2015年04月22日

ンガバの作家僧侶連行

imageロミック。

チベットでは2008年以降、知識人・文化人、特に作家と歌手をターゲットとした弾圧が続いている。先月3月19日にもアムド、レゴンで作家のショクジャンが拘束され、今も行方不明のままである。今回新たに拘束されたのはショクジャンとも親交のあるンガバの僧侶作家ロミック(བློ་མིག 意味は「心の目」)である。

ロミックは4月17日、現地時間午後11時半頃、突然ンガバ・キルティ僧院の僧坊から警官により連行され、その後の消息は不明という。

ロミックはペンネームであり本名はジョ・ジャミヤン。連行の理由は明かされていないが、回りのチベット人たちは「彼が逮捕されたのは、彼の作家活動が原因であろう」と推測している。彼は2008年以降、著作活動を始めている。

彼が連行される前日には同じンガバでネキャプ(45)が焼身している。関係があるかも知れない。

ロミックは現在27歳。アムド、ンガバ(四川省ンガバ・チベット族チャン族自治州ンガバ県ཨ་མདོ་རྔ་པ་རྨེའུ་རུ་མའི་རུ་ཆེན་གསུམ་པ།)、メウルマ郷第3村の出身。父の名はドルゴ、母の名はジャムカル。彼は6歳の時、ンガバ・キルティ僧院付属の「仏教青年学校」に入学し勉強を続けていたが、2008年にこの700人在籍の学校が当局により強制閉鎖された後はキルティ僧院に入ると共に、タンゴ、レゴン、ラルンガルなど他の僧院も巡りながら、仏教哲学と著作の勉強を続けていたという。現在はンガバ・キルティ僧院の般若学学級で勉強している。

彼は2010年に「黄色い靄の由来(༼ན་བུན་སེར་པོའི་འཕྱུར་སྟངས།༽)」と題されたチベットの現状に関する本を西寧で出版している。それ以来、盛んに雑誌に投降し、様々な講演会に参加しながら、チベットの政治状況、焼身抗議、環境問題、言論・表現の自由に関する論議を行っていた。つい最近、出身地のメウルマで「言論の自由がない我々」と題された講演会を自分で企画実行している。

彼はショクジャンを始め他のチベット人作家とも親交が深く、地元を中心に若者に強い影響力のある僧侶と見なされている。

参照:4月21日付けTibet Timesチベット語版
4月20日付けRFA英語版
同チベット語版
4月22日付けVOAチベット語版
4月21日付けVOT中国語版

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<速報>ンガバ、屋外に祭壇を作りその前で焼身 内地139人目

10731037_578738372229578_7221147155197004523_n焼身死亡したネキャプ。写真右側の花を持っている写真は、彼が焼身する直前に彼が友人のスマホに送ったものという。

4月16日、アムド、ンガバで1人の男性が焼身抗議を行い、死亡した。
焼身者の指名その他については未だ、情報が錯綜している。以下、複数の情報を並記する。男性の名前はネキャプ(ནེ་སྐྱབས།)と伝えるメディアと、ダムカル(དམ་དཀར།)と伝えるメディアに分かれる。年齢は40歳と伝えるメディアもあるが45歳前後が優勢。

11141729_846494798774421_4987980684053267526_n焼身場所は、ンガバ県ラデ・カップマ郷(ལྷ་སྡེ་འགབ་མ།)にある自宅の中庭である。焼身後の燃え尽きた遺体の写真が伝わっている。彼は焼身前に家の外壁の前に仮の祭壇を作っていた。その祭壇(仏壇)にはダライ・ラマ法王と10世パンチェン・ラマの写真、その傍に妻と娘たちが写る家族写真が置かれていた。その前には花、香、水をはじめとするチベットの伝統的供養物が丁寧に並べられていた。彼はその前で焼身した。焼身しながら「ダライ・ラマ法王をチベットへ!パンチェン・リンポチェの開放を!」と叫んだと言われる。

遺体は当局に運び去られたという。彼が焼身した後、彼の兄弟や甥が警察に連行されている。

彼はンガバ県アンドゥ郷ギャデ村の出身であり、かつて地元にあるアンドゥ・ヤクゴ僧院の僧侶であった。その後、チュジェマ郷ソルマ村(ཆོས་རྗེ་མ་ཤང་གི་སོ་རུ་མ་སྡེ་བ།)出身の妻の家に養子として婿入りした。妻は去年死亡し、娘は1人という情報と妻は健在であり子供は7人という情報がある。

11156378_967272039979883_5845648855270696202_n今回の焼身発生場所であるンガバが示されている。

彼の妻の兄弟であるダルギェ(http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51747241.html)は2012年5月27日にラサのジョカン前で焼身した2人の内の1人である。彼は最近、地元の僧院が主催する「世界平和と法王の長寿を願う祈り」に参加したり、そのために「非暴力と友愛を誓う」というメンバーに加わり、その模範的人物と見なされていたという。

彼の焼身を知り、ンガバの商店の多くが店を締め、多くの人が彼を弔うために各僧院に向かっているという。

チベット内地焼身者139人目。内死亡119人目。

6日前の4月8日に、カム、カンゼで尼僧イェシェ・ドルマが焼身したばかりである。
参照:

