2014年10月18日

セルタで元僧侶が1人デモ

10659256_977329668950355_2871423395568917225_nドルジェ・リンチェン。

10月16日、午後2時頃、四川省カンゼ州セルタの街の中心にある「金馬広場」で20歳代の元僧侶ドルジェ・リンチェン(བོད་མི་རྡོ་རྗེ་རིན་ཆེན། 愛称:ドリརྡོ་རིས།)が、空にルンタ(祈りの紙切れ)をまき上げながら「チベットに自由を!」と叫んだ。

周りにいた人々が彼の周りを囲った。保安部隊が駆けつけ、ドルジェを押さえ込み、大勢が激しい暴力を加えた。周りにいたチベット人たちはこれを見て、ドルジェを救おうとしたが、部隊は彼の頭の毛を掴みながら車に押し込み、どこかへ連れ去ったという。

最近亡命を果たした僧ゴロ・ジグメがこの情報を伝えたが、彼は自身の経験に照らしながら「彼が今、酷い拷問を受けているのではないかと心配だ」と語る。

目撃者によれば、「彼は何かが書かれたルンタを沢山まき上げながら、『チベットに自由を!ダライ・ラマ法王に長寿を!チベットには人権が必要だ!』と叫んでいた」という。

彼のデモを顔写真と共にウェイボ(微博)上で伝えた現地のあるチベット人は、「中国政府の因果と現実を無視した沢山の弾圧を目撃し、役人たちの一般チベット人に対する蔑視、いじめ、強要等を味わい、耐え切れず、彼は平和と自由のために、命の危険を顧みず、平和的な抗議を行ったのだ」とコメントしている。

ドルジェ・リンチェンはセルタ県ホルシュル郷(གསེར་རྟ་རྫོང་ཧོར་ཤུལ་ཡུལ་ཚོ།)の出身。母の名はリクツォ。彼はヌプ・スル僧院の僧侶であったが、数年前に還俗し、最近はラルンガル僧院内で店を開いていたという。

10月4日にはセルタの隣町であるカンゼで商人パッサン・ワンチュク(37)が同じく一人デモを行い、逮捕されている。セルタの「金馬広場」では、2012年11月26日にワンギェルが焼身抗議を行っている。

参照:10月17日付けRFA英語版
同チベット語版
10月17日付けVOT中国語版
10月17日付けTibet Timesチベット語版


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2014年10月17日

ナンチェンの高僧ケンポ・カルツェに2年半の刑

092a6055ナンチェンの人々の心の柱とも言われるチャパ僧院の高僧ケンポ・カルツェは2013年12月6日、四川省の成都で「国家の安全を脅かせた」疑いにより拘束され、その後10ヶ月以上チベット自治区チャムドの拘置所に収監されていた。

彼が拘束された後、彼の解放を求める地元の僧侶や住民による大規模なデモも数回行われ、多くの逮捕者を出している。地元の人々は4000人の署名を集め当局に提出したこともある。また、アムネスティー・インターナショナルも彼の解放を求める署名活動を行っていた。しかし、このような運動の成果なく、ついに最近彼に2年半(*1)の刑が言い渡されたことが判明した。刑期が2年半と比較的短かかったのは成果と言えるかも知れないが。

16cd923c収監中にケンポ・カルツェは病気により衰弱しているという情報も流れていた。刑期が判明しただけで、罪状や今どこに収監されているのか、健康状態はどうなのか等については不明のままである。

ケンポ・カルツェは2011年、山一つ向こうにあるチャムド地区カルマ郷にあるカルマ・カギュ派の祖寺カルマ僧院の僧院たちが弾圧を逃れて自分の僧院に駆け込んだ時、彼らを匿った。このことが当局に知れ、この時から当局の監視の対象となっていたという。

参照:10月16日付けVOT中国語版
同チベット語放送
10月17日付けphayul

ケンポ・カルツェについてはこれまでにウーセルさんも何度か書かれているし、当ブログでも取り上げている。

ウーセル・ブログ「省境を越えて拘束されたケンポ・カルマ・ツェワン」
ウーセル・ブログ「逮捕されて47日になるケンポ・カルマ・ツェワンの逮捕1カ月前の記録」
高僧の解放を求めた16人拘束
チベット人の移動の自由が奪われていると訴えるケンポ・カルツェ  彼の解放を求める署名活動始まる
高僧等の解放を求め刑務所前で500人が座り込み

注*1:昨日(10月17日)刑期は「2年」とVOT等を元に伝えたが、その後RFA等により「刑期2年半」とされたことに従い訂正。



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2014年10月10日

<整理整頓工作> 仏塔、マニ塚、お堂取り壊し等々 ディルで新たな弾圧

imageチベット自治区ナクチュ地区ディル県(那曲地区比如县)では去年9月20日から愛国再教育キャンペーンが強化され、これに反発した住民との間に衝突が繰り返され、これまでに部隊の無差別発砲等により5人が死亡し、1000人以上のチベット人が拘束されている。長期刑を受けた人も多い。

このディル県は焼身抗議もこれまでに3件起きており、チベット自治区の中ではもっとも抵抗意識の高い県と見なされている。この辺りは自治区内に組み入れられているが言語・文化圏的にはカムである。

10月7日付けRFA英語版によれば、このディルで前回のキャンペーン開始からちょうど1年経った日から、僧院を主なターゲットとした新たな弾圧キャンペーンが始まったという。キャンペーンの中国語は「清理整顿工作」である。宗教的施設や反共産党的思想等は整理されるべきものであるらしい。

ディル県当局はこの「清理整顿工作」を9月20日付けで開始し、期間は10月20日までの1ヶ月間とした。この「工作」の詳細を記した書類は30ページに及ぶ。これが役人たちにより、域内のすべての僧院と村落に配られたという。その内容のいくつかが伝わっている。

「2010年以降に施設されたすべての新しい仏塔、マニ塚(お経が掘られたマニ石を集めた壇)、お堂を違法建築物と認め、指定期間内に取り壊すこと」と書かれており、「取り壊す責任はその施設を建てた僧院や村人にある」という。

「もしも、当事者が実行しない場合には当局が行う」そうだ。

さらに、「2011年11月1日以降に施設された、瞑想用の小屋等も取り壊されなければならない」と命令しているという。

また、僧院に所属する少年僧について、「12歳以下の僧侶はディル地区の僧院に所属することはできず、今現在いる12歳以下の僧侶は全員10月20日までに家族の下へ帰らねばならない。各僧院長はこの責任を負う」とされ、「僧侶を引き取ることを拒否したその僧侶の家族は6ヶ月間拘留されるか、1年から3年の刑を受けるであろう」「少年僧を匿った僧院のラマや僧院長は罰せられ、僧院から追い出される」と脅している。

