侶は、ナムギェル・ツルティム、ロトゥ・テンジン、ツルティム・ゴチェ、ツルティム・ナムギェル、タプケ・ルンドゥプ、ジグメ・ツルティム、ジグメ・ダクパである。

ツェンデン僧院には50台ほどの監視カメラが設置され、僧院内に警官も多く、僧侶たちは24時間監視されているという。夜トイレに行く僧侶が警官から嫌がらせを受けたりしているともいう。また、18歳以下は僧院から追い出されたという。

NamgyalTsultrim1僧ナムギェル・ツルティム。

今回拘束された僧侶の中、ナムギェル・ツルティムはこれまでに2度拘束され、8ヶ月に渡り、虐待を受けたという。

3月以来チベット全域でネットが規制されているが、特に自治区ナクチュ地区のダチェン、ディル、ソクの3県ではソーシャルネットの監視が厳しく実施されているという。また、この時期、地区の元政治犯は全員警察に呼ばれ、尋問を受けるという。

参照:3月17日付けTibet Timesチベット語版
3月17日付けRFA英語版

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2015年03月08日

ンガバで若い僧侶が1人デモ

Ghedun Puntsok 02ダラムサラ・キルティ僧院リリースによれば、今日3月8日現地時間午後1時半頃、四川省ンガバ州ンガバ県ンガバの路上でンガバ・キルティ僧院僧侶ゲンドゥン・プンツォク(18)が1人で中国政府に抗議するデモを行った。

僧ゲンドゥン・プンツォクは、頭上に黄色いカタを掛けたダライ・ラマ法王の写真を掲げ、「ダライ・ラマ法王のチベット帰還を!チベットには自由と平等が必要だ!」と叫びながら道を進んだ。数分後警官隊が駆けつけ連行されたという。
その後の消息はない。

僧ゲンドゥン・プンツォクはンガバ県チャ郷チュクレカプマ村の出身。父タシギャ、母リクゴの息子。幼少時、ンガバ・キルティ僧院に入り、僧侶となる。

Ghedun Puntsok 01僧ゲンドゥン・プンツォク

ンガバは3月10日に向け厳戒態勢下にある。そのような中で6日には焼身が、8日には1人デモが行われた。監視が厳しくもはや集団のデモを計画することは困難となり、それぞれ個人が誰にも告げず1人で決心し実行するしかない状況と思われる。

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<速報>ンガバで新たな焼身・死亡 47歳女性

ad1f6701-02f5-4c4e-ba84-a7bd7f71bc7d焼身死亡したノルチュク。

3月7日付けRFA英語版によれば、3月6日現地時間午前3時半頃、四川省ンガバ州ンガバ県で40歳の遊牧民ノルチュクが、中国のチベット政策に抗議する目的で焼身し、その場で死亡したという。

焼身時の状況やノルチュクの家族構成など詳しいことは未だ伝わっていない。彼女については最近デプ僧院の指導に従い他大勢のチベット人とともに肉を断っていたということだけが知られている。

ンガバ地区は2009年から始まった焼身抗議のメッカとも言える場所である。当局は蜂起記念日である3月10日を前に、2月18日のチベット正月(ロサ)ごろからンガバに更なる部隊を送り込み、緊張が高まっていた。

ノルチュクの焼身により内地の焼身者の数は137人となった。

さらに詳しい情報が入れば、追記する。

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追記:8日インド時間午後5時半。

この焼身に関するダラムサラ・キルティ僧院リリースが出された。それによれば、焼身があったことは確かというが、焼身の日時については「3月5日の夜」とされている。名前はノルチュク(ནོར་ཕྱུག)で同じだが、年齢は40歳ではなく47歳という。結婚しており子供3人の母親である。

出身地は焼身場所でもあったンガバ県トツィク郷ドワ村(བོད་མདོ་སྨད་རྔ་པ་རྫོང་སྤྲོ་ཚིགས་ཡུལ་ཚོའི་རྡོ་བ་སྡེ་བ།)。夫の名はペツェル、息子の名がプンツォク、娘の名がマンカとツェジン・キ。

ノルチュクは数年前からダライ・ラマ法王の長寿を祈るためにと肉を断っていたという。

焼身が夜中であったこともあり、遺体は当局に奪われることはなかったが、次の日の早朝、発覚を怖れ早々に近親者が集まり荼毘に付されたという。その後、部隊が現場に到着し、厳重な警戒が敷かれ、情報も途絶え、これ以上の詳しいことはまだ伝わっていないという。

参照:3月8日付けTibet Timesチベット語版

追記2:彼女が焼身した日はチベット暦の正月15日であった。この日はシャカムニブッダの「舎衛城の神変」と呼ばれる故事に因んだ「神変祈願」の日である。奇跡を願う日ともいえよう。彼女はこの日を意識し、選んだのかもしれない。

ンガバ県での焼身はこれで37人。その内、彼女は5人目の女性である。


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