4月17日Tibet Times
ダラムサラ・キルティ僧院リリース


For Nikyab april 16 2015 highest井早智代さんがネキャップ(又はダムカル)を弔うために描かれた絵。

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2015年04月11日

焼身した尼僧の死亡が確認された? 焼身中の写真伝わる

11127880_1090729730943681_9127857687022616514_n炎に包まれ座り込んだ尼僧イェシェ・カンドに、駆けつけた警官が消化液をかけている。

尼僧イェシェ・カンドの焼身後の生死は不明であったが、4月10日付けRFA英語版等によれば、次の日の9日、警察が家族に死亡を知らせたという。しかし、家族は遺体を引き取らせてもらえず、遺灰もなく、本当に尼僧が亡くなったどうかは分らないと話しているという。

最近家にいた彼女は焼身の前日珍しく尼僧院に現れたという。そして尼僧院の仲間たちと話をするなかで、彼女は「明るく、楽しむべきだわ。でもチベットのために何かやることも大事だわ。焼身とかね」と言ったという。しかし、その時には誰も彼女が本気に焼身するとは思ってもいなかったという。

「イェシェ・カンドはとても控えめでした。勉強や修行をたくさん終えていましたが、まったく鼻にかけることもなく、親しみ易い性格でした」と仲間の尼僧は語る。

For Yeshe Kando April 8 2015 highestカナダ在住の日本人画家井早智代さんが尼僧イェシェ・カンドに捧げられた絵。

井早さんはこの絵に次のダライ・ラマ法王の言葉を添えられている。

"Give the ones you love
Wings to fly
Roots to come back
and reasons to stay"
Dalai Lama

愛するものたちに
飛ぶための翼を
帰る場所(根)を
そこに留まる理由をあげなさい


11069629_984762218202459_3101277248409807016_n
内地焼身者顔写真。

11038787_963561870350900_3153201168795025992_n

これまでチベット内で起こった主な抵抗運動と焼身発生地を示した地図。マークされているのが今回のカンゼ。


_DSC2981_1392以下、昨夕ダラムサラで行われた、尼僧イェシェ・カンドを弔うためのキャンドル・ライト・ヴィジル。









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2015年04月10日

<速報>カンゼで一人の尼僧が焼身抗議、内地138人目

11128178_4464975尼僧イェシェ・ドルマ(又はカンド)

4月10日付けTibet Timesによれば、4月8日、カム、カンゼ(དཀར་མཛེས་རྫོང་།四川省カンゼ・チベット族自治州カンゼ県カンゼ)の中心街の路上でイェシェ・ドルマ(ཡེ་ཤེས་སྒྲོལ་མ།)と呼ばれる一人の尼僧が中国の圧政に抗議するために焼身を行い、その場で死亡した。

遺体は駆けつけた部隊により運び去られた。地元のチベット人たちは遺体を家族の下に帰すべきだと、警察に要求していると言われるが、現在の状況は伝わっていない。

焼身したイェシェ・ドルマについてはチョクリンガガンゾモ尼僧院の尼僧であり、カンゼ県ダクセ郷の出身ということ意外は今のところ分っていない。

チベット人の焼身抗議は、先月ンガバで47歳の女性ノルチュクが焼身して以来、約1ヶ月ぶりである。
内地焼身138人目、内外合わせ143人目。
今年にはいり2人目である。
カンゼでの焼身は2人目。

詳細が伝わり次第追記する。

追記:オーストラリア在住の同郷チベット人カルマによれば、焼身者の名前はイェシェ・カン(ཡེ་ཤེས་མཁའ་འགྲོ)、幼名はイェヤン。年齢47歳。ンガガン尼僧院の尼僧。

4月8日の早朝、彼女はカンゼ僧院を何度か巡った後、午前9時頃県警察署の近くで焼身した。
目撃者によれば、彼女は「ダライ・ラマ法王をチベットにお招きすべきだ!チベットには自由が必要だ!ダライ・ラマ法王に長寿を!」と叫びながら焼身したという。

駆けつけた警官が消化器で火を消し、彼女を警察署に運んだ。その後の消息は不明であり、彼女の生死も不明という。しかし、目撃者たちは「彼女が生き延びる可能性は少ないだろう」と話しているという。

警察は次の9日に家族を呼び出したが、遺体?は渡されなかったという。

彼女は長年同じ尼僧院に暮らし、控えめで、模範的な尼僧であったという。また、普段から政治問題に関心が高かったという。


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2015年04月08日

アムドの青年作家再び拘束

Zショクジャン。

3月19日、アムド、レゴン(青海省黄南チベット族自治州同仁県)の警察は作家・ブロガーであるショクジャンとその義理の兄弟を拘束した。数日後、義理の兄弟は開放されたが、ショクジャンは理由も明かされず拘束され続けているという。

ショクジャンはペンネームであり、ドゥクロが本名といわれる。レゴン県ゲンギャ郷出身の彼は現代のチベット人の生活を詩情豊かな文章で綴るのみならず、一般人の視点から法や警備のあり方についてのコメントをしばしば発表している。

彼が拘束されるのはこれが2度目である。2010年、彼がまだ北西民族大学の学生であった時、仲間の作家テウランと共に、2008年蜂起の真実を雑誌に発表したとして逮捕されている。その後しばらくしてショクジャンは開放されたが、テウランは4年の刑を受けた。

ショクジャンの拘束を受け、刑期を終え開放されたテウランを始め、何人かのチベット人作家がブログ等でショクジャンの無実と今回の拘束の不当性を訴えている。

拘束される3日前、街で大規模な武警の示威行進を見た後、彼は「3.16」と題された以下の文を発表していた。これが今回の拘束の原因となった可能性もある。

武装した警官が街角で普通の人たちをチェックしている。
これは人々を守るためなのか、或は人々の平安を乱すためなのか?
これが社会の安定をつくり出す方法なのか?
人々に銃を向けさせているのは誰なのか?
これが人々の普遍的人権を守るやり方なのか?
これが法律で支配されているといわれる国の行動なのか?