別の情報提供者によれば、「自分たちの小屋の上に五星紅旗を掲げなかったり、部屋に中国の指導者の写真を掲げない僧侶や尼僧は追放され、ダライ・ラマ法王の写真を持っていたことが発覚した僧侶や尼僧は『再教育』され、政府が僧尼に約束する補助が取り消される」と伝え、されに「一般人もダライ・ラマ法王の写真を持っていれば、6ヶ月間の『法制教育』が課され、向こう3年間(2年間との情報も)冬虫夏草の採取が禁止される」そうだ。

ディルでは9月初めにワタン・ドングル僧院の僧侶6人が僧院に掲げてあった五星紅旗を引き下ろし、燃やしたとの嫌疑で連行されている。

その他参照:10月9日付けVOT中国語版

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2014年10月08日

成功した商人がカンゼで1人デモ 3児の父

image1人デモを行うパッサン・ワンチュク。

1人で焼身抗議を行うチベット人が最も多いのはアムドのンガバだが、1人でデモをやるチベット人がもっとも多い場所はカムのカンゼと思われる。1人でデモをやる、それが続くというのは世界でも珍しいのではないかとも思う。チベットでデモをやるには相当の覚悟、時に死ぬ覚悟がいる。今回の特徴は、成功し金に困らぬチベット人商人が中国政府に抗議するデモをしたということだ。

10月4日、現地時間午前10時半頃、カム、カンゼ(四川省カンゼ・チベット族自治州カンゼ県カンゼ)の中心街で、地元の商人パッサン・ワンチュク(པ་སངས་དབང་ཕྱུག 37)が訴えを書いた白い大きな布を掲げながら、その内容を叫び続けたという。10分ほどして、警官隊が駆けつけ、彼は取り押さえられ、連行された。

布には以下4項目の訴えが書かれていた。
1、チベットには人権が必要だ。
2、チベットには自由が必要だ。
3、チベットには宗教の自由が必要だ。
4、ダライ・ラマ法王をチベットにお呼びすべきだ。

basang-wangchukパッサン・ワンチュクはカンゼでは成功した商人として有名であるという。また、地元の人の話によれば、彼は「普段から貧しい人たちをできるだけ助けていた。それぐらいだからお金には困っていなかったが、普段からチベット人たちに自由がないという苦しみについて語ることが多く、チベット人のためには恐れなく本当のことを口にする人だった」という。

彼には妻と3人の子供がいる。上2人が女の子で、下の男の子は5歳という。

彼の妹であるプワンは2008年の抗議デモに参加し、2年半の刑を受けた。彼女はその時の拷問の後遺症により身体障害者となっている。

参照:10月5日付けRFAチベット語版
10月7日付けRFA英語版
10月7日付けTibet Timesチベット語版
10月5日付けTibet Expressチベット語版

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2014年10月05日

新たな焼身者 秘密裏に治療中

15772_512465595523523_4013784117946157399_n焼身後病院で治療を受けるクンチョク。

昨夜RFAがチベット内で新たな焼身があったと報じた。しかし、実際に焼身があったのは先月16日のことという。

情報が伝わるのが遅れた原因の一つは当局の情報遮断のせいであろうが、今回は特に焼身者が現場で死なず、当局に連れ去られる前に親近者が彼を遠くは離れた隠れた病院に匿い、秘密にしていたからと思われる。

習近平がインド訪問を始めた9月16日、アムド、ゴロ(青海省果洛チベット族自治州)ガデ(甘徳)県ツァンコル郷の警察署の前でクンチョク、42歳が焼身を行った。現地から情報を伝えたチベット人は「彼の焼身は中国のチベット政策に抗議するためだ。チベット人のためにやったのだ」という。

彼はツァンコル郷メコル村の出身。2人の子供がいる。1人は僧侶、もう1人は尼という。

現地と連絡をとった別のチベット人によれば、「焼身を目撃したチベット人たちはすぐに火を消し、彼を西寧の隠された病院に運び込んだ。そこで彼は秘密裏に治療を受けている」という。

「彼は今、大きな苦しみの中にある。治療中にも彼はしばしば涙を流す。思うように死ねなかったことを後悔しているのだ」という。「生きる望みは薄いと思う」とそのチベット人は続けた。

「これ以上詳しい事は言えない。家族はこのことが当局に知れ、関わった人に迷惑がかかることを恐れている」
「家族はまた、クンチョクがこのまま生き続ければ当局に連れ去られるだろう。その後死んでも、遺体は渡されないと心配している」という。

第3の情報提供者によれば、「中国当局は焼身の後、ガデ県内の警戒を厳重にし、見通しのいいところに監視カメラを増やしている。いつも見張られているようだ。僧院の周りにも監視カメラが設置された」という。

クンチョクの焼身により内地焼身者の数は133人となった。彼が焼身した次の日にツーで22歳の学生ラモ・タシが焼身している。

その他参照:10月4日付けRFAチベット語版

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ダライ・ラマ法王ノーベル平和賞受賞25周年祝賀会

_DSC8814_1073少し報告は遅れたが10月2日、ダラムサラ、ツクラカンでは「マハトマ・ガンジー生誕145周年に合わせ、ダライ・ラマ法王ノーベル平和賞受賞25周年を祝う会」というものが行われた。今回特別だったことは、この祝賀会のために2人の女性ノーベル平和賞受賞者がわざわざダラムサラまで来られていたということだ。彼女たちの発言等もいくつか紹介したい。

_DSC8418_1029この日特別に上機嫌と見受けられた法王であったが、「ダライ・ラマは私で終わりだ」に続き、最近また日本の新聞にまでダライ・ラマ法王関連の記事が出回っている。一つは産経新聞の「南ア、ダライ・ラマのビザ発給拒否 中国への配慮?ノーベル賞受賞者サミット中止に」のように「サミット関連」であり、もう一つは「ダライ・ラマ、チベットに帰国か?」だ。と書いて、2つ目は日本語だとレコードチャイナの記事ぐらいしかないことを知った。が、とにかく英語媒体ではこの2つが今週の話題の中心だったので、そのことについても少し書くつもりだ。

_DSC9022_1093今回来られたノーベル平和賞受賞者は地雷禁止国際キャンペーンで有名なアメリカのジョディ・ウィリアムズ(Jody Williams)女史とイランの人権弁護士、人権活動家であるシーリーン・エバーディー(Shirin Ebadi)女史だ。当初4人の平和賞受賞者が集まる予定であったが、イエメンの女性活動家タワックル・カルマン(Tawakkol Karman)女史は最近のイエメン動乱と難民発生に対応するため緊急帰国中であり、イベリアのレイマー・グボイー(Leymah Gbowee)女史は自国にエボラ熱が蔓延し始めた故、こちらも緊急帰国中ということで今回出席することはできなかった。ジョディ女史とシーリーン女史はダラムサラに来るのは2度目という。

