2014年12月16日

<速報>アムチョクで新たな焼身

772写真:焼身・死亡したサンゲ・カル

今日(12月16日)現地時間午前9時頃、アムド、ラプラン・アムチョク(བླ་བྲང་ཨ་མཆོག་ཞིང། 甘粛省甘南チベット族自治州夏河県阿木去乎鎮)の警察署前でサンゲ・カル(སངས་རྒྱས་མཁར།)が、明らかに中国政府のチベット人弾圧に抗議するため焼身、その場で死亡した。遺体は駆けつけた警官隊により持ち去られたという。

サンゲ・カルはアムチョク鎮ルタン郷の出身。父ワンロ、母ユドンの息子。34歳。2人の幼い娘がいるという。
その他の詳細は未だ不明。

チベット人の焼身抗議は、9月21日、ツー(合作)で22歳の学生ラモ・タシが行って以来ほぼ3ヶ月ぶりである。中国政府によるチベット人弾圧は終わるどころか激しくなっており、焼身抗議も終わっていないのだ。

内地焼身者134人目、内外合わせたチベット人焼身者の数はこれで139人となった。

今日はゲルク派の祖師ジェ・ツォンカパの命日、ガンデン・ンガムチュ(灯明祭)である。サンゲ・カルがこの日を選んで焼身したとすれば、チベットのため、まさに自らを灯明として捧げたと言えよう。

参照:12月16日付けTibet Timesチベット語版



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郷長選挙をめぐり学生1人 拷問死

_7写真:ダルラ(達日)県における選挙集会。

今月10日、青海省ゴロ州ダルラ県タクト郷第3村(མགོ་ལོག་ཁུལ་དར་ལག་རྫོང་སྟག་ཐོག་ཡུལ་ཚོའི་རུ་ཆེན་གསུམ་པ།)の学生カルメ(22 ཀར་མེ།)が、激しい拷問を受け死亡した。カルメを含む13人は郷長選挙の際、中国当局が推薦する村長に投票しなかったとして拘束されていた。

ゴロ出身の在インド在住ダムチュ・ペルサンがTibet Timesに伝えた情報によれば、12月7日、ゴロ州ダルラ県の役人がタクト郷で郷長を選出するための集会を開いた。その際、住民はタシと呼ばれるチベット人に投票した。しかし、役人たちは選挙の結果を無視し、当局が推薦する中国人を必ず選出すべきだと命令した。その場で口論となり、集まった人々は再度投票を行うことを拒否、帰宅した。

その後、当局は大勢の警官を動員し、再び集会を行い当局の選ぶ中国人に投票させようとした。チベット人たちは「自分たちには自分たちの郷長を選ぶ権利がある。役人たちが推薦する中国人には決して投票しない」と主張し、警察の脅しをはねつけた。警察は選挙人として選ばれていたタシ、ロケル、ガンカ、ガンド、カルメ等13人を拘束し、ダルラ県の拘置所に送り尋問を始めた。12月10日、その内のカルメは激しい拷問の末、重体となり、県病院に運び込まれたが翌日11日病院内で死亡した。

この事件を知った郷内のチベット人たちは、県庁舎前に集まり、「学生カルメ殺害に関し正当な裁判を開くこと、自分たちに名実ともなる選挙権を与えること」を要求し、「自分たちは今も平和的に問題を解決する用意があるが、もしも、当局が誠実な対応を示さない場合、今後どのような結果になろうとも、すべてその責任は当局にある」ということを強調しているという。

参照:12月15日付けTibet Timesチベット語版
12月15日付けphayul

先のブログでも村長選挙をめぐり、当局が地元のチベット人たちが再選を希望する村長を殺害したという事件を報告したばかりだ。このところチベットで名ばかりの地方選挙が行われ、当局が自分たちに都合のいい指導者を選ばさせるということを強要しているようである。中国当局はかねてより表向きの選挙のために、拷問や殺人を平気で行っているのである。


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2014年12月14日

ラサ近郊の尼僧院が当局により破壊され 100人以上の尼僧が追放

c53cfc3f-7076-4ac3-8358-4970146e536812月10日付けRFAチベット語版によれば、ラサ北方ペンボ・フンドゥップ県にあるシャル・ブンパ尼僧院ཤར་བུམ་པ་བཙུན་མ་དགོན་པ།)の尼僧107人が突然追放され、宿舎がブルドーザーにより破壊された。

事件は今年8月3日に起こっていたが、尼僧たちが窮状を訴える手紙が外部に伝わったことによりようやく判明した。この尼僧院には118人の尼僧が所属していたが、その内、病人と高齢者11人をのぞく107人が追放されたという。

8月12日付けのその手紙には、「私たちが自分たちで建てた宿坊に暮らしていた時、突然チャンカ郷の役人が来て、即刻尼僧院を出ろと命令されました。私たちは地に頭を付け『どうか、そのようなことはしないで下さい』と何度も懇願しました。しかし、役人は『上の命令だ』といい、全く取り合ってくれませんでした。8月3日、ブルドーザーがやって来て、宿坊がすべて壊されたのです」と書かれている。