彼は中国支配下にある現代のチベット人一般のフラストレーションをリアルに伝える作家として多くのチベット人から尊敬される存在である。更なるチベット人知識人弾圧のケースとして、地域の人たちは強い憂慮を示しているという。

ショクジャンの親友である作家テウランは彼のことを「常に自由に敏感な男」と表している。

参照:4月8日付けVOA英語版
4月7日付けRFAチベット語版

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2015年03月22日

15年の刑期を終え僧侶開放 仲間2人は解放後死亡

3118僧ンガワン・ギュルメ。

21日付けTibet Timesチベット語版によれば、3月20日、チベット自治区ナクチュ地区ソク県にあるツェンデン僧院の僧ンガワン・ギュルメが15年の刑を終え開放された。

僧ンガワンはソク県ドクタ郷の出身。20歳ごろツェンデン僧院の僧侶となる。本堂新築の際には現場責任者となり自ら石を運び、木を切ったという。日頃よりチベット問題に関心が高く、政治的ビラをまいたとして15年の刑を受けていた。

開放された僧ンガワンは衰弱しており、家族は「刑務所で受けた拷問により他の仲間のように長く生きないのではないか」と心配しているという。以前に、彼と一緒に逮捕された僧テンジン・チュワンは開放された後3年間寝込み、死亡している。僧イシェ・テンジンも衰弱した状態で開放され、2ヶ月後に死亡した。

僧ンガワン・ギュルメは2000年3月17日、ツェンデン僧院の他の僧侶3人(シー・ケドゥプ、イシェ・テンジン、テンジン・チュワン)、俗人2人(ダクル・イシェ、ツェリン・ラゴン)と共に逮捕された。彼らは2000年3月中に「ダライ・ラマ法王に長寿を。チベットは独立国だ。中国人はチベットから出て行け」等と書かれたビラを多量に印刷し、街中に張り出したり、配布したとされ、「国家の安全を脅かし、誤った情報を流し、民衆を扇動した」罪で罰せられていた。

NgawangGyurme逮捕前と思われる僧ンガワン・ギュルメ。

2000年終わり頃、ナクチュ中級人民法院により、僧ンガワン・ギュルメに刑期15年、僧シー・ケドゥプに無期、ツェリン・ラゴンに刑期15年、僧イシェ・テンジンに刑期10年、ダクル・イシェに刑期7年が言い渡された。

僧ンガワン・ギュルメは最初の4年間を拷問で有名なラサのダプシ刑務所で過ごした。その後チュシュル刑務所に移された。収監中に彼は胸を病んだが誤った診断により誤った薬を飲まされ、一時期生死の狭間を彷徨うことになったという。その後家族が刑務所側に懇願して、大きな病院に連れて行くことが許され、その後病状は良くなっているが、衰弱していることにはかわりないという。

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2015年03月18日

またもンガバで僧侶が1人デモ/ソク県で僧侶7人連行 携帯で写真や情報をやり取りか?

1604629_1576835509270329_803611985142950912_n僧ロプサン・ケルサン。

ンガバで僧侶が1人デモ

ダラムサラ・キルティ僧院によれば、3月17日現地時間午後3時40分頃、アムド、ンガバ(བོད་མདོ་སྨད་རྔ་པ་རྫོང་། 四川省ンガバ州ンガバ県)の大通りで、ンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・ケルサン(བློ་བཟང་སྐལ་བཟང་།、19歳が左手でダライ・ラマ法王の写真を掲げ、右手でルンタ(祈りの紙切れ)を空に撒き上げながら、「チベットに自由を!」と叫び、行進した。中国共産党のチベット弾圧に抗議したものと思われる。

焼身抗議が頻発するンガバは今チベットでもっとも警戒の厳しい街である。ただちに警官が駆けつけ、彼は取り押えられ、連行された。その後の消息は不明。

僧ロプサン・ケルサンはンガバ県チャルワ郷チュクレーカプマ村の出身。父ツェリン、母デチェンの息子。幼少時よりンガバ・キルティ僧院の僧侶。

参照:3月17日付けTibet Timesチベット語版
3月17日付けRFA英語版

ソク県で僧侶7人連行 携帯で写真や情報をやり取りか?