_DSC8274_1005この写真は前日に行われた記者会見の時のものだが、手前に写っている女性は「ノーベル女性の会(Nobel Women's Initiative)」現会長のLiz Bernstein女史である。「ノーベル女性の会」というのはこれまでにノーベル平和賞を受賞した女性8人+名誉会員アンサンスーチー女史で構成されている。会の目的は「世界中で人権、平等、正義のために闘う人々を支援するため」という。

ダライ・ラマ法王へのビザ発給拒否に抗議し、南アフリカのノーベル平和賞サミットをボイコットした6人の平和賞受賞者全員、この会の人たちである。

エバディ女史シーリーン・エバーディー女史。

「私たちが今回ダラムサラを訪問した目的は、正義や人権を求めて闘っているのはチベット人やダライ・ラマ法王だけではないこと、そして世界中がチベットを支持していることを中国政府に示すためだ」と女史は記者会見でも祝賀会でも重ねて表明した。

「南アフリカには人種差別との戦いの歴史がある。だからこそ、その南アフリカがダライ・ラマ法王への査証発給を拒否するのが、受け入れられないのです」「南アフリカでの平和賞サミットはネルソン・マンデラ氏の精神を思い出すためのものである。中国の圧力に負けて法王にビザを出さないとは彼の精神に反する」と述べられた。

彼女はホメイニ時代から続くイランの専制政治の下で、逮捕された政治犯等を擁護する人権弁護士であったが、現在は入国を拒否され亡命の身である。圧政下のイランの状況はチベットと似ているという。英語が達者でないらしく通訳を介して話された。彼女のイラン語のスピーチはなかなか迫力があった。

彼女はまた、非暴力の闘いに勝利するには、何よりも、まず「いいジャーナリストを育て、しっかりしたメディアを作る事だ」と強調された。

_DSC8735_1064「チベット内地のチベット人も外地のチベット人も私たちが常に支援し続けているということを知ってほしい」と語るジョディ・ウィリアムズ女史。

ジョディ・ウィリアムズ女史は10月1日の記者会見の時、「サミットは南アフリカから会場を移しました。新しい開催地は後日発表されるそうです。ダライ・ラマ法王への査証発給の拒否に対して私たちが抗議活動を行い、サミットが延期になったことを誇りに思います」と述べた。この時、会場が少しざわめいた。サミットが中止になったというニュースを聞くのはみんな初めてだったからだ。多くのメディアはこの時点では彼女の話を「要確認」事項とした。

このサミット中止は次の日になり「本当だった」ことが確認された。中国政府は南アフリカがダライ・ラマ法王のビザを発給しなかったことに対し「謝辞」まで示していた。これで、南アフリカも中国も再び世界の恥さらしとなった。

エバーディー女史はこのサミット開催に関わる法王ビザ拒否問題について、法王の盟友であるツツ司教が今回まだ非難の声を上げないことに疑念を示されていた。この発言が影響したのかどうかは分からないが、ツツ司教は次の日にこの件で政府を非難する声明を発表している。

_DSC8504_1038ジョディ・ウィリアムズ女史は熱烈なダライ・ラマとチベットのファン、と思われる発言や態度を常に示されていた。祝賀会の間も法王と親しげに談笑されていた。







_DSC8542_1042亡命政府首相のロプサン・センゲ氏はスピーチの初めに「今日は内地チベット人にとって非常に特別な日だ。彼らは日々、政治的、宗教的迫害を感じるという苦しみの中で、何か自由に関するいいニュースはないだろうかと待ちこがれている。貴方たちがここに居ることは彼らに正義、真実そして自由のメッセージを送り、それが彼らに希望とインスピレーションを与えることでしょう」と述べる。

_DSC8566_1047議会議長ペンパ・ツェリン氏は習近平に対し「チベットを含めすべての少数民族に自由を与えること」を求め、また「ノーベル平和賞受賞者である劉暁波氏を解放すること」も要求した。






_DSC8768_1066法王はスピーチの初めに、「今日の式典は大きな意味がある。今日がマハトマ・ガンジー氏の生誕日だからだ」と言われ、続けて「マハトマ・ガンジー氏を記念する一番良い方法は、彼の平和、非暴力そして質素な生活というメッセージに従うことだ」と語られた。

さらに「マハトマ・ガンジー氏の非暴力の闘いは当時、屈従的で効果のないものだと見なされていた。現在では彼が掲げた平和と非暴力の闘いは伝説となり、世界の人々に啓示を与えている。アメリカの市民活動家であるマーチン・ルーサー・キング牧師もガンジー氏の主義と生活態度に大きな影響を受けている」

「ガンジー流の生活と主義に従うことで日々の生活に内的平安と満足をもたらすことができる」と語られた。

_DSC8790_1068さて、「ダライ・ラマ法王、チベットへ帰るか?」の話だ。これは最近、「チベット自治区の呉英傑(ウー・インジエ)副書記は英紙タイムズの取材に答え、中国共産党とダライ・ラマ側代表との対話は順調に進んでいるとコメントした。五台山参拝を口実とした中国訪問が許可される可能性もあるという。その際、中国の国家指導者と会談し完全な帰国が許されることも考えられるという。ただしチベットが中国の一部であると認め、独立活動をやめることが条件になるともコメントしている」という記事が日本ではレコードチャイナ等から出た。

これを受けてか、10月2日にAFPの記者が法王とのインタビューでこのことを確認した。その後に出た記事によれば法王はこの時「まだ決定されたわけじゃない。そのようなアイデアがあるということだ」、交渉は「公式にまじめにというわけではなく、非公式に進められている」と答えられたという。

_DSC8862_1076この件に関しセンゲ首相は「なにも公式な話合いは持たれていない。憶測が多いようだ。この法王が五台山に巡礼に行くという話は昔からある。何百人もの中国人がダラムサラに来るが、その内の何人かは北京政府とつながりがあるという。しかし、我々はそれを確認できないことが多い。習近平は少しはましなのかも知れないが、我々には50年間の悪い経験がある」と期待は持っていないらしい。

_DSC8595_1049何よりも英語メディアがどこから間違ったのか、「法王が五台山に巡礼に行くかも知れない」という事を「法王がチベットに帰るかも知れない」と勘違いして報道していることが気になる。

また、レコードチャイナ等では「ただしチベットが中国の一部であると認め、独立活動をやめることが条件」と書かれているが、本当は「チベットと台湾が中国の一部であると認め、独立活動をやめること」が条件とされている。法王は中道を訴え独立活動などまったく行ってないわけだが、中国当局はこれを故意に認めようとしない。ここで台湾を持ち出すのはいじめであろう。

_DSC8864_1077皆さんのスピーチの後はドラマスクールと子供たちが喜びを表す歌と踊りを披露した。










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2014年10月03日

鉱山開発に抗議するチベット人に無差別発砲 13人被弾

image2014年3月10日、ナムリン県で威嚇行進を行う武装警官隊。

このところ香港では学生・市民の大規模民主化要求デモが行われ、世界中のメディアが注目していた。当局も一旦、デモ参加者を蹴散らすためにペパースプレーや催涙弾を使ったが、これが世界中に伝えられるやイメージダウンを怖れ、当局はすぐに武力行使を中止した。見られるところで悪い事はしないということだ。