されに、手紙には「その際、数人の尼僧があまりのことに卒倒し、数人の尼僧がその後行方不明となっています。私たちにはもう帰る場所がなくなりました。国際人権団体の人たちにお願いします、どうかこの事件を調査し、私たちを守って下さることを」と切実な訴えが記されている。

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2014年12月13日

チベットの文化、言語、宗教を支え続けた村長が中国当局により暗殺される

5Untitled写真:当局に暗殺されたとされる村長を囲む村の若者たち。

危険を冒し、現地より書面と口頭で亡命側に伝えられた情報によれば、11月21日、チベット自治区ディル県ギャシュ・ヤンシュ郷ブシュン村(འབྲི་རུ་རྫོང་ཁོངས་རྒྱ་ཤོད་གཡང་ཤོད་ཤང་འོག་གི་དབུ་གཞུང་གྲོང་སྡེ།)の村長バチェン・ゲルワが当局により暗殺され、無実の村民約50人が拘束されたという。

村長バチェン・ゲルワ(50歳前後、別名ンガワン・モンラム འབའ་ཆེན་རྒྱལ་བའམ་ངག་དབང་སྨོན་ལམ།)はギャシュ・ペカル僧院の元僧侶であり、長年ブシュン村の村長を務め、チベットへの思い熱く、勇気ある指導者として村民の篤い尊敬を集めていた。

村長バチェン・ゲルワはチベットの宗教と文化発展に務め、若者たちに教育を施し、同胞間の争いを諌めていた。村に集会場を造り、ラマやゲシェを招き仏教の教えを聞く場所とし、そこはドルマやマニを唱える場所となり、伝統的歌舞や祝賀の会場となっていた。文盲を無くすためにと老若男女が学べる学校を建て、お金がなくても診てもらえる病院も建てた。

しかし、このような彼の活躍を当局はかねてより敵視していた。当局は最近、彼を辞めさせ、中国人の新しい村長を無理やり就任させようとしていた。地元のチベット人たちは「当局は邪魔な彼を消し去ったのだ」と断言する。彼が殺されたあと、すぐに村人50人が拘束され、ディル県に送られた。当局は事件を外に漏らすことを禁止し、村に通じる道路も封鎖したという。

さらに、村長の出身僧院であるギャシュ・ペカル僧院の僧侶40人とギャシュ・ヤガ・チャダ尼僧院の尼僧約100人を追放した。さらに、同じ自治区内の他尼僧院で修行するギャシュ・ヤンシュ郷出身の尼僧に対し、還俗し地元に帰るよう強要していると報告される。

参照:12月11日付けTibet Timesチベット語版
12月11日付けVOT中国語版


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2014年12月07日

15年の刑を受けていた社会活動家 拷問死

photo512月5日午後、15年の刑を受けラサのチュシュル刑務所に収監されていたチベット人政治犯テンジン・チュダック(33 བསྟན་འཛིན་ཆོས་གྲགས།)が病院内で死亡した。彼はその2日前、長期にわたる拷問と刑務所内の虐待の末、生きる望みなしと当局により判断され、家族の下に返されていた。収監され6年目であった。

彼の死はチベットの拘置所や刑務所で広く行われている中国当局による拷問と非人間的虐待の結果であるとして人権団体が強い非難を表明している。2008年以降、拷問死したチベット人政治犯の数は100人を越える。

テンジン・チュダック(略称テンチュ)は2008年3月のラサ蜂起が起こったとき、国際赤十字に関係するヨーロッパのNGOの職員として環境問題を中心にした社会活動を行っていた。2008年4月、ラサ警察は彼をラサ蜂起の主要扇動者の1人として拘束した。情報提供者によれば、彼は拘束された後激しい拷問を受けた。その時の尋問の中心は、彼の父親であり1993年にインドに亡命したケドゥプに関するものであったという。ケドゥプは長年ラサを中心に政治的活動を行っていたと言われ、テンジン・チュダックは父親と連絡を取りながらラサ蜂起を扇動したとされ、15年の禁固刑と1万元の罰金を課せられていた。

11月初め頃よりテンジン・チュダックの容態は悪化し、当局は彼を病院に入院させた。病院を3回変えたが、どの病院の医者も生きる望みはないと判断した。彼は見る影もなく痩せ細り、皮膚は黒ずんでいたという。病院に入院中も彼は手かせ足かせをはめられたままであり、数名の監視要員が張り付いていた。

死亡する2日前、彼が死ぬことは確実と判断した当局は家族を呼び、彼を引き渡した。これは、彼が当局の手の内で死亡したときの責任を回避するいつもの手段である。家族は何とか彼を助けようと、すぐにラサのチベット伝統医学院に運び込んだが、すでに手遅れであり2日後黒い血を吐いて死亡した。

テンジン・チュダックは1981年、ラサの北にあるギャブムガンで父ケドゥプ、母パッサンの子として生まれた。1990年、9歳の時、ヒマラヤを越えインドに亡命し、ダラムサラにあるTCV(チベット子供村)で高校1年まで学び、2005年に再びラサに戻った。その後すぐにヨーロッパのNGOに雇われ拘束されるまで社会活動を続けていた。