当局が「(2008年)ラサ暴動の日」とする3月14日、チベット自治区ナクチュ地区ソク県にあるツェンデン僧院(སོག་རྫོང་ཙན་དན་དགོན་པ།)の僧侶7人が僧院で拘束、連行された。警察は拘束の理由を明かさず、行方も不明のままである。地元の人々は「お互い(政治的に敏感な)写真や情報を交換し合っていたからであろう」と推測している。

拘束された僧侶は、ナムギェル・ツルティム、ロトゥ・テンジン、ツルティム・ゴチェ、ツルティム・ナムギェル、タプケ・ルンドゥプ、ジグメ・ツルティム、ジグメ・ダクパである。

ツェンデン僧院には50台ほどの監視カメラが設置され、僧院内に警官も多く、僧侶たちは24時間監視されているという。夜トイレに行く僧侶が警官から嫌がらせを受けたりしているともいう。また、18歳以下は僧院から追い出されたという。

NamgyalTsultrim1僧ナムギェル・ツルティム。

今回拘束された僧侶の中、ナムギェル・ツルティムはこれまでに2度拘束され、8ヶ月に渡り、虐待を受けたという。

3月以来チベット全域でネットが規制されているが、特に自治区ナクチュ地区のダチェン、ディル、ソクの3県ではソーシャルネットの監視が厳しく実施されているという。また、この時期、地区の元政治犯は全員警察に呼ばれ、尋問を受けるという。

参照:3月17日付けTibet Timesチベット語版
3月17日付けRFA英語版

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2015年03月08日

ンガバで若い僧侶が1人デモ

Ghedun Puntsok 02ダラムサラ・キルティ僧院リリースによれば、今日3月8日現地時間午後1時半頃、四川省ンガバ州ンガバ県ンガバの路上でンガバ・キルティ僧院僧侶ゲンドゥン・プンツォク(18)が1人で中国政府に抗議するデモを行った。

僧ゲンドゥン・プンツォクは、頭上に黄色いカタを掛けたダライ・ラマ法王の写真を掲げ、「ダライ・ラマ法王のチベット帰還を!チベットには自由と平等が必要だ!」と叫びながら道を進んだ。数分後警官隊が駆けつけ連行されたという。
その後の消息はない。

僧ゲンドゥン・プンツォクはンガバ県チャ郷チュクレカプマ村の出身。父タシギャ、母リクゴの息子。幼少時、ンガバ・キルティ僧院に入り、僧侶となる。

Ghedun Puntsok 01僧ゲンドゥン・プンツォク

ンガバは3月10日に向け厳戒態勢下にある。そのような中で6日には焼身が、8日には1人デモが行われた。監視が厳しくもはや集団のデモを計画することは困難となり、それぞれ個人が誰にも告げず1人で決心し実行するしかない状況と思われる。

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<速報>ンガバで新たな焼身・死亡 47歳女性

ad1f6701-02f5-4c4e-ba84-a7bd7f71bc7d焼身死亡したノルチュク。

3月7日付けRFA英語版によれば、3月6日現地時間午前3時半頃、四川省ンガバ州ンガバ県で40歳の遊牧民ノルチュクが、中国のチベット政策に抗議する目的で焼身し、その場で死亡したという。

焼身時の状況やノルチュクの家族構成など詳しいことは未だ伝わっていない。彼女については最近デプ僧院の指導に従い他大勢のチベット人とともに肉を断っていたということだけが知られている。

ンガバ地区は2009年から始まった焼身抗議のメッカとも言える場所である。当局は蜂起記念日である3月10日を前に、2月18日のチベット正月(ロサ)ごろからンガバに更なる部隊を送り込み、緊張が高まっていた。

ノルチュクの焼身により内地の焼身者の数は137人となった。

さらに詳しい情報が入れば、追記する。

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追記:8日インド時間午後5時半。

この焼身に関するダラムサラ・キルティ僧院リリースが出された。それによれば、焼身があったことは確かというが、焼身の日時については「3月5日の夜」とされている。名前はノルチュク(ནོར་ཕྱུག)で同じだが、年齢は40歳ではなく47歳という。結婚しており子供3人の母親である。

出身地は焼身場所でもあったンガバ県トツィク郷ドワ村(བོད་མདོ་སྨད་རྔ་པ་རྫོང་སྤྲོ་ཚིགས་ཡུལ་ཚོའི་རྡོ་བ་སྡེ་བ།)。夫の名はペツェル、息子の名がプンツォク、娘の名がマンカとツェジン・キ。

ノルチュクは数年前からダライ・ラマ法王の長寿を祈るためにと肉を断っていたという。

焼身が夜中であったこともあり、遺体は当局に奪われることはなかったが、次の日の早朝、発覚を怖れ早々に近親者が集まり荼毘に付されたという。その後、部隊が現場に到着し、厳重な警戒が敷かれ、情報も途絶え、これ以上の詳しいことはまだ伝わっていないという。

参照:3月8日付けTibet Timesチベット語版

追記2:彼女が焼身した日はチベット暦の正月15日であった。この日はシャカムニブッダの「舎衛城の神変」と呼ばれる故事に因んだ「神変祈願」の日である。奇跡を願う日ともいえよう。彼女はこの日を意識し、選んだのかもしれない。

