2014年04月24日

焼身者の母親に金をちらつかせ嘘の証言を強要

image今月15日に、カム、タウでティンレー・ナムギェル(32)が焼身抗議を行い、死亡した後、当局は彼の母親や兄を何度も呼び出し、焼身の動機に関する「当局の用意した書面」にサインを強要した。「サインしたら金をやろう」と持ちかけたとも言われる。

4月23日付けRFAによれば、4月15日にティンレー・ナムギェルがタウのカンサル郷で焼身した後、遺体はまずチベット人たちによりゴンタル僧院に運び込まれ、その後家族が遺体を引き取った。すぐに部隊が家族の下に現れ、尋問した後、家を包囲した。そして、家族にはできるだけ早く葬儀を行うよう命令した。葬儀は17日に地元で行われたという。


その日のうちに焼身の写真を流したとして連行されたリクチュンは最初ティンレー・ナムギェルの弟と言われていたが、その後従兄弟と判明した。彼は2日後に一旦解放されたが、その後再び拘束されたという。

タウの警察はティンレー・ナムギェルの母親(父親はすでに他界)であるペルラをこれまでに2度タウの警察署に呼び出し尋問を行ったという。

「写真を撮られるときに、母親はそれを拒否した」とある現地の人が伝える。また、警官の「なぜ息子は焼身したのか?」との問いに対し、母親は「チベットのために焼身したのだ」と答えたという。

これに対し、警察側は「他の言い方にしたほうがいい」と提案し、「もしも、警察側が用意するティンレー・ナムギェルの焼身の動機に関する書面にサインするなら金渡す用意もあるが」と脅しながら言ったという。

同様にティンレーの実兄であるジャミヤン・ツェペルもタウの警察に何度も呼び出され、焼身の理由を聞かれた。これに対し兄も「チベットの自由のために焼身したのだ」といい、「自分たちの家に経済的困難はなにもない。焼身したティンレー・ナムギェルは家の末っ子で家族から寵愛を受けて育った。彼は普段からチベット人の運命に対し関心が強く、常に政府の弾圧が厳しく、チベット人に自由がなく、すべて管理されていると言っていた」とはっきり答えたという。

焼身事件後、カンサル郷には大勢の部隊が現れ、厳戒態勢が引かれている。電話やネットが遮断され、ゴンタル僧院は包囲され、僧院の高僧であるトゥルク・ジグメ・テンジンは当局から警告と脅迫を受けたという。また、ティンレーの家族の家の周りに住むチベット人たちにも警察が何度も尋問に訪れ、暴力も振るわれているという。

従兄弟のリクチュンと共に焼身を目撃し遺体を僧院まで届けたという他の2人の僧侶は、当局の呼び出しを受け山に逃亡したという。彼らの家族も厳しい尋問を受けたと伝えられる。

参照:4月23日付けRFA中国語版
同英語版

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2014年04月22日

亡命側に布施を行ったとしてチャムドの高僧他7人の僧侶連行

imageチベット自治区に組み入れられているが、自治区の東端のチャムド地区と北のナンチェン地区は元々チベット的にはカム地方であり、同じ自治区内でもウツァンの人とは気質も違う。自治区内ではこの2地区が当局のチベット人弾圧の標的となっている。弾圧が厳しければ当然人々の反発心も強くなる。

もっとも、地元のチベット人たちが過激な抗議を行っているわけではない、その多くはダライ・ラマ法王の写真を個人的に僧坊や携帯の中に保持していたとか、法王の法話のCDを持っていたとか、当局が政治的ということがらについて携帯でメッセージを送り合ったとかで拘束されるのである。こんな些細なことでも中国では大変な拷問と刑を覚悟しなければならないことなのだ。

今回再びチャムドの高僧が拘束されたが、その罪とは先の3月16日にダラムサラで行われた「ダライ・ラマ法王長寿祈願法要」のために布施を送ったというものである。

今年3月末、チベット自治区チャムド地区パシュ県ツァワ郷にあるパシュ僧院(ཆབ་མདོ་ས་ཁུལ་ཚ་བ་དཔའ་ཤོད་དགོན་བསམ་གྲུབ་བདེ་ཆེན་གླིང་།)に突然警官が押し掛け、僧院のラマであるスパ・ロプサン・テンペル(通称ラマ・テンジンབླ་མ་བཟོད་པ་བློ་བཟང་བསྟན་འཕེལ་ལམ་ཡོངས་གྲགས་སུ་བླ་མ་བསྟན་འཛིན།)と他7人の僧侶を連行した。

この僧院ではこれに先立つ3月16日、亡命側で行われた法王の長寿を祈る法要に合わせ、地区の人々も大勢集まり「ダライ・ラマ法王長寿祈願法要」を行った。このときラマ・テンジンも布施を行い、同席していたという。

その他、僧院と縁のあるクンデリン・タクツァ・リンポチェ(ཀུན་བདེ་གླིང་སྟག་ཚག་རིན་པོ་ཆེ།)がインドでゲシェ・ラランパの試験を受けた時、他の僧侶たちと一緒に同じく布施を送ったとされる。

ラマ・テンジンが拘束される前に、警官はラマの僧坊を捜査し、パソコンや領収書を押収していたという情報もある。

彼らの内1人はすでに解放されたというが、彼の容態やラマ・テンジンを含めその他7人の行方は不明のままという。

d7473339-adf7-4e2d-8f7c-76f591837a55このパシュ県では3月4日にも、高僧ロプサン・チュジョルが拘束されている。拘束の原因は携帯を通じ政治的に敏感な情報を送ったことであると言われている。

チャムドでは3月1日に僧侶が拷問死している。チャムド地区にあるウォンパ僧院僧侶タシ・ペルジョルは僧坊から、亡命政府首相であるロプサン・センゲのスピーチが入ったCDとダライ・ラマ法王の著書が見つかったとして2月28日に連行された。