参照:12月6日付けTCHRDリリース英語版
12月6日付けTibet Timesチベット語版
12月6日付けVOT中国語版


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2014年11月23日

両足切断された姿で焼身者家に帰る

ced68ba3スンドゥ・キャプ。

チベットの遊牧民スンドゥ・キャプは焼身したとき17歳であった。17歳と若かったが既に結婚し、2歳になる子供もいた。今から2年ほど前の2012年12月2日、アムド、サンチュ(甘粛省甘南チベット族自治州夏河県)ボラ郷にあるボラ僧院近くの路上で、彼は中国政府のチベット弾圧に抗議する目的で焼身した。焼身中に何を叫んだかは伝わっていないが、目撃者の1人は「彼は焼身しながらも頭を壁にぶつけ、沢山血を流していた。連れ去られるときには死んではいなかったが、生きる望みは少ないであろう」と語っていた。

部隊に連れ去られた後、行方不明になっていたが、家族が数ヶ月後、彼が収容されているという病院に呼び出された。「両足を切断しなければならない。承諾書にサインしろ」と言われたという。その時家族は彼の病室に入ることを許されず、ドアのガラス越しにしか彼を見ることができなかった。両親はそのとき、「片足ならまだしも両足ということになれば、親戚にも相談しないといけない」とサインをしなかったという。

e160053aスンドゥ・キャプの子供を抱くスンドゥ・キャプの父親。

その後、再びスンドゥ・キャプの消息は家族も知ることができなくなった。今年に入り、家族は彼がサンチュ県の拘置所にいることを突き止めた。家族は彼のための食料や衣類を持って、その拘置所に出向いたが、面会は許可されず、さらに「スンドゥ・キャプがここにいることは誰にも漏らすな」と脅され、追い返されたという。

11月23日付けTibet Timesチベット語版によれば、このサンドゥ・キャプが1ヶ月ほど前、自宅に返されたという。しかし、彼は両足を切断された姿だったという。現在家族は厳重な監視下に置かれていると言われ、その他、彼の健康状態等に関する情報は伝わっていない。

焼身後、生き残った人も20人近くいるはずだが、ほぼ全員、当局に連れ去られた後の消息は今に至るまで分かっていない。彼のように病院や拘置所から自宅に返されたという報告が入るのは初めてのことである。他にも何人かがすでに自宅に返されている可能性はあるだろう。

18a78aec写真中の矢印はボラ郷ダルド村にあるスンドゥ・キャプの実家を示すものと思われる

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2014年11月16日

生き残ったある焼身抗議者の証言

image(写真左)2013年2月25日、アムド、ケンロ、ルチュにあるシツァン僧院前でツェスン・キャプ27歳が焼身抗議をした時のもの。

11月8日付けRFAチベット語版で、ある焼身者が直接電話越しに話ている声が流された。彼は焼身の理由を語った。氏名、場所、時間は伏せられている。焼身後生き残り、比較的緩い中国の監視下に置かれている人と思われる。

アムド訛りと思われるその声は特定できないように擬声化され、解説者にもアムド訛りがあり、放送を聞いただけでは私にはすべてを正しく把握することができなかった。そのRFAの記事はほぼ放送のみのものだった。私はチベット語で起した記事がどこからかでるだろうと思い、それを待っていた。しかし、他のチベット系メディアは私の知る限り、彼の話をまだ文章に起していないようだ。チベット語の前に14日、ロンドンベースのFree Tibetという団体が彼の証言の英訳を発表した。以下、その英訳を参照し、再び元の放送分を聞き直して訳したものである。

これまでにも、生き残った焼身者の話は伝わっている。しかし、それらはすべて中国当局が制作した「プロパガンダ焼身映像」の中であり、火傷を負い、病院に収容されている焼身者が、「後悔している」と語るというものだ。生き残った焼身者が本心を語ったその声が公にされたのは、これが初めてと思われる。貴重な証言と言えよう。実は、私も元焼身者と直接会い話を聞いているが、まだ発表できるとは思えない。

私は21世紀の普通の人間です。今、世界のほとんどの人々や国々は繋がり合い、それぞれの国で自由と人権を享受し、人々も国も発展の恵みを享受しています。

しかし、1人のチベット人である私には国も自由もありません。たくさんの不幸を経験しました。ラサに巡礼に行った時、ポタラ宮殿とジョカン寺が中国の軍隊に囲まれているのを見ました。巡礼も許可証なしにはできません。許可証を得るには時間がかかります。軍服の上に僧衣を纏い偽装している軍人が大勢いることに気づきました。

自分の目で見、味わった経験を元に、私はこのような環境の中に生きるぐらいなら死んだ方がましだと思うようになりました。私は来生、来々生と、常にダライ・ラマ法王と共にあらんことを祈りました。

他の国に比べ、私たちには宗教の自由と言論の自由がなく、私たちの精神的指導者は祖国に帰ることができないのです。弾圧は続きます。私はこのような弾圧下の苦しみに耐えることがもうできないのです。私は焼身抗議を行おうと思いました。私は十分燃えることができず、焼身は失敗に終わってしまいました。今、私はどこへも行けず、すべての生活を人に頼るしかない状態です。

私の今の望みは(ダライ・ラマ法王が選んだ)パンチェン・ラマ11世が解放され、ダライ・ラマ法王とパンチェン・ラマが会合できる日が早く来ること、すべての政治犯が解放されることです。