昨夜、香港長官が「(デモ側が要求した)辞任はしないが、代理人を通じてデモ側の代表者たちと対話する用意がある」と表明した。明らかに時間稼ぎ目的の提案だが、行儀のよい学生たちはこの話に一旦乗るしかなく、デモは一時解散に向かっている。モメンタムを逃したことが残念だ。

香港でデモ隊に対し催涙弾が使われる事は非常に珍しいという。一方、チベットではちょっとしたデモに対しても実弾が使われることが少しも珍しくない。共産党に逆らうものはその場で銃殺されても何も言えないということだ。

10月1日付けRFAによれば、8月9日、チベット自治区シガツェ地区ナムリン県で鉱山開発に抗議したチベット人住民たちに向かい部隊が無差別発砲を行い、13人が被弾負傷したという。その内の1人は妊婦であった。

このシガツェ、ナムリン県ではこれまでにも鉱山開発を巡り、住民と当局の衝突が何度も起きている。この地区の鉱山開発は10年ほど前に始まり、次第に拡大されて行った。拡大にともない、住民の土地が取り上げられたり、公害で家畜等に被害が出るというので、住民たちは当局に何度も掛け合っていた。しかし、住民は「地区の書記は鉱山開発会社から賄賂を受け取り、つるんでいる」といい、当局は無視するばかりであった。

3a4ed04c2010年5月21日、ナムリン県ウユック・ソチェン郷で鉱山開発に抗議した後、拘束されるチベット人たち。

2010年5月には抗議するチベット人たちに部隊が暴力をふるい、数十人が逮捕されている。その他これまでに県内いくつかの村で衝突が起こり逮捕者がでている。

今回はナムリン県ツァン・トプギェル村の住民が地区内の鉱山開発に反対し抗議デモを行ったという。「デモ隊は郷庁舎を囲った。そこに武装警官隊が現れ、集まっていた人たちに向かって発砲した」と匿名希望の現地チベット人が伝える。

「13人が撃たれた。その内の1人は妊婦だが、彼女は足を撃たれた」「ほとんどの負傷者はシガツェの病院に運ばれたが、何人かはナムリンで治療を受けている」という。負傷者たちの状態や現地の状況等詳しいことは未だ伝わっていない。

1dc8c682同じくナムリン県で2010年6月5日、鉱山開発抗議者を弾圧するために部隊が出動したときのもの。

地域ではこの事件の後すべての情報網が遮断されたという。そのせいで、この事件が海外に伝わるのに2ヶ月近くかかっている。チベットはこの点でも香港とは違う。

鉱山開発を巡る地元チベット人と鉱山会社+当局の対立事件は、鉱山開発の増加に従いますます多くなっている。先週9月23日には、同じ自治区メルド・グンカル県では、大規模な鉱山開発に伴う川の汚染を訴えるために1000人規模のデモが行われた。しかし、当局は対話を拒否し続けている。ゴロ州ペマ県のチベット人たちも近く地区の鉱山開発に抗議する大規模なデモを行うと9月29日に宣言している。

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2014年10月01日

ディル:五星紅旗を燃やした容疑で6人の僧侶拘束

392ディル県ワタン・ドングル僧院。

今日10月1日は中国の国慶節。分裂主義者毛沢東が中国共産党というテロリスト集団を組織し、日本のお陰で国民党との闘いに勝利し、1949年10月1日に天安門広場にて中華人民共和国の成立を宣言したことに由来する。中国共産党にとって一年で一番大事な記念日だ。ご存知のように、香港では何万人もの学生と市民が真の民主化を求め、路上占拠デモを続けている。今後、世界と北京政府の反応が注目される。

この日、中国中が共産党の五星紅旗で溢れる。チベットやウイグルでもこの赤い旗を各家庭や各事務所の屋上に掲げる事が強制されたことであろう。チベットの場合、普段でも学校には間違いなく中央にこの赤い旗が掲げられている。僧院の場合は、地区によりばらつきがあるようだ。カムやアムドではほとんどの僧院が掲げていない。チベット自治区はカム、アムドに比べすべてにおいて管理がより厳しく僧院もこの旗を掲げさせられているところが多いようだ。

特にナクチュ地区ディル県では去年、当局がこの五星紅旗を強制的に村人たちに掲げさせようとしたことから衝突が起こり、これまでに多くの死傷者を出し、1000人以上が拘束され、大勢が長期刑を受けている。

10月1日付けTibet Timesによれば、9月初めチベット自治区ナクチュ地区ディル県ワタン・ドングル僧院の僧侶6人が僧院に掲げてあった五星紅旗を引き下ろし、燃やしたとの嫌疑で連行された。現在当僧院と周辺の村には大勢の部隊が配備され、厳重な警戒下におかれているという。

拘束された6人の僧侶の氏名については今のところ、内2人の両親の名前が分かっているだけという。どこの拘置所に入れられているかも不明。

彼らが所属するワタン・ドングル僧院はカギュ派の由緒ある僧院である。1258年、第1世ドングル・チュゼ、ギェワ・ガンパ・リンチェン・ウーセル師により創建された。1969年、僧院は共産党により完全に破壊された。それだけではなく僧院のラマである、第15世ドングル・チュゼ、テンジン・ドドゥル師をディル騒乱の扇動者として逮捕し、1970年にディルで処刑した。1980年から僧院は再建された。

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2014年09月29日

ウーセル・ブログ:特権を享受する「太陽の都ウオーク」

今年の冬、1月12日、中国のスター集団が1500人余りを引き連れ、「歩くことの力 太陽の都ウオーク」と題し、チベットの首都ラサを闊歩した。この官製イベントは役人により「心の公益プロジェクト」とも呼ばれた。

このイベントに対し、ネット上でチベット人たちは「もし僕らが10人以上でこんな風にラサを歩いたら、どんなことになる?」「特殊警察や武装警察が出動するだろう」とつぶやいた。

ウーセルさんはこのイベントを中国のチベット植民地化の象徴と見て、「今日のラサの残酷で皮肉に満ちた現状を『太陽の都ウオーク』よりもはっきり見せつけるものはない。売れっ子スターたちはチベット仏教の『心の修行』にかこつけて個人のイメージを飾り繕っただけではなく、あしき『チベット政策』の美化を手伝い、チベットの至る所で心の修行が本質的に圧迫されている真相を覆い隠した。そして、チベットが依然『アパルトヘイト』にあるという真の現状をかえって別の角度からはっきりと浮かび上がらせた。」と断じる。