ンガバ県での焼身はこれで37人。その内、彼女は5人目の女性である。


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2015年03月07日

3.10 蜂起記念日を前に厳戒体制下となるチベット

3月10日は「(1959年)ラサ蜂起記念日」ということで、チベットで1年の内もっとも政治的に緊張する日となっている。2008年のラサに始まった全土的大蜂起もこの日から始まっている。2009年に始まり現在まで136人が内地で焼身抗議を行っているが、この3月10日前後は毎年起こり易い時期となっている。そこで、当局もこの日に合わせ、焼身抗議などの政治的抗議活動が起こらないようにと、様々な手を打ってくる。今年、チベット人たちは2月14日のロサ(チベット正月)から3月10日に向け、平和を願う祈りや行進を行ったり、非暴力の象徴として刀等の武器を破棄したり、自然保護の観点から毛皮を集め焼却するというイベントを行ったり、と当局が武器による恐怖で支配しようとすることに対し、非暴力と平和を願う運動を積極的に行っているように思われる。

11025816_729322693832460_1664576709318451731_n左の写真は3月5日、アムド、クンブン僧院僧院で一連の正月恒例行事の一つである「神変大祈願祭」が行われた時のもの。これを見ると先に挑発しているのはいつものように当局ともとれる。VOAによれば、ソーシャルメディア上でこの写真を上げた現地のチベット人が「今日は軍隊を見に来たのか、祈祷祭を見に来たのか分からなかった」と書き、そのコメントには「私は怖過ぎて祈ることを忘れた」とか、中国が繰り返す「社会の安定」を揶揄し「祈祷祭にこれほど大勢の軍隊を送り込み、我々は調和に向かっているのやら、戦争に向かっているのやら?」等と嘆いていたという。この一連のモンラム祈祷祭はもともと「社会の調和とすべての有情の幸せ(世界平和)」を祈るためのものなのだ。

11038402_729322723832457_6434391096993068333_nその他、同じくアムドのロンウォ僧院、ラプラン・タシキル僧院、ンガバ・ゴマン僧院等にはロサ辺りからさらに大勢の警官、武装警察、特殊警察、軍が配備されているという。もちろん、ンガバにはロサ早々大きな部隊増強が行われている。ゴロ地区ではガデ県、ペマ県、ダルラ県、マチェン県の国道の要所すべてに軍が駐屯し、チベット人の行動を規制、監視している。その他、甘粛省のチベット人居住地区ではチベット人の役人や教師をロサ2日目から働かせ、僧院に行くことを禁止しているという。

これらの当局の挑発に対し、今年チベット人たちは法王のお言葉に従い「非暴力を誓い、平和を祈る」ということを中心とした活動を行っているようだ。写真が伝わっているものを以下拾う。

150302025035LTまず、焼身が続いたンガバ州ザムタンでは2月25日から3日間、千人ほどが集まりコミュニティー内でお互い仲良くし、調和と友愛を保ち、善なる行いに務めることを誓うというイベントが行われた。







646e4cdb-5033-4ce2-8367-16354c57e4a0雲南省のダンスン村では2月27日に、ダライ・ラマ法王の呼びかけに従うため、毛皮を焼却するというイベントを行っている。










11044499_431256277033694_3853341563637913616_n3月5日、ザ・サムドゥプリン僧院ではダライ・ラマ法王の平和を願い、チベット人同士の連帯を示すために刀や鉄砲を破棄するというイベントが行われた。この毛皮や武器の破棄はこれまでも多くの場所で何度も行われている。














10387693_1567206603566553_131335365200889756_n同じく3月4日にはンガバ地区ゴマン僧院で、地球の上に白い鳩が飛ぶという「世界平和」を象徴する旗を掲げ、「世界平和を先導する法王に長寿を」祈る集会と行進が行われた。


参照:3月6日付けTibet Timesチベット語版
3月4日付けRFA英語版
3月6日付けTibet Timesチベット語版
2月19日VOA英語版
その他、フェースブックより。






1907586_1567207336899813_7665647772809513462_nこれらのイベントは何れもダライ・ラマ法王を讃え、法王の意志に従い平和を祈るというものであるが故に当局からは政治的集会と見なされる危険がある。チベットで平和を祈ることは勇気がなければできないことなのである。

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2015年02月13日

ウーセル・ブログ「でも、あなたたちの肉と骨はどうするのか?」

久しぶりに@yuntaitaiさんがウーセルさんのブログを翻訳して下さった。

以下、昨年1月18日、「パンチェン・ラマ10世円寂25周年記念日」にウーセルさんがパンチェン・ラマを思い出しながら書かれたものである。ウーセルさんは高校生の時、実際にパンチェン・ラマに会っている。そのときには、チベット語も話せない自分たちを批判し、チベット人としてのアイデンティティーの重要さを説くパンチェン・ラマに対し反感を感じたという。その後、チベット人としてのアイデンティティーを持つことの大事さに目覚めた彼女は、そのときの自分の反応を恥ずかしいと感じるようになったという。

原文:唯色:“但是你们的肉和骨头怎么办呢?” 

_004高校生だった私が参加した西南民族学院でのパンチェン・ラマ10世の講演(ドキュメンタリー映像「パンチェン・ラマ10世」より)






◎でも、あなたたちの肉と骨はどうするのか?