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2014年11月09日

キルティ僧院僧侶2人の刑確定

Lobsang tenpa 02(写真左)頭上にダライ・ラマ法王の写真を掲げ1人抗議デモを行う僧ロプサン・テンパ。

昨夜久しぶりに、ダラムサラ・キルティ僧院の内地連絡係ロプサン・イシェとカニャック・ツェリンからチベット語のメールが届き、最初「う、焼身か?!」と思った。これまで彼らからのメールのほとんどは焼身の第一報であったからだ。

が、読み進むとそうではなく、今年4月に別々にンガバで1人デモを行ったキルティ僧院の僧侶2人の刑が確定したという話であった。ンガバでは焼身はこのところ途絶えていると言えそうだが、激しい拷問と懲役刑を覚悟した1人デモは続いているようだ。

そのメールによれば、今月7日、四川省ンガバ州バルカム県の中級人民法院が、ンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・ギャンツォ(20)とロプサン・テンパ(19)に国家反逆罪でそれぞれ3年と2年の懲役刑を言い渡した。

Lobsang_gyatso_0ロプサン・ギャンツォは今年4月2日、ンガバ県ンガバの中心街の路上において、手に自分で描いたチベット国旗を持ち、「チベットに自由を!ダライ・ラマ法王がチベットにお帰りになりますように!」と叫んだ。その場で逮捕されることを逃れ、彼は僧院に身を隠していた。4月15日、彼は僧院で逮捕され、その後拘留中長期間拷問を受け続けたと言われる。裁判には家族が呼び出されたが、弁護人を付けることは許されなかったという。

ロプサン・ギャンツォはンガバ県メウルマ郷第3村の出身。父ベツェ、母シチュンの息子。幼少時にンガバ・キルティ僧院の僧侶となり、現在第9学年。

Lobsang tenpa 01もう1人のロプサン・テンパは今年4月26日、同じくンガバの路上で額に雪山獅子旗(チベット国旗)を描いた布を巻き、頭上にダライ・ラマ法王の写真を掲げ、こちらも1人でデモを行った。彼はその場で逮捕された。彼もロプサン・ギャンツォと同様の要求を叫んだ。裁判までのその後のいきさつもロプサン・ギャンツォと同様である。

ロプサン・テンパはンガバ県メウルマ郷第2村の出身。父の名はダクチュン、母の名はドルマ・チュコ。兄が2人いて、何れも僧侶。上の兄は南インドのデブン僧院で勉学中、もう1人の兄はンガバ・キルティ僧院僧侶。彼も幼少時にンガバ・キルティ僧院の僧侶となり、現在第9学年。

今年ンガバではこれまでに2人焼身している。2月13日には元ンガバ・キルティ僧院僧侶のロプサン・ドルジェ、25歳が、3月16日にはンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・パルデン、20歳が、何れもキルティ僧院近くの「勇者の道」の上で焼身、死亡している。

参照:11月8日付けTibet Timesチベット語版
11月8日付けRFAチベット語版


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2014年11月06日

焼身者を車に乗せるのを手伝い殺人罪

2f6d7da9-a34d-42cd-b0ed-13b384154f0e写真左:グチュスンの記者会見、左から会長のパサン・ツェリン、副会長のラギェリ・ナムギェル・ドルカル(彼女はソンツェンガンポ王の末裔)、副書記のメウ・コンガム。

去年の12月3日。現地時間午後5時頃、ンガバ州ンガバ県メウルマ郷中心街の路上でマチュ県出身の遊牧民クンチョク・ツェテン、30歳、2児の父が焼身抗議をおこなった。目撃者の話しによれば、彼は炎に包まれながら、「『ダライ・ラマ法王に長寿を!ダライ・ラマ法王をチベットに!内外のチベット人が再び結ばれますように!』と叫びながら行き来し、倒れた。倒れ、なお炎に包まれながら、両手を合わせ、なにかしゃべっているようだったが、内容は分からなかった」という。

2115写真左:3年の刑を受けたドルマ・ツォ。

彼が倒れたころには大勢のチベット人が周りに集まっていた。彼らは車を手配し、すでに息の途絶えた彼を車に乗せようとした。しかしその時、警官隊が駆けつけ、黒こげになった彼をチベット人の手から奪い取り運び去った。その際、警官隊とチベット人の間に小競り合いが起こり、数人が拘束された。その後、クンチョク・ツェテンの家族や親戚を含め20人が拘束された。

ダラムサラベースの元政治犯グループ・グチュスンの会は昨日ルンタハウス内で記者会見を開き、拘束されていた20人の内10人は尋問拷問を受けた後解放されたこと、内3人に11月3日、ンガバ県人民法院が3年と2年の懲役刑、3年の政治的権利剥奪を言い渡したこと、残る7人は依然拘束されていることを発表した。

116411月3日の判決に関する公告の写真が伝わっている(写真左)。それによれば、ンガバ県メウルマ郷第3村ゲリク家のドルマ・ツォ(28)に3年の懲役刑、メウルマ郷第2村ゴツェ家のコンメに3年の懲役刑、メウルマ郷第4村マルリ家のゲペルに2年の懲役刑が言い渡された。罪状は「故意殺人罪」となっている。