その翌日、明らかに拷問の結果と思われる危篤状態に陥った状態で家族に引き渡された。家族が病院に急送する途中、僧タシ・ペルジョルは死亡した。

当局は毎日、チベット人たちに対し、計り知れない暴力を振るっている。

参照:4月21日付けRFA英語版
同チベット語版


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2014年04月19日

ケンポ・カルツェとも親交深いチャムドの高僧が拘束される

6f0ae8a3-4c05-422b-ae4c-5fcab4489c75ケンポ・ケドゥプ。

中国当局はチベット自治区チャムド地区でチベット人僧俗から篤い信頼を得ているケンポ・ケドゥプ(40)を拘束した。ケンポとは尊称であり、学位を得た高僧または僧院長を意味する。

今月13日、ケンポ・ケドゥプがラサの仏教学院で開かれる会議に出席するため、チャムド県メンダ・ツォシュ郷にあるポヤク僧院を出発しようとしていたとき、突然警官により拘束された。ただ、彼が拘束されたのはラサであるという情報もある。現在、彼はチャムドの拘置所に収監されているという。

彼が拘束された後、ポヤク僧院にある彼の僧坊が捜査され、パソコン等が持ち去られた。警官は僧院の僧侶や地区のチベット人たちに対し「ケンポは刑務所内で祈祷を行うために出かけたのだ」と、明らかな嘘をついたという。

2012年ロサ(チベット暦新年)に、この地区で「チベットのために犠牲になった人々を弔うための法要」が行われた後、彼は当局の監視対象となっていたという。2013年には1ヶ月間拘束され、尋問を受けたことがある。

ケンポ・ケドゥプは人々からチャムド・ケドゥプと呼び慣らわされ、篤い信頼を受けていた。また、4ヶ月前に拘束され、今も同じチャムドの拘置所に収監されているナンチェンの高僧ケンポ・カルツェとも親交が深く、ジェクンド大地震の直後、共に救援活動を積極的に行った仲間であった。今回の拘束もケンポ・カルツェと何らかのつながりがあるかもしれないと推測する人もいる。

何れにせよ、彼の拘束はそれぞれの地域で影響力のある高僧を虐めるという当局の方針の一環と思われる。

この情報を伝えた在インドのクンサン・テンジンの下に現地から届けられたという手紙にはこの他、以下の報告が記されていた。

2012年に入り、チャムド地区チャムド県メンダ・ツォシュ郷で政治的ビラが撒かれるという事件があった。その後、その年の3月12日には郷に警官と役人大勢が現れ、集会を開き「ダライ・ラマ法王を非難し、共産党を讃える書面」にそれぞれがサインすることを強要した。

同じ日に、その年のロサに地区で「チベットのために犠牲となった人々を弔う法要を行った」としてメンダ僧院の教師ジャミヤン・イシェと僧ドゥプギュを拘束した。その際僧院が捜査され、僧ケルサン・ツェリンのお経の角に「チベットに自由を」と書かれていたとして彼も拘束された。

さらに、僧院には30人の僧侶しか所属してはいけないとして、40人の僧侶を強制的に還俗させた。これにより僧院の教学部は閉鎖に追い込まれた。その他、この地区が当局から様々な脅迫や嫌がらせを受け続けていると書かれていた。

参照:4月16日付けRFA英語版
4月17日付け同チベット語版
4月17日付けTibet Timesチベット語版
4月17日付けphayul
4月19日付けウーセル・ブログ


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2014年04月18日

ゴロ州ペマ県:年少僧侶用の学校が閉鎖され、「連帯協会」が解散させられ、農地が取り上げられる

wwwwww_021閉鎖された学校。

青海省ゴロ州ペマ県ディンダ郷(མཚོ་སྔོན་ཞིང་ཆེན་མགོ་ལོག་ཁུལ་པདྨ་རྫོང་ངྷི་མདའ།)にある僧院付属の学校が当局により強制的に閉鎖された。「慈愛利他学校༼བྱམས་བརྩེའི་ཕན་བདེ་སློབ་གྲྭ༽」と名付けられたこの学校はディンダ僧院が運営する私設の学校であり、生徒はすべて年少の僧侶で70人ほどが学んでいた。今月10日頃、当局はこの学校の閉鎖を強要し、生徒は地元の普通学校に送られることになった。

これに対し、僧院や生徒の親たちは「生徒はすべて僧侶の戒を受けたものばかりであり、彼らが男女共学の普通学校に通うことになれば、戒律を守ることに支障をきたす恐れがある」と危惧しているという。

さらに、これまで学費はディンダ僧院が負担し、無料であったが、これから普通の学校に通うことになれば、親たちが学費を負担しなければならなくなり、貧しい家庭にとって負担が大きいともいう。

他、ディンダ郷には「連帯協会」というチベットの文化・言語・アイデンティティーを守るための協会があったが、当局はこれを強制的に解散させたという。

さらに、環境保全の名の下に、当局は地域の農地を森林に替えるという政策を発表し、強制的に農地を取り上げているという。農地を取り上げられたチベット人たちに補償金が支払われたかどうかは不明である。

参照:4月15日付けRFA英語版
4月18日付けTibet Timesチベット語版

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<続報>タウで焼身したティンレー・ナムギェルの弟が拘束される

_DSC1294_017<写真>ティンレー・ナムギェルを弔うダラムサラ・ヴィジルより。

ダラムサラ在住、タウ出身の元政治犯ロプサン・ジンバが@ルンタに伝えたところによれば、4月15日、タウ県カンサル郷で焼身したティンレー・ナムギェルは焼身当日の朝、タウの街に出て、タウでかつて僧ツェワン・ノルブと尼僧パルデン・チュツォが焼身した場所付近を散策し、そこで焼身しようとしていたらしいという。しかし、その付近は警戒が厳しく焼身は無理だと判断し、カンサル郷に帰りそこで焼身したという。