ちょうど働き盛りで突然亡くなったパンチェン・ラマ10世のことを考えるたび、私は初めて彼を見た時の情景を思い出す。私は当時まだ十七、八歳だったが、記憶は強烈だったといっていい。西南民族学院(現西南民族大学)の予科で高校2、3年だった1983年か1984年のある日のことだった。小さいころから赤い後継者になるよう教育されてきた私にとって、実はパンチェン・ラマ10世の印象はそれ以前にはほとんどなく、彼が「班禅(パンチェン)大師」と呼ばれる「チベット第2の大活仏」だと知っているだけだった。

班禅大師が来校するというので、早朝から私やクラスメートのほか、年長の大学生たちも校門での出迎えに駆り出された。冬だったはずだ。私たちは2列縦隊に並んでずっと待ち、寒くて仕方がなく、内心は不満だった。当時私たちは誰もチベットの民族衣装を着ていなかった。民族学院には相当数のチベット族学生がいたが、民族衣装を着た学生がいたのかどうかは覚えていない。近くにいたモンゴル族の男子2人が青いシルクの長袍を着ていて、とても目立っていたことだけは覚えている。

ようやく班禅大師がやって来た。姿を見るのは初めてだった。大柄でたくましく、顔色がつやつやしていたが、着ていたのは袈裟ではなく、濃い色の民族衣装だった。チベット族の生徒や学生は拍手したのか、「ようこそいらっしゃいました」と大きな声を出したのか、私は覚えていない。ただ覚えているのは、あのモンゴル族の2人がすぐにひざまずき、青いカタを頭上に掲げ、モンゴルの歌のようなものを歌い始めたことだ。とてもゆったりしたメロディーだった。さらに班禅大師が通り過ぎる時、2人は立ち上がって再び伏せ、五体投地した。なんて迷信深いのだろうと私は思った。

_006(写真)チベットエリアでチベット語教育について調べるパンチェン・ラマ10世。

その後、大学のホールに移動した。私たちは四川省のカンゼ州とンガバ州から来たチベット族の高校生だったので、前の方に座らされた。このため、班禅大師の話をはっきり聞く機会を持つことができた。ホールに集まっていたのはチベット族の生徒・学生と教師ばかりだったようで、本来なら班禅大師はチベット語を話すはずだった。しかし、チベット語を聞き取れるかどうかと班禅大師が問うと、舞台の下はしんと静まり返ってしまった。このため、班禅大師は中国語で話し始めた。非常に流暢な標準語だったので、私たちは全て聞き取れた。それは私たちへの批判、とても厳しい批判で、2、3時間続いた。私の隣のクラスメートは「うわ、ひどい言われようだなあ」とつぶやいた。

班禅大師は本当に机をたたきながら私たちを批判した。「君たちはチベット人なのにチベット語を話せないし、民族衣装も着ない。面倒くさいといって民族衣装を嫌がるが、何が面倒なんだ?」。そう話しながら手を上げ、腕を打ち振ると、長々としたシルクの袖が滑り落ちた。袖をまくり上げながら「こうすれば勉強や仕事にとても都合がいいだろう。君たちは民族衣装を恥ずかしいと思っているのか?自分たちの伝統と文化を捨て去ったら、君たちはもうチベット人ではなくなってしまうぞ」などと語った。私はまた不満を覚えた。当時、私は批判されて恥ずかしいとは全く思わず、ただひどくしかられて不愉快なだけだった。だからこの話を覚えていた。

_007(写真)チベット語教育に資金援助するパンチェン・ラマ10世。

後になって聞いた話では、班禅大師はもともと西南民族学院に寄付金を贈呈するつもりだったし、学校側もその資金援助をとても必要としていたという。文化大革命の終結後、長期間拘束されていた班禅大師は公的な活動を再開し、チベットエリアへ行くたびに数千数万のチベット人が押し合いへし合いしながら拝みに来て、無数のお供え物を贈っていた。お布施は麻袋に入れられたという。班禅大師はいつもお布施を元手に学校設立を援助したり、民族教育を進めたりしていた。このことはチベットエリアで広く知られていたため、西南民族学院も恩恵にあずかろうと考えたが、まさか班禅大師がチベット族学生に大きく失望するとは考えてもみなかった。班禅大師は1元たりとも寄付せずに立ち去ったという。

この出来事を何年もたってから思い出し、私はようやく恥ずかしいと感じた。後になって分かった恥ずかしさだった。何年か後、チベット人ネットユーザーの間で伝えられているパンチェン・ラマの二つの語録を読んだ。

「私が中国語を話せるのは私の能力と知識の表れだ。もし話せなかったとしても、それは私の恥にはならない。しかし私がチベット語を話せず、読み書きもできなかったら、それこそ一生の恥になる。なぜなら私は一人のチベット人だからだ」「もしあなたたちがチベットの民族衣装を恥ずかしいと感じるなら、着なくても構わない。もしチベット語を話すのが恥ずかしいなら、話さなくてもいい。でも、あなたたちの肉と骨はどうするのか?チベット人の家庭に生まれた事実は変えようがない。祖先はチベット人だ。でも言動を見る限り、あなたたちは民族を同化させられようとしている」

私は思わずため息をつかずにはいられなかった。班禅大師が私たちに向け、立派なチベット人になるよう長々とした袖を振った情景が再び目の前に現れたかのようだった。

2014年1月28日(パンチェン・ラマ10世円寂25周年記念日)
(RFAチベット語)