グチュスン執行部のメンバーであるメウ・クンガムは刑を受けたドルマ・ツォの実兄である。彼は記者会見で妹が拘束されていた11ヶ月間に如何に激しい拷問を受けたか、裁判で彼女が何を訴えたか、家族が中国支配下で3代に渡り如何に苦しめられて来たかを語った。

「妹は遺体を車に乗せる助けをした容疑で拘束された後11ヶ月拘束されていた。その間、殺人罪を認めることと仲間の名前を吐くことを強要され、長期間激しい拷問を受け続けた」とメウ・クンガムは話す。

今月3日にンガバで開かれた裁判は午前9時半に始まり、その日の内に判決が言い渡された。裁判にはドルマ・ツォの父と夫の傍聴が許可されたが、弁護士はいなかった。「裁判中にも裁判官はドルマに対し、『罪を認めるように、そうすれば刑は減じられるし、その後の扱いも違うことになる』と話したが、その時ドルマは大きな声で『私が焼身したクンチョク・ツェテンの身体に触った時、彼は既に死んでいた。その後私は車の中に遺体を運び入れるただけであり、殺人など犯した覚えは全くない。また、その時私は1人だった。あなたたちは私を長期間拷問し嘘の罪を作り上げようとしたが、私は挫けなかった』と語った」と兄のメウ・クンガムは伝える。

その後、メウ・クンガムは彼の家族が中国に侵略された後、3代に渡り如何に苦しめられて来たかを語った。「文革中、私の祖父であるゲペリは9年の刑を受け、刑務所内で死亡した。祖母のソナム・キも政治的罪を着せられ、拷問により死亡した。父もこれまで3度拘束され、その度に拷問を受けている。1998年3月12日、地域で愛国再教育が行われていた時、政治的ビラを張り出した疑いにより1ヶ月間拘束された。2008年3月7日、外国に情報を流したとして拘束された。2011年3月19日には焼身したンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・プンツォクに関する情報を外国に漏らした疑いで1年間拘束された。その時には母のドンゴも数日間拘束され拷問を受けた。叔母のメトも拘束され拷問を受けたが、彼女はその後頭が狂ってしまった。これらがチベットの一家族が3代に渡り受けた傷であるが、これにより地域の人々がどれほどの苦しい歴史の下に暮らさねばならなかったかを知ることができる」。

記者会見ではこの焼身に関わったとして拘束され、未だ行方不明のままである7人について、「その内の2人はメウルマ郷第2村ドルツォ家出身ンガバ・キルティ僧院僧侶テンパとメウルマ郷第2村シチュン家出身ンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・ギャンツォであると判明しているが、その他の5人については拘束されていることは確かであるが、氏名は判明していない」と報告された。

中国当局はとにかく焼身を政治的抗議ではなく、ただの自殺や殺人として処理したいのだ。そのために拘束した無実の人々から嘘の告白を拷問により引き出そうとする。ドルマはこの拷問に耐え裁判中にも無実を主張したが、これにより前もって決められていた判決が変わることはなかったということだ。「故意殺人罪」で3年の刑とは不自然だが、目撃者も沢山いるだろうし、遺体を車に乗せただけでさすがに長期刑は難しいと判断したからかも知れない。それにしても酷い話だ。

今日、グチュスンの事務所に行き、情報を伝えたメウ・クンガムを探したが、ちょうど彼がいなかった。事務所にいた副会長のラギェリ・ナムギェル・ドルカルにいくつかの質問をした後、メウ・クンガムは妹の人柄について何か話していなかったか?と聞いてみた。「私と彼の妹のドルマは歳が一緒で、虎年生まれだが、2人とも性格も一緒で虎そのものだよ」と言ってたそうだ。


参照:11月6日付けTibet Timesチベット語版
11月5日付けTibet Express 英語版
11月5日付けRFAチベット語版
同中国語版
11月5日付けphayul




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2014年11月04日

中学生が「平等と民主」を求めデモ

9b3feae1-3199-43ca-81b5-17163fe58ef4(写真左)2012年レコンで「民族平等・言語自由」を訴えデモを行うチベット人学生。

11月1日、四川省ンガバ州ゾゲ県にある蔵語中学校の生徒たちを中心に一般人も加わり、当局の教育政策に抗議し、平等と民主を求めるデモが行われた。デモのきっかけになったのは、この数日前にンガバ州教育委員会の書記が教育者を集めた会議で、「チベット語を学習しても意味がない。中国語だけを教えるべきだ」と発言したことに反発したものと言われる。

デモの様子を映したビデオが伝わっている。もっとも、最初の数秒間は周りの様子も写っているが、その後、前の人の背中ばかりが写っている。

彼らが叫ぶスローガンが聞こえる。内容はRFAによれば、「1人助けるより100人助けたほうが良い。平等!民主!教育平等!」と叫んでいるという。



この書記の発言に対する批判はネット上にも広がり、デモには一般のチベット人も大勢参加していたという。その後、どうなったかは伝わっていない。

2010年と2012年、アムドのレゴンやチャプチャ等で中学生を中心に「民族平等・言語自由」を訴える大規模なデモが頻発した。これらも同化政策の一環として中国語をより重視する政策が発表されたことに対する反発であった。これらのデモを扇動したとして多くの学生が刑を受けている。