彼は焼身の数日前から友人たちに「チベットのために焼身することは意味のあることだろうか?」と問い質していたという。

彼の焼身に最初に気づいたのは、付近で小さな店を営んでいた彼の弟とそこにいた僧侶だ。弟は最初誰かが焼身し、炎があがるのを目撃したとき、それが自分の兄だとは気づいていなかった。駆けつけて初めてそれが兄のティンレー・ナムギェルであることに気づいた。しかし、もうそのときには大きな炎に包まれ助かる望みはなかったという。

その後、遺体は近くのゴンタル僧院に運び込まれ、法要が営まれた後、家族の下に引き取られた。警察は家に来たが、遺体が奪われることはなかった。今日、明日中にもタウのニンツォ僧院の火葬場で荼毘に付されるであろうとのことだ。

当局はティンレー・ナムギェルの衝撃的な焼身の写真を海外に送ったのは彼の弟であるリクチュンであると決めつけ、15日中に彼を拘束した。

追記(4月21日)彼の葬儀は20日にタウのニンツォ僧院で行われる手はずになっていたが、当局が17日の真夜中にカンサル郷で強制的に行わせた。

家族の下に警官と役人が現れ、「なぜティンレー・ナムギェルは焼身したのか?」と問い質した時、家族は「自分たちに自由を与えないから、彼が焼身したのだ」と答えたという。

10154033_10152436466960337_6296467035127587099_n井早智代さんがティンレー・ナムギェルに捧げられた絵。














_DSC1240_009ヴィジルの際、ティンレー・ナムギェルの焼身の情報を伝えるロプサン・ジンバ。

彼は最近のタウの状況について、スパイが小さな村にも送られ、すべてのチベット人の思想傾向、日々の動向がチェックされているという。

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2014年04月17日

焼身者リスト最新版:2014年4月17日更新 2009年以降 内外合わせ135人 内死亡113人

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内地焼身者129人の顔写真、VOT Gurbum Gyalo製作(間近の焼身者、僧ティンレー・ナムギェルは含まれていない)。

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内地焼身抗議・主な抗議活動発生地地図(2014年4月15日付け、Tsampa Revolution 制作)。


内外合わせ135人(2014年4月17日現在)の焼身者氏名、その他焼身状況概略

それぞれの焼身者の写真等、より詳しい情報は付記されたURL(ここへ)にアクセスすることにより、当ブログの各過去ブログで確認できる。番号は外地を合わせた発生順。

2009年2月27日のタペーから2012年9月末までの焼身者についてはここ

2012年10月以降、2013年12月16日まではここへ。

その他、2013年7月20日に焼身した僧クンチョク・ソナムまでの詳しい情報と、チベット人焼身全体に関する解説はネット本「太陽をとりもどすために チベットの焼身抗議」を参照して頂きたい。

以下、2013年12月17日以降、2014年4月17日現在まで。

129)ツルティム・ギャンツォ:43歳、アムチョク僧院僧侶、死亡。
2013年12月19日、アムド、(甘粛省甘南チベット族自治州)サンチュ県アムチョク鎮の路上で焼身、その場で死亡した。
彼は遺書を残している。詳しくはここここへ。

130)パクモ・サムドップ:27歳/29歳、在家行者、2児の父、死亡。
2014年2月5日、アムド、ツォロ(青海省黄南チベット族自治州)レゴン地区ツェコク県ドカルモ郷にある第二ペンチェン学校前で焼身、その場で死亡。詳しくはここここへ。

131)ロプサン・ドルジェ:25歳、元キルティ僧院僧侶、死亡。
2014年2月13日、ンガバ州ンガバ県ンガバ、キルティ僧院近くにある「勇者の道」で焼身。3日後病院で死亡。詳しくはここここここへ。

132)ジグメ・テンジン:ソナ僧院僧侶、死亡。
2014年3月16日、アムド、ツェコ県チャダル郷にあるソナ僧院(夏徳寺)の僧侶1人が、16日早朝、僧院本堂前で焼身した。駆けつけた僧侶たちが火を消し僧院内に運び込んだが、間もなくして死亡と。詳しくはここへ。

133)ロプサン・バルデン:20歳、ンガバ・キルティ僧院僧侶、生死不明。
2014年3月16日、アムド、ンガバ、キルティ僧院近くの「勇者の道」で焼身。部隊に連れ去られその後の消息は不明。
彼は遺書を残している。詳しくはここここへ。

134)ドルマ:31歳、尼僧、生死不明。
2014年3月29日、カム、バタン(四川省カンゼチベット族自治州巴塘)、バ・チュデ僧院の右繞道で焼身。部隊に連れ去られ、その後の消息は不明。詳しくはここここへ。

135)ティンレー・ナムギェル:32歳、死亡。
2014年4月15日、カム、タウ県(四川省カンゼチベット族自治州道孚県)カンサル郷で焼身、その場で死亡。詳しくはここへ。

2014年4月17日現在、このリストでは2009年以降、内外合わせた焼身者は135人ということになる。しかし、ICT(International Campaign for Tibet)は、2013年3月末または4月初めにジェクンドで土地強制収容に抗議しチベット人女性が1人焼身したという情報を確実とし、焼身者の1人に加えている。これを受けRFAも彼女を焼身者の内に入れている。なお、亡命政府やウーセルさんはこの女性を加えていない。