原文:2014年2月5日付けウーセル・ブログ 唯色:享受特权的“行走日光城”
翻訳:@yuntaitaiさん
◎特権を享受する「太陽の都ウオーク

7d440be4jw1ecgl9vvflgj20c80ih41c

(写真)新浪微博から転載

中国の映画スターたちがワシントン・ポストの最新記事「ディズニーランド化するチベット――観光はいかに占領の道具になったか」を読んだのかどうかは分からない。しかし、たとえ読んでいたとしても、自分たちこそが記事に書かれていた観光客だとは絶対に思わないだろう――「政府はチベットの僧侶を軍の兵士で脅すのではなく、厚かましい観光客の群れで窒息させつつある」。なぜなら、スターたちは自分を崇高な存在と考え、ラサなどチベット各地で実施していることは全て「心の修行」に関わる「心の公益プロジェクト」だと信じているからだ。

1月12日、中国のスター集団が1500人余りを引き連れ、堂々と「ゾンキョ・ルカン公園を出発し、ポタラ宮とラル湿地、ジョカンなどを経由し、最後はポタラ宮広場にゴールした」。聞こえ良く「歩くことの力
太陽の都ウオーク」と題し、中国メディアに大々的に宣伝された。リーダーの売れっ子スター陳坤は「私たちが押し広めているのはある種の精神と態度です。人生に何が起きても、いつも楽観するべきだということです」と語った。

これについて、少なからぬチベット人のネット仲間が新浪微博で熱心に議論した。「もし僕らが10人以上でこんな風にラサを歩いたら、どんなことになる?」「特殊警察や武装警察が出動するだろう」「もしチベット族の150人が一緒に行ったら、どう扱われるんだ?」「地元民が6人以上集まるのは違法じゃなかったっけ?身分証を調べ、とりあえず1カ月拘束して、それからどう処理するか考えようって展開になる。本当に比べ物にならない扱いだ!!」

実際、これは現在だけの話ではない。1998年のチベット暦新年の期間中、田舎や僧院のチベット人男女200〜300人がラサ全体を伝統的な巡礼路に沿って五体投地していたところ、当局に遮られてしまった。私は当時この巡礼者たちに同行し、この珍しくも短い壮観な場面をカメラで記録していた。

bec7a846jw1ecgukjmqi9j20dc0hstbc(写真)ソンタル・ギェルの2014年1月12日の微博から転載。投稿は同日中に削除された。

陳坤らスターの「太陽の都ウオーク」とちょうど同じ日、アムドのチベット人で映画監督のソンタル・ギェルが飛行機でラサに着いた。しかし、彼は1週間を費やしてからようやくラサ入りを許された。このため、彼はチベット人であることの苦労を微博で嘆き、手にした「チベット自治区居住証」と指定旅館に泊まるための「アドバイスカード」の写真を投稿した。これは昨年6月30日以降、当局がいわゆる「4省蔵区(青海、甘粛、四川、雲南の各省のチベット・エリア)からラサに来た者」を対象に始めた新しい措置だ。すなわち、ラサのチェック・ポストで登記し、検査を受けた上で、ラサ滞在中に使用できる証明書を身分証と引き換えに受け取る制度だ。しかし、彼のこの書き込みと写真はすぐに削除された。残念ながら私は写真を保存しただけだった。

陳坤らスターはラサでなぜチベット人とは異なる特権を持てるのかと問う人がいた。実は理由はとても簡単だ。英国がインドを植民地支配していたころ、風景の美しい場所にリゾート施設やクラブを建て、英国人に植民者の特権を心行くまで享受させたのと似通っている。1月15日に新疆と北京の警察に逮捕された中央民族大教授でウイグル人学者のイリハムは「差別化した民族政策、大民族の優先権」だと論評した。

U9408P6T1024D9977F30636DT20140113120833(写真)ラサ市委副書記で宣伝部長の馬新明(右)がスターの陳坤を「ラサの歴史で初めての都市イメージ大使」に任命した。(ネットより転載)

実質的に「太陽の都ウオーク」は政府のイベントだ。中国官製メディアの報道によると、記者会見の席上、ラサ市委副書記で宣伝部長の馬新明は陳坤を「ラサの歴史で初めての都市イメージ大使」に任命し、証書とカタを与えたという。これ自体が全くのでたらめだ。この後、ある役人が「心の公益プロジェクト『歩くことの力』を始める」と発表し、まるで彼ら全員が気高い人物になったかのようだった。

報道された「現地の幹部と一般人、学生の代表、メディアなどから成る約1500人の隊列」は、明らかに選択と審査を経ていた。選手たちは黄色い腕章を着け、私服警官が警戒し、路上の車両はしばらく止められた。このような「心の公益プロジェクト」は、いわゆる「中国的な特色、チベット的な特徴」をどれだけ備えていただろうか。

興味深く思えたのは、軍隊行進に似たやり方で大股になって列を組み、ラサの街頭を通り抜けた時、中国のスターたちは歴史と現実の織り成すどんな風景を歩いていたかを意識しただろうか、という点だ。遥か遠い時代については触れる必要はないだろう。天地を覆した六十数年前の事件を回顧すれば、まさにダライ・ラマ法王がおっしゃった通りだ。「あなたの家、あなたの友人、あなたの祖国がたちまち全て失われた……」

今日のラサの残酷で皮肉に満ちた現状を「太陽の都ウオーク」よりもはっきり見せつけるものはない。売れっ子スターたちはチベット仏教の「心の修行」にかこつけて個人のイメージを飾り繕っただけではなく、あしき「チベット政策」の美化を手伝い、チベットの至る所で心の修行が本質的に圧迫されている真相を覆い隠した。そして、チベットが依然「アパルトヘイト」にあるという真の現状をかえって別の角度からはっきりと浮かび上がらせた。

2014年2月   (RFA特約評論)

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2014年09月26日

共産党祝賀会の最中「チベット独立」を叫んだ僧侶に10年の刑

09401bd8僧ロプサン・ゲンドゥン。

去年7月1日、チベット自治区チャムド地区ツァワ・パシュ県で中国共産党創立記念日の祝賀会の最中、ドンサル僧院僧侶ロプサン・ゲンドゥンが「ダライ・ラマ法王に長寿を!ダライ・ラマ法王のチベット帰還を!チベットに独立を!」と叫び、その場で警官に逮捕されたということは先のブログで報告した。 

彼が拘束された次の日、仲間の僧侶も連行され、2人とも重体となり病院に運び込まれるほどの拷問を受けたという話も伝えた。

9月17日付けRFAによれば、最近、この僧ロプサン・ゲンドゥンに対し10年の懲役刑が言い渡された。RFAに現地から情報を伝えた匿名希望のチベット人によれば、「9月12日、ドンサル僧院僧侶ロプサン・ゲンドゥンが親戚に電話を掛け、『チャムドの裁判所により10年の刑が下された』と伝えた。しかし、彼がどこの刑務所に収監されているのかは不明のままだ」という。

彼が拷問されたことが明るみにされた後、家族との面会は許可されなかった。一度だけ、今年1月28日にチャムドの裁判所が彼の両親を呼び出し、「彼が罪を認めるよう説得せよ」と命令した。「しかし、彼は罪をまったく認めず、無実を主張し続けた。それどころか、彼は中国当局に対し、チベット政策の過ちを自ら認め、謝罪すべきだと訴えた」と伝えられる。