チベット人アイデンティティーの核と見なされるチベット語が、政策的に抹消されようとしている状況にチベット人たちは危機感を募らせている。

今回スローガンの中に「民主」という言葉が入っているのは、ひょっとすると香港の学生運動の影響かもしれない。

参照:11月3日付けRFAチベット語版
11月3日付けTibet Times チベット語版

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2014年10月28日

ソク県の僧侶、秘密裁判により12年の刑

tsangyangyatso1112年の刑を受けた僧ツァヤン・ギャンツォ。

今年の3月10日、チベット蜂起記念日にソク県のある巨石の上に赤いペンキで『チベット独立』と描かれていたという事件を覚えておられる方もいるかも知れない。チベットで一年の内最も政治的に敏感な日と見なされる日に、鉄橋の傍にある目立つ巨石に赤いペンキで『チベット独立』と描くというのは大胆な行為である。当局は付近の村と僧院を包囲し、僧侶を中心に20人ほどのチベット人を拘束した。彼らの解放を求めた人々も拘束され、拷問を受けた

拘束されたチベット人のほとんどは、十分痛めつけられた後解放された。しかし、3月17日にティド郷ティルダ僧院から連行された4人の僧侶は行方不明のままであった。最近このうちの1人、僧院の読経師であるツァヤン・ギャンツォ(ཚངས་དབྱངས་རྒྱ་མཚོ།)に今月初め頃12年の刑が言い渡されていたことが判明した。12年は長い。他の3人、ツェワン、アツェ、ギェルツェンの行方は依然判明しない。

最近家族の下に突然裁判所から一通の手紙が届いた。彼の罪状は「外国と連絡を取り、他の僧侶たちを反政府活動へと扇動した」というものだったという。手紙により彼が現在ラサにあるチュシュル刑務所に収監されていることが判明したが、「判決後3ヶ月間、面会は一切許可されない。3ヶ月後、もしも面会を希望するものは身分証明書を持って、ティド郷、ソク県と順次警察の許可を取得すること」と書かれていたという。

bb77330aソク県ではこの事件の後、警官による携帯チェックが厳しく行われ、携帯に政治的に敏感な写真(ダライラマ法王等)や歌、メッセージが入っていたとして拘束されるチベット人が後を絶たないという。盗聴やネット検閲なども盛んに行われていると信じられており、地区のチベット人は携帯を非常に危険なものと見なしているという。

彼が巨石にいたずら描きした犯人とされたわけではないらしい。赤いペンキで『チベット独立』と描いた犯人はまだ分かっていないらしい。

参照:10月28日付けTIbet Timesチベット語版
10月27日付けRFA中国語版
10月27日付けphayul



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2014年10月24日

ウーセル・ブログ「文明と反文明の1日」

ウーセルさんは10月7日付けのブログで、9月18日、スコットランドの独立を是非する住民投票とウイグル人学者イリハム・トフティのウルムチでの公判日とが偶然一致していたとして、この日を「文明と反文明の1日」と名付け、「この世界はなんと奇妙なのだろう、文明と反文明が同じ日に現れるとは!」と感嘆する。

一方は文明社会の印である「投票は天賦の人権」という理念を理想的に実現したものであり、それはあらゆる「中国的特色」から自由な、ネット民たちが言う「討伐を呼びかける英国メディアの檄文もなく、権力組織の脅迫もなく、硝煙もなく、戦車もなく、犠牲者もなく、警察もなく、外国勢力もなく、難癖もつけられず、逮捕者もなく、女性に暴力が振るわれることもない」ものであった。一方は「人権」を「天賦」のものとは考えないという「特色」を備えた「反文明」の現れであったというのだ。

原文:唯色:文明与反文明的一天
翻訳:@yuntaitaiさん

◎文明と反文明の1日

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意味深長なことに、スコットランドの独立をめぐる住民投票の日は、8カ月以上拘束されていたウイグル人学者イリハム・トフティのウルムチでの公判日と偶然一致していた。

イリハムの公判審理があったのは9月17、18日の2日間だ。彼の罪名は「国家分裂罪」と「国家分裂集団組織成立罪」だ。しかし、イリハムは法廷で意見陳述した時、はっきりとこう宣言した。「私は無罪です。国家を分裂させる犯罪集団を組織したことはありませんし、国家を分裂させる犯罪活動に従事したこともありません」。それでも彼は重い判決を受けた。5日後の23日に無期懲役の判決を受け、全財産を没収された!この知らせが伝わると世界は驚愕した!