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2015年02月09日

17歳の僧侶がカンゼで1人デモ

photo僧ペマ・ドルジェ

2月6日、現地時間午後2時頃、カム、カンゼ(四川省甘孜チベット族自治州甘孜県甘孜)市街地で17歳の僧侶が1人で中国政府に抗議するデモを行い、その場で逮捕された。

彼の名はペマ・ドルジェ(པདྨ་རྡོ་རྗེ།)。デルゲ県ザコック郷にあるザゴンサル僧院(སྡེ་དགེ་རྫ་ཁོག་རྫ་དགོན་གསར་དགོན་པ།)の僧侶。

目撃者によれば、彼はダライ・ラマ法王の写真を掲げながら「ダライ・ラマ法王のチベット帰還を!ダライ・ラマ法王に長寿を!チベットには自由がない!我々には自治が必要だ!」と叫んだ。逮捕されるとき警官たちに激しい暴力を受け、口から血を流しながら連行されていったという。

現在どこに拘束されているのかは不明であり、家族や僧院の仲間たちは非常に心配しているという。

参照:2月8日付けRFAチベット語版
2月7日付けTibet Timesチベット語版



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2015年01月26日

1年近く拘束されていた僧侶に10年の刑

Tsewang-Sog-Tibet-2015刑期10年を受けた僧ツェワン。

25日付けTibet Postによれば、チベット自治区ソク県で1年近く拘束されていた僧侶に10年の刑が言い渡された。ベルギー在住のチベット人リンチェンが現地から得た情報としてTibet Post に伝えたところによれば、「チベット自治区ナクチュ地区ソク県の中級人民法院は今月中に、ソク県ティド郷ティルダ僧院僧侶ツェワン(27)に対し、中国支配に抗議するよう他人を扇動したとして10年の刑を言い渡した」という。

「彼は昨年3月17日に、『政治的理由』或は『外国と連絡をとった』としてティルダ僧院から連行された4人の僧侶の内の1人だ」と現地の情報提供者は伝えた。彼の居所、健康状態は不明のままである。

ナクチュ地区のソク県は隣のディル県と共に、ここ数年間、当局による弾圧の特別対象地区となっている。2013年には強制的中国国旗掲揚に抗議する一連のデモが発生し、これに対し当局が無差別発砲したために多くの死傷者が出ている。ナクチュとディルではこれまでに5人が焼身抗議を行っている。

今回、10年の刑を受けたティルダ僧院の僧侶ツェワンは、2014年3月17日に同僧院のツァンヤン・ギャンツォ、アツェ、ギェルツェンとともに拘束されている。このうち僧ツァンヤン・ギャンツォはすでに昨年10月中に「外国と連絡を取り、他を扇動した」として12年の刑を受けている。残る僧アツェと僧ギェルツェンの消息は依然不明のままである。

このソク県ティド郷では2014年3月10日のチベット蜂起記念日に「橋のたもとにある巨石に『チベット独立』という文字が描かれる」という事件があった。その後この現場の近くにあるティルダ僧院の僧侶たちが容疑者として連続的に連行された。地域のチベット人たちは彼らを開放するよう要求したが、その人たちも拘束され、拷問を受けた後開放されている。その他、地域ではスマホのチェック等により多くのチベット人が拘束され拷問を受けたと報告されている。

今回10年の刑を受けた僧ツェワンが実際どのような罪により懲役刑を受けたのかは不明であるが、10年はいかにも長過ぎると思われる。チベットでは他の人に政治的発言をしたり情報を伝えたりしただけで「他人を扇動した」ことになり、スマホや電話で外国にいる人に連絡しただけで「外国に国家機密を漏洩した」とされるのである。

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2015年01月20日

昨年1年間にインドに亡命したチベット人は120人のみ

Recieption_Cent1ダラムサラ難民一時収容所。

今週日曜日に鎌倉であったチベットイベントでは小川まりえさんが作られた『ソナム』というドキュメンタリー映画が上映された。ダラムサラの難民一時収容所に到着したグループの中から偶然、チベットの匂い一杯の10歳の男の子を見つけ出し、その子の収容所での生活を追うというものだ。その後のトークで、チベット難民の現状が話題となり、私は2008年以降難民が激減したという話をした。

ちょうど昨日Tibet Timesがその収容所に行き、所長に昨年の難民の数等を確認したという記事が載っていた。それによれば、昨年1年間にダラムサラの一時収容所に辿り着いたチベット難民の数は120人という。

2008年以前には毎年2500~3000人の難民がヒマラヤを越え亡命していたのである。今後もこのトレンドは変わらないだろうということで新しく2008年に規模を拡大して作られた新しい収容所は出来上がったとたんにガラガラ状態が続いている。

ラサを初めチベット全土で全面蜂起があった2008年に800人ほど、その後600人、500人、400人、300人と順次年を経るごとに減少し、2013年には150人、そして昨年2014年には120人となった。120人の内、約50人が僧侶・尼僧、残り約70人が一般人という。

2008年、中国政府は本土のチベット人をダラムサラから徹底的に引き離す政策を決定し、国境警備をさらに厳しくし、ネパール政府にも金を与えネパール側からも警備を厳しくさせた。亡命ガイドを大勢逮捕したことでガイド料も跳ね上がった。さらにここ数年、カムやアムドのチベット人がラサに巡礼等で入ることも厳しく規制したが、インドへ亡命するにはラサを経由しなければならないということで、この規制が亡命への大きな障害となり、亡命者激減の主要要因となったのだ。亡命したい人も大勢いるであろうが、あまりに危険が大き過ぎ、大金を用意しないといけないということで、実行は不可能に近いというのが現状である。