共産党の祝賀会の最中に「本心を叫ぶ」と10年の刑を受けるということである。彼の場合は拷問を受けようとも、最後まで罪を認めず、抵抗し続けたことが長期刑に繋がった可能性もあるだろう。

imageこのチャムド地区は拷問の激しさでも有名だが、もともとチベット自治区の中でも特に「チベットの村人一人一人の政治信条を監視するキャンペーン」が厳しく行われている場所として有名である。各家、各僧院に対しては共産党指導者たちの写真を掲げ、屋根には中国国旗を掲げることが強要される。

その他参照:9月18日付けRFAチベット語版

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2014年09月24日

ウーセル・ブログ(唯色・博)「ラルン・ガルはシャンバラではない」

以下、2014年1月31日付けウーセル・ブログの日本語全訳。

原文:唯色:喇荣不是香巴拉
翻訳:@yuntaitaiさん

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◎ラルン・ガルはシャンバラではない

カム地方北部セルタ(四川省カンゼ・チベット族自治州セルタ県)のラルン・ガル僧院で1月9日夜、火災が起きた。微博を開くと、激しい炎に包まれた写真ばかりが並んでおり、数年前に2回訪ねて目撃した壮大な仏国の眺めが目に浮かんできた。

200777151816103<写真>ケンポ・ジグメ・プンツォク師

ラルン・ガルは1980年にケンポ・ジグメ・プンツォク師が開き、チベット全土で修行者数の最も多い仏教学院になった。中国本土で最も知名度の高いチベット仏教学院でもあり、在家や出家の漢人修行者が何千人もいる。このため、ラルン・ガルはチベットのほかの僧院や仏教学院とは異なり、チベット語と中国語に精通した非常に優秀な高僧を何人か抱えている。ケンポ・ツルティム・ロドゥーやケンポ・ソダルギェらは特に有名で、新浪微博のフォロワー数はともに数十万人から100万人以上いる。

破壊的な炎は暗闇のラルン・ガルで猛威を振るった。微博では「尼さんたちの小屋が100棟以上焼けた」「200棟以上焼けた」などと、現場から伝わってきた情報が絶えず更新されていった。私もこうした火災の情報をツイッターに転載したが、意外にも次のよう連絡が流れてきた。「僧院のケンポからお知らせです!火災の情報や写真を削除してください。誇張されたり、間違った情報が利用されたりしないようにするためです。仏の教えを広め、衆生にご利益を与える僧院事業の大きな妨げとならないように……」

これほど悲しい求めはなかった。知人の漢人女性も「消防当局がこれを理由に僧院を閉鎖したり邪魔したりしないよう、ツイートした写真などを早く削除してください。広めないでください」とツイッターのダイレクトメールをくれた。しかし私は承諾しなかった。これらの情報を削除すればラルン・ガルが平穏を得られるとは思えなかったし、全世界に火災を知られたからといって、炎の背後に隠れた赤い魔物が迫害の手を一時的に緩めるとも思えなかったからだ。メンツを重んじる赤い魔物が、飢えと寒さの迫るこの時期、苦難の中の衆生にわずかな間だけでも一息つかせてくれるかもしれないとは思ったが。

漢人のネット仲間は納得せず、「削除には反対する。炭鉱事故でうそを発表するのとどんな違いがあるんだ?」と微博に書いた。この考え方は正しくない。炭鉱事故でうそを発表するのは当局の行為であり、保身のために責任をなすりつけるのが目的だ。ラルン・ガルのケンポたちの削除要求はやむを得ない苦しみに満ちていたし、その目的は仏教学院を守ることにあった。

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<上写真2枚>2012年1月24日、セルタのチベット人の抗議は鎮圧された。

ケンポたちは何を恐れているのかと問う人がいた。では、ひとまず簡単に説明させてほしい。ラルン・ガルは1999~2002年に最も大きな災難を経験した。修行者の多いラルン・ガルは反乱を生み出す拠点だと中国共産党の高官は考えた。数千の僧坊が取り壊されてさら地になり、無数の修行者が追い出され、一部は悲憤して死んだ。ケンポ・ジグメ・プンツォク師はこのために病を患い、数年後に円寂した。実際、ラルン・ガルは名声を博してはいるが、常に薄氷を踏んでいた。当局は何度か言い掛かりをつけて閉鎖しようとしたが、学院は上から下まで抑制が効き、慎み深く、逆境に耐え忍んでいたため、容易には手を付けられなかった。

002 (1)<写真>5年半の刑を受けた作家ガンケ・ドゥパ・キャップ。

一方、セルタ県では、政治的な抗議を訴える焼身者を2人出している。このうち1人はラルン・ガルと同じニンマ派のトゥルク(化身ラマ、転生ラマ)だった(25歳のトゥルク、ドゥプチェン・ツェリンは2013年2月13日、ネパールの首都カトマンズで焼身し、死亡した)。2012年の春節2日目に当たる1月24日には、セルタのチベット人数百人が金馬広場でスローガンを叫んでルンタをまき、自由と人権を求め、軍警の発砲による鎮圧に遭った。抗議を記録したとして逮捕され、重い判決を受けた作家ガンケ・ドゥパ・キャップはセルタ人で、農村の教師だった。セルタ県と同じカンゼ州のダンゴ、カンゼ、タウの各県でも、この数年立て続けにデモや焼身などの抗議が起き、当局に鎮圧された。セルタ県と隣り合う青海省ゴロク州でもチベット人3人が悲憤して焼身し、死亡した。

ラルン・ガルは決して現実世界のシャンバラや桃源郷ではなく、心静かに仏教を学ぶ特権を得られるわけではない。ラルン・ガルに絶えず迫り来る危険をケンポたちは誰よりも冷静に認識しているから、心配でたまらずに火災情報を削除するよう求めたのだろう。しかし私は違う考えを持っている。ラルン・ガルが決してシャンバラではない以上、超然とした浄土づくりに苦心しても全く現実的ではなく、もろく崩れやすいように思える。また、苦難に満ちたチベットの大地にあり、その陽光と風霜、真っ白な雪と絶えず結び付いている以上、チベット全土で災難が相次いでいる時にどうしてラルン・ガルだけがほかを顧みず自分の修養に専念できるだろう?