スコットランドとイングランドが合併して連合王国になり、既に307年の歴史がある。これ以前の歴史では、1314年にスコットランド軍がイングランド軍を打ち負かし、独立戦争で最終的な勝利を収めた。700周年に当たる2014年を選び、独立の是非を問う住民投票を実施するのは、重要な歴史的意義と象徴的な意味を持つと考えられた。スコットランド独立の英雄ウィリアム・ウォレスを描いた有名なハリウッド映画「ブレイブハート」を引き合いに、「スコットランドの『ブレイブハート』は700年続いてきた!」と今回の住民投票は称賛されている。

住民投票のちょうど2日前、ジャーナリストの長平がドイツの国際放送「ドイチェ・ベレ」のため、私に書面でインタビューした。私は次のように答えた。

「まもなく実施されるスコットランドの住民投票の意義は計り知れない。最終的な結果がどうであれ、英国とスコットランドの間だけではなく、この世界にとっても大きな変化になるように思う。これは決して一部の人たちの言うような『後退』を意味するのではないし、経済分野などを考えるのが最も重要だという意味とも限らない。極めて重要なのは、英国におけるスコットランドの自治レベルは早くから本当の『高度な自治』だったという点だ。『自治』の名の付く中国のあらゆる土地と比べ、まさに雲泥の差があるにもかかわらず、21世紀の今日、一層自分たちの希望に沿った運命を住民投票で選べる。これは自由こそ天賦の人権であり、住民投票は普遍的な価値なのだという事実を改めて証明している。統制された盲信と現状維持こそ本当の後進、反動だ。チベット人として現代に生き、この重大な意義を持つ事件を(遥か遠くからではあるが)目撃すると、スコットランドとは別の問題にまで考えが及び、心が揺れ動く。なぜなら、これまで天賦の人権に対する認識やアイデンティティーの定義は、今日のように痛切で差し迫ってはいなかったからだ」

18日の住民投票の結果は既に公表されている。反対が55%、賛成が45%で、まさに評論家が次のように話していた通りだ。「英国政府が住民投票前、スコットランドを引き留めるため、完全な自治に近い地位を与えると宣言した状況の下でも、これほど多くの人が完全独立を支持したのは確かに注目されるし、住民投票を求めたのは成功だったと分かる。今回の住民投票を通じて、スコットランドの公民はもう自決能力を見せつけた」。チベット研究者でイリハムの親友でもあるエリオット・スパーリンク米インディアナ大教授は私にこう話した。「スコットランドの状況は事実上、私の理想だ。民主の原則に基づいて自決権を行使した。1人や少人数集団ではなく、全土の人々が未来を決定した」

同時に、スコットランド住民投票の持つ模範としての意義は、中国のネット民に広まった次の言葉から理解できる。「討伐を呼びかける英国メディアの檄文もなく、権力組織の脅迫もなく、硝煙もなく、戦車もなく、犠牲者もなく、警察もなく、外国勢力もなく、難癖もつけられず、逮捕者もなく、女性に暴力が振るわれることもなかった。この全てがなかった。統一か独立かを問う国家の重大事がこのように幕を閉じた。一人一人の票が世界を震撼させた。今回の住民投票ではどちらも勝者だ」

私も一言付け加えておこう。今回の住民投票にはこれほど多くの「中国の特色」がなかっただけでなく、「国家分裂罪」に問われるイリハムと7人の若い学生もいるはずがなかった。この世界はなんと奇妙なのだろう、文明と反文明が同じ日に現れるとは!

2014年9月   (RFA特約評論)







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2014年10月18日

セルタで元僧侶が1人デモ

10659256_977329668950355_2871423395568917225_nドルジェ・リンチェン。

10月16日、午後2時頃、四川省カンゼ州セルタの街の中心にある「金馬広場」で20歳代の元僧侶ドルジェ・リンチェン(བོད་མི་རྡོ་རྗེ་རིན་ཆེན། 愛称:ドリརྡོ་རིས།)が、空にルンタ(祈りの紙切れ)をまき上げながら「チベットに自由を!」と叫んだ。

周りにいた人々が彼の周りを囲った。保安部隊が駆けつけ、ドルジェを押さえ込み、大勢が激しい暴力を加えた。周りにいたチベット人たちはこれを見て、ドルジェを救おうとしたが、部隊は彼の頭の毛を掴みながら車に押し込み、どこかへ連れ去ったという。

最近亡命を果たした僧ゴロ・ジグメがこの情報を伝えたが、彼は自身の経験に照らしながら「彼が今、酷い拷問を受けているのではないかと心配だ」と語る。

目撃者によれば、「彼は何かが書かれたルンタを沢山まき上げながら、『チベットに自由を!ダライ・ラマ法王に長寿を!チベットには人権が必要だ!』と叫んでいた」という。

彼のデモを顔写真と共にウェイボ(微博)上で伝えた現地のあるチベット人は、「中国政府の因果と現実を無視した沢山の弾圧を目撃し、役人たちの一般チベット人に対する蔑視、いじめ、強要等を味わい、耐え切れず、彼は平和と自由のために、命の危険を顧みず、平和的な抗議を行ったのだ」とコメントしている。

ドルジェ・リンチェンはセルタ県ホルシュル郷(གསེར་རྟ་རྫོང་ཧོར་ཤུལ་ཡུལ་ཚོ།)の出身。母の名はリクツォ。彼はヌプ・スル僧院の僧侶であったが、数年前に還俗し、最近はラルンガル僧院内で店を開いていたという。

10月4日にはセルタの隣町であるカンゼで商人パッサン・ワンチュク(37)が同じく一人デモを行い、逮捕されている。セルタの「金馬広場」では、2012年11月26日にワンギェルが焼身抗議を行っている。