この女性を加えるならば、現時点での内地焼身者の数は131人、外地焼身者は5人、合わせて136人となる。

この内、死亡が確認されているのは内地111人、外地3人、合わせて114人である。

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2014年04月16日

ウーセル・ブログ「ジェクンド地震で救援活動を指導した高僧カルマ・ツェワン師が逮捕されて既に4ヶ月余り」

2日前の4月14日はジェクンド(ユシュ、ケグド、玉樹)大地震4周年記念日であった。犠牲者の数は当局発表で3千人弱、現地のチベット人は1万人以上という。北京在住の作家ウーセルさんは4月14日付けのブログで、現在チャムドで拘束されているナンチェンの高僧ケンポ・カルツェが、この大地震発生後すぐに現場に駆けつけ、いかに同胞を助けるために奔走したかについて多くの写真とともに語られている。

彼が拘束されすでに4ヶ月が経ち、劣悪な拘置所の中で健康を損ねていると伝えらるる彼を解放せよという声が世界中で高まっている。最近カナダの議会でも議員の一人が彼の解放のためにカナダ政府が中国に圧力をかけるべきだと発言している。

大地震後すぐに現地に駆けつけ多くのチベット人を救ったのはチベットの僧侶たちであった。しかし、遅れてやってきた中国の救助隊は、彼らを追い出し、すべての手柄は中国政府が行ったものだという演出を行った。

中国当局は巨額の募金を集めながら、それを被災者のために使わず、街を全く新たな中国の都市に生まれ変わらせるために使っている。そのために多くのチベット人の土地が強制的に取り上げられた。これに抗議するため、これまでに2人のチベット人女性が焼身している。

原文:领导玉树地震救援的高僧尕玛才旺被捕已经四个多月
翻訳:M女史

ジェクンド地震で救援活動を指導した高僧カルマ・ツェワン師が逮捕されて既に4ヶ月余り

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今日、4月14日は、玉樹(チベット語でジェグ)地震4周年の記念日である。

4年前、無数の家屋が壊滅し、無数の生命が喪われた。すぐさま、チベット全土の各地から4万人を超す僧侶が救援に駆けつけた。まさに、あるチベット人ボランティアが現場からの返信でこう語ったように。「……ジェグの救援活動の中で、見る者にとめどない涙を流させたあの深紅の色を永遠に銘記する」

018中でも、ジェクンド州ナンチェン県、チャパ僧院のケンポ・カルマ・ツェワンは、僧院の全ての僧侶と共に真っ先にジェクンドに駆けつけて懸命の救援活動を行い、4万人余りの救援の僧侶たちに慈悲と利他、団結の精神を示した。彼らは昼間は生存者の救出と捜索に当たり、夜は犠牲者を供養し生存者を慰め、ケンポ・カルマ・ツェワンのいる僧院が集めた地震犠牲者のリストだけでも5千人分余りに上った。あるチベット人ボランティアは、ケンポ・カルツェの精神は仏陀の時代の僧侶を思わせた、と言う。1年後、ケンポ・カルマ・ツェワンの計画で取材・制作されたジェクンド地震の記録映画《災難の中の希望》は、チベット人の団結は壊滅的な地震から立ち直るための動力であると称賛し、そのCD-ROMは当局に没収された。

ケンポ・カルマ・ツェワンは1975年生まれ、青海省ジェクンド州ナンチェンの人で、出家してチャパ僧院に入って長く、セルタのラルン・ガル僧院で学んでいたこともあり、東チベット・カム地区でとびぬけて誉れ高い若い世代の高僧で、ナンチェン、ジェクンド、チャムドなどの地のチベット人の間では広く「我々の真のリンポチェ」とみなされていた。彼は僧院の座主であり仏教学の高僧であっただけでなく、当地でずっと、チベット文化の保護や生態環境の保護、衛生・健康知識についての講演、チベット語学習の教授と普及などの事業に従事していた。

彼はまた、2010年のドゥクチュの大土石流、2013年のヤク・ンガの地震の時にも救援に参加していた。

しかし、今、ケンポ・カルマ・ツェワンが獄中の身となって既に4ヶ月になる。昨年12月7日深夜1時、成都にいた彼は、チベット自治区チャムド地区の公安に省境を越えて逮捕され、チャムド公安処の駐成都事務所に拘禁され、12月14日にはチャムドに連行されてチャムド地区国保大隊のオフィスに拘禁され、12月25日から今に至るまで、チャムド地区の留置場で拘禁されている。チャムド警察は初め彼に“国家の安全に危害を加えた”罪を言い渡したが、今年2月には彼の弁護士である唐天昊に対し、罪名は“隠匿罪”に変わったと告げ、また、これは治安にかかわる重大案件であるとして、健康状態の極めて悪いケンポ・カルマ・ツェワンの重病治療のための一時出所を許していない。

ここに、ケンポ・カルマ・ツェワンと大勢の深紅の僧侶たちがジェクンド地震の被災者救援に当たっている写真を貼る(ほとんどすべての写真にケンポ・カルマ・ツェワンが写っている)。

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2014年04月15日

<速報>カム、タウで新たな焼身・死亡 内地131人目

111114ティンレー・ナムギェル。

今日、現地時間正午頃、カム、タウ県(དཀར་མཛེས་ཁུལ་རྟའུ་རྫོང་ཁང་སར་ཤང་།四川省カンゼチベット族自治州道孚県)カンサル郷付近でティンレー・ナムギェル(འཕྲིན་ལས་རྣམ་རྒྱལ།)、32歳が中国の圧政に抗議する焼身を行い、その場で死亡した。