2014年1月11日 (RFAチベット語)


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2014年09月21日

<速報>ツー(合作)で新たな焼身 習近平・モディ会談に合わせた?/ 最近伝わった焼身ビデオ

10660102_735987823103672_4430142826690275405_nラモ・タシ

今年4月15日、カム、タウでティンレー・ナムギェル(32)が焼身抗議を行い、死亡した。その後5ヶ月以上経過し、チベットの焼身は忘れ去られようとしていた。そんな時、新たに若者が自ら燈火となり、まさに命がけで再び助けを求めた。

20日付けTibet Times等によれば、先週の水曜日(9月17日、ラカルの日)の真夜中にアムド、ツー(甘粛省甘南チベット族自治州合作市)の市警察署の前で、22歳の学生ラモ・タシ(ལྷ་མོ་བཀྲ་ཤིས།)が焼身抗議を行った。

焼身者の親戚であり現在海外在住のあるチベット人によれば、「焼身時に何を叫んだのか、遺書等が残っているのかの情報はまだ入っていない。ただ、地区のチベット人たちは『習近平のインド訪問に合わせて焼身したのではないか?』と推測している」という。

警察署の前で焼身したラモ・タシは生死不明の状態で警察署内に運ばれた。次の日に警察署からラモ・タシの家族に連絡が入り、彼の焼身と死亡が知らされた。家族は遺体を引き取ろうと急ぎツーの警察署に向かったが、警官は遺体はすぐに火葬されたといい、「これが遺灰だ」という灰だけが手渡されたという。

ラモ・タシは甘粛省甘南チベット族自治州アムチョク鎮ドクデ村(ཨ་མཆོག་སྒྲོག་མདོ།)の出身。父ツーパ・ツェリン、母ドゥクカル・ツォの息子。勉強を続けるため、ツー市に移り住んでいた。

内地焼身者132人目。

その他参照:9月21日付けVOA英語版

参考:ルンタ:焼身者リスト
チベットの焼身についてさらに詳しく知りたい方は、このブログ右手上の「太陽を取り戻すために チベットの焼身抗議」をクリックして下さい。

10653807_10152799436750337_8590212574994106853_nカナダ在住の日本人画家井早智代さんが、焼身・死亡したラモ・タシさんに捧げる絵を描いて下さった。













<閲覧注意>最近亡命側に伝わった焼身ビデオ

これは2013年12月3日、ンガバ州ンガバ県メルマ郷中心街の路上でマチュ県出身の遊牧民クンチョク・ツェテン、30歳、2児の父が焼身抗議をおこなった時のものである。
クンチョク・ツェテンの焼身についてはここここを参照して下さい。




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2014年09月15日

牧草地を巡る村同士の争いの後、部隊が出動し激しい暴力を振るう

imageかつてチベットの牧草地には移動を遮る柵は全くなく、季節に合わせ自由に移動することができた。中国当局の政策により柵ができた時点でもう「遊牧民」と呼ぶことはできなくなっている。チベットにはすでに「遊牧民」は存在しないのである。

当局がチベットの牧草地を区分けした結果の1つは、牧草地を巡るケンカの増加であった。最初は県単位で区切られていたが次第に郷単位、村単位と狭められ、今ではほとんどの地域で家族単位に区切られている。その度に牧民はヤク等の家畜の数を減らさないとやって行けなくなったという。

家族単位で区切られたことにより、割り当てられた牧草地の良し悪しや家畜数の差により貧富の差が生まれ、ちょっとした越境行為によりケンカが増えたという。これを解消するために、当局と掛合い村単位やさらに大きな単位に戻すことに成功した地区もある。しかし、村単位になった後も牧草地を巡るケンカは起こっている。これは1つには柵の設置により、以前はまったく無かった「土地所有意識」が目覚め、ちょっとした土地侵害に対しても過剰反応するようになってしまったことが深層的原因と思われる。もう1つの深層として、中国当局の暴力体質・文化に影響され、チベット人も暴力的になり易い環境があると推測される。

9月12日付けRFAによれば、最近、アムド、レプコン(青海省黄南チベット族自治州同仁)で牧草地を巡り村同士が大規模なケンカを起こし、1人が死亡。その後当局が部隊を派遣し大勢のチベット人が拘束され、激しい暴力により負傷者が多数発生したという。当局の移動規制により「重傷者を病院に運ぶこともできない」と地元のチベット人は訴えている。負傷者を大きな病院に運ぶためには村長と郷長の許可を得る必要があるという。

8月10日と11日の2日間、レプコン地区にある9つの牧民部落が集まるナルン村と5つの部落が集まるクルデ村が大規模なケンカを行った。事の始まりは、8月10日にクルデ村の2人の牧民がナルン村と共有地になっている牧草地に家畜を移動させたことからであるという。

これを知ったナルン村の若者たちが「彼らを追い出すために現場に向かった。クンデ村の2人が移動することを拒否すると、ナルン村の若者たちが2人を殴り倒した」という。次の日、クンデ村の村人たちは石とナイフを手にし、ナルン村に向かった。途中2つの僧院近くを通過する時、僧院のラマや僧侶が彼らを説得したが、彼らは聞き入れなかった。ナルン村で衝突が起こり双方に大勢のけが人がでた。そして、ナルン村の1人が死亡した。

12日、大規模な部隊がクルデ村に現れ、村人を拘束し始めた。多くの若者は山に逃げたが、逃遅れた57人が拘束された。部隊は逃げた若者たちに対し「降伏せよ。罪を認めれば罰せられることはない」と広言した。しかし「彼らが村に戻ると、約束は守られず、酷い暴力を受け拘束された」と村人は報告する。

「地域の住民が集められ、警告の目的で拘束されたものたちは彼らの前で引き回された」という。また、部隊の暴力により負傷したものたちは重傷者を含め誰も病院に運ばれることなく、全く治療を受けることができない」と伝えられる。

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2014年09月10日

14世ダライ・ラマは本当に「ダライ・ラマ制度は自分で終わり、後継者は不要」と公言したのか?

6207cb20-3a8d-49ca-9871-2c93e07df044ダライ・ラマ法王は訪問先のドイツで9月7日、ドイツ週刊紙ウェルト日曜版(Welt am Sonntag)の取材を受けその中で「ダライ・ラマ制度は自分で終わり、後継者は不要」と公言した、とAFP日本語版等が伝えた。このニュースの反響は大きく、ネット上で世界中のチベット人やサポーターたちが「ショックを受けた。大変悲しいニュースだ。再考して頂きたい」と応じた。

これに対する中国側の反応としては、例えば新華社日本語版ではシンガポール華字紙を引用しながら最後に「ダライ・ラマが、次の生まれ変わり(化身)を探す『輪廻転生制度』を持ち出すのは、メディアから注目を集め、さらにはこれにより中央政府に圧力をかけるという政治目的を実現させるためだ」と結んだり、日本の東京大学にも留学した経験のある中国社会科学院の民族史研究者秦永章は9月9日付け環球網『ダライに転生制度を終わらせる権利はない 次のダライは愛国者に』と題した文章を発表している。