参照:10月17日付けRFA英語版
同チベット語版
10月17日付けVOT中国語版
10月17日付けTibet Timesチベット語版


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2014年10月17日

ナンチェンの高僧ケンポ・カルツェに2年半の刑

092a6055ナンチェンの人々の心の柱とも言われるチャパ僧院の高僧ケンポ・カルツェは2013年12月6日、四川省の成都で「国家の安全を脅かせた」疑いにより拘束され、その後10ヶ月以上チベット自治区チャムドの拘置所に収監されていた。

彼が拘束された後、彼の解放を求める地元の僧侶や住民による大規模なデモも数回行われ、多くの逮捕者を出している。地元の人々は4000人の署名を集め当局に提出したこともある。また、アムネスティー・インターナショナルも彼の解放を求める署名活動を行っていた。しかし、このような運動の成果なく、ついに最近彼に2年半(*1)の刑が言い渡されたことが判明した。刑期が2年半と比較的短かかったのは成果と言えるかも知れないが。

16cd923c収監中にケンポ・カルツェは病気により衰弱しているという情報も流れていた。刑期が判明しただけで、罪状や今どこに収監されているのか、健康状態はどうなのか等については不明のままである。

ケンポ・カルツェは2011年、山一つ向こうにあるチャムド地区カルマ郷にあるカルマ・カギュ派の祖寺カルマ僧院の僧院たちが弾圧を逃れて自分の僧院に駆け込んだ時、彼らを匿った。このことが当局に知れ、この時から当局の監視の対象となっていたという。

参照:10月16日付けVOT中国語版
同チベット語放送
10月17日付けphayul

ケンポ・カルツェについてはこれまでにウーセルさんも何度か書かれているし、当ブログでも取り上げている。

ウーセル・ブログ「省境を越えて拘束されたケンポ・カルマ・ツェワン」
ウーセル・ブログ「逮捕されて47日になるケンポ・カルマ・ツェワンの逮捕1カ月前の記録」
高僧の解放を求めた16人拘束
チベット人の移動の自由が奪われていると訴えるケンポ・カルツェ  彼の解放を求める署名活動始まる
高僧等の解放を求め刑務所前で500人が座り込み

注*1:昨日(10月17日)刑期は「2年」とVOT等を元に伝えたが、その後RFA等により「刑期2年半」とされたことに従い訂正。



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2014年10月10日

<整理整頓工作> 仏塔、マニ塚、お堂取り壊し等々 ディルで新たな弾圧

imageチベット自治区ナクチュ地区ディル県(那曲地区比如县)では去年9月20日から愛国再教育キャンペーンが強化され、これに反発した住民との間に衝突が繰り返され、これまでに部隊の無差別発砲等により5人が死亡し、1000人以上のチベット人が拘束されている。長期刑を受けた人も多い。

このディル県は焼身抗議もこれまでに3件起きており、チベット自治区の中ではもっとも抵抗意識の高い県と見なされている。この辺りは自治区内に組み入れられているが言語・文化圏的にはカムである。

10月7日付けRFA英語版によれば、このディルで前回のキャンペーン開始からちょうど1年経った日から、僧院を主なターゲットとした新たな弾圧キャンペーンが始まったという。キャンペーンの中国語は「清理整顿工作」である。宗教的施設や反共産党的思想等は整理されるべきものであるらしい。

ディル県当局はこの「清理整顿工作」を9月20日付けで開始し、期間は10月20日までの1ヶ月間とした。この「工作」の詳細を記した書類は30ページに及ぶ。これが役人たちにより、域内のすべての僧院と村落に配られたという。その内容のいくつかが伝わっている。

「2010年以降に施設されたすべての新しい仏塔、マニ塚(お経が掘られたマニ石を集めた壇)、お堂を違法建築物と認め、指定期間内に取り壊すこと」と書かれており、「取り壊す責任はその施設を建てた僧院や村人にある」という。

「もしも、当事者が実行しない場合には当局が行う」そうだ。

さらに、「2011年11月1日以降に施設された、瞑想用の小屋等も取り壊されなければならない」と命令しているという。

また、僧院に所属する少年僧について、「12歳以下の僧侶はディル地区の僧院に所属することはできず、今現在いる12歳以下の僧侶は全員10月20日までに家族の下へ帰らねばならない。各僧院長はこの責任を負う」とされ、「僧侶を引き取ることを拒否したその僧侶の家族は6ヶ月間拘留されるか、1年から3年の刑を受けるであろう」「少年僧を匿った僧院のラマや僧院長は罰せられ、僧院から追い出される」と脅している。

別の情報提供者によれば、「自分たちの小屋の上に五星紅旗を掲げなかったり、部屋に中国の指導者の写真を掲げない僧侶や尼僧は追放され、ダライ・ラマ法王の写真を持っていたことが発覚した僧侶や尼僧は『再教育』され、政府が僧尼に約束する補助が取り消される」と伝え、されに「一般人もダライ・ラマ法王の写真を持っていれば、6ヶ月間の『法制教育』が課され、向こう3年間(2年間との情報も)冬虫夏草の採取が禁止される」そうだ。

ディルでは9月初めにワタン・ドングル僧院の僧侶6人が僧院に掲げてあった五星紅旗を引き下ろし、燃やしたとの嫌疑で連行されている。

その他参照:10月9日付けVOT中国語版

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