遺体はチベット人たちによりまずゴンタル僧院に運び込まれ、その後家族に引き取られた。その後の状況は未だ不明。

ティンレー・ナムギェルはタウ県カンサル郷ゲンネ村の出身。父ドゥロ、母ペルラの息子。

BlQOSrGCUAAgC6n内地焼身者131人目。タウでの焼身は4人目。

先月29日にはカム、バタンで尼僧ドルマ(31)が焼身している。彼女の生死は依然不明のまま。

参照:4月15日付けTibet Timesチベット語版

追記:焼身場所は地区役場付近との情報もある。

追記:これまでタウで焼身した他の3人とは、
2011年8月15日に僧ツェワン・ノルブ(29)
2011年11月3日に尼僧パルデン・チュツォ(35)
2013年6月11日に尼僧ワンチェン・ドルマ(31)
3人とも死亡している。


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2014年04月14日

カム、ザチュカ全域で僧院弾圧

bd237258-3190-412f-9b3f-27735744c42eザチュカ、ウォンポ僧院。

RFAに現地から伝えられたところによれば、最近カム、ザチュカ(四川省カンゼチベット族自治州セルシュ県)一帯の僧院に大勢の役人、警察、軍が押し掛け、ネット・電話を切断し僧院を捜査、数人の僧侶が拘束されたという。

ザチュカ一帯には45の僧院があると言われるが、その内セルシュ僧院、ウォンポ僧院、チョオ僧院、アリ・ザ僧院、ワキル僧院、シルサ僧院その他小さな僧院にまで役人、警察、軍が出動し各僧坊を徹底的に捜査しているという。なぜこの時期にこのようなことが行われるのかは不明とされる。

これらの僧院の内一番のターゲットにされているのはウォンポ僧院という。ワキル僧院などから数名の僧侶が連行されたが、彼らの氏名は不明である。拘束の理由は携帯の中に中国が政治的と判断する情報や写真が入っていたからという。

ウォンポ僧院では2008年4月、僧侶たちが中国国旗を僧院内に掲げることに抵抗したとして、当局は僧院だけでなく、回りの民家にも押し入り破壊の限りを尽くした。その時、部隊がある家に踏み込み、掲げてあったダライ・ラマ法王の写真を地に叩き付け、これを踏みつけた。これを見たその家のトリ・ラモというチベット人女性は「なぜ師の写真を飾ってはいけないのか」と怒鳴り、さらに法王が一日も早くチベットに帰還されますようにとのスローガンを叫び、その後首を吊って自殺するという事件が起こっている。

2012年9月にはウォンポ郷にある学校の校庭に掲げられていた中国国旗が下ろされ、そのかわりにチベットの国旗が掲げられ、付近に「チベット独立」と書かれたビラが撒かれるという事件も起こっている。その後大勢の僧侶が拘束され、数人が刑を受けている。その後もこの地区では断続的にデモなどの抵抗運動が発生している。

しかし、最近は目立った動きはなく、なぜこの時期にこのような僧院弾圧が行われるのかについては現地の人々も分からないという。

最近チベットでは当局による携帯チェックが盛んに行われ、携帯内に敏感な情報や写真が入っていたとして拘束されるケースが相次いでいる。

参考:ザチュカ地区に関する過去ブログ
ザチュカで校庭に雪山獅子旗/ゴロで鉱山開発抗議
ザチュカ(セルシュ、石渠)で抗議活動/亡命政府外務大臣記者会見と新ビデオ
ザチュカで僧侶3人のデモ バタンでも僧侶3人がデモ ラサで携帯一斉チェック 女性蜂起記念日
ザチュカ、ウォンポ僧院からさらに7人の僧侶が連行される
ザチュカ、ウォンポ僧院僧侶3人に4年までの刑



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2014年04月10日

ビデオ:デゲで勇敢な若者が1人抗議デモ



このビデオは4月8日、現地時間午後3時頃、カム、デゲ(デルゲ དཀར་མཛེས་ཁུལ་སྡེ་དགེ་རྫོང་། 四川省カンゼチベット族自治州徳格)県イルン・マニケンゴ郷(ཡིད་ལྷུང་མ་ཎི་སྐད་མགོ)で、チベット人若者が勇敢にも1人で中国政府に異を唱える街頭デモを行ったというものである。

彼は沢山の政治的チラシ(或はルンタ)を投げ上げながら、「ダライ・ラマ法王に長寿を!チベットには自由が必要だ!」と叫んでいる。ビデオの最後の方では、付近のチベット人たちがこれに同意を示すために雄叫びを上げている。

この場所は郷の中心街であり、政府の役所がある場所という。この後、警官が彼を逮捕したと伝えられる。彼の氏名その他の詳細は未だ伝わっていない。彼は「ケグド(ジェクンド、玉樹)から来た若者だ」という情報もあるが確認されていない。

このマニケンゴ郷では2006年に、屠殺場建設に反対するチベット人のデモが発生し、そのとき数人が逮捕され、刑を受けたことがあるとRFAは補足する。

参照:4月9日付けRFAチベット語版
同英語版

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2014年04月09日

マニ車も政治的意図ありと撤去要求

72fdcc11-9ab8-477d-a729-8a5bd7c54b07マニ車を撤去せよと命令された病院。

8日付けRFAによれば、ゴロ州の病院にある薬師如来の真言が詰められたマニ車(マニコロ)に対し、当局が政治的意図があるとして撤去要求したという。さらに当局は同地区にある聖山を鉱山開発会社に売り渡すと決定した。

青海省ゴロ(ゴロク)州マトゥ県ゾラ郷にある、この地区で一番大きな心臓専門の病院(中央心臓健康病院)には24基のマニ車があるという。このマニ車は病院の医師たちの発案により地元の住民が資金を出し合って2010年に設置したものであり、中には病気治癒を祈願するための薬師如来の真言が詰まっている。この病院では治療のためにチベット伝統医学と現代医学が併用されている。

最近この病院を訪問した中国の役人がこのマニ車を見て、撤去を要求した。「彼らはこのマニ車の設置には政治的意図があるといい、早急に撤去しない場合には設置したものを処罰すると警告した」と現地の人は報告する。