ちなみにこの秦永章氏は@rogcigさんによれば「東大の大学院の総文研にきて西川一三や木村肥生などしらべて、《日本涉藏史——近代日本与中国西藏》を書いた人」で青海省のトゥー族出身という。うらるんたさんは「民族間対立を煽る意図はないんですけど、青海省出身の少数民族(モンゴル系で、チベット仏教徒でもある)で中央民族大学、青海民族大学で学び、日本にも研究に来て過去の日本人のチベット研究の業績をたどり、社会科学院の研究者となっている人が、中国共産党主義丸出しのトンデモコラムを書くのって、悲しいなあと思います。」と反応されている。

ところで、このニュースが世界中に発信された後、このニュースの内容に疑問をもったチベットメディアが相次いでガンデン・ポタン(ダラムサラにあるダライ・ラマ事務所)に問い合わせたという。その結果をVOAやRFAが発表している。それによれば、ドイツ紙の発表は「誤解」であり、読者を「ミスリーディング」するものだという。真相はどうだったのか、インタビューの全体は未だ発表されておらず、ガンデン・ポタンの文章による正式な反応も発表されていないので現時点ではっきりとした答えは出ないがこれまでの経緯は報告しておく必要があると思われる。

まず、日本語で発表された最初の記事である9月8日付けAFPは以下:
ダライ・ラマ14世、「後継者は不要」 独紙インタビュー

【9月8日 AFP】チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ(Dalai Lama)14世は、ドイツ紙とのインタビューの中で、自身を最後の指導者とするべきと述べ、故郷の地で数世紀にわたり継承されてきた宗教的伝統を終わりにすべきとの見解を示した。
 同氏は過去にも、「ダライ・ラマの目的は果たされた」と述べており、独紙「ウェルト」日曜版(Welt am Sonntag)での今回のコメントで、その意思をさらに明確にした形だ。
 英語で行われたインタビューで同氏は、「ダライ・ラマ(の伝統)はおよそ5世紀にわたり続いてきた。現在のダライ・ラマは非常に人気がある。評判の良い最高指導者がいる間に終わらせるべきだろう」と述べ、「弱いダライ・ラマが継承すれば、その伝統に傷が付く」と笑顔で付け加えたという。
 また、「チベット仏教は一個人に依存するものではない。私たちは、高度に訓練された僧侶や学者を何人も擁する非常に組織立った構造を持っている」とした。
 1950年にチベットに派兵した中国は、翌1951年から同地を統治。ダライ・ラマ氏は1959年の民族蜂起が失敗に終わった後、インドに逃れた。
 2011年にノーベル平和賞(Nobel Peace Prize)を受賞した同氏は、すでに政治活動からは距離を置いているが、それでも国内外のチベット人に対する強力な求心力を維持しており、また民族運動の象徴として広く知られている。(c)AFP

その他、日経も9月9日付けで同様な趣旨の記事を発表している。ライブドアニュースに至っては先のAFPの記事を紹介しながら、「ダライ・ラマ14世『後継者は不要』 チベット仏教を終わりにすべきとの見解」というとんでもない題を付けている。「チベット仏教を終わりにすべき」などという発言はAFPの記事中にもまったく見受けられない。

これに対し9月9日付けVOAはガンデン・ポタンから得たという返答として:「ダライ・ラマ(の伝統)はおよそ5世紀にわたり続いてきた。現在のダライ・ラマは非常に人気がある。評判の良い最高指導者がいる間に終わらせるべきだろう」という部分は「次期ダライ・ラマはどうなるのか?」という質問に対し法王が行った長い答えの中のほんの一部であり、法王はその返答の冒頭で「ダライ・ラマ制度を存続すべきかどうかはチベット人自身が決めるべきだ」と述べたという。

VOAはコメントとして、この「ダライ・ラマ制度を存続すべきかどうかはチベット人自身が決めるべきだ」という発言は法王が数十年前から何度も繰り返し表明されて来たものであるとする。また、転生に関する法王の意見として重要な点は以下の2点という。
1)15年後をめどに各宗派の代表が集まり次期ダライ・ラマについて話合いを行うこと。
2)次期ダライ・ラマは論理的に考えても分かるように現在のダライ・ラマの意志を継ぐことにある。そのためにはそのようなことが可能な環境の中に生まれることが必要であり、現在の状況のようなチベット内地に生まれ変わることはあり得ない。

RFAの方は「この記事は一部を引用しただけの誤解を生む記事である」とし、その他の内容はVOAと同様である。

FB上に発表されたあるビデオは今回のインタビューの一部とは思われないが、2)番目のことについて法王自身が語っておられるところである。

私もダラムサラで何度もこの法王の話は直接聞いている。法王が仮に「自分でダライ・ラマ制度は終わりだ」と言われたとしても、アテイスト中国共産党は政治的目的のために必ず次期15世ダライ・ラマを立てるであろう。そうなれば、亡命側もこれが本物の15世という子供を選出しない訳にはいかなくなると推測する。

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2014年09月09日

ビデオで拷問を暴露した僧ジグメ・ギャンツォに5年の刑 失踪3年後

bf8dec69アムドの名刹ラプラン・タシキル僧院の僧侶ジグメ・ギャンツォは2006年以来4度拘束されその度に拷問を受けていた。最後に拘束されたのは2011年8月20日、それ以来3年間以上行方不明のままとなっていた。

9月8日付けRFA等によれば、9月5日甘粛省の裁判所においてついに彼に判決が言い渡された。国家分裂扇動罪で5年の刑とされた。裁判に家族は呼ばれず、弁護士も付かない秘密裁判であった。

ジグメ・ギャンツォは2008年に逮捕された後、どのような拷問を受けたかをビデオを通じ詳しく伝えた。このビデオは最初VOA、次にyoutubeを通じて広まり、多くの人が彼の証言を聞いた。日本語訳もあることだし、まだ見ていない人は是非このビデオをみてほしい。
ビデオ
日本語訳

突然車に引き込まれ、頭に黒いずきんを被らされ、拘置所に連行された後、自動小銃を突きつけられ、「これはお前たちチベット人を殺すためのものだ。少しでも動けば、必ずお前を撃って殺してやる。死体をゴミ箱に捨ててやる。誰も気付きはしない」と脅される。その後2ヶ月間、彼は激しい拷問を受ける。天井から吊るされ意識を失うまで暴行を受けた。意識を失う度に病院に運び込まれ、意識が戻るとまた拷問を受ける。「まるで人を殴っているのではなく、ブタや犬を殴るような」暴行を受けた、と証言。

このビデオを製作したとして2008年11月に再び逮捕され、翌年5月に解放された。そして、また去年8月20日にツォエ(ツゥ 合作)のホテルで拘束される。詳しくはここここ

その後消息が途絶え、危惧されていたが、2012年10月12日付けTibet Netが消息を伝えた。それによれば、彼は心臓、肝臓等5種類の重い病を患い、蘭州の刑務所内病院で治療を受けていたという。彼の親族は当局に対し、病気を理由に解放を懇願したが、拒否された。親族はさらに病気が悪化しこのまま監獄で死ぬのではないかと心配していた。

その他参照:9月8日付けRFAチベット語版
9月8日付けTibet Timesチベット語版

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