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2014年12月31日

チベットが世界初!世界一! 14のリスト

年末の締めくくりにちょうど良さそうな記事を見つけたのでそれを紹介する。

いつもの暗めの記事ではなく、世界でこれを始めたのはチベットが最初!とかチベットのこれは世界一!というリストである。チベット人は6百万人ほどしかいないが、驚くべきこと、誇って良いこと(慈悲の文化だけでなく)をこれまでにいくつも成し遂げているのである。

2014-12-09-Tibetan-Firsts以下に紹介する写真とリストの元記事は、ウーセルさんのブログの英訳等を紹介するHigh Peaks Pure Earthであるが、そのまた元は左の写真にある中国の social mediaやWeChat上で広まっているものという。

High Peaks Pure Earthの記事にはいくつかのNo1に関し短い注が付けられている。これは<注>として紹介すし、私のコメントは<補足>とする。

このリストについては異論・反論とか、もっと詳しい説明が知りたいとか、これだけじゃないこんなものもあるぞ、という意見がでるであろう。そのような場合にはどうぞそういったコメントを寄せてほしい。






2014-12-09-Photo-1-300x1901.ファーストフードを発明した(ツァンパ)。

<補足>ツァンパは高地性裸麦(大麦の変種)を煎って、うす等で粉にしたもの。チベット人の主食。このツァンパとヤクを飼うことによりチベット人はあの高地でも生活を続けることができたといわれる。

これが世界で初めてのファーストフードと言えるのかどうかは私には分からないが、面白い話を一つ。
インド軍の中にはチベット人主体の第22部隊というのがある。この部隊は高地特殊部隊とも呼ばれる。何度かのバキスタンとの戦闘においても常に最前線で戦っている。「インド人はいくら高地に行こうとも、必ず火を起こしチャイとチャパティを作らないといけなくて戦闘準備に時間がかかる。しかし、チベット人は水(雪)さえあれば、ツァンパを食いながら休みなく闘い続けることができる」と聞いた事がある。

2014-12-09-Photo-2-300x2072.ポロ(競技)を発案した。

<注>チベット語が英語に取り入れられた稀なケースである。

とあるから、本当にポロゲームはチベット人が始めたようだ。




2014-12-09-Photo-3-300x2913.初めて馬を飼育した。

<補足>写真がなぜ馬でないのかは不明。

この主張には「いやスキタイ人だ」とかの異論が出るかも知れん。検証は難しかろう。










2014-12-09-Photo-4-200x3004.初めてモデルコンテストをした(サムイェ寺建設時にティソン・デツェン王とパドマサンバヴァが主催。

<注>この史実はチベット最古の文献である『the Bazha (Sba bzhed)』に書かれている。ツィソンデツェン王とグル・リンポチェ(パドマサンバヴァ)はサムエ寺創建にあたり、そこに奉納する仏像をインドや中国で作られていたそれぞれの民族をモデルにしたものではなく、チベット人をモデルにしたものにするために、まずその元となる理想的な若いチベット人男女を選ぶ目的でコンテストを開催した。

<補足>近年、ダラムサラではロプサン・ワンギェル・プロダクションの主催により、「チベット美人コンテスト」が毎年行われるようになっているが、このコンテストに対し、最初当時の首相であるサムドン・リンポチェが「仏教社会に相応しくない」との理由で異議を唱えられたが、この史実からみるとその目的の違いは大きいにせよ、正当な歴史復活と言えないこともないか?

2014-12-09-Photo-5-300x2255.世界 一長く王朝を継承 。

<補足>吐蕃王朝のことを指していると思われる。が、この吐蕃王朝についてはどこまで史実なんだか私にはよくわからない。








2014-12-09-Photo-6-300x1686.最も早く穀物を耕作した国。

<注>ワシントンポストのこの記事(英文)を参照とある。
<補足>この記事は「裸麦栽培がいかに人類が高地に住み始める事に貢献したか」という記事ではあるが。


2014-12-09-Photo-7-300x1777.世界 で最初に留学生を外国に派遣。

<注>8世紀にツィソンデツェン王がインドへ仏教を学ばせるために学生を送った。






2014-12-09-Photo-8-300x1918.世界 で初めて鉄製の橋を架けた

<注>チベットの天才タントン・ギェルポ(1385–1464 or 1361–1485)が14世紀に!







2014-12-09-Photo-9-229x3009.世界で最初に陶器に装飾を施した民族の1つ 。

















2014-12-09-Photo-10-300x22010.世界で最初の眼科手術 。














2014-12-09-Photo-11-300x22311.世界で最初に製錬技術を開発。













2014-12-09-Photo-12-300x23312.世界 最大のブロンズ像

<注>タシルンポ僧院内。












2014-12-09-Photo-13-300x18613.世界 最大のペインティングクロス(僧院の布タンカ)。











2014-12-09-Photo-1414.世界 最長の叙事詩(ケサル王叙事詩)


今年もこのブログを閲覧して下さった方々に深く感謝!

来年も引き続きチベットをよろしくお願いします!

良いお年を!



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