「この要求に不満を示し、抗議したが、結局取り外すしかないであろう」「中国当局はついに宗教的付属物に対してまでも、それを政治的で違法なものとし、設置した者を犯罪者と呼び始めた」と現地の人たちはいう。

聖山を鉱山開発業者に売り払うと

同じくマトゥ県当局はゾラ郷にあるチベット人が崇める聖山を、外部の鉱山開発業者に売り渡すと広言しているという。

マトゥ県のカルコル村の背後、タシ・ダルギェ・サンドゥプ僧院の正面に聳えるリショルと呼ばれる山は地元の人々から聖山と見なされている。この山には「古代の武器と甲冑が宝ものとして埋められている」と地元の人々は信じているという。

県の役人たちは地元の反対を無視し、この山を鉱山業者に売り渡すことを決定した。「地元の人たちはこの聖山を守るために立ち上がるかも知れない」と現地の人は伝える。

3a376dd9-0591-4f85-8b25-8928a06100dd4月2日、サンチュ県におけるデモ。

4月2日には甘粛省サンチュ県ホルツァン郷の住民約100人が鉱山開発や高速道路建設のために自分たちの土地が取り上げられることに抗議するデモを行っている。

「幾つかの家族に対しては僅かな補償金が払われたが、大多数の家族にはまったく補償金が支払われていない」という。参加者たちは補償金要求、権利平等を訴える横断幕を掲げて行進した。これに対し当局は部隊を送ったが、その後デモに参加したチベット人たちがどうなったかの情報は入っていない。

「20年ほど前から、サンチュのホルツァン、ツァユ、カギャ地区等で当局は鉱山開発を行っている。このためにチベット人の土地が取り上げられているが、十分な補償金を貰った家族はいない」という。

2012年11月20日には、この地区の鉱山開発に抗議し、金鉱山の入り口でツェリン・ドゥンドゥップ(34)が焼身、死亡している。

参照:4月2日付けRFA英語版

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2014年04月07日

獄中12年目 テンジン・デレック・リンポチェ解放キャンペーン

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爆弾事件の冤罪により、2002年に死刑、その後無期に減刑され収監中のテンジン・デレック・リンポチェ。獄中12年を経て、現在彼の健康状態は非常に憂慮すべきレベルにあると伝えられる。彼が拘束され12年目となる今日、SFTを中心に彼の解放を求めるキャンペーンが、ダラムサラをはじめ世界8カ所の主要都市で行われた。

今年64歳となる、テンジン・デレック・リンポチェはカム、リタンを中心に7つの僧院を建て、その他病院、養老院、孤児院等を建て運営して来た。一般人を対象とした法話も何度も開き、地元で絶大な人気を博すリンポチェであった。

2002年、成都で爆弾事件が起った後、当局は彼の甥であるロプサン・ドゥンドゥップをまず拘束し、次に彼に爆弾事件を指示したとしてリンポチェを拘束。そして、2002年12月5日、当局は秘密裁判により2年執行猶予付き死刑を言い渡した。ロプサン・ドゥンドゥップはその後死刑執行され、リンポチェは国際的圧力により無期懲役に減刑された。リンポチェは収監された後も一貫して無実を訴え続けている。

10154351_10152386969093729_978194504_n<写真(SFTより)>今日、ダラムサラで行われたテンジン・デレック・リンポチェ解放キャンペーン。写真左手より獄中27年のアマ・アデ、33年のパルデン・ギャツォ、その他グチュスンのメンバー。

リタンの住民は彼の無実を信じており、当局がリンポチェを獄に送った理由は、チベット人に信頼され、チベット人を勇気づける存在を消し去るためであると思っている。当局は彼だけでなく、これまでに多くの指導的立場にある僧侶を逮捕し、影響力のある作家や歌手を獄に送っている。

長期にわたる収監により、彼の健康は損なわれ、現在、心臓病が悪化し、足を病み杖なしには歩けない状態という。彼の弟子たちは、リンポチェが刑務所でまともな治療を受けることができないことを心配している。

リンポチェは最近、世界で彼の解放を求めるキャンペーンを行うべきかどうかを聞かれ、「私の解放を求める運動により、私を取り巻く状況が悪化するのではないかと心配する人がいると聞く、しかし現在すでに私の状況は最悪である。これ以上悪くなるとは思えない。だから、解放運動を行ってもらっても差しつかえない」と答えたと伝えられる。

20040209175341-132050リンポチェと彼が運営する学校の生徒たち(ウーセルブログより)。

参照:4月7日付けTCHRDリリース
月7日付けウーセルブログ
4月7日付けSFTフェースブック





20140407125255-193543ウーセルさんとリンポチェ(ウーセルブログより)。

テンジン・デレック・リンポチェに関する過去ブログ:
テンジン・デレック・リンポチェを救うために

北京に行きテンジン・デレック・リンポチェ解放を直訴したチベット人4人が拘束

獄中のテンジン・デレック・リンポチェに姉妹が面会



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2014年04月05日

ソク県:拘束された僧侶の解放を求めた僧侶たちをめった打ち さらに3人拘束

imageディル県の北隣りにあるソク県でもこのところチベット人の拘束が相次いでいる。多くは携帯・スマホをチェックされ、法王の写真や敏感な内容のメッセージを送り合ったことが見つかり拘束されている。チベット人たちにとって携帯・スマホは非常に危険な品となっている。

3月28日、チベット問題に関係するメッセージを送り合ったとしてチベット自治区ナクチュ地区ソク県ティド郷のリンチェン・ワンドゥとプルツェが拘束された。また同じ日に、鉄橋のたもとにある巨石に「チベット独立」と書かれていたことに関連し、ティルダ僧院僧侶アデも拘束された。3人の行方はその後不明となっている。

3月17日には同じくティルダ僧院の4人の僧侶、ツァンヤン・ギャンツォ、ツェワン、アツェ、ギェルツェンが拘束された。19日に、この4人を解放してほしいと6人の僧侶が警察署に出向いたが、警察側は話しを聞くどころか、この6人も拘束した。20日には、これを知った地区のチベット人が大勢政府庁舎前に集まり、彼らの解放を要求した。この中には年寄りや女性も多く、女性たちは泣いて懇願したという。

これを見て、当局は6人を解放したという。しかし、彼らは全員拷問を受けたらしく、歩くこともできない状態で、それぞれが抱えられて家までやっと辿り着くという有り様だったという。最初に拘束された4人の僧侶は依然拘束されたままである。

ティド郷では幹線上に何カ所も検問所が設けられ、すべてのチベット人を厳しくチェックしている。ティド郷からティルダ僧院に向かう11キロの間に3カ所も検問所を通らねばならないという。

15年の刑を受けていた僧侶解放 仲間の内2人は拷問死

2000年、他の4人の僧侶と俗人1人と共に逮捕され、15年の刑を受けラサのダプチ刑務所やチュシュル刑務所で刑期を過ごしていたソク県の僧ツェリン・ラゴンが14年目に解放され、先週故郷に帰ることができたという。彼が刑期を終えずに解放された理由は明らかにされていない。

僧ツェリン・ラゴンはシ・ケドゥプ、イシェ・テンジン、ガワン・ギュルメ、テンジン・チュワン、タクル・イシェと共に「2000年3月、木版で刷った政治的パンフレットを配布した。それはダライ・ラマ法王のチベット帰還とチベット独立を求めるものだった」と現地と連絡を取ったインドに亡命するガワン・タルパが報告する。

「全員に長期刑が言い渡されたが、その内テンジン・チュワンとイシェ・テンジンは健康を理由に早期に解放された。しかし、解放された時、2人は酷く衰弱しており、しばらくして2人とも死亡した」とタルパはいう。明らかに収監中の拷問が原因で衰弱し、出された後死亡したと思われている。

中国の警官をはじめとする当局の残虐な暴力性はチベットでも遺憾なく発揮されている。

参照:4月2日付けTibet Timesチベット語版
月4日付けTibet Timesチベット語版
4月4日付けRFA英語版
4月4日付けphayul

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2014年04月04日

1年半後、焼身者が自ら腸を引き出すという衝撃映像が伝わる

048cba812012年9月29日、カム、ザトゥの街中でユンドゥン(27)と呼ばれる若者が焼身抗議を行った。左の写真はその時伝わったものである。

彼の焼身を伝えたその時の当ブログには、<彼は「チベットに独立を!」と大声で叫んだ後、火を放ち、「ダライ・ラマ法王とギャワ・カルマパ尊師をチベットに招くべきだ!チベットには自由が必要だ!ダライ・ラマ法王に長寿を!ロプサン・センゲ博士はチベット人の指導者だ!鉱山開発を中止せよ!」等と叫びながら街の商店の前に来た。店の人たちは彼に水を掛けるなどして火を消そうとしたが、火の勢いは強く、腸が飛び出していたという。その腸を彼は自分の手で引きちぎろうとした、とも伝えられる>と書かれている。当局により連れ去られ、翌日彼は死亡したとICT等はいう。

彼の焼身後1年半ほど経った今年3月終わりに、ユンドゥンが焼身したときの映像というものが突然FB上に流れた。その映像はあまりにショッキングなものだった。

全身に白い粉を浴びた若者が胸を露にし、「チベットには自由が必要だ!ダライ・ラマ法王に長寿を!」と叫ぶ。その後、彼は血がにじむ腹部から腸を引き出し、それを引きちぎろうとする。しばらくして彼は苦痛に耐えきれず路上に倒れ込む。回りにはチベット人が集まり、これを見ているが、死を覚悟する彼に対し、誰も手を出そうとする者はいない。

<閲覧注意>のその映像はここにアクセスすれば見ることができる。

このとき彼が白い粉状のものを全身に浴びていたのは、おそらく彼が焼身中、誰かが消火器を使って火を消したからであろう。この映像に警察や部隊の姿が見えないところから、消火器を使ったのは部隊ではない可能性が高いと思われる。この映像の後、部隊が駆けつけ彼を運び去ったと思われる。

中国政府のチベット政策は、このような凄惨な行為をチベット人若者に行わせるほど、チベット人を追いつめている。

10154199_10152408080335337_702345529_nユンドゥンの焼身のニュースが伝わった時、井早智代さんはすぐに彼に捧げる絵を描かれていた。

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ディル:秘密裁判により地区の指導者5人、その他1人に10〜18年の刑

imageチベット自治区ナクチュ地区ディル県では昨年9月より、中国政府による愛国再教育が強化され、各地で中国政府への完全服従を示すために中国国旗の掲揚を強要した。これに対し、9月27日、ディル県モワ村とムンティム村の住民を中心に、当局から渡された中国国旗を家に掲げる代わりに川に流すという事件が起り、数十人が連行された。次の日には政府庁舎の前に、村々から集まった千人以上のチベット人が座り込み、政府の政策に抗議し、拘束されたモワ村とムンティム村の住民の解放を要求した。

それ以来、ディル県の各地で抵抗運動が広がり、小中学校の生徒も学校に中国国旗を掲揚することに反対した。各地で村人たちがデモを行ったが、これに対し当局は無差別発砲を含む厳しい対応を行った。現地の人によれば、これまでに数人が死亡し、数百人が拘束され、拷問を受けたという。この内、最近2人が拷問死している。また、「これまでに判明しているだけで13人に刑が与えられたが、誰一人まともな裁判を受けた者はいない」とディルの住民はいう。

昨年中にディルで拘束され行方不明になっていた6人に、長期刑が言い渡されていたことが最近判明した。6人の内5人は、地域のチベット人に影響力のあるものたちばかりである。当局は何れの場合も家族に対しても正式な罪状を明らかにしていないというが、明らかに地域のチベット人全体の団結力を落とさせるために指導的立場のチベット人たちを長期刑に処し、消し去ろうという意図と思われる。

ダライ・ラマ法王の写真と法話CDが見つかり18年の刑

ドンナ僧院は昨年暮れに同じくディル県にある他の2つの僧院と共に弾圧を受け、僧院は閉鎖され僧侶数名が拘束された。その内の1人である僧院の責任者タルドゥ・ギェルツェン(ཐར་འདོད་རྒྱལ་མཚན།54)が今年1月中に18年の刑を言い渡されていたことが最近判明した。

376僧タルドゥ・ギェルツェン(若い頃の写真と思われる)。

僧タルドゥ・ギェルツェンは部隊が僧院に入り、各僧房をチェックした時、彼の僧房からダライ・ラマ法王の写真と法話が入ったCDが見つかったことにより拘束されていた。

家族は彼が刑を受けたことを最近知らされた。「罪状等はないも書いてない、刑期18年と書かれた手紙」だけが当局から届いたという。

「彼は地域の人々が指導者と仰ぐ僧侶であり、学校も作り、チベットの文化と言語を守ろうとしていたからだ」と現地のチベット人は話す。

1960年生まれの僧タルドゥ・ギェルツェンは幼少のころラサのガンデン僧院に入り、そこで長年勉学に励んだ。その後、故郷のドンナ僧院に入り1992年、僧院の読経師となり、1998年から僧院の責任者となっていた。

1969年、ディルの男たちが中国支配に異を唱え、文化と宗教を守るために武器を持って立ち上がったとき、彼の父ジュンネも銃を持ちこれに参加、撃ち合いの中で死亡した。彼の叔父であるタシ・シタルもこのとき逮捕され死刑を言い渡された。しかし、彼は逃げ、その後13年間逃亡生活を続けた。80年代の緩和政策により彼の死刑が取り下げられ自由になったという。

ドンナ僧院は11世紀に創建された由緒ある僧院である。同じく僧タルドゥ・ギェルツェンの叔父であるケンラップ・チュダクは中国が来る前、ドンナ僧院の僧院長であった。僧院は文革時に完全に破壊され、僧院長であったケンラップも逮捕され15年獄に繋がれた。解放された後、彼が僧院を再建したという。

参照:3月31日付けTibet Timesチベット語版
4月1日付けTibet Net英語版


作家に13年、元警察官に10年の刑

昨年10月11日と12日、ディルの作家ツルティム・ギェルツェン(ཚུལ་ཁྲིམས་རྒྱལ་མཚན།27、筆名ショクディル)と彼の友人である元警察官ユルギェル(གཡུལ་རྒྱལ།)が拘束され、その後行方不明となっていた。

f85a92d7ツルティム・ギェルツェン(筆名ショクディル)。

「今年3月になり家族は初めて、彼ら2人がラサのチュシュル刑務所に収監されているということを聞かされた」「ショクディルの兄とユルギェルの妻がラサに向かい、彼らと面会することができたが、それはたった10分間だけだった。そのとき、はじめて刑務所側から彼らの刑期について聞かされた」と現地から報告される。ツルティム・ギェルツェンに13年、ユルギェルに10年の刑と言われたという。

e408bbf8ユルギェル。

「家族は彼らの刑期や罪状に関する手紙が当局から送られてくるだろうと思っていたが、今も何も送られて来てない」と同郷のチベット人が伝える。

2人は昨年9月28日に、ディル県の政府庁舎前に政府の政策である愛国教育に抗議するため千人以上のチベット人が集まったとき、これをなだめ、説得するためにその場に出て来た政府高官に対し、前に出て政府を糾弾するスピーチを行ったと言われる。これが逮捕の直接の原因と思われている。

参照:4月1日付けRFA英語版
4月2日付けTibet Timesチベット語版

郷長2人に10年、その他1人に13年

4月3日付けTCHRD(チベット人権民主センター)リリースによれば、去年11月24日に突然失踪し行方不明となっていたディル県ムティム郷の責任者2人に今年1月14日、それぞれ10年の刑が言い渡されていたことが判明した。

家族は最近彼らが刑を受けたという情報を、ある公安関係者から聞かされたという。しかし、どの刑務所に収監されているのか、健康状態はどうなのかについては今もまったく分かっていない。

Rigsalリクセル。

その公安関係者によれば、1980年からムティム郷の郷長であったンガダク(ངང་གྲགས།54)に10年、同じく2007年から郷長であったリクセル(རིག་གསལ།31)に10年の刑という。罪状は明らかでないが、地区の人々は、彼らが罰せられた理由は、ムティム郷の安定を維持できなかったからであろうという。

去年9月27日、ムティク郷のチベット人たちは中国政府の国旗掲揚の命令に従わず、次の日に政府庁舎前で行われた大デモに大勢が参加した。また、ドンナ僧院閉鎖に抗議するデモが起ったときにもムティク郷のチベット人が参加した。

ンガダクに対しては、デモを煽動するために、秘密裏に自宅に17人を集め話し合いを行ったという嫌疑もかけられていたという。

Trigyalティギェル。

その他同じくムティク郷出身であるティギェル(ཁྲི་རྒྱལ།)と呼ばれるチベット人に13年の刑が言い渡されたと言われるが、彼の居所や健康状態、その他の詳細は不明のままである。

その他参照:4月3日付けRFAチベット語版
4月4日付けTibet Timesチベット